カインにミニマムをかけました。
このミニマムは、自然に解けるものである。だから、焦ることはない。とカインが自分に言い聞かせ始めてから、もう三日が経過していた。
「ゴルベーザ様!! これはどういうことですか! 俺の体は、いつになったら元に戻るんです!」
大きな声で叫ぶのだけれど、小さな体から発せられた声はまともに響いてはくれない。
机の上にどんと積み上げられた書類や謎の機械、ゴルベーザの兜。それらに視界を遮られながら、カインは主の方を目指した。
「ゴルベーザ様!」
「……何だ、カイン。騒々しい」
書類に落とされていた視線が、カインをちらと見た。薄紫色の双眸に射抜かれて、カインの体が固まった。
「どうした、カイン」
ゴルベーザに見つめられると、何故か、カインの動きは止まってしまう。何となく気まずい気持ちになりながら、小さくなってしまった青い瞳で前を見据えた。
「……ゴルベーザ様。俺の魔法は、いつになったら解けるんですか。確かに、俺は『ルゲイエの研究を助けるため』と聞いて、自分の意志でミニマムにかかりました。でもそれはすぐに解けると聞いていたからで……。三日間も解けないなんて、聞いていません」
「私も聞いていなかったな。すぐに解けるものだと思っていたのだが」
「ゴルベーザ様っ!」
軽い調子で返答したゴルベーザに、カインが咆えた。
「人形の家に住むのはもう嫌です……」
真剣な顔で言ってから項垂れたカインを見て、ゴルベーザは唇の端を上げた。
部屋の隅に、ピンク色のテーブルが置かれている。その上には、これまたピンク色をした人形の家が載っていた。人形用のベッド、人形用のテーブル、人形用の椅子、シャワールームに洗面所。よくできた作りのそれに住んでいるのは、ほかでもない、カインだった。
「使い勝手は悪くないだろう? バルバリシアとメーガス三姉妹があれこれ悩んで選んだものだぞ」
わざとらしく話を逸らすゴルベーザに、カインは溜め息をついた。
「使い勝手は悪くありません。……というより、問題はそこではありません!」
事の発端は四日前。
ルゲイエが「この薬を飲んで魔法を使うと、魔法の効果が高まる」と、謎の薬を持ってきたことから話は始まった。ルゲイエは「誰かに飲ませて実験したい」と言い、「それならルビカンテに飲ませてカインに魔法をかけよう」とゴルベーザが提案したのだった。
ゴルベーザに命令されてしまえば「どうして俺が」と反論できるわけもなく、ルビカンテは「はい」としか言わない。結局、ルビカンテは薬を飲み、カインはミニマムをかけられる羽目になったのだった。
「もう一度ミニマムをかけたら解けるんじゃなかったのか?」
ミニマムをかけられて手のひらサイズになったカインは、焦れながらルゲイエに問うた。
ルビカンテが二度目のミニマムをかけても、カインの姿が元に戻る気配はなかった。『魔法の効果が上がる』はずの薬は何の効き目もないらしく――――つまりルゲイエの作った薬はミニマム状態から戻れなくなるだけの単なる失敗作で――――ルゲイエは気怠げな表情でカインの訴えを聞いていた。
「のはずなんだが」
ルゲイエは首を傾げ、それからこう言ったのだ。
「まあ、そのうち戻るだろう」
すぐ戻る、すぐ戻る――――カインがそう心の中で唱え始めたのは、三日前のことだ。
三日間。その間に人形の家が用意され、カインはゴルベーザの部屋の隅で住むことになったのだった。
不自由は、ないといえばなかった。だが、この姿では肝心なことが出来ない。
騎士としての役目を果たすことが、できないのだ。
訴えることを諦めて、カインは自室、つまり人形の家に戻った。小さくなってしまった体でできる仕事は書類に判を押すことぐらいで、その仕事も昨日のうちに終わりを迎え、暇を持て余すばかりだった。一日中、部屋の中で頭を抱えていたように思う。そうこうしているうちに太陽は沈んでしまい、夜を迎えてしまった。
(……料理もできないし、偵察しに行くにもこの体では……それに……)
ピンク色の小さな椅子に腰掛け、カインはゴルベーザを盗み見る。ベッドに横たわったゴルベーザは、カインに背を向けて眠っていた。
「……ゴルベーザ様」
小さく呼んでも、反応はなかった。
目が冴えて眠れない、とカインは片手で顔を覆う。
「ゴルベーザ様は……俺と……できなくても……」
平気なんですね、と。ゆるゆると首を振った。
カインは、ゴルベーザに毎晩のように抱かれていた。ひどく荒々しい手管を使われることもあれば、優しく愛撫されることもあった。ゴルベーザに抱かれることに嫌悪感を覚えることはなかったが、ゴルベーザがベッドの中でだけ見せる、特有の表情が気になっていた。
痛々しい顔をして、噛み付くように口づけて。
その後、ゴルベーザは決まって、カインの体をきつく抱きしめるのだった。
だから、カインは思い込んでしまっていた。言葉などなくても、愛されているのだと。優しい睦言を囁かれることがなくても、必要とされているのだと。
だが、現実は違っていた。
(俺が役立たずになっても、ゴルベーザ様の生活は変わらない。騎士としての役目を果たせなくても共に偵察に行くことができなくても、ゴルベーザ様は何も言わない。困っておられる風でもない。夜も……)
こうやって、背を向けて静かに眠りについてしまう。
(俺は、ゴルベーザ様の玩具でしかなかったのか)
ミニマムが解けなくなってから、ゴルベーザはカインに触れようともしなくなった。口づけられることもないし、愛撫されることもない。それは体格差を考えれば至極当然のことではあったのだが、体格差の関係ないようなことでも、触れられることはなかった。頭を撫でられることもない。
抱くことができないから必要とされなくなったのだ、という考えに行き着いたカインは、激しく動揺した。そうして初めて、自らの心の中を知ったのだった。
いつの間にか、カインは、ゴルベーザに好意を抱くようになっていた。カイン自身も、ゴルベーザを必要とするようになっていたのだ。
身を翻してピンク色の椅子から降り、見上げる。今度は床に飛び降りて、遥か高い場所にあるゴルベーザのベッドの上へ、跳躍した。竜騎士でなければ無理な高さだった。
「ゴルベーザ様……」
広い背中に近づき、主の名を呼ぶ。起こさぬようにそっと、背に額を預けた。
(ゴルベーザ様)
抱かれたかった。いや、抱きしめられたかった。熱っぽい目で見つめられながら、ゴルベーザのことだけを考えていたいと思った。
恋心に気付いた途端、その恋は叶わぬものになっていた。なんて馬鹿らしいんだろう。
目を瞑り、瞼の奥がじんじんと痺れるのを無視する。悲しくて堪らなくて、ゴルベーザの上着の裾をきつく握りしめていた。
***
目を覚ますと同時に、背中に違和感が走った。何事かと首を傾げたゴルベーザは、背中に手を回してみて仰天した。
「カイン……!?」
『どうしてこんなところで私の服を掴んでいるんだ』という問いは、言葉にならずに消える。それは、カインが気持よさそうに眠っていたからだった。
小さな指を自分の服から外し、ベッドに横たえてやる。カインの服装は竜騎士の格好で、つまり昨日から着替えた様子もない。ゴルベーザは小さなカインの小さな背中を指先で撫でながら、自らの軽率な思いつきを悔やんでいた。
(ルゲイエの実験に使ったのは、やりすぎだったか)
いつもの戯れのつもりだった。小さくなったカインをからかって、耳まで赤くなった顔を堪能するつもりだった。それだけだったのに。
穏やかな、けれどどこか疲れた顔で眠る表情のカインが悲しくて、罪悪感が込み上げてくる。素直な反応を返してくる姿が可愛くて、いつもついついやりすぎてしまうのだ。
「ん……」
カインが身動ぎする。起きるかと思われたが、またすうすうと眠り始めてしまった。
そういえば、カインが小さくなってから触れたのは、これが初めてだ。自制がきかなくなるような気がしていたから、触れるのは魔法が解けてからにしようと決めていたのだ。この体格差で自制がきかなくなっても困る、とゴルベーザは首を横に振った。
滑らかな頬、首筋。胸元に指を滑らせて撫でれば、小さな体がぴくりと反応する。知り尽くした体は敏感で、鎧の胸元を外すと、下着越しにでもはっきりと分かるほどカインの乳首は立ち上がっていた。
(これ以上、触れてはならない)
分かってはいる。だが、触れたくて堪らなかった。
もう何日、この体に触れていない?
