鮮やかな異国の音だった。
 人々の笑い声が眩しくて、俺はそっと目を細める。
 あれは祭囃子っていうものなんだと言って、隣にいるエッジは笑った。
 はしゃぐ子どもたちが、俺の足のすぐ傍、ぶつかりそうなほど近い場所を駆け抜けていく。子どもたちは皆『浴衣』と呼ばれる独特の服を身に着けていて、俺もまた、その『浴衣』を身に着けている人間のうちの一人だった。
 甘いにおい、香ばしいにおい。やわらかなそれらに誘われて、くんくんと鼻を動かしてみせる。エッジはそんな俺を見て微笑んだ。どこか無邪気で、慈しむような笑顔だった。胸が痛くなるような笑顔だった。
 やさしい、底なしにやさしい緑色の眼差し。
 怖くなって、思わず目を逸らした。
 エッジは何も言わず、屋台にいる青年と話をし始めた。大きな飴を一つくれ、と言っている。そうして俺に手渡されたのは、棒に刺さった真っ赤な飴のかたまりだった。――――いや、よくよく見てみると違う。飴の中心には、林檎があった。
「林檎飴」
 言って、エッジは歯を見せ、にっと笑った。曖昧に頷いて、それをぺろりと舐めてみる。
「……甘い」
「飴だからな」
 俺の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、エッジは次の屋台にいる人に声をかけた。その場所で何か雲のようなものを受け取り、また次の屋台に赴く。そうしてその場所でものを受け取り次の屋台に行き――――それを何度か繰り返して、エッジは山盛りの食料を両手に抱えて戻ってきた。
「エッジ、お前……っ!」
 エッジは唇の端を上げ、どこかへ歩き出した。
 歩いていると、屋台が途切れ人がほとんどいない場所に出た。祭囃子も遠い、少し淋しげな場所だ。
「綿飴、焼きそば、かき氷。カルメ焼きに箸巻きにたい焼き」
 近くにあったテーブルに食べ物を並べ、エッジは楽しげに声を弾ませた。椅子に座り、指差し確認するように俺に説明する。こんなに食べられるはずがないのにと思いながら、俺もエッジの正面に腰掛けた。
 思わず困った顔をした俺を見て、エッジが嬉しそうな顔をする。
 エッジはよく、俺を困らせる行動をとる。俺が怒るような行動ではなく、ほんの少し困るような行動だ。困る俺を見て、エッジは笑う。いたずら小僧のようなその表情の中に、俺は少年の色を見つけるのだった。
「……俺は、おめぇを困らせたいんだ」
 俺の心の中を読んだかのように、エッジはぽつりとそう言った。
 エッジはよく、俺の心の内を言い当てる。忍びというのはこういうものなんだろうか。それとも、俺が分かりやすい顔をしてしまっているんだろうか。
 絶句しつつそれでも何とか何かを言おうと開いた俺の口に、エッジはかき氷のスプーンを突っ込んでくる。
「む……ぐっ!」
 冷たくて甘い。どうにか飲み込み、「何をするんだ」と言うよりも早く、今度は焼きそばを突っ込まれた。焼きそばはあつあつだった。涙目になりながらごくりと飲み込む。水を手渡され、慌ててごくごく飲み干した。
「や……火傷、が」
 口の中が微かにじんじんと痛んだ。火傷してしまったようだ。睨みつけると、エッジはまた嬉しそうに笑う。立ち上がり、俺の傍に立った。
「……エッジ……?」
 顎を掬われた。逃れようとするも一歩遅く、優しい調子で口付けられる。火傷を確認するかのように、何度もその場所を舌先で探られた。

 エッジと俺が『そういう仲』になったのは、つい先日の事だった。
 酒に酔っていた俺はいつの間にかエッジと寝てしまっていて、俺の困った顔を見て、エッジはまたあの嬉しそうな顔を俺に見せたのだった。
 その日から、俺たちはたまに寝るようになった。
 愛の言葉も告白もない。好きだとかあいしてるだとかきれいだとかかわいいだとか、そんな言葉は一切ない。汗を舐め合うような行為はまるでスポーツに似ていて、「先にイッた方が負けだ」と笑うエッジの顔がとんでもない馬鹿の顔に見えた。
 不思議と嫌悪感はなかった。男相手だなんてと思うのに、他の奴らだったらまっぴらごめんだと思うのに、エッジだけは別だった。
 俺は多分、ずっと前からこの緑色の瞳に惹かれていたのだ。きっと、刀を突きつけられたあの日から。
――――この男は、俺を殺してくれる。
 与えられた殺意は甘くて優しくて、林檎飴のように赤くて丸くてつやつやとしていて綺麗だった。
 綺麗な殺意だった。
 惹かれてはいけないと思うのに、溺れてはいけないと思うのに、エッジの瞳は俺を絡め取る。
 冗談で済むうちに、引き返したいと思っているのに。

「……ん……っ!」
 エッジの体を押しのけて、腕の中からすり抜けた。「こんなところで……誰かに見られたらどうする」と文句を投げると、エッジは「遊んでじゃれてただけだって言うさ」と笑った。
 本気なのか冗談なのか、分からない。そもそも、そんな言葉で騙されてくれるものなんだろうか。
 冗談で済むうちに引き返したいと思っているのに、エッジはそれを許してくれなかった。
「よし、冷めちまうし溶けちまうから食べよう!」
 今度は俺の隣に腰掛けて、焼きそばをぱくぱくと頬張り始めた。無言でかき氷を指差される。溶けてしまってはもったいない、と慌ててかき氷を口に含んだ。
 火傷に、かき氷が心地良い。
 横目で、エッジの顔を盗み見た。
 俺は、エッジから離れなければならない。分かっているのに、気持ちを止められないでいる。今日だってそうだ。「祭りがある」と誘われて、我慢できずにエブラーナを訪ねて来てしまった。
 エッジは王で、未婚の身なのだ。誰かと結婚して子どもをもうけるべきなのだ。俺とベッドでじゃれている暇なんてない。さっさと跡継ぎを作るべきだ。彼の隣にいるべきなのは俺じゃない。
 エブラーナに来て、はっきりとそう思った。
 今日こそ言わなければ。
 ぱくり、口を開く。
「なあ、カイン」
 優しい声。
 いつの間にか俺を見つめていたエッジが、いつの間にかやさしく微笑んでいた。何もかもを見透かされている気分になる。いや、違う。本当に見透かされているのだ。『気分』なんかじゃない。
「後で、一緒に風呂へ行こう」
 エッジは話を逸らし、関係の終わりが来ぬようにと時間を引き伸ばし続ける。
 この関係を永遠に維持するのは無理だ。エッジも俺も、互いに分かっている。分かっているのに、心だけが膨れ上がっていく。
 エッジはバカだ。そんな男に惹かれている俺も、とてつもなく愚かでバカなんだろう。
「……エッジ」
 そっと顔を近づけた。驚いたエッジの顔が視界に飛び込んでくる。
 お前がそのつもりなら、俺も一緒に時間を引き伸ばし続けてやろう。まだ見ぬいつか、終わりが来たその時には、困ったような笑顔でお前を送り出してやる。
 だからせめて、その時までは。


 End


Story

エジカイ