テントに雨が落ち、微かな音をたてている。
 夜になって降り出した小雨は、止む気配を見せなかった。
「う……ん……」
 既に眠っている部下達は、それぞれ身動ぎをして毛布を抱き寄せていたり、何やら寝言を言っていたりする。その様子を穏やかな気持ちで眺めながら、そっとランプを吹き消した。
 橙色に光っていた灯りを消したことで、テントの中は真っ暗になる。
 ぱらぱらという雨の音だけが、辺りを満たしていた。
 雨は嫌いだ。じっとりとして、落ち着かない。

 ――何で、ぼくちんがこんなキッタナイところで寝なくちゃいけないんだ!!

 突然、奇抜な格好をした男の顔が脳裏を掠めた。
 真っ白に塗りたくった顔、赤い目元。
 拳をわなわなと震わせながら、男は喚き散らしていた。
 男は、汚いものを嫌った。
 普段から、やれあの兵士は不細工だから嫌いだとか、あの部屋が汚れていただとか、些細なことで癇癪を起こしては周りを困らせていた。
 私のことも嫌いだと言っていた。「ゴツイ男は綺麗じゃないから」と。
 そういえば、あの男は、一体どこで眠ることにしたのだろう。
 このテント以外にもテントはあるにはあるが、このテントと何ら変わりはない。
 妙な胸騒ぎがする。出入り口を少し開くと、湿った風が吹き込んできた。
 ぱらぱらぱら。
 陰鬱な気配が、真っ暗な景色と共に視界に広がる。
「…………ケフカ?」
 遠く。暗闇の中に、白い何かが浮いていた。
 もしかして、あれからずっと外にいたのか。
「ケフカ」
 やや大きめの声で呼んでみる。ぴくり、白い横顔が揺れたような気がした。
 普段忙しない動きをしているだけに、静止しているケフカは異様なものに見える。
 雨具を所持していないことに気づき、せめてもの雨よけにと上着を引っ掴むと、外に出た。
 短時間打たれているだけなら何ということはないが、ケフカはきっと、何時間もこの雨に打たれ続けている。
 窺いながら駆け寄るも、彼はこちらを見なかった。
 金の髪が、しとどに濡れている。何やらよく分からない飾りのついた服は、水分をたっぷりと含んで重そうだ。
 顔の化粧が剥げて、素顔が見えている。
 いてもたってもいられなくなり、上着を頭から被せた。
 心臓が跳ねる。一瞬だけ触れた頬は、ぞっとするほど冷えていた。
 文句の一つでも言ってやろうと、上着ごと頭を持って、ケフカの顔を上向かせる。
 瞬間、ケフカの青い瞳と目が合った。
「……レ、オ……?」

“体を大切にしろ”

 文句を言おうとしたはずなのに、用意していた言葉は喉もとに引っかかり、何一つ溢れてはこなかった。
 ケフカは、血の涙を流していた。
 瞬きをする度に、溶けた化粧が流れて落ちていく。
 彼がまるで泣いているように思えて、どうしようもない心持ちになった。
 シャツを脱ぎ、ぐいぐいと顔を拭ってやる。シャツは真っ赤に染まり、使い物にならなくなった。
「……ケフカ、我が儘もいい加減にしろ。大人しくテントに入れ」
 寒いのだろう、ケフカは震えている。彩りを失った唇が、不健康な色になっていた。
 男の手首を握った。その手がまた不健康な細さで、どきりとせずにはいられなかった。
「キッタナイ手でぼくちんの体に触るなんて…………いい度胸だな……」
 言っている内容はいつもと変わらないのだが、声に力がない。
「文句は後で聞くから、とにかく中に入れ」と手を引こうとすると、ケフカはゆるゆると首を横に振った。
「……私に、かまうな」
 無視して手を引く。
「かまうなと言っている……!」
「風邪をひいたらどうする。私を嫌うのは勝手だが、体調管理くらいはきちんとしておけ」
「ばか、ばか、ばか!!離せ、離せったらっ!!」
 じたばたと暴れ始めた。こうなったら自棄だ、と肩に担ぎ上げると、ギャアッと高い悲鳴をあげた。
「おろせおろせおろせおろせおーろーせーっ!!」
 これを兵士達のテントに連れて行ってはまずい、と空いているテントに向かおうと足を進めていると、急にケフカが大人しくなった。
「…………ばーか、ばーか、死んじゃえ……」
 体力に限界がきたのか、言葉で反抗し始めた。
「お前なんか、お前なんかなあ、大っ嫌いなんだからな!」
 何度聞いたか分からない言葉を吐き、べろべろばあ、とケフカは呟く。担いでいるせいで、顔は見えなかったが。
「いい子のふりをして、俺を陥れるつもりなんだろう!いい子ぶりやがって――――お綺麗な人間なんて、いやしないんだよ!!」
 子どもを相手しているような気分になって、思わず、ぽんぽん、と二度その背を叩いた。
 空のテントに着き、中に入る。ケフカを肩からおろすと、彼は床にへたり込んでしまった。
 テントの隅からタオルを取り出し、ケフカの前に座る。濡れた上着を取って、初めて気がついた。
 ケフカは泣いていた。
「……私に、さわ、るな…………」
 水色の瞳が濡れている。流れた涙は顎から落ちて、雨の染みに混ざって消えていく。
 化粧をしていないせいで、ケフカの顔が違ったものに見える。いつもの人形じみた顔ではなく、人間らしい顔をしていた。
 この男は、こんな顔をしていただろうか。
 化粧をしていないケフカの顔を見るのは、何年ぶりだろう。
 ああそういえば、もっと若い頃は、こんな顔をしていたような気がする。
 そう、あの実験が始まる前までは。
「みーんな……みんな、壊してやる」
 言いながら、ケフカは微笑んだ。
 氷のようなそれの中には、狂気が含まれていた。
「お前も、壊してやる」
 こちらに倒れてくる。慌てて抱きとめると、首にちくりとした痛みが走った。
 ケフカが、背に手をまわしてくる。濡れた髪が頬に触れ、首筋を噛まれていることを知った。
 首筋の傷を舐められる。背筋に快感が走り、振り払おうと首を横に振った。
「壊してやる」
 ケフカの体から微かな香水の匂いがすることに気づいた。甘い花の匂いだ。
 匂いに気を取られている間に、私の体は自由にならなくなっていた。
「ケフ、カ……ッ!?」
 手も足も、動かせない。
 押し倒される格好になり、信じられない気持ちで男の顔を仰ぎ見た。
「いい子ちゃんでいられないようにしてあげるよ」
 泣きながら笑う男は、私の腹の上に跨っている。細い指先を私の胸に這わせ、
「私だけが壊れているだなんて、そんなの、おかしいじゃないか」
 哀しげに、目を細めた。


End
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