「……っ……」
息を詰め、カインがびくりと震えた。尖った乳首を、指の腹で撫でる。
「ゴルベーザ、さ……っ」
熱に浮かされたような表情をして、それでも目を覚まさず、カインは身を捩った。
「あ……、あ、あぁ……」
下腹を覆っている鎧を外すと、ペニスは既にくっきりと下着を持ち上げている。
ミニマム化して戻れなくなったのが四日前で、カインを人形の家に住まわせ始めたのが三日前だ。その殆どの時間をカインと過ごしていたゴルベーザは、カインが体の熱を持て余していたことに気がついた。屋根のない人形の家で、自慰行為などできるはずもない。
これ以上はいけない、と着衣の乱れを整え、起こさぬようにと静かに抱き上げた。というより、片手で掬い上げた。
(人形の家に、屋根をつけさせよう……)
このままでは、近いうちに手を出してしまう。カインの体が元に戻ってから思う存分触ればいいではないか。いつ元に戻るのかは、分からないが。
(……このまま、ずっと元に戻らなかったとしたら……)
ピンク色のベッドに横たえ、ハートマークが無数に散っているシーツを掛けた。
小さいカインは可愛い。だが、何か物足りない。今のカインは小さすぎて、腕の中に閉じ込めることが出来ない。
バルバリシアに「屋根を取りつけろ」と命じに行くため、甲冑に着替えて部屋を出た。
(いや、このまま放っておくのも……)
と一旦部屋に戻り、人形の家の上に布を被せる。
想像以上に参っている自分に気付き、これではいけないと頭を抱えた。
***
「ん……え!?」
カインは驚いて飛び起き、自分が人形の家の中に戻って来ていることに気づいた。では、あれはやはり夢の中の出来事だったのか。ゴルベーザに優しく触れられていたような、そんな気がしたのに。
夢の中、ゴルベーザの手は泣きたくなるほど優しかった。
体の疼きを覚え、唇を噛む。
(何故、こんな……)
湯を浴びたら、多少はマシになるだろうか。そう思い、シャワールームに向かい、服を脱ぎ始めた。ゴルベーザが気遣ってくれたのか、それとも他の誰かがしてくれたことなのか、家の上に布が被せられている。これで気兼ねせず脱ぐことができると安堵する。
気配から察するに、部屋の中には誰もいないようだ。
(ゴルベーザ様は、どこへ行かれたのだろう)
服を脱ぎ、結んでいた髪を解く。緩く勃ち上がっている自らのペニスに手を伸ばしかけ、「何を馬鹿な事を」とシャワーのスイッチに触れた。
湯が、降り注ぎ始める。
「ふ……っ」
ぞくん、と悪寒にも似た感覚が背に走る。おかしい。どうしてこんなに体が熱いのだろう。
堪らず、熱くなっているものに指先を滑らせた。
「ん、んんーっ!」
握り、やわやわと扱く。指で輪を作り、先走りをまぶし、淫猥な音が響くほど上下させ、それでもまだ足りないと後ろに手を伸ばした。
「ああ、あ、あ……っ」
何て、浅ましい真似を。
思いながらも、脳裏を過ぎるのは主のことばかりで。
ボディーソープを、後腔に一筋垂らした。指を一本挿入する。主の手付きを真似る。床に座り込む。涎が垂れる。あの人のものが欲しい。こんなものでは、足りない。
最後に触れられたのは、いつだった?
「ゴルベーザさ……っま、ぁ……!」
二本目を挿入した。ボディーソープの花の香りが、鼻腔を伝って脳を震わせた。
(俺は、ゴルベーザ様の、ことが……)
涙が溢れて零れ出す。
「好きです」と、言えない言葉を形取った唇が、湯気を吸い、更に熱くなる。瞼の裏がちかちか光る。「ゴルベーザ様」愛しい人の名が、心に沁みる。傷だらけの心に沁み渡る。痛い。息をするのも辛い。
額を壁に預け、側にあった櫛を掴んだ。ボディーソープを垂らせば、それは真っ白な液体だらけの櫛になる。噎せ返る花の香り、ぼんやりした頭。櫛の持ち手を、体の後ろに持っていく。
「あぁ、あ……ひぃ、ああ……っ!」
ボディーソープを潤滑油にして、櫛が中に入ってくる。こんなものを中に入れるのはおかしいと自覚しながら、『中を刺激したい、奥まで欲しい』と疼く体を止められない。激しく動かす手を、止められない。
「ゴルベーザ様……っ、ゴルベーザ、様……!」
気持ちいいけれど、違う。欲しいのは快楽ではなくて、もっと心の奥深くまで響く何かだ。
「ゴルベーザ様、好き、です……好き……っ」
白濁が壁に散る。
だらりと垂れて、残ったのはカインの荒い吐息だけだった。
***
「ゴルベーザ様、そういう趣味が……」
絶句しながらカップをきつく握りしめ、バルバリシアはわなわなと肩を震わせた。慌て、ゴルベーザは答える。
「いや、そういう趣味があるというわけではないのだが」
『カインに襲いかかってしまいそうだから、人形の家に屋根を取りつけろ』とバルバリシアに命じに行ったゴルベーザが目にしたのは、メーガス三姉妹の末妹ラグとバルバリシアの二人が、お茶を飲みながら談笑している姿だった。ドグとマグは、買い物に出かけたらしい。
部屋に戻り辛いと考えていたゴルベーザは、小さなラグに「ゴルベーザ様もどうぞ!」と椅子を引かれてカップを差し出され、それならば、とお茶会の席についたのだった。
「でも、小さくなったカインにヨクジョウするだなんて、ヘンタイの証ですよ!」
ラグの表情に、悪気なんてものは欠片も見当たらない。きらきらした瞳と可愛らしい仕草で力説されて、ゴルベーザは言葉に詰まった。両手でカップを包みこんでふうふうとやってから、ラグは続ける。
「そのまま襲い続けていたら、ケダモノの烙印を押されるところでしたね!」
「ラグ、言い過ぎよ」
長い足を組み替えて紅茶を一口飲んでから、バルバリシアは肘をついた。ゴルベーザの顔をじっと見る。
「……うーん。でも。確かに……変態の証かもしれません」
言い辛そうに口にした。
「バルバリシア……お前までそんなことを……」
「だって、以前のカインならともかく、今のカインはこーんなに小さいんですよ?」
十センチ程の長さを指で形作り、バルバリシアは眉を寄せた。
「恋に落ちているというのならともかく、ですよ? 手のひらサイズのカインを抱きたいと思うなんて、ケダモノと思われても仕方がな――――え? ゴルベーザ様?」
ゴルベーザは「……恋?」と呟いて、カップを取り落としてしまった。けたたましい音を立てて、カップが割れる。それを見たラグは椅子から慌てて飛び降り、「お怪我はありませんか!?」とゴルベーザのマントをぎゅっと握った。
「ゴルベーザ様……?」
指から、紅茶が滴る。ぽたぽたと落ちるそれを見つめながら、もう一度、ゴルベーザは呟いた。
「恋? バルバリシア。今、恋と言ったか」
「は、はい。言いました」
バルバリシアは指先を回し、割れたカップを魔法で持ち上げている。風が部屋の中を駆け抜け、勢い良く窓が開き、カップの欠片と紅茶が窓の外へと飛び出していった。
「もしかして、ゴルベーザ様はカインのことが好きなんですか? 恋に落ちているんですか? あ、今、紅茶を淹れなおしますね!」
ファイアでお湯を沸かしながら、ラグが問いかけた。
「私、ゴルベーザ様とカインは体だけの関係なんだと思っていました! ゴルベーザ様は素っ気ないし……恋人同士らしい態度も見せないし。カインだって、そう思っているんじゃないでしょうか。『自分は単なる性欲処理係だ』って!」
「ちょ、ちょっと、ラグ!」
口を押さえられてムグムグムグムグ言っている少女を見つめ、ゴルベーザは掠れた声で言った。
「……好きだと告げたこともないし、カインの口からそういった言葉を聞いたこともない。『恋』をしているという自覚もなかった。部下のうちの一人なのだと思っていた。だが、単なる部下に対する気持ちにしては、おかしなところが沢山あった。もしかして私は、とんでもないことをしてしまっているのでは……。ラグ。これが『恋』なのか?」
バルバリシアの手を逃れて紅茶を淹れなおし、「あつ、あつ」とカップをソーサーに置いて、「胸がギュッと痛くなるなら恋ですよ! はい、淹れなおしました!」とラグは笑った。大きな目と大きな口が、眩しい。
「好きなら、そう言わないと。洗脳も解いて、ちゃんと告白しないと! ね、バルバリシア様! そうですよね!」
カップの中で、紅茶が微かに揺れている。中に映る自らの顔も揺れていて、それは酷く情けない表情をしていた。
「カインの洗脳は、ほとんど解けている。カインは、自分の意志で私の傍にいるのだ。だが、洗脳状態にないカインの心の中を覗き見ることは、私にはできん」
「つまり、カインがゴルベーザ様のことを好きかどうかは分からない――――そういうことですね」
