宿に戻り、扉を開くと、部屋の中は真っ暗だった。

 夕暮れ時だというのにランプ一つ点けられておらず、カーテンはきっちりと閉められている。
 部屋の主は暗闇に溶け込むように息をしていて、体をベッドに横たえていた。
「……カイン。おめぇ、もう寝るのか。俺と酒場で呑むって約束してただろ、忘れたのかよ」
 わざとらしく溜め息をついて、エッジはカインに歩み寄る。
 カインはエッジに背を向けて寝転がっていて、話を聞いているのか、それとも寝ているのか、エッジには判別することができなかった。
「セシル達は買い出しに行ったぞ。あっちは任せといて、さっさと呑みに行こうぜ。宿の一階が酒場になってるから、べろべろになってもすぐに寝かしつけてやれるし――」
「大方、セシルにでも頼まれたんだろ?」
 背を向けたまま、カインが淡々とした調子で言う。
 エッジはもう一度溜め息をつくと、
「何のことだ」
とカインの肩を引いた。
 体はこちらを向いたけれど、手のひらで顔を覆っているせいで表情が分からない。
 自嘲混じりの声で、カインは答える。
「……頼まれたんだろ?『カインの話を聞いてやってくれ』、『励ましてやってくれ』って」
「…んだよ、それ」
 苛つきながら、カインの顔から手を引き剥がそうとする。
(もしかして、泣いてんのか?)
 強固なそれをどうにか引っ剥がすと、涙こそ流してはいなかったが、瞳は暗い色を纏っていた。
「ひっでえ顔」
 頬をぎゅっとつねりながら言ってやると、無言のまま荒々しくはね除けられる。
 もう一発お見舞いしてやろう、そう思い、
「すっげえ不細工」
鼻を摘まみながら呟いた。
 ふるふる、とカインの肩が震える。
 指を離すと鼻が真っ赤になっていて、エッジは思わず吹き出してしまう。
 それでも、カインは何も言い返してこなかった。
(しゃあねえなあ)
 思いながら、取って置きの言葉をカインに放つ。
「ほら、行くぞ。クソガキ」
「ガキじゃない。この馬鹿王子!」
「おお、起きた起きた」
 怒声とともに起き上がったカインにおどけて言うと、少しだけ顔を赤くして、カインは視線を逸らした。
「……そもそも、俺は約束なんてした覚えはない。嘘をつくなら、もう少しましな嘘をつけ」
「嘘じゃねえよ。『明日の夜、一緒に呑もうな』って言ったらお前、『ああ』って返事してたじゃねえか」
 言いつつ、エッジはカインの髪にそっと触れる。それを鬱陶しそうに払い除けながら、カインは「いつ訊いたんだ」と訊いてきた。
 再度、髪にちょっかいを出しながらエッジは答える。
「昨日、おめぇが寝てるときだよ。むにゃむにゃ言いながら『うん』って言ってたぞ」
「…それはただの寝言だ!」
 喚きながら、カインがすっくと立ち上がる。それを見て、エッジはにやりと笑った。
「よし、立った立った。呑みに行くぞ」
「お前…っ!」
 逃れようとする手首を掴んで、階下へと向かった。




「……っあっま!おめぇ、こんな甘い酒が好きなのかよ…砂糖水みてえだぞ、これ」
 グラスの中で揺れている液体は、ほぼ透明でシンプルな見た目をしているくせに酷く甘かった。
 エッジは舌に残る甘さを溶かすために、自分が注文した酒をぐいと煽る。
 それを見て、カインはふんとそっぽを向いた。
「好きなんだよ、この酒が。お子様舌で悪かったな…お前の頼んだ酒は俺には辛すぎる」
 言いつつ、カインは拗ねた顔でグラスを傾ける。
 カウンターに腰掛けて各自一本ずつ酒を注文し、互いが注文した酒を飲み合った。その感想がこれだ。どうやら、酒の趣味は合わないらしい。

