寒い、と思った。朝だからかと思ったが、それにしては寒過ぎた。
 布団を引き寄せ、すっぽりと頭を覆うように潜り込む。
 それでも、寒い。
 何事だ、と飛び起きた。
「……寒っ!!んだよ、これ」
 エッジが視線を向けた先、窓の外にあったのは、信じられない光景だった。
 雪が降っている。
「雪……」
 エブラーナでは――いや、そもそもこの青き星では、殆ど雪が降らない。穏やかな気候をもつこの星は、暑くなることはあれど、寒くなることは殆どないからだ。
 目を丸くしながら、毛布を体に巻きつけ、窓に駆け寄った。
 寒い、と思ったが、それよりも、珍しさが先に立った。
 ちらちらと降る雪を見たのは幼い頃、それも一度だけだった。その白さに感激し、また、手のひらの上ですぐに溶けてしまうその儚さに、心が疼いたものだ。
 積もった雪で雪合戦をしたのを覚えている。あれは、貴重な体験だった。
 幼い頃に見たあの雪は、一日でやんでしまった。この雪も、多分少しの間しか降らないだろう。
 思いながら、毛布をぎゅっと手繰り寄せた。今着ている浴衣では、あまりに寒過ぎる。
 皆も混乱していることだろう――まあ、爺あたりが上手く説明していてくれるだろうが――とにかく、早く起きて、雪を知らない者達に暖のとり方を説明してやらねばならない。
 倉庫に予備の毛布や毛皮の上着があったなと記憶を辿りながら、着替えを済ました。けれど当然ながら、“いつもの服”では寒い。
 ごそごそと箪笥の中を探りながら、引き出しの一番奥に仕舞ってあった赤い布を見つけ、思わずどきりと胸を鳴らした。
 布に触れた指先から、痺れるような熱が伝わってくる。
 炎の匂いがするマフラーだ。
 取り出して、日の光に透かしてみた。
「……意外と、薄いんだな」
 赤い光が、降り注ぐ。
 再度戻ってきた平和な日々の中、奴のことを思い出すことは少なくなっていた。
 奴を思うたびに胸に満ちたはずの憎悪は大人しくなり、代わりに胸にやってきたのは、郷愁に似た淡い感情だった。
「……ルビカンテ……」
 名を呼ぶのも、久しぶりのことだ。
 時間というのは不思議なものだ。倒した仇を懐かしく思う日がくるなんて、思ってもみなかった。
 あの戦いの日々そのものが懐かしく、同時に眩しい。
 何故か、小さく胸が痛んだ。
「……よし」
 くるん、と首にマフラーを巻き、扉へと向かう。開けようとした途端、弾くようにして扉が開いた。
「お館様っ!!」
「うわっ!?」
 思い切りぶつかってきた存在に驚いて大声をあげると、大きな瞳と目が合った。
「あっ!!も、申し訳ありません……っ」
 紫色の長い髪が、ぐしゃぐしゃになってはねている。おそらく、飛び起きてここまで走ってきたのだろう。薄い寝巻一枚の姿で、ツキノワはエッジを見上げていた。
 青い瞳が潤んでいることに気づき、エッジは首を傾げる。
「ツキノワ、どうした?」
「お、お館様、外が」
「ん?」
「外が白くて、寒くて……っ!」
「おう」
 寒さでがたがたと震えている肩に、そっとマフラーをかける。まだ少年であるツキノワにとってそのマフラーは大きく、肩だけでなく腰も包み込むことができた。
「せ、世界が、凍り付いてしまうのではないかと心配になって、僕、僕……!」
 毛玉みたいになっているツキノワの頭を一撫でし、体を抱き上げる。立ち上がり、肩車の格好になった。
「お館様……っ!?」
 ツキノワは真面目で勉強家で、けれど時に、酷く幼い表情を見せるときがある。
 まだまだ教えることはたくさんあるなと思いながら、「掴まってろ」と呟く。
「これは『雪』ってヤツだ。多分一日でやむと思うが――――ま、その辺は爺の方がよく知ってるだろう。さっさと着替えて、雪合戦でもしようぜ」
「ゆきがっせん?」
「手裏剣投げみてえなもんだ。俺に勝てたら、おめぇの気がすむまで手合わせに付き合ってやるよ」
「え!!本当ですかっ!?」
 耳がきいんとなるほどの大声で言ったツキノワに苦笑しながら、部屋を出て王の間へと向かう。
「若!!」
 言いながら小走りでこちらに駆けて来る老人に「だーかーら、若じゃないっていってるだろうが」と返した。
「若は、いつまでも若ですじゃ!!」
 その言葉に、何故か小さく胸が痛む。
 昔は、そう呼ばれても何ともなかったのに。
「……そんなことより、雪です、雪!!」
「雪だな。雪といえば雪合戦だ。国民全員で雪合戦大会をするってのはどうだ?」
「何を子どもみたいなことを……!」
「たまには、子どもに戻るのもいいだろ。行くぞ、ツキノワ!」
「はい!」
 爺の怒声を背中で聞きながら、どこか懐かしい気分で王の間を飛び出した。



End


Story

ルビエジ