「私はカインの主だからな。『抱きたい』と私が迫っていたのだから、断ることもできなかっただろう」
自分の言った言葉に傷つけられ、どうしてカインを抱くようになったかを思い出し、ゴルベーザは唇を噛んだ。
それは、月が煌々と光る夜のことだった。
ゾットに来てから間もないカインは、どう過ごせば良いのか分からなかったらしく、与えられた部屋の中で、愛槍の手入れをしていた。
この時のゴルベーザは、カインの心を覗き見ることができた。だから、離れた場所からでも、カインの様子を知ることができたのだった。
「カイン」
ゴルベーザがカインの部屋を訪れたのは、気まぐれと戯れから来るものだった。自分の近くにいる人間といえばルゲイエくらいのものだったから、カインが物珍しくてたまらなかったのだ。
部屋に入ると、カインは目を丸くして「ゴルベーザ様、何か御用ですか?」と、慌てて立ち上がった。
「いや。お前が何をしているのか気になってな」
何をしているのかなんてことは、部屋に入る前から分かっていた。白々しい嘘に気づくことなく、カインはゴルベーザの傍に駆け寄った。
「何か飲まれますか?」
「構わん。お前がしていたことを続けていればいい」
ゴルベーザには、カインの心が乱れる様が見えていた。どうすればいいのだろう、本当に目の前で槍の手入れをしているだけでいいのだろうかと迷う心が、完全に透けて映し出されていた。
「では、ゴルベーザ様はこちらにお掛け下さい。俺は、槍の手入れを続けます」
ゴルベーザが席に着くとカインも躊躇いながら椅子に腰掛け、立てかけてあった槍を手に取り、布で丁寧に拭き始めた。
窓から射し込む月光が、カインの金糸を優しく照らしていた。頭を動かす度、邪魔にならぬようにといつもより上の方で結われた髪の束が、微かに揺れる。節がやや高めの指は白く、繊細な動きで槍を扱っている。青い瞳は真剣な色を滲ませて自らの指先を追った。
視線に気づいたカインは、少し困ったように微笑んで、それから「退屈ではありませんか」と言った。
退屈ではなかった。それどころか、忙しささえ感じていた。『カインの動きを見落としてなるものか』と、無意識のうちに考え、ひたすらカインを見つめていた。
(あれに、触れてみたい)
触れたら、どんな反応を見せるのだろう。どんな心地がするのだろう。どのような瞳で、こちらを見上げてくるのだろう。体温は高いのか低いのか、髪の手触りは? 肌の手触りは? 触れてみなければ分からぬものばかりだ。
だから、触れた。
衝動に身を任せ、槍を握る白い手に触れた。
「え、……あっ」
上ずった声をあげたカインは、槍を落としてしまった。けれどそれに構っていられぬほど、青の双眸は揺れるばかりで。
気付いたときには、カインを床に押し倒し、足を開かせていた。全てに触れたくて、何もかもを知りたくて、一つ残らず確かめずにはいられなかったのだ。
カインは、抵抗らしい抵抗をしなかった。抵抗できなかっただけかもしれない。頭の中はひたすら混乱していて、揺さぶる度に快楽に染まっていった。
ゴルベーザが横たわり自らの体を跨らせると、カインは顔を赤くしながら上下し、自分の悦い場所を擦った。
腰を掴んで奥まで挿入すると口をぱくつかせながら声にならぬ悲鳴をあげ、「ペニスを扱け」と命じれば、痛いほど勃起した自らのペニスを、白く長い指で扱く。堪らずに絶頂を目指して激しく腰を動かすと、びゅくびゅくと白いものが散ってゴルベーザの腹を汚した。
「んんん……あ、あ、あぁっ、ん!」
金の髪が、唇にはりついている。閉じることができなくなった口から唾液が一筋垂れ、顎から滴った。赤い舌は、暴力的とも言えるほど卑猥だった。
達して崩れそうになったカインの体を支え、更に揺さぶる。
「ゴルベーザ、さま、ひっ……! あ、ああっ、また、出、やめ、こんな、こんな、ぁ……っ!」
尖りきった乳首を摘み、どろどろに蕩けかかった体を突き上げる。乳首を指先でひねる度に、中がきゅうっと締まる。カインの心は「熱い、死んでしまう」という感情でいっぱいになっていて、快楽のみになった彼の心は、どこか幸せそうだった。
「……カイン、どこが気持ち良いのか言ってみろ。喘いでばかりでは、お前もつまらんだろう」
「……ぜん、ぶ、です……っああぁ、あっ」
「全部、では分からんぞ? ほら、言ってみろ」
濡れた唇に手を伸ばし、ゴルベーザはその唾液を指先にまぶした。濡れた指先をカインの下腹に持っていき、白くどろどろになったペニスに絡め、ゆっくりと扱き始める。
「そこ、が……気持ちいい、です……っ」
「ん? どこだ?」
達することができない程度の強さでペニスに触れながら、
「言ってみろ、カイン」
「あ……っ」
無意識のうちに揺れる腰が、いやらしかった。
「言え、カイン」
強い調子で命じると、ペニスをゴルベーザの手ごと握り、消え入りそうな声で、
「ペニスが……気持ちいい……です……っ」
羞恥を棄てきれぬ声、熱の塊のような眼差し。くちゅくちゅと鳴る甘い音、重なる吐息、揺れる瞳が堪らない。
煽られて、口づけた。
「んん、うぅ……ん……」
舌を絡め、抱きしめたまま身を起こす。
唇を離した途端、叫びにも似た喘ぎが色づいた唇から零れ、おさまらなくなった。
ゴルベーザは、蝶の羽根をもぐ様を想像した。美しい羽根を持つ蝶の羽根をもぎ、動けなくなった蝶を見下ろし抱きしめている様を、ひたすら思い描いていた。
飛ぶ術を失った蝶が、手の中に落下してくる。
「ゴル、ベーザ、さ……っゴルベーザ様ぁ、あっ!」
「カイン……」
ゴルベーザのことだけを考える、綺麗な人形。羽根をもぎ取ってしまえば、それはもう飛ぶことはない。
「ひ、あぁ…………!」
カインが精を放ち、白濁が二人の腹を汚す。
「あつい」と喉を震わせる男の中に精液を注ぎ込み、ゆっくりと引き抜いた。
抱き上げてベッドに横たえ、大きく足を開かせる。粘着質な白濁が、シーツに染みを作った。
指を挿入し、やわらかな肉襞を探る。獣になったような気持ちでカインの中を探りながら、真っ赤になった耳朶に噛みついた。
「ひっ!」
指を抜き、怒張したものを押し込む。カインの目からぼろぼろと涙が溢れ出し、それを舐め取りながら小刻みに腰を蠢かせた。
――――快楽以外、何も考えられないようにして欲しい。
――――哀しい心なんて、もう、いらない。
張り裂けてしまいそうなカインの心の声に耳を傾けながら、ゴルベーザは「いらぬものは捨ててしまえばいい」と囁いた。
(何もかもを捨てて、私の元へ堕ちてくれば良い)
「ゴルベーザ様……?」
はっと気がつくと、ラグがこちらの顔を覗き込んでいた。丸い目を更に丸くし、「紅茶が冷めます!」ぷっくりと頬を膨らます。
「物思いに耽り過ぎです! ね、バルバリシア様!」
クッキーをつまんでばりぼり噛んでから、「あー、残しておかないと姉者に叱られちゃう!」と、ラグはどこかへ駆けて行ってしまった。どうやら、他のお菓子を持ってくるつもりらしい。
嵐のような少女が去ってしまえば、部屋の中は静かになる。
「バルバリシア……」
「はい」
バルバリシアは何も言わず、ただ、ゴルベーザの顔を見ていた。
「カインの心が、私の方を向いているとは思えない。それでも私は、カインに傍にいて欲しい……」
顔を歪め、ゴルベーザは自らの想いを吐き出した。
「じゃあ、カインを抱けない今がチャンスかもしれませんね」
「……どういうことだ?」
「抱くことができない今なら、『体だけではない』と、彼に証明することができます。多分、ですが」
***
お前に頼みたいことがある、とカインが言われたのは、その次の日のことだった。
こんな姿をしている俺に一体何の用事だと不思議に思いながら、カインはゴルベーザの机の上に飛び乗った。
「頼みたいこと、とは何ですか? ゴルベーザ様」
鉄靴の裏は、綺麗に拭いた。机の上は汚れないはずだ。そんなことを考えながら、カインはゴルベーザに対峙した。
本当は、顔を見るのも辛かった。竜騎士の兜が顔を隠してくれている。それだけが救いだった。
触れられる距離にいる。なのに、触れられない。触れてももらえない。こんなに近くにいるのに、とても遠いもののように思えた。
「あるものを、探してきて欲しい」
「あるもの?」
淡々とした口調の主の声に耳を傾け、カインは聞き返した。
「あるものとは何ですか、ゴルベーザ様」
「……指輪だ」
「指輪……」
カインは、ゴルベーザが指輪を身につけているところなど、見たことがなかった。ということは、その指輪は他の誰かのものということになる。
一体誰の?
