この部屋には窓がなかった。
いや、正確には、窓は塞がれてしまっていた。彼の手によって塞がれてしまった窓は、周りの壁とすっかり同化してしまっていて、その形を無くしていた。
彼が窓を塞いだその理由は、外を見ている時の俺の瞳が気に入らないから、というそれだけの理由だった。
窓の外を見る俺の瞳には、望郷の色が浮いていたのだという。
一体どんな色をしていたというのだろう。そう思い、目蓋に触れる。途端、指先に濡れた感触を感じ、自分が泣いていることに初めて気が付いた。
胸が痛くて足が痛くて、嗚咽を漏らそうとしたけれど、術で封じられてしまった口からは何の言葉も出てこない。
視線をやった先には足首にはめられた足枷とそれを繋ぐ鎖があって、ひたすら悲しくて俺は強く目蓋を閉じた。
あの日から、俺達の心は交わらなくなった。
あの日―――封印の洞窟で、彼の声を聞いたあの日。
洞窟の入り口に戻る前から、俺の頭の中では二つの声が響き続けていた。
片方の声は、『早くクリスタルを持って来い』とただただクリスタルを望んでいて、もう片方の声は『どうして私を捨てたんだ』と喘ぐように呟いていた。
捨てたのはお前じゃないか、と俺は反論した。
俺を捨て駒と判断したのは他の誰でもない、お前自身だったのに、何故今更そんなことを言うんだ。俺は重ねてそう言った。
彼は俺の声を聞かず、俺の体を術で縛り付けた。
瞬間、世界が暗転し、どこか遠くで幼子の叫び声が聞こえたような気がして、気が付くと俺はこのベッドに横たわっていた。
それからの日々は、とても空しいものだった。
声を封じられ、彼に抱かれるだけの日々が続き、そうして、彼はいつも同じ言葉を俺に囁いた。
『…傍にいてくれ。もう二度と私から離れるな』
以前、俺は確かに操られて命じられて、ゴルベーザに抱かれていた。それは事実だ。けれど俺は抱かれることに苦痛を感じてはいなかった。
彼の手は酷く優しく、そして瞳はまるで怯えた子供のような雰囲気を持っていて、俺はいつも、反対に彼を抱き締めているようなそんな心持で彼に揺さぶられていたのだった。
「……カイン」
いつの間にこの部屋に入ってきたのだろう。どこか達観したような表情で、彼は俺を見つめていた。
彼の指先が俺の頬を撫で、首筋を流れていく。
声を解放して欲しい、そんな気持ちを込めて彼の頭を抱き込むと、はだけた胸元に口付けが降ってきた。
すがりつくような仕草で与えられる愛撫は徐々に激しいものへと形を変え、足を抱えられて突き入れられる頃には、俺の体はどろどろに溶けた氷菓子みたいに正体をなくしていた。
「…私の傍を離れるな」
彼が耳元で低く囁いた。
その声に重なって、鎖が喧しい音をたてる。
ぞくぞくと背筋に痺れが走り、俺は口をぱくつかせて酸素を求めた。
蕩けた下半身が彼を貪欲に飲み込み、蠢く。
息苦しくてたまらなくて、彼の背にしがみつけば、深い挿入に声にならない悲鳴が漏れた。
傍に居て欲しいのならば洗脳してしまえばいいのに、ゴルベーザは決して、そうしようとはしなかった。
理由は分からない。
何故だ、と問いたかったが、俺は訊く術を持っていなかった。
彼に、俺の言葉を聞いて欲しかった。
お前が『捨て駒だ』と言ったから、俺はお前から離れたんだ、と。
けれど彼は俺の声を聞こうとしない。離れるなと繰り返すばかりで、それ以上のことを求めようともしない。
おそらく、ゴルベーザは全てを諦めている。俺が彼を想っているだなんて、これっぽっちも考えていやしないんだ。