 店内は客で溢れかえっていて、二人の声は掻き消されてしまいそうになる。
 カインはちびちびと酒を飲むだけで何も話さず、まるでエッジの前に透明な壁を作っているようだった。
「……なあ、カイン」
 ちらり。グラスを手にしながら、瞳の動きだけでカインが返事をする。
「さっきの話だけどさ。俺は別に、セシルに頼まれておめぇと呑んでるわけじゃねえからな」
 言葉と共に顔を覗き込むと、カインは弾かれたように顔をエッジに向けた。
「俺はおめぇと呑みたいって思ったから、おめぇを誘った。それだけだ。他意はねえよ」
「……どうだかな」
 カインが鼻で嗤う。
「セシルは俺を気遣って、まるで腫れ物に触るかのような態度で接してくる」
 乱れて額に垂れた髪を撫でつけ、カウンターにつきそうなほど、顔を俯かせた。
「怒り狂ってくれる方が、まだましだ」

 カインがゴルベーザに操られていたことは、セシルから聞いて知っている。
 しかし、操られていたカインがどんな行動に出たのか、事が起こる前のカインとセシルの関係はどうだったのか、詳しいことをエッジは知らない。
 誰も語りたがらないし、訊ける空気でもない。
 けれど、二人の様子がおかしいのは、誰の目にも明らかだった。

「…本当は分かってるんだ。あいつは優しいから、俺のことを責めたりなんかしないって。でも、俺は俺を許せない。優しくされればされるほど、辛くて堪らなくなる……」
酒を口にしながら、カインはぽつぽつと語る。
 懺悔にも似たその言葉を、エッジは静かに聞いていた。


 セシルとローザが恋仲になって、孤独を感じていたこと。
 その孤独に付け入れられ、ゴルベーザに操られてしまったということ。


 もう一杯、もう一杯と飲み進めるにつれて、カインの頬が少しずつ赤みを帯びていく。
 気付けば彼の目はとろんと蕩けて、今にも眠ってしまいそうになっていた。
「おい、カイン。もうその位にしとけよ」
 言葉と共に、更に酒を追加しようとしたカインの頭をエッジが撫でる。大した力を入れていないにもかかわらずカインの背がぐらりと倒れていきそうになり、思わずその体を抱き締めた。
「カイン!」
「…ん……?」
 ぼうっとした瞳で、カインが返事をする。
 倒れかかったという自覚もないらしい。
(もっと強いかと思ってたんだが…意外だな)
 肩に腕を回させてから立ち上がり、一歩一歩、歩みを進める。
「部屋に戻るぞ。おめぇ、案外弱えのな」
「う、るさ……い」
「はいはい。分かったから。ほら、階段を上るぞ」
 途端、カインが足を止め、
「外がいい……風に当たらせてくれないか…」
と呟いた。