もしかして、クリスタルを手に入れるために必要なものなのか?
思考をぐるぐると回しながら、「それはどの辺りにあるのですか」と問うた。
「あっちだ」
ゴルベーザが指さしたのは、部屋の隅にある通風口だった。小さなその穴は、鼠が入れるほどの大きさしかない。
「あの中に、指輪が?」
「ああ。さっき、あの穴の中へ転がっていってしまったのだ。大切なものだから、必ず見つけ出して来て欲しい」
ゴルベーザの言葉に胸の痛みを覚え、自らの胸に手をあてた。切ない疼きが、背に痺れを残す。
(大切なもの……)
それは、誰かに贈る指輪なのかもしれない。大切な人に送る、大切な指輪――――。
かろうじて残っていた小さな希望が粉々に砕け散るのを感じ、カインは悲しげに俯いた。
「かしこまりました。必ず、見つけ出して参ります」
「頼んだぞ」
机を飛び降りて通風口を目指そうとしたカインの体が、何かに優しく包まれる。驚いて顔を上げれば、大きな手に包まれていた。
震えて座り込んでしまいそうになったカインの体を持ち上げて、ゴルベーザは「すぐに見つかるとは思うが、念の為だ。迷子になったら困るだろう?」と、赤い糸の先端でカインの体をつついた。
その糸を腰に巻き付け、離れ難い気持ちになりながら手の上から降りる。
滑らかな、手袋の感触。もっと触れていたかった。
赤い糸が行き着く場所を探すと、それの先端は、ゴルベーザが持つ糸巻きに繋がっていた。
通常のものの倍以上もある、木でできた大きな糸巻きだ。
「すぐに、帰ります」
カインが歩けば、ゴルベーザの手中にある糸巻きがくるくると回る。
ざあっと水の音が鳴る。窓の外で、激しい雨が降りだした。
ゴルベーザの大切な人とは、一体どんな人なのだろう。カインには、全く検討もつかなかった。ゴルベーザの一番近くに居るのは自分なのだと、思い込んでいたせいかもしれない。自惚れていた自分に気付き、足元を見つめた。
銀色の通風口内部には、うっすらと苔が生えている。ぽつぽつと置かれた電灯に沿って歩いていくが、指輪らしきものは一向に見えてこない。
後ろを振り向くと、赤い糸が遠い場所まで繋がっているのが見えた。
(赤い糸、か……)
運命の赤い糸、という言葉を思い出す。
今、自分とゴルベーザとを繋いでいるのは、赤い糸なのだ。何て皮肉な話だろう。
感傷に苛まれ、カインは腰にある赤い糸に触れた。ゴルベーザの手袋の感触が、頭から離れない。優しい手つきだった。思わず泣きだしたくなるような、甘い優しさがあった。
心配している、という声だった。気のせいかもしれない。それでも、どこかで喜んでいる自分を見つけた。
ゴルベーザの小指の先には、運命の赤い糸が繋がっている。それはカインと繋がってはおらず、他の誰かと繋がっているのだろう。
己の虚しい考えに溜め息をつき、ぴちょん、と響いた水音に耳を傾ける。不規則な水の音が止むことはなく、湿ったにおいが鼻腔を撫でていった。
捨て去らなければならない、報われない感情――――ゴルベーザへの想い――――が、日に日に大きくなっていくのを感じる。葬り去らなければならないと思えば思うほど、その想いは大きく醜くなっていく。いびつに曲がった感情が、尖り、胸を引き裂いていく。切ない想い。届かぬ、想い。
(俺は、どうしてあの人の傍にいるのだろう)
カインはゴルベーザから、『お前はセシル達に見捨てられたのだ』と聞かされていた。『セシルとローザはお前がいなくても幸せにやっているぞ』と、ゴルベーザは笑っていた。
ゴルベーザの言葉に反論することができなかったのは、見つめ合い微笑み合う二人の親密さ、そして、そんな二人の間に入ることはできないという事実を知っていたからだった。
カインは独りになった。自分を、見失った。
今まで信じていたものが完全に瓦解し、灰のようになっていくのを感じて、泣いた。
ただ、ぬくもりがほしかった。触れてくれる、甘い手が欲しかった。心が暗くなっていくのを感じた。
そんな時、頬に触れてくれたのは、ゴルベーザだけだった。
「ゴルベーザ様……」
好きなのだ、と。貴方を愛しているのです、と。言葉にして告げたことがあっただろうかと考えた。答えは否で、それでは彼の眼中に入っていないのは当然ではないかと肩を落とし、そういえば主のことが好きだと気付いた事自体が最近で、自分は始まりの場所にも立っていなかったのだと知り、ただただ悲しくなった。
カインは「こんな感情を抱いていることをゴルベーザ様に知られたら」と考え、「きっと、迷惑がられるだろう」と、諦めの空気を纏う。
優しくて不器用な人。困ったように微笑む人。彼は、誰を愛しているのだろう。あの腕で、誰を抱きしめるのだろう。
ああ、そうか。
(俺はまた、見捨てられるのか……)
彼を失った後、自分はどこへ行けばいい?
歩けど歩けど、目的のものは見つからない。真っ直ぐで薄暗い通風口が、自分の心の中のように思えた。
指輪とは、こんな奥の方にまで転がっていってしまうものなのだろうか。もしかして、動物かモンスターが、どこかへ持ち去ってしまったのではないだろうか。だとしたらこれは、一筋縄ではいかない問題ということになる。
歩み、目を凝らす。やや遠く、仄暗い中、何かが蠢いているのが見えた。生き物の影だ。
(……鼠、か……?)
