心を切り刻まれる。
 大きく息を吸い、喘ぎ、彼の熱を感じ、揺すぶられる。
「あ、あぁ……あっ」
 床に這いつくばり、ゆるゆると首を振る。
 これは、カイナッツォではない。分かっている。分かってはいるけれど。
「スカルミリョーネ」
 私の中を貫きながら、下卑た声で彼は笑い、言う。
「お前は、俺のものだ」




 ゴルベーザ様達が部屋を去った後、私は彼に――カイナッツォとよく似た何かに――散々犯された。
 腹が膨れるほど精液を流し込まれて、彼が部屋を出て行った後も、私はその場所から動くことができなかった。
 視線を部屋の隅にやる。喰い千切られた腕が落ちていた。
 カイナッツォの偽物は、まるで野生の獣のようだった。
 私の服の布は破られ、襤褸切れ同然となっている。醜い足や手が、剥き出しになっていた。
 本物の彼なら、こんなことはしない。自らの体を醜いと思っている私を気遣っていたのだろう。彼がここまで服を破いたことはなかった。
 腕を取りに行こうと立ち上がる。
 どろり。黄みがかった白濁が、足を伝って床に広がった。その精液のあまりの量に、眩暈を覚え、壁に額を擦り付ける。足が震えた。恐ろしかった。
 これから、ずっとこんな日々が続くのか。愛する者に良く似た何かにいいようにされる日々が。
 モンスターは快楽には勝てない。だから、快楽を求め、私の体はあの偽者を嬉々として受け入れてしまう。
 本当は嫌なのに。嫌で嫌で堪らないというのに。


 そうして、怖れていたことは現実のものとなってしまった。
 偽者は私の体を貪り喰い続け、私は疲弊していった。
 辛いと思うのに、逃げることができないのは何故なのか。自分でも、分からなかった。
 冷たい瞳。私を見下ろす偽者の瞳は、私を映さない。

『死んだらもう二度とお前を抱けないだろ』

 初めて抱かれたあの後に言われた、あの言葉が蘇る。
 そうか、もう彼に会うことはできないのだ。抱きしめ合うこともできない。軽口であった筈の彼の言葉が、私に重くのしかかる。
 心に大きな穴が空いたようだった。偽者などでは、到底埋めることのできない穴だ。
 死にたい。
 ――いや、違う。消えてしまいたいのだ。
 彼に会えぬというなら、魂ごと消えてしまいたい。
 女々しいと言われるかもしれない。そんなことで、と笑われるかもしれない。
 けれど、何百年も続く孤独に終止符を打った者を失い、私は弱くなってしまっていた。
 なあ、カイナッツォ。どうしたら、私は“そちら”へ行けるんだ。
 考えろ、考えろ。ぼんやりとした頭を振って、必死で考える。
 私を後ろから犯すものを無視し、床を掻き毟り、考える。
 そうだ、書庫なら。
 あそこなら、何か手掛かりが見つかるかもしれない。
 荒い息遣いが、耳元で聞こえる。低い声が「お前は、俺のものだ」と囁きかける。
 お願いだ、離してくれ。私はお前のものではない。




 書庫で目当ての物を見つけた後、私はバブイルの塔を抜け出した。
 懐には、そのことについて記された頁がある。護符のように胸に抱き、夜の山道をのたのたと歩いた。
 成功するだろうか。分からない。が、祈るしかない。
 モンスターである自分が何に祈るというのか、それは謎であったが。
 山を下り、野原を抜けると、ミシディアがある。ミシディアは暗闇に包まれ、人々は寝静まっていた。
 まさか、私がこの場所に来ることになろうとは。
 中に入って石畳を歩くと、びちゃびちゃと濡れた音が背後から聞こえた。血と、それから何か得体の知れない液体が私から漏れ出ていた。
 体が朽ちようとしている。時間がなかった。
 目的の建物を探し、私は視線を巡らせた。人のいる集落に来ること自体久しぶりだったから、どうにも勝手が掴めず、しかし、しばらくの後やっと見つけることができた。
 窓の内を覗く。幸運なことに、彼は窓際のベッドで眠っていた。
 そっと、硝子を叩いた。彼が薄目を開く。もう一度、叩いた。
「……起きろ、セシル」
 月の光を吸収しているかのような輝きを持つ髪を揺らし、彼は飛び起きた。
 驚愕に見開かれた目の中には、宝石に似た青い瞳が収まっていた。




