カインの瞳に映るのは、俺でもなければ、セシルでもない。
 そんなことは、最初から分かりきっていたんだ。


***


「……試練の山に?」
 呆然としながら、俺は呟いた。
 セシルはといえば、何とも表現し難い表情で俯いている。
「何でまた、あんなところに」
「……修行をするんだって言ってたよ。……載冠式にも、来られないって」
 今にも泣き出しそうな表情で、「当たり前、だよね」とセシルは呟く。
「彼が裏切ったかのように周りには見えていたんだろうけど、実際に裏切ったのは、僕とローザだったんだから」
「セシル……」
 載冠式の前に話をしておきたいと思い、俺はバロンを訪れた。セシルとローザ、それからカインにも会うつもりでいたのに、カインはバロンには帰っていないのだという。
 よくよく考えてみれば、彼らしい話だった。
 真面目なカインは操られていたことを気に病み、セシルとローザのことを真っ直ぐに見つめられずにいるのだろう。
「引き留めなかったのか?」
 訊くと、セシルは力無く微笑んだ。
「僕には、引き留める資格なんてないからね」
「……お前が引き留めないで、誰が引き留めるんだ」
「……僕が引き留めたって、カインは困ったような顔をして『ありがとう』って言うに決まってる。『こんな俺を引き留めてくれて、ありがとう』って。カインは、そういうやつなんだ……彼のそんなところが、好きなんだけどね」
 俺は、何も言えず立ち尽くした。


 誰にも本音を言えず、心を閉ざし、カインは俺達と旅をしていた。あいつの心はとても強固で――言いかえれば酷く頑固で――その扉の鍵を開くことができる奴は、一人もいやしなかったんだ。
 今思えば、力ずくで抉じ開ければ良かったのかもしれない。でも拒否されることが怖くて、俺はその一歩を踏み出すことができなかった。
 夜になると、カインは寝言であの男の名前を呼んだ。

『ゴルベーザ』

 浅い息を繰り返す胸。額に浮いた汗をそっと拭ってやると、カインの眦から一筋の涙が伝い落ちた。
 カインの心を抉じ開けることに成功したのは、あの男だけだった。あいつは、竜騎士の鎧に覆われた胸を掻っ捌いて血塗れの臓腑を引きずり出すように、闇に塗れた心を引きずり出したのだろう。
 俺がカインに出会ったときにはもう、カインの心はゴルベーザに抉じ開けられた後だった。
 抉じ開けられて放置された胸の奥にあるのは、ぽっかり開いた大穴だけで。出会うのが遅過ぎたと思っても、どうしようもない。

『俺を置いていくのか』

 カイン。
 いくら泣いたって、叫んだって、ゴルベーザは行っちまうんだよ。お前とよく似たあいつは頑固で、どうしようもない位に意地っ張りなんだから。
 何十年ぶりかに会うことができた弟を抱きしめようこともせず、ゴルベーザは行ってしまった。セシルは、ただ寂しげにその後姿を見つめていた。
 ゴルベーザ。お前は確かに、悪いことをしたのかもしれない。だけど、それはゼムスに操られていたからだ。
 何も月に行かなくたって、誰もお前を責めたりしなかったのに。
 カイン、お前もだよ。試練の山に行かなくたって、誰も、お前も責めたりなんか――――。
「……エッジ」
 物思いに耽っていた俺の手を引き、セシルは静かに微笑んだ。
「僕じゃ、駄目だったんだ。……駄目だったんだよ」
 セシルの言わんとしていることは、朧げにだが分かった。
「多分、俺でも駄目だろうな」
 窓の外を見つめ、呟く。穏やかな陽射しが、辺りを照らしていた。
 俺では駄目だ。それは分かっていた。それでも、あいつを放っておくことなんてできやしなくて。
「デビルロードを使わせてもらうぞ。いいよな?」
「エッジ……」
「ついでに、長老と小生意気なガキ二人の顔も見に行ってくる」
「エッジ……!」
「俺は、諦めが悪いんだよ。何もせずに諦めるなんてこと、できるわけねえだろうが」
 セシルは唇を噛んでいた。肩を震わせている。それが次期バロン王のする表情かよと言ってやりたかったけど、胸に込み上げてくる何かに邪魔され、お天道様の光できらきらしている銀の頭を小突くことしかできなかった。

 カインに会ったら、まず、何て言ってやろう。
 ああ、言うより先に、あの金色の頭を小突いてやろうか。
 あいつの髪と同じ色の光が、窓から降り注いでくる。セシルに笑いかけて踵を返し、試練の山へと向かった。



End


Story

その他