欲しいものを手に入れるには力ずくで捩じ伏せるしかない。
彼はずっと、そんな悲しい生き方をしてきたに違いなかった。
溢れる涙は視界を滲ませ、彼の表情を隠してしまう。
俺が音も無くしゃくりあげると、びくりと彼の体が揺れた。
「……カイン。そんなに私に抱かれるのが嫌か」
そうではない。俺は小さく首を横に振った。
どうやったら伝えられるのだろう。俺は、お前の心の内を知りたい。何に怯えているのかを知りたいんだ。
「…カイン」
彼の手が、そっと涙を拭い取っていく。
現れた彼の表情は、苦しげに歪められていた。
『ゴルベーザ』
思わず、唇の動きだけで俺は彼に話しかける。
『ゴルベーザ、俺は、お前を』
一瞬、彼の瞳が揺らぎ、次に、悲しみの色を纏った。
節ばった指が、手のひらが、俺の唇を覆う。驚いて身を硬直させた俺の中を、凶器が抉った。
「………………っ!」
喉の奥で笛が鳴る。
快楽が意識を焼き、俺の心を殺してしまおうとする。
引き抜かれたかと思うとうつ伏せにされ、叫ぶこともできず、俺は背を仰け反らせた。
「お前が私を憎んでいることは、知っている」
違うんだ、ゴルベーザ。
悲しみに冷えた心とは裏腹に、熱い体は限界を訴え、精液を吐き出す。
がくがくと震えた俺の中にも同じものが満ちた。
●
悲鳴をあげることもできずに気を失ってしまったカインの頬には、涙の跡が残っていた。
そっと、その頬に口付ける。
「……カイン」
抱き締めた体は力をなくし、されるがままとなっている。
返事がないことは分かっている。けれど、彼の名を口にせずにはいられなかった。
「カイン」
彼の瞳を思い出す。
哀れみの色を濃くした瞳には、涙が滲んでいた。
『ゴルベーザ、俺は、お前を』
彼は私に何を伝えようとしていたのだろう。気にはなったが、恐ろしくてとても続きを聞く気にはなれなくて。
カインに、傍にいて欲しいと思う。ずっと、傍で微笑んでいてくれたら、と。
けれど、どうすればカインが微笑んでくれるのか、私には皆目見当もつかない。
途方もなく空しい気持ちのまま、座って彼を膝に乗せ、柔らかい髪に鼻を埋めると、胸が痛いくらいに締め付けられる。
体を清めてやりたいと思い、足首にはめた枷を外せば、そこは擦れて赤くなっていた。
その場所から目を逸らすと、バスルームに向かった。
ただただ、彼の拒絶の言葉を聞くのが嫌で、彼の声を殺した。
お前のことが嫌いだ、お前を憎んでいると言われることが怖くて、堪らなくて。
そうだ、私は捕らえて閉じ込めてでも、カインの温もりを離したくなかった。
例え、凛とした声を聞けなくなっても、二度と笑顔を見られなくなっても、カインが傍にいればかまわない―――筈だったのに。
「……っ」
嗚咽が漏れる。
浴槽に張られた湯が、私の涙を飲み込み、溶かしていく。
腕に抱いたカインの体がぴくりと動き、青の瞳が隙間から覗いた。
無理矢理に術で眠らせようとして、やめる。
私は、この美しい瞳を薄汚い欲望で曇らせたいわけではなかった。
彼の唇が、音もなく言葉を紡ぐ。
『俺は、お前を』
水面に映った光が反射し、彼の瞳を揺らす。
『お前を』
震える唇が近づいてきて、反射的に目蓋を閉じる。
柔らかく触れてくるものが、私の唇を啄ばみながら囁いた。
「……俺は、お前を、傷つけたりしない。だから、もうそんな顔をするな」
微かに微笑んだ彼の顔。
伸ばされた指に縋り付きながら、ゆっくりと頷いた。
End