赤い瞳が野蛮に光る。三匹ほどいるようだ。
普通の鼠ではない。カインはそう判断し、槍をきつく握りしめた。チュウチュウという鳴き声が、やけに低い。
そうして近づいて見た鼠の口に光るものを発見し、カインは思わず、「あっ!」と大きな声をあげた。鼠が咥えていたのは、銀色の指輪だった。
掠め取ってやろう、と手を伸ばすと、他の鼠に咬みつかれてしまった。
「く……っ!」
槍で払い、後ずさる。カインを敵と判断したらしい鼠達が、一斉に飛びかかってきた。その姿は、どう見ても魔物にしか見えなかった。
何度も齧りつかれそうになり、時には本当に齧られながら、カインは槍を振るった。
鼠が飛び、カインに覆い被さってくる。裂けたかのように大きな口が、視界いっぱいに広がった。牙が迫る。カインは、逃げようともがく。だが、間に合わない。
「あ、あああああっ!」
腹に喰いつかれた。服を引き裂いた牙は皮膚を裂き、肉を裂く。何かが千切れる音がして、それは、赤い糸が切れる音だった。
「あ……っ!」
切れてはならないものが切れてしまったように思え、絶句した。転がり、牙を避ける。
ほんの一瞬だけ、鼠の隙が見えた。何も考えず槍で思い切り突くと、真っ赤な血が噴き出す。
飛び退き、他の鼠達が逃げていくのを見ていた。
「そうだ、指輪……!」
指輪は、地面に落ちていた。事切れている鼠の魔物の隣をすり抜け、指輪を拾った。
(良かった……)
ぐいぐいと指輪の汚れを拭い、槍と共に胸に抱く。
切れてしまった赤い糸を見て、唇を噛んだ。
(この指輪は、誰に贈られるものなんだろう)
考えたくないのに、考えてしまう。悲しい。どうして、胸が痛くなるようなことばかり考えてしまうのだろう。考えれば考えるほど辛くなるだけだと、分かっているのに。
主を守ることができない竜騎士は、不必要だ。何の役にも立たなくなった自分は、どこに行けばいい。
(分からない。分からないけれど……もう、ゴルベーザ様の傍にはいられない。こんな感情を抱いたまま傍にいたって、ゴルベーザ様に御迷惑をお掛けするだけだ。この塔を、出ていかなければ……)
赤い糸を辿り、とぼとぼと歩き出す。ゴルベーザの顔を見たくない、とカインは思い、この指輪を持って逃げてしまおうか、とも思った。なんて醜い感情だろう。普段は落ち着いているつもりなのに、ゴルベーザのこととなると子どものようになってしまう自分を発見し、カインの胸は恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。
出口が近づいてくる。出たくない。この指輪を、渡したくない。けれど命令に背くこともできず、小さな反抗をするようにただゆっくりと歩いた。
出口の手前で立ち止まり、そっとゴルベーザの様子を窺おうとした。もしかしたら、待ちくたびれているかもしれない。
通風口から、ちらと顔を覗かせて見るつもりだった。
と、視界に黒い影がかかる。
薄紫色の瞳と目が合って、カインは「ひゃあっ」とおかしな声をあげた。
「カイン」
「ゴルベーザ様……」
不安を湛えた瞳が、カインを見下ろしている。
「……赤い糸が切れただろう? それで、不安になって……ここで、待っていた」
ゴルベーザは、困ったような顔をしてカインに手を差し伸べた。
(ゴルベーザ様が、俺に……手を……)
覗き込む体勢になれば、膝も汚れるだろう。けれどそんなことには構わず、ゴルベーザはカインに手を伸ばす。
切れてしまった、赤い糸。ゴルベーザの元を離れようと決心したはずの心が、ぐらぐらと揺れた。
切ない気持ちを必死で堪えながら、カインはゴルベーザの手の上に乗った。胸元に抱き寄せられ、驚きで喉が鳴る。
「怪我をしているな」
ゴルベーザは、指輪について何も言わない。引き出しから取り出したポーションを皿に移してスプーンで掬い、カインの顔の前に差し出した。
「……飲めるか?」
「は、はい……ありがとうございます」
スプーンは大きかった。だが、舌を伸ばせば何とか飲むことができそうだ。どうにかこうにか飲み込むと、腹の痛みは徐々に治まっていった。
「大丈夫か」
本当に、いつになく優しい声だった。泣き出してしまいたくなるほど、甘い声だった。
『この塔を出て行かせてください』と言おうと思っていたのに、その決断が鈍りそうになってしまう。
ぎゅうぎゅうと軋む胸元にあるのは、銀色の指輪だ。
(これは、一体誰の――――)
『これは、誰のものなんですか』と問うたところで、一体何になるというのだろう。
「カイン……?」
涙を堪えるのに必死で、ゴルベーザの顔を見ることができない。見たらきっと、泣いてしまう。子どものようにしゃくり上げてしまう。『貴方が好きです』と、主を困らせるだけの言葉を吐き出してしまうだろう。
「指輪、を……」
顔を見ることができないまま、ぐいと前に差し出した。
「少し、汚れてしまいましたが……綺麗な布で拭けば、元通りになると思います」
「カイン」
前を見ることが、できない。
「俺、全然気がつきませんでした……ゴルベーザ様に大事な人がいると知らずに、俺は……俺は、ゴルベーザ様に随分御迷惑を……おかけしてきたと、思います……」
「……カイン、顔を上げろ」
「ゴルベーザ様に大事な人がいると知っていたら、貴方と共に眠ろうだなんて、思わなかったのに。体の関係だけなのだと自分に言い聞かせて……言い聞かせて…………っ」
「私を見ろ、と言っている!」
ぴん、と兜を弾かれた。飛ばされた兜は机に落ち、そこでくるくると回った。
「あ……」
薄紫の瞳を一度見てしまうと、もう駄目だった。怒りをあらわにした瞳。主は、玩具を失いたくないと思って怒っているのだろうか。
(人形を、失いたくないから?)
唇がびりびりした。目の奥がじんじんした。指輪を抱きしめた。見ているのが辛いと思う反面、薄紫色の瞳をいつまでも見つめていたいと思う自分がいた。
「俺はもう、ゴルベーザ様にお仕えすることができません。これ以上、ゴルベーザ様を困らせるわけにはいかないのです」
何を言っているのか分からない、という表情で、ゴルベーザはカインを見下ろしていた。
「ゴルベーザ様……俺は、ゴルベーザ様のことが好きです」
視界が、涙で霞んで見えなくなった。
口にしてはならないことを口にしてしまったという後悔の念と、やっと言うことができたという喜びのような感情が、同時にやってきた。
「ゴルベーザ様に大切な人がいるということは知っています。でも俺は、俺自身の心を抑えていられる自信がないのです。……ゴルベーザ様を単なる主として見ることはできません」
***
この指輪は、カインへの贈り物だった。
『ゴルベーザ様、想いを伝えてください。体だけではないと思っているのなら、それを伝えましょう。人間は、想いを伝える時、相手に指輪をプレゼントするそうですよ』
バルバリシアの言葉を聞いたゴルベーザは、早速指輪を誂えさせた。告白と同時に差し出そう。そう心に決めていた。
だがどうしたことか、ゴルベーザは指輪を落としてしまい――――しかも、その指輪は、通風口の中へ転がっていってしまった。
カインに頼めば、すぐに見つかるだろう。そう思っていたのが悪かった。
まさか、カインが怪我をして帰って来るなんて、思ってもみなかったのだ。
真っ直ぐな瞳が濡れていた。
今にも溢れ出しそうになっている涙をぐっと堪えながら、カインは、心の内に秘めていた想いを口にしていた。
胸に抱いた指輪は、血と煤で微かに汚れている。
カインの言葉をすぐに理解することができず、ゴルベーザはただ、青い瞳をじっと見ていた。
(今、カインは何と……)
空耳かもしれないと思い、カインの顎を人差し指で掬い上げ、問いかけた。
「……もう一度言え、カイン」
「もう一度、ですか……?」
カインは、諦めのような表情を纏っていた。
「ゴルベーザ様のことが、好きです」
それでも、もう一度口にして微笑んだ。
「好きです、ゴルベーザ様。だから、貴方に抱きしめてもらえないことが、つらい」
微笑んでいるカインの眦から、涙が零れた。唇が震えている。
カインは、普段二十一歳と思えぬほど落ち着いた雰囲気を見せている。そんな彼が珍しく見せた涙に、ゴルベーザの心は激しく乱れた。
「カイン」
小さな体を、胸元に引き寄せた。
「私も、お前と抱き合えないことが辛い」
人に想いを伝えることが苦手なゴルベーザは、カインの瞳を見つめながら言うことができなかった。
「カイン。……お前のことが、好きだ」
「う、嘘……うそ、です……」
気をつけていないと、カインの小さな体を潰してしまいそうだ。親指で涙をぬぐってやりながら、「本当だ」と囁いた。
「『恋に落ちているというのならともかく、手のひらサイズのカインを抱きたいと思うなんて、獣と思われても仕方がない』……と、バルバリシアに言われた。そこで、初めて気がついたのだ。私は、お前のことが好きなのだと」