 外は風が強かった。
 ふらふらとしているカインの体を支えながら、エッジはどこか休める場所はないか、と視線を巡らせる。
 池のほとりに大きな木が立っていたので、そこに決めて歩き、座った。
 空を見上げれば二つの月を囲むように星が煌いていて、エッジは思わず溜め息をついた。
「星が綺麗だ」
「…柄にもないことを言う」
 カインが笑う。エッジの肩に体をくったりと預けながら、彼もまた空を見上げた。
「久しぶりに、星空を見た気がする」
 ぽつりと口にする。
 エッジは首を傾げながら、笑った。
「お月さんも星も、いつも空にいるのにな。…おかしな話だ」
「ああ、確かに」
「自分に余裕がない時は、空を見上げる気にもならねえ」
「そうだな。思い悩んでいるときには、星も、月も、何も見えない」
 カインは小石を手に取ると、ぽいと池に放り投げた。水音をたてて小石は三度跳ね、波紋が広がり、二人はそれをただただ眺めた。
「セシルと、よくこうやって石を投げて遊んだ」
「何回跳ねるかを勝負するんだろ?懐かしいな」
 言いつつ、エッジも小石を投げる。小石は四度跳ねた。
「やった、俺の勝ち」
「王子様はまだまだ子供らしい」
「…うっせえ」
 つっけんどんに返すと、エッジはカインの顔を見た。
 相変わらず頬は赤らんでいて、瞳は潤んでいる。その姿がどこか幼く見えて、こうやっていれば歳相応なのに、とエッジは思った。
 カインはいつも緊張していて、自分の周りに壁を作って生きているようにエッジには見えていたから、子供じみた彼の表情に喜びを感じずにはいられなかった。
「おめえ、さっき言ってたよな。セシルとローザが仲良しになっちまって寂しい、って」
「そんなことは言っていない」
「言ってたじゃねえか。言い方の問題だろ」
 憮然とした表情のまま、カインはエッジの頭を小突いた。
「…俺達はいつも三人でいたからな。バランスが崩れていくのが怖かったんだ」
 カインはぎゅっと自らの手を握り締めた。
「怖くて堪らなくて、そんな時ゴルベーザの声が聞こえて、俺はその声に手を伸ばした」
「ゴルベーザは何て言って、おめぇをそそのかしたんだ?」
 爪が食い込むほどに握られた手をそっと解いて、エッジは訊いた。
 カインは幾らか逡巡した後、小さく呟く。
「……孤独が嫌なら、奪えばいい、と」
「奪う?」
「セシルとローザを引き離せばいい、とあの男は言ったんだ。そんなことしたって、何にもならないのにな」
 再度握り込みそうになった手を、エッジは手を繋ぐことで遮った。カインは振り払わない。
「何にもならないと分かっていたのに、俺はゴルベーザの手をとって、あの男に加担した」
 エッジの肩に預けた頭を垂れて嗤う。
「加担して、セシルをこの手で殺そうとした……」
「……寂しかったんだろ?ゴルベーザに縋りたくなっちまう位にさ」
 エッジがそう訊けば、カインは目を細くした。
「そう…だな……案外俺は孤独に弱いのかもしれない」
 自嘲気味の声が弱弱しく響き、カインは顔色を窺うように上目遣いでエッジの方を見た。カインの唇には微笑が浮いていた。
「一人は嫌いだ。いらないことばかり考えてしまう」
「俺だって一人は嫌いだ。誰かと喋ってないと窒息しそうになる。できればずっと、きっれいな姉ちゃんと喋っていたいね。そうだな…金髪で、気のきつそうな娘がいい」
「どうせ、体で話すんだろう。しかも夜明けまで」
「ひっでえなあ」
 エッジは茶化した口調でぼやいた。カインは軽い調子で言う。
「気のきつい金髪美女でなくて悪かったな、王子様」
「気のきつい金髪美男か。惜しいなあ…いや、惜しくはないか」
 何かがツボに入ったらしい。カインは腹を抱えて笑い出した。まなじりには涙が浮かんでいる。
 その笑いにつられて、エッジも笑った。笑い声はなかなか止まなかった。
 しばらくしてから、ようやくカインが口を開く。
「お前といると、調子が狂う」
「狂えばいい。いくらでも狂わせてやるよ」
 少しだけ歯を見せて、カインは笑った。






 窓から朝日が射し込んでいる。
 昨日よりも強い光に、今日は暑くなるかもしれないな、と思いながら、エッジは大あくびをした。
 視界の隅に映ったベッドの中で、セシルが体を蠢かせるのが見えた。
「んん…………おはよう、エッジ」
 ううん、と伸びをしながら挨拶したセシルに、
「しっ」
 と指先を唇に当てて、エッジは返答する。
「今寝たとこなんだ。ちょっとだけ寝坊させてやってくれねえか」
 エッジはカインの眠っているベッドに腰掛けている。カインはその隣で、すやすやと眠っていた。
 あの後、結局二人はずっと喋くっていて、気が付けば太陽が頭を出していたのだった。
「エッジは寝なくて大丈夫?寝てないみたいだけど」
 口にしながら、セシルはベッドを降りてエッジ達の方へ近づいた。エッジはあくびで返事をする。
 そうして手を上げて、
「眠りたいのはやまやまなんだが、これじゃあなあ」
 と苦笑した。
 エッジの手は、長い指先に拘束されている。考えるまでもなく、それはカインの手だった。
「……手を繋いだまま、寝ちゃったの?」
「おう。何か、ぶつぶつ呟きながら寝ちまったよ」
 それを聞いたセシルは、少し寂しそうな表情をしながら、首を傾げた。
「仲良くなったんだね。仲悪かったのに」
「どうかな。酒の力は偉大だ。起きた瞬間、カインは攻撃をしかけてくるかもしれねえ」
 軽く言ってから、エッジは再度あくびをした。
「エッジも一緒に寝たら?ちょっと狭いかもしれないけど」
「ここで!?」
「そこで」
 セシルが悪戯っぽく笑う。
 しょうがねえなあ、という声と共に、エッジの目蓋が閉じられた。眠る前に聞いた、カインの言葉が甦る。


『もし俺がお前を裏切ることがあったら、その時は、迷わず俺を斬ってくれ』

『……止めて欲しいんだ。あの男の元へ堕ちていく、その前に』



End






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カイン受30題