魔導船で眠ろうと、皆がカプセルに向かった時のことだ。
一人だけ、船を降りようとする人物がいた。
「先に眠っていてくれ」
そう呟いたカインの顔は兜で隠されていて、表情が読めない。
「何かあったの?」
真っ直ぐなリディアの問いに、カインは曖昧な笑顔で首を横に振る。
最も、俺に分かったのは持ち上げられた唇の端だけだったのだが。
「…風に当たりたいだけだ」
「なら、いいんだけど…」
気をつけてね、とリディアとローザが口を揃えて言う。
セシルはただただカインの方をじっと見つめていた。
船を降りるカインの背中から、俺は目を離せない。
あいつの指先が震えていることに、どうして誰も気がつかないんだ。
魔導船に背を預け、カインは静かに俯いていた。追いかけてきた俺の足音にも、全く反応を見せない。
おどけてみせようか。それとも、真面目な顔で話しかけてみようか。
正直、どうすればいいのか分からない。
カインの元へ歩み寄る。
この男はまだ手を震わせているに違いない。それなら。
対峙し、躊躇わずにカインの肩を抱いた。
弾かれたようにカインがこちらを見た…ような気がする。手を伸ばし、頭をぐいと抱き寄せた。
ゴツゴツしていて冷たい兜の感触に、指を這わせる。
「……何で泣いてねえの」
顔を覗き込んで見れば、てっきり泣いているのだと思っていたのに、カインは泣いていなかった。
「…俺が何故泣かなければならないんだ?お節介な王子様だな」
いつも通りの言葉。なのに、カインは俺の体を押し退けようとはしない。
月に来てから、カインはいつもこの調子だ。
心ここにあらずという風な態度で、ぼんやりと佇み、考え事をしていることが多くなった。
裏切ったことを悔やんでいるせいなんだろう。最初はそう思っていた、だが。
震える手、自嘲するように押し上げられる唇。何より、時たま外される兜の下の潤む青い瞳が、俺に別の答えを教えた。
――― 誰かを想っているのだ。
この男は誰かに想いをはせている。
切なくて堪らなくなるほど、あんな目をしなければならないほどに。
でも、一体誰を?
俺は誘われるようにして、そっとカインの兜を取り去った。
「…なんのつもりだ」
きつい調子で彼が呟く。
一つに束ねられた髪が乱れていて、躊躇わずに金糸を纏めている紐を解けば、カインはびくりと肩を揺らし、次に眉を下げて苦笑した。
あまりに露骨な諦めの表情に、胸が痛くなる。
「……俺に触らないでくれ」
相も変わらず、震え続ける手。
俺は持っていた兜と紐を地面に放り、彼の手を取った。カインの震えが俺の手に伝わる。
訊かずにはいられなかった。
「許されない想いなのか」
問えば、弾かれたように彼はこちらを見つめてきた。
「決して叶わない望みなのか」
ずるり、とカインの体が沈み、地面に座り込んでしまった。手を握っていた俺もまた引っ張られ、彼の足に跨がるようにして地面に膝をつく。
「……叶う筈がない」
カインが口を開いた。
聞き逃さぬように耳を傾ける。
「あいつは、操られていただけなんだから」
「…カイン」
「……俺だけが本気になって…っ」
ぼたぼたとカインの目から涙が零れ落ちた。焦って、彼を抱き締める。彼はすがり付くみたいにして、背に手を回してきた。
「全部偽物だったんだ……俺のことを好きだと言ったのに、ずっと傍にいると言ったのに、なのに」
嗚咽は止まらない。
「…やっと見つけたと、思ったのに……っ」
喉の奥から絞り出される悲鳴が、俺の心を焼く。
指は俺の背に爪をたてていて、それはただひたすら彼の胸の痛みを、俺の胸に伝え続けていた。
誰かに操られていたという人間を、俺は二人しか知らない。
カインと、そしてもう一人の男。
「…おめぇ、もしかしてゴルベーザを……」
返事はない。それきり、彼はもう何も話さなかった。
首筋に感じるカインの涙の温もりと、背にたてられた爪。
それだけが、彼の心の答えを知る術だった。
End