「ゴルベーザ様……」
「私は、ミニマムで小さくなったお前に触れたいと思った。大きい時と変わらず愛撫し、喘ぐ姿を見たいと思った。お前が気持ちよさそうにする様を、見たかったのだ」
「ゴ、ゴルベーザ、様……」
カインの顔は真っ赤だ。
「……何に咬みつかれた?」
カインの服が破れている。布地にくっきりと残る牙の痕に指を滑らせ、傷がすっかり癒えていることに安堵した。
「鼠、です……普通の鼠ではありませんでしたが……」
ぴくん、と腹筋が突っ張る。カインの緊張を指先で感じ、色付く肌を見ていると胸の奥で何かが軋んで、触れたいと思う気持ちを抑えられなくなる。
期待と不安に染まる、上目遣いの瞳。
「……怖いか」
訊くと、カインは首を横に振った。
「いいえ、怖いわけではありません。ただ……」
「ん? 何だ」
「いいのですか? 俺のこの体では、ゴルベーザ様を……その、気持ち良くして差し上げることが……」
「構わん」
机の上に座らせて服をたくし上げると、小さな乳首があらわになった。
滑らかな肌。ああこの肌に触れたかったのだ、と臍に口づけた。
「ん……っ!」
鎧を剥いでいく。鉄靴を脱がせる余裕はなかった。下着を持ち上げているペニスは今にも爆ぜてしまいそうなほど勃起している。見つめていると、先走りが染みを作り始めた。
「や……っみ、見ないでくださ……」
親指で股間を撫でる。そのつもりはなくても股間全体を撫でることになり、今までになかった類の快感に、カインの体は良い反応を見せた。
(それにしても、感じやすい体だ)
カインも、己の体を持て余していたのだろう。
「……気持ち良いか?」
「は……はい……」
両手で顔を隠し、されるがままになっている。そんな快楽に従順な姿に刺激され、もっと気持ち良くしてやりたい、何も考えられなくなるほど喘がせたい、という思いで頭がいっぱいになる。
気持ちが良過ぎるのか、カインの腰は何度も逃げをうった。その度、足を摘んで引き寄せる。滑りを良くすれば撫でやすくなるのではないかと考え、机の上にあるミルクピッチャーを持ち上げた。
「ゴルベーザ様、何を……」
息を荒げながら、呟く。
たらり、ミルクを腹に注ぐと、「ひっ」という声をあげ、カインは後ずさった。小さな背が、カップにあたる。
解けかけていたリボンが落ち、金糸が散らばった。
「ひ、やぁ……っゴルベーザ様、な、何……っ!?」
練るようにして、親指を動かす。白濁にまみれた股間が、にちゃにちゃといやらしい音をたてた。
「あぁ、んっ! ひい……あぁっ」
乾きかけていた涙が、また、滲み始める。
「……達しそうだな」
「言わない、で……下さい、こんな……」
撫でる早さを早めた。喘ぎを堪えようとするカインの唇が、花開くように綻ぶ。カインは無意識のうちに腰を振り、快感を得ようとしていた。ゴルベーザは「やはり達しそうになっているのだ」と判断して、下着を全て下ろし、小さなペニスをきつく摘んだ。
「あ、ああ、あぁ、あっ、あ、あっ!」
腹に垂らされたミルクの中に、精液が飛んだ。
舌を伸ばし、ゴルベーザはカインの濡れたペニスを口に含んだ。
「ひ…………っ!」
大きさからして、ペニスのみを口に咥えることは不可能だった。舌を動かせば、ペニスだけでなく後腔まで舐め上げることになってしまう。それは今までにない悦楽をカインの体にもたらし、ゴルベーザの目を楽しませた。
きつく吸うと、カインの体が跳ねる。声を出すこともできないようだ。絶句し、喉をひゅうひゅうと鳴らしている。開ききった唇は震えるだけで、唾液を飲み込むことすら放棄していた。
(元の大きさであれば、抱きしめて細部を触ってやることもできたろうに)
思ったものの、ゴルベーザがその言葉を口にすることはなかった。
くったりと力を失っているカインの頭を、優しく撫でる。
「ゴルベーザ様……」
「悦かっただろう?」
カインは頷き、「ありがとうございます」と微笑した。
「ですが、ゴルベーザ様」
「どうした」
「本当に、いいのですか? ゴルベーザ様は、その……」
「……いいと言っているだろう」
『自分だけが気持ちの良い思いをしている』ということに負い目を感じているらしい。カインは眉を下げ、心底申し訳なさそうな顔をしている。
「な、舐めるだけなら、きっと」
などととんでもないことを言い出したので、ゴルベーザは首を横に振った。小さな体だ、負担もかかる。今夜はもう休ませてやりたかった。
「ゴルベーザ様に気持ち良くなって欲しいんです。……気持良く、して差し上げたいんです。だから、俺の体をベッドまで連れて行って下さいませんか」
「カイン……」
乞う眼差しで言われれば断ることもできず、ゴルベーザはカインをベッドまで運んだ。「座って、前を寛げて下さい」と切なくなるほど震えている声で言われ、言う通りにする。
カインは、勃ち上がったものに恐る恐る触れ、裏筋に口づける。ちろちろと舌を出し、快楽を与えようと一生懸命だ。
感じないわけではない。だが、触れられていることによって得られる快感より、カインを見ていることによって得られる快感が勝った。
「気持ち、いいですか……?」
「……ああ」
ほっとした表情を隠そうともせず、カインは手を動かし続ける。先端の窪みを舌先で抉ったり指先で押し潰したりしながら、必死で奉仕している。
眦が赤い。乱れた金の髪が、ゴルベーザのペニスに絡む。絡んだ髪ごと擦られて、気持ち良さが増した。
「達しそうになったら……教えてください」
先走りと唾液が混じり、カインの舌先から糸を引く。舐めているだけで感じてしまっているのか、時折もぞもぞと腰を動かし、切なげな溜め息をつく。
思わず、小さな尻を撫でた。
「ひ……!?」
ゴルベーザのペニスを掴んだまま、硬直している。はっとした表情で再度舐め始めたカインの唇から、小さな呻き声が聞こえた。
「舐めるだけでは、物足りないのではないか?」
わざとらしく問いかけて、カインの足の間に指を滑り込ませ、擦った。ただ、快楽を共有したかったのだ。
「や、あぁ……っ」
乱れる様と甘い声が、堪らない。濡れた青い瞳が、ゴルベーザの中の何かを狂わせていく。
知った感覚を下腹部に覚え、ゴルベーザは「離れろ」とカインの頭を撫でた。
「い、いやです……そのまま……出してください、ゴルベーザ様……」
「カイン」
「お願いです……っ」
上ずった声に、ぞくぞくする。いけないことだとは分かっていた。
自らのペニスを弄りながら、カインは先端をちゅ、と音をたてて吸った。
「く……っ」
「んんん……あ、あ……っ!」
飛び散った精液が、カインの体を白く染めていく。どろりと顔に散り、顎から垂れ、舌の上にぼたりとのって溢れた。
「カイン!」
慌ててその顔を拭う。
「ゴルベーザ様……」
腋の下に手を入れて抱き上げ、青い瞳を見つめた。ミニマム状態となったカインの唇は、驚くほど小さい。
いとおしさが込み上げ胸に広がり――――引き寄せられるようにして、ゴルベーザはカインの唇に口づけた。
「あ……」
ゴルベーザの指をぎゅっと掴んでいたカインの体が、薄く発光する。まるで、月光のようだ。
淡い光に釘付けになったゴルベーザが目にしたものは、元通りの大きさになったカインの姿だった。
「ゴ、ゴルベーザ様、お、俺……っ」
***
胡座をかいているゴルベーザに飛びつき、背に手を回す。たったそれだけのことで、カインは今にも泣き出してしまいそうだった。
抱きしめ返してくるゴルベーザの手の熱さに、また、涙が溢れそうになる。
「カイン……!」
何もかもを奪い取るかのように口づけられ、シーツの上に押し倒された。
「ミニマムが何故解けたのかは分からぬが……こうしてまたお前を抱きしめることができて、良かった」
「……そう、ですね……」
もう一生解けないのではないか、ゴルベーザの傍にいることもできなくなるのではないか。そう考えていたせいだろうか。また、涙が溢れてきてしまう。
「もど、れて……よか……っ」
「本当のお前は、よく泣く男なのだな。他の者が見たら、何と言うか」
「俺にも……分からないんです。ゴルベーザ様の傍にいると、胸が痛くて、感情が零れてしまって」
(恥ずかしい……)
こんな恥ずかしい姿は、誰にも見せられない。
この、意地悪く微笑む、主以外には。
「カイン。お前を抱きたい」
カインは、あまりの恥ずかしさに声を出すこともできなかった。頷くだけで、精一杯だ。
力を抜き、ゴルベーザの手に全てを任せた。
「んん、ん……」
硬くいきり立ったペニスが中に入ってくる。久方ぶりの感触に、どうすれば良いのか分からなくなった。
「狭いな」
足を大きく広げられて、カインはきつく瞼を閉じた。羞恥に歪む顔を、見られたくはない。
結合している所に、カインの先走りが垂れている。そのため、ゴルベーザがゆっくりと引き抜くと、その場所から水音が鳴った。