 スカルミリョーネ!!
 叫ぼうとして、僕は気づいた。スカルミリョーネはぼろぼろだった。
 立てかけてあった剣を鞘から抜き、皆に気づかれないように外に出た。
 外に出て、また気づいた。スカルミリョーネは片方の腕を失っていた。
「…………お前、死んだんじゃなかったのか」
 スカルミリョーネは緩慢な動作で首を横に振った。
「私はアンデッドだから……死ねんのだ」
 返すべき言葉が見つからず、僕は曖昧に頷いた。
 スカルミリョーネからは、モンスターらしさや威厳、自信、そういったものがごっそり抜け落ちていた。
 しばらくの沈黙の後、僕は口を開いた。
「僕に、何の用だ?」
 ローブの内側にある黄色の光が、ちかちか、と光った。
 スカルミリョーネが、僕の右手を指さして言った。
「その聖剣で、私を」
 指さしているその腕が、突然、ごとり、と落ちた。僕は息を飲んだ。
 スカルミリョーネが膝をつく。縋るように僕を見上げた。
「私を、貫いてくれないか」
 手に入れたばかりのエクスカリバーが、月光を反射する。
「聖剣で貫かれれば、私も、死ぬことが出来るかもしれない」
 もしかしたら、これはゴルベーザの罠かもしれない。スカルミリョーネは嘘を言って、僕を油断させるつもりなのではないか、と思う。
 なのにどうして、僕は剣を構えているのか。
 エクスカリバーが輝く。月に照らされ、まるで、スカルミリョーネの祈りに呼応するように。
 この剣は、血を欲しがっていた暗黒剣とは違う。では、光っている理由は何なのか。
 素早く息を吸った。柄を握る手に力を込めた。
“早く楽にしてやれ”
 エクスカリバーの声が聞こえた気がした。
 一歩を踏み出す。手を前に出す。ぐじゅ、腐臭が広がる。スカルミリョーネは呻き声一つあげなかった。
 剣を引き抜くと、内臓が一緒に出た。血の滴るそれは、端の方から灰になっていった。
 風が吹き、スカルミリョーネを削り取っていく。
「……セシル……ありが……と……う…………」
 スカルミリョーネは、どうして死にたがっていたんだろう。
 声が消える頃には、灰の山と僕だけが取り残されていた。




 暗闇の中に、私はいた。
 そうか、また死ねなかったのか。今度こそ死ねると思っていたのに。
 戻る肉体も朽ちてしまった。私はここにいる他ない。
 ずっと、一人きりで。

 ――カイナッツォ

 あの時のように呼んでみた。彼がこちらに向かって手を伸ばしてくれるような気がして。

 ――お前の、不器用な優しさが好きだ

 ――口の悪いところも、全部、全部

 ――全部、好きだった

 突然、思考の中に、弾けるような衝撃が走った。
 瞬く白、白、白。私は暗闇から追い出された。
「――――おい、過去形か。今は好きじゃねえってのか」
 白の中に、青い光が浮いていた。よく知った声だった。私は言葉を失った。
「……ま、まさか、そんな、だって」
「お前の魂はやっぱり金色なんだな。綺麗だ」
「お、お前、死んだんじゃ」
「お前を置いて死ねるわけないだろ」
 何を訊けばいいのか、考えがまとまらない。カイナッツォは私に近付くと、楽しげに笑った。
「俺も、お前と同じになったんだよ。……アンデッドになったんだ」
「まさか……!」
「なりたいなりたいと願ってたらよ、いつの間にかなってた。よっぽど、お前を置いていくのが心残りだったらしい」
「でも、肉体は灰になっていたのに」
「灰になっちまったから、この場所に留まっていたわけだ。ここにいればお前が来るような気がしてよお」
「カイナッツォ……」
 照れ隠しを含んだ優しい声に、心が震えた。
「……しかし、カイナッツォ。これからどうするつもりなんだ?」
「そこなんだがな、スカルミリョーネ」
 くかかか、懐かしい調子で彼は笑い声をあげた。
「俺はなあ……ここから出る方法が絶対あると思うんだよ」
 言いつつ、カイナッツォが私の頭を撫でた。頭などないのに、腕などないのに、私は彼の手を頭で感じることができた。
 ここから出る方法があるだなんて、考えもしなかった。
「このわけの分からねえ白い世界を抜けたら、元の場所へ帰れると思う。それから、適当な死体を探して、そいつに入っちまえばいい」
 自信満々な彼に、
「……根拠は?」
 尋ねると、
「ねえよ」
 即答された。
「根拠はねえけどよ……でも、でも。例え帰れなくたって、それはそれでいいんじゃねえか?」
 頭に置かれていた手が、頬を撫でる。強く抱きしめられた。耳を擽る声。青い光に縋りつく。
 温かい。微かに、潮の匂いがする。
 ああ、これが欲しかった。ずっと、この光を探していた。
 優しい口づけが降ってくる。
「俺は、お前がいればそれでいい」


 End


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