不意に、目が覚めた。
僕の命を救った人は、膝を立てて座ったまま、僕の傍で静かに寝息をたてている。
テントの中は、青白い光に満たされていた。
じいっと、彼の寝顔を見つめてみる。長い睫毛が、淡い影を落としていた。
昼間は見ることができなかった穏やかな表情に、少し安堵した。
昼間のこの人は、ひたすら無表情で、こう言ってはなんだけれど、本当に無愛想なのだ。
今の表情は、とても優しいものに思える。
彼を起こさないようにそっと身を起こして、荷物の中にある水筒を手に取った。この辺りはバロンと比べるとかなり暑いから、すぐに喉が乾いてしまう。目が 覚めてしまったのも、多分そのせいなのだろう。
母さんとはまた違う、綺麗な金髪を眺める。
母さんの髪は優しくてやわらかい感じがするけれど、この人の髪は硬質で冷たい感じがした。
表情といい雰囲気といい、まるで、尖った氷みたいだ。
全てを拒否するかのように、名前も、教えてくれない。
けれど、この人が優しいってことを、僕はちゃんと知っている。
見ないふりをしながら、僕を見守っていてくれる。夜、僕が眠るまで傍にいてくれる。
そういえば、こうやって寝顔を見るのは初めてかもしれない。モンスターを警戒して、彼は最低限しか寝ようとしないから。
そんな彼が眠ってしまうくらいなのだから、よほど疲れていたということなのだろう。
理解した僕は、夜明けまでの数時間、見張りを務めることに決めた。
脱いでいた鎧を身に着けて、剣を手にする。あ、と思い、水筒を元の場所に片付けた。
「…………あっ」
傾いた僕の荷物が、隣に置いてあった彼の荷物を倒してしまう。慌てて支えようとするも、彼の荷物の中身が出てしまった。
両の手のひらを合わせた程の大きさの箱が、地面に落ちる。蓋が開き、中身が散らばった。
おかしな汗がにじみ出る。
自らを語ろうとしない彼の秘密――見てはいけないもの――を見てしまったような気がして、指先が震えた。
これを、あまり見てはいけない。直感で感じ取り、箱の中身を集め始める。
中に在ったのは、折りたたまれた何枚もの小さな紙だった。大きさは揃っていない。紙も、様々だ。
“もう、誰も好きにならない”
折りたたまれていない紙に書かれた言葉が目に入ってきて、僕は息を詰めた。
見てはいけない。そう思いながらも、目を離すことができなかった。
“もう、誰も好きにならない。もう、こんな思いはしたくない。
お前に伝えたいことがあるのに、何一つ伝えられない。
ひとりで見る星は、ひどく、つめたい。こんな思いはもう御免だ。”
これは、手紙なのだ。
彼が誰かに宛てた、辿り着く場所の無い手紙なのだ。
もう一枚を手に取る。その手紙の字は、所々滲んでいた。
“離れてから気がつくだなんて、本当に馬鹿だ。
どうして、お前なんかを好きになってしまったんだろう。”
それだけが、小さな字で書かれている。
今の彼からは想像もできないくらい、感情の篭った言葉ばかりだ。
そういえば、彼は、「名前は捨てた」と言っていた。この手紙の宛先に理由があるのかもしれない、と思った。
途端、罪悪感が込み上げてくる。いけない、と思い、箱の中に手紙を入れ始めた。
「……セオドア」
「……っ!!」
振り向くと、彼が真っ直ぐに僕の顔を見つめていた。
「す、すみませんっ!ぼ、僕……っ」
頭が真っ白になる。彼は少し乱れた髪をかき上げて、仕方がないな、という顔で微笑んだ。
「わざとではないんだろう?」
「でも……二枚目は……その……」
「構わん。私が眠っていたから、見張りをしようとしていたのだろう?すまなかったな」
「すみません、でした……」
「……いいんだ」
言いながら、手を伸ばしてくる。手紙のうちの一枚を取り、今にも泣き出しそうな顔をして首を横に振った。
「これはもう、いらないものだから」
言葉とは裏腹に、表情は何かを語っている。手紙をくしゃりと握り潰し、
「捨てなければ、いけないんだ……」
丸められた紙屑が、彼の指先から滑り落ちた。俯き、手のひらで顔を覆っている。何も言うことができなかった。
「セオドア。すまないが、火をおこしてくれないか。……それを、捨ててしまいたい」
「……でも、これは……」
「頼む」
先程までよりもやや上向きになった彼の顔。その瞳に、光るものを見つけてしまった。
首を横に振ることなど、できはしない。
「……分かりました、僕が燃やしてきます。それで、いいんですね?」
赤い炎の中に、黒い塵が混じる。
彼は、テントの中から出てこない。
手紙が灰になっていく。爆ぜながら、姿を変えていく。
名前も捨てて、過去も捨てて、大切な想いも捨てて――彼は、どこへ行こうというのだろう。
彼の想い人は、どこへ行ってしまったんだろう。
最後の一枚を捨てようとして、やめる。小さく折りたたんで、懐へしまい込んだ。
「セオドア」
彼がテントから出てくる。笑っていた。それはいつもと変わらぬ彼の笑顔で、けれど、目蓋は少し赤かった。
いつか、彼が、彼の想い人に会う日が来るかもしれない。その時まで、この手紙は僕が持っていよう。
会えなければ会えないで、捨ててしまえばいいんだから。
「ありがとう、セオドア……」
でも、なんとなくだけれど……いつか会えるような、そんな気がするんだ。
そして、彼の想い人も彼を想い続けている……何故か、そういう風に思えてしまう。
おかしいなあ。確証なんて、どこにもないのに。
「貴方は眠っていてください。僕が見張っておきますからっ!」
拳を握り締めてそう言うと、彼は目を丸くした後、唇の端を上げた。
End