「そんなに、欲しかったのか」
恐る恐る瞼を上げると、余裕の無さそうなゴルベーザの顔が目に入ってきた。こんなにも余裕がなさそうなゴルベーザの姿を見るのは初めてのことで、カインは驚いてしまう。
「私は、お前が欲しかった」
何故、この人はこんなにも恥ずかしいことを平気で口にできるのだろう。
やかましく刻まれる心臓の音に耳を傾け、カインは小さく頷いた。
「俺も……です、ゴルベーザ様」
顔を真っ赤にしながら、ゴルベーザの背に手を回した。
「えー、ミニマムじゃなくなっちゃったの?」
つまらない、可愛くない、とラグは頬を膨らませた。
「もっと遊びたかったのに……ね、姉者!」
「そうねえ」
「お人形遊びみたいで、楽しかったのに! ……キスで治るミニマムっていうのは面白かったけど」
ラグの言葉に頷き、マグはクッキーを口に放り込んだ。ぷくぷくとした丸い手が持っている箱には、『バロンクッキー』という文字がでかでかと書かれていた。
「まあでも、賭けには勝てたからいいわ」
「……賭け?」
「賭けとは何だ」
カインが、『バロンクッキー』を口に含み、首を傾げる。ゴルベーザは眉を顰め、問い詰める表情でメーガス三姉妹を見つめた。
「姉者、ゴルベーザ様本人に言うのはやばいんじゃないの」と止めるドグを軽くあしらいながら、マグは「いいのよ別に」と、新しいお菓子を手に取った。
「私達、ゴルベーザ様とカインがいつくっつくのか、賭けてたの」
「ぶっ」
盛大に噴き出したゴルベーザとカインが、顔を見合わせた。
そんな二人を見てケラケラと笑いながら、
「……ところで……ゴルベーザ様、聞いてください! カインも聞いて。言いづらくて黙っていたことがあるんです!」
全く言いづらそうには見えない表情で、ラグは言った。言いづらかったから黙っていたわけではなく、黙っていた方が面白いと思ったから、黙っていたのだろう。彼女の表情が、そう語っていた。
「ゴルベーザ様がミニマムで小さくなって人形の家でカインと一緒に暮らせば、仲良く幸せめでたしめでたし! だったんじゃないでしょうか? とりあえず、ぎゅっと抱きしめ合うことくらいはできたんじゃないのかなあ……」
その言葉にまた、ゴルベーザとカインは顔を見合わせた。
二人の頬は、これでもかというほど真っ赤だった。
ゴルベーザ様に××をかけました。
こんな姿になってしまえば、威厳も何も、あったものではなかった。
「この薬を飲めば、元に戻ることができるそうです。でも、これはお渡しできません。少しの間、その姿でいてください」
わなわなと肩を震わせながら、小瓶を握りしめながら。カインは顔を真っ赤にし、怒りと羞恥をあらわにしていた。
「ゴルベーザ様のことは……好きです。でも、でも!」
叫び、走り去る。
主が絶句して手を伸ばしているのが見えたが、見なかったことにした。
バルバリシアの部屋の中。
カインの話を聞いたルビカンテ、カイナッツォ、スカルミリョーネの三体は、ブリザガをかけられたかのように固まってしまった。
「今の話は、本当か」
ルビカンテが、ぎぎぎ、という音がしそうなほどぎこちない動きで問うた。
「……本当だ」
後悔が半分、あの人なんてああなって当然なんだという意地が半分。複雑な心を抱えたまま、カインは静かに頷いた。
「この薬がなければ、元に戻ることはできない。ゴルベーザ様は、ずっとあのままだろう」
「お前、自分のしでかしたことの重要さ、やばさが分からないのか? かなりやばいぞ、それ……」
カイナッツォが、首を横にぶんぶんと振りながら言った。
「……ゴルベーザ様が……」
スカルミリョーネはというと、そう呟いたきり、何も言わなくなってしまった。
頭を抱え、ルビカンテが口にする。
「ゴルベーザ様が、豚に……」
ゴルベーザがポーキーによって豚化したのは、つい先刻のことだ。カインがルゲイエに分けてもらった『ポーキーと同じ効果が出る薬』で、ゴルベーザは豚になってしまった。前回のミニマムと違って元に戻す薬もあるにはあるのだが、その薬はカインの手元にあって、しかも、彼は元に戻る薬を使う気が全くないときた。
「何でまた、そんなことになったんだよ」
溜め息をつき、床にどっかと腰を下ろし、カイナッツォはカインをじっと見た。いつになく真剣なカイナッツォの眼差しに、自分は大変なことをしでかしてしまったのだ、とカインは改めて思う。
それでも、ゴルベーザを元に戻す気にはなれない。
黙っているカインに焦れたルビカンテが「カイン」と大きな声を出し、観念したカインは、俯いたまま小さな声で話し始めた。
◆◆◆
カインのミニマムが解けたあの日、ゴルベーザとカインの心は通じ合った。ゴルベーザの腕のぬくもりや優しい口づけを感じることができて、カインは幸せだった。
だが、その『幸せ』という感情は、徐々に別の感情へと変化していった。
体が痛くて、堪らないのだ。
あの日から、ゴルベーザはカインの体を手放さない。暇さえあればベッドの中に引きずり込み、抵抗しようとするカインの体が蕩けるまで揺さぶった。
初め、カインはそれを嬉しいと思っていた。ゴルベーザが求めてくれる、抱きしめてくれる。それはとても幸せなことであったから、拒む理由などないと考えていた。
だが十日ほど過ぎたある日、カインの体が今まで以上に軋み始めた。腰が痛い、特に、下半身が痛い。足ががくがくして動けない。ゴルベーザは「すぐに治る」と笑っていたが、この生活を続けていたら治るものも治らないと判断したカインは、一大決心をしたのだった。
「ゴルベーザ様。一緒に眠るのはやめにしましょう」
「……え?」
ベッドに押し倒された瞬間、カインは小さな声で言った。
「今日からしばらくの間、別々の場所で眠りましょう。俺は、自室に帰ります。」
そう言って、カインは身を捩った。何も言えずに固まっているゴルベーザの体を押しのけ、立ち上がり、部屋を後にするため着替えを始めようとした。
カインの手首を思わず掴んだゴルベーザは、酷く悲しげな声で問うた。
「……何故だ? 何故、そのようなことを言う」
「ゴルベーザ様……」
いくらなんでもやりすぎです、下半身ががくがくでどうにかなりそうです――――なんてことを言えるはずもなく、口篭る。
そんなカインを見てゴルベーザは何かとんでもない勘違いをしたらしく、怒りをあらわにし始めた。
「ゴ、ルベーザ……さま……?」
「私には言えないようなことなのか」
「ち、ちが」
両腕を捻り上げられ、口付けで声を奪われる。口腔を蹂躙され、カインは言葉を発することもできなくなった。それは唇が離れても続き、ゴルベーザに何らかの術をかけられたのだと気付いたときには、もう何もかもが遅かった。
「……他に、好きな者ができたのか」
『違う』という言葉は、声にならなかった。口をぱくつかせながら、カインは首を横に振った。必死だった。
自嘲気味に唇の端を上げたゴルベーザはカインの体を壁に押し付け、首筋に舌を這わせた。
「脚の骨をへし折ってやろうか。二度と跳べぬように――――私の手から、逃れられぬように」
耳に入ってきたゴルベーザの言葉は酷く残酷で、それなのに、どこかで喜んでいる自分に気づく。ゴルベーザが執着してくれていることが嬉しかった。だが、この気持ちを伝える術は見つからない。
悲しげに顔を歪め、ゴルベーザはカインの太腿を撫でた。
「時折、お前を閉じ込めてしまいたいと思うことがある」
片足を大きく上げさせ、下着をずらす。
「入れるぞ」
首を横に振り続けるカインを無視し、ゴルベーザは腰を落とした。
「……っ!」
声が、出ない。無理矢理に押し広げられる感覚。体を捩り壁に両手をついて、尻を突き出した。
「……苦しいか……?」
顔を見なくても分かる、心が擦り切れてしまいそうなほど悲しい声。
貴方の方がよっぽど苦しそうだ、とカインは心の中で呟いた。悲しくも優しい声に、何も分からなくなる。
「お前は、私のものだ。私だけの」
狂気が透けて見える、野蛮な言葉。けれど、カインは嬉しくて堪らない。もっともっと、歪んだ愛情を向けられたい。ゴルベーザに充たされたい。
ゴルベーザが腰を使うたび、じんじんと腰が痺れる。ぬちゅぬちゅと恥ずかしい音を響かせる結合部から脚を伝うのは、卑猥な液体だ。
「……っ、う……」
ゴルベーザの集中力が切れてきているのか、カインの口から呻きが漏れた。
引き裂くように激しく犯され、自分は信用されていないのだという思いに頭を支配され、息が上手くできなくなる。壁を掻く指先が痛い、爪が割れそうになる。
堕ちていく体。
これでは、片恋であった頃と何も変わらないではないか。
「ひ、う、あああぁ、あ!」
中途半端に解けた術の力で、獣のような喘ぎが止まらない。
脚が震える。立っていられなくなったカインの体を無理矢理に支えて立たせ、「お前は、私のものなのに」とゴルベーザが呻くように言った。
「……ゴ……ル…………さ、…………」
体の中に放たれた迸りに、声にならぬ声をあげた。あまりにも熱いそれに引きずられ、カインも吐精する。目の前が滲む。これでは、いけない。
「や、ああ、あ、あぁああぁ……!」
達したばかりの体を更に強く壁に押し付けられ、休む間もなく貫かれ続ける。ペニスの先端が、壁に擦れる。精液で濡れた壁の感触に、頭の中が真っ白になる。大きく開かされた足が痛い。冷たい壁の感触が、辛い。
主の顔が見たい。だが、頭を壁に押し付けられてしまっては、そのささやかな願いも叶わなかった。
乳首を摘まれ、捏ねられ、快楽に流され、終わりのない夜を思う。
「ゴルベー、ザ、様……」
呼ぶけれど、当たり前のように、返事はなかった。
夜が開け、朝が訪れた。ゴルベーザは「今日は休むといい」と言って、部屋を出て行ってしまった。カインの喉は枯れ、声は掠れていた。
(ゴルベーザ様は、俺を信用していないのか。俺が他の誰かを好きになる、と、そう思っているのか)
「う……っ」
ベッドを降りようとすると、粘った精液が後ろから流れ出ていった。妙な感触に、肌が粟立つ。
考え込んでいるうちに、怒りが込みあげてきた。
どうして、こちらの話を聞いてくれないんだろう。
伝えることも、許してくれないんだろう。
シャワーを浴び、洋服を着た。
(このままでは、俺達は駄目になる。ゴルベーザ様にも、それを知ってもらわなくては)
カインは、ふらつく足でルゲイエの研究室に向かった。
「それは、ちょっと困る」
慌てふためき後退りし首を横に振り、ルゲイエは逃げる場所を探している。壁にぴったりと背をつけて、「無理だ」と汗をだらだら流すその姿は、哀れを誘った。
「ミニマムでもいい、トードでもいい、ポーキーでもいい。ゴルベーザ様を、懲らしめたいんだ」
「カ、カイン! 確かに、この前のことは悪かったと思っている。お前がミニマムになったまま戻ることができなかったのは、ワシのせいだ。ワシが悪い。ワシが悪かった。……だ、だから、考え直してその槍を仕舞え。な? そのリモコンを、返せ」
バルナバを動かすために必要なリモコンを右手でむんずと掴みながら、カインは首を横に振った。左手にあるのは、磨き上げられた槍だった。
「薬をくれ。……安全性が確認されているものを、くれ。でないと、俺とゴルベーザ様は変われない」
「カイン、お前何を言って…………ああ、もう」
床に置かれていた袋を探り、ルゲイエは二本の小瓶を取り出した。片方の小瓶には透明な液体が、もう片方の小瓶には橙色の液体が入っていた。
「負けた。ワシはもう知らん。勝手にしろ」
ルゲイエは、急な展開に慌てているカインに二つの小瓶を押し付けると、リモコンをひったくるように掴んだ。
「透明な方を飲むと、飲んだ人間は豚になる。橙色の液体を飲むと、人間に戻る。それだけだ。ただ、普通のポーキーではないから、元に戻る薬なしでは元には戻れんぞ」
「分かった。ありがとう、ルゲイエ」
ふん、と顔を背け、ルゲイエは部屋の奥に引っ込んだ。
そうして、その夜。
カインは、ゴルベーザの飲み物にその液体を混ぜた。ゴルベーザは疑いもせずそれを飲み、灰色の豚になった。
「――――カイン。これはどういうことだ」
豚になっても変わらぬ、薄紫色の瞳。惑わされそうになって、カインは目を逸らした。橙色の液体が入った小瓶を持ち、怒りに肩を震わせる。
「この薬を飲めば、元に戻ることができるそうです。でも、これはお渡しできません。少しの間、その姿でいてください」
顔を真っ赤にして、
「ゴルベーザ様のことは……好きです。でも、でも!」
叫び、走り去る。
主が絶句して手を伸ばしているのが見えた。
「ゴルベーザ様……俺は……」
◆◆◆
「ねえ」
窓の外からひょっこりと顔を覗かせたバルバリシアが、うんざりした声で呟いた。どこから出てくるんだと皆はざわめき、「空中散歩よ」と彼女は微笑んだ。
「みんな、よーく考えてみて。それってノロケよ、ノロケ。私達、自慢されてんのよ」
「あー」
つまらなさそうな顔をして、カイナッツォは妙な声を出した。バルバリシアはまた、どこかへ飛んで行ってしまった。
「なるほどなあ、ノロケか。そうだな、ノロケだな…………よし、自分の部屋へ帰ろう」
カイナッツォは、部屋を出て行こうとする。
「えっ、カイナッツォ!?」
「ふむ、確かにノロケだな。帰るか」
ルビカンテも、後に続いた。
「ルビカンテまでっ!」
決してノロケなどではないと反論しようとしたカインの傍をすり抜けて、無言のまま、スカルミリョーネもまた部屋を出て行こうとしている。
カインはスカルミリョーネに慌て駆け寄り、「ノロケじゃない、俺は本当に……っ」と大声で訴えかけた。
「……それは、恋人がいない私への嫌味か」
「そ、そうじゃない! 俺は――――」
言葉を続けようとカインが大きな息を吸った途端、扉の開く音が響いた。開いた扉のその向こう側に立っていたのは、灰色をした、二足歩行している豚だった。
「ゴ、ゴルベーザ、さ……っ!」
呪縛の冷気をかけられてしまったかのように動けなくなっているカインを無視して、四天王達は部屋を出て行った。ゴルベーザの視界にはカインしか存在していないらしく、彼はただ、カインの瞳をじっと見つめていた。
「カイン! ここにいたのか!」
声はゴルベーザのものなのに、見た目は黒豚、ならぬ灰豚である。
「探したぞ、カイン!」
「ゴルベーザ様……」
二足歩行の豚に迫られ、カインは嫌々をするように首を横に振った。
「説明しろ、カイン! これは、どういうことなんだ。何故、こんなことをした!」
気迫に圧倒され、それでも、カインは静かに口を閉ざしている。
(もっと怒ればいい)
そして、俺の気持ちを理解すればいい。カインは、とても小さな溜め息をついた。
「カイン!」
怒声が響いた。カインはそれに怯まず、ゴルベーザの瞳を見据えた。言うなら今だ。今しかなかった。
「ゴルベーザ様は、もっと怒ればいいんです。そして、俺の気分を味わえばいい」
「お前の……気分?」
「分かりませんか?」
「分かるわけがないだろう!」
「……それは、何故です?」
「何を言っている。お前はお前、私は私だ。お前が話そうとしないのだから、私がお前の気持ちを知ることなど……できる、わけが…………」
何かに気付いたのだろう。灰豚のゴルベーザは、蹄で口元を押さえた。
「お気づきに、なられましたか……?」
橙色の液体が入った小瓶を差し出して、カインはそっと微笑んだ。
「ゴルベーザ様。俺が愛しているのは、ゴルベーザ様だけです。他の誰でもありません」
「カイン……」
「俺は、ゴルベーザ様の傍を離れるつもりもありません」
「……ああ」
「でも、ゴルベーザ様は俺を疑った。俺の声を、言葉も聞こうともしなかった」
差し出した小瓶を受け取ることなく、ゴルベーザは項垂れていた。
「……お前は他の誰かを愛するようになったのだと……私は、そう考えていた。それならば、単なる主従関係に戻ってしまえばいい、と思った。私は、お前を失うのが怖かった。お前のぬくもりを、失いたくなかったのだ」
小瓶の蓋を開け、豚になってしまったゴルベーザに寄り添い、「お飲み下さい」とカインは笑った。ゴルベーザの口元に、小瓶の飲み口をあてる。
蹄で小瓶を持つことはできない、ということに気づいたのは、つい先程のことだった。
ゴルベーザが口を開くと、傾けられた小瓶から橙色の液体が流れ込んだ。ごくごくと飲み干し、ゴルベーザはカインを抱きしめる。
小瓶が、床に転がった。
「私は、もっとお前の話を聞かねばならんな。よくよく考えてみれば、私はお前のことを何も知らない。食べ物の趣味も、好きなことや好きなもの――――本当に、何も知らない」
「……そうですね」
ゴルベーザの体から、淡い光が溢れ始めた。星屑のような光が辺りを充たし、カイン達の体を撫でていく。
「俺も、ゴルベーザ様のことをもっと知りたいです。好きなものを知って、それを共有したい。色々なことを話したいと、そう思います」
「ああ、そうだな」
光が静まると同時に、ゴルベーザの姿が元に戻った。いつもと変わらぬ、甲冑姿だ。
きつく抱き合い、存在を確かめ合う。
「――――ん? そういえば」
ふと、あることに気づいたらしい。カインの顔を覗き込み、ゴルベーザはぽつりと言った。
「お前は何故、抱かれるのを嫌がっていたんだ。心変わりしたわけではないとは分かったが、まだ理由を聞いていないぞ」
「そ、それは」
「色々なことを話したいと言ったのは、お前だろう?」
「はい……」
いたたまれない気持ちでいっぱいになりながら、カインは俯き床を見た。ゴルベーザのマントを掴む。
言いづらい。けれど、言わなくてはならなかった。
「し…………尻と腰が、痛いんです。だから、今夜は許して下さい。お願いです、ゴルベーザ様。俺の尻と腰を、もう少し大切にして……下さい……」
End