一面の闇の中、僕は立ち尽くしている。
誰もいない場所で、一人きりだ。
これは夢だ。分かっているはずなのに、体がうまく動かない。
どこかで、雨の音がする。
「泣いているの?」
そう問うたのは、僕だった。僕自身だった。雨音だと思っていたのは、僕の涙の音だったのだ。
「一人は、嫌なんだ」
僕は、僕と会話した。
「何で、こんなことになっちゃったんだろう」
僕には分からなかった。涙を拭う。頭の奥の底の辺りで、羽虫が飛ぶ音がする。
「……うるさい」
ぶるん。頭を振った。蛆虫が生まれる音がした。
「うるさい!!」
僕は笑っていた。
「うるさいったら!!」
ぞわぞわ、鳥肌がたった。体の奥から腐り朽ちていくような、そんな気がしていた。僕は、僕を抱きしめた。自分の手で、自分の両肩をしっかりと抱いた。
堪らず、寝転がった。地面は淀んでいる。黒い霧が僕の体を包んだ。粘ついていた。汚かった。
『ゴルベーザ様』
男の声がした。誘われるように手を伸ばすと、冷たい手に触れた。男の声は、微笑を含んでいた。僕も微笑んだ。男は、僕の体を抱きしめた。
猛烈な光が、瞼に襲い来る。
●●●
しがみついて引きずり堕とそうとしているのはどちらなのか、判別がつかなかった。
青い瞳は常に遠くを見つめていて、私の心は時折酷く軋んだ。シーツの上に引きずり倒した体は死人のように冷たく濡れていて、彼が長い間雨空の下にに晒されていたということを私に教えていた。掴んだ肩は白く、彼の眦からは涙が溢れ、彼の心が死にかかっていることを知った。
私の心が、奇妙に蠢く。
青い瞳がこちらを見た。蝶の羽根のように、金の睫が上下した。
「……貴方はまた、俺を生かすんですね。苦しみから私を救っては下さらない」
情欲の欠片も見あたらない瞳で、カインは呟いた。私の頬に指を這わせる。
「死にたいのなら、勝手に死ねば良かろう」
「……死にいこうとしていた俺を救ったのはゴルベーザ様です。あのまま放っておけば、俺は確実に死んでいたのに」
「利用価値があると思い、生かしたのだ。だが、お前はセシルを殺すことができなかった。最後の最後で、思いとどまった」
カインはごくりと唾を飲み込んだ。打ちひしがれた表情をしていた。やや広めの額は雨に濡れ、金色の髪がはりついていた。
「…………頭が、痛くなって。セシルを殺すことは最善なのか、分からなくなりました。セシルは、俺の光だったんです。俺のことを『太陽みたいだ』と言ってセシルは笑います。けれど、違った。俺にとっての太陽は、セシルでした。俺は、セシルに照らされてようやく光ることができる月でしかなかった。俺は…………ローザの太陽にはなれなかった」
「花は太陽の光を見上げて咲く。あの女は、お前を見上げて咲くことはなかった」
忌々しいものを見る眼差しが、こちらを射抜いた。
薄い唇に舌を這わせる。きつく瞼を閉じ、カインは微かに唇を開いた。粘膜の感触に背筋が痺れる。内臓を喰らっているかのような錯覚に陥った。濡れた服を探る。透けた白いシャツ越しに、乳首を摘んだ。
「ん、う……っ」
雨の雫が涙のように流れ落ちた。或いは、涙だったのかもしれない。濡れた手触り、服をたくし上げ、今度は直接胸元に触れた。
「……ゴルベーザ、さ、ま」
痛い声がする。心臓が痛い、胸が痛い。こんな時は、快楽に没頭してしまえばいい。頭を真っ白にしてしまえばいい。何も分からぬよう、何も見えぬよう、感覚だけを追えばいい。
時計の秒針が、時を刻んでいる。微かな音だが、今はとてもうるさく感じられる。『うるさい』と思うと、壁にかかっていた時計は床に落ち、砕け散ってしまった。
カインを生かしておく理由を考える。ファブールでの醜態。この男は、本当に『使える』人間なのだろうか。確かに実力はある。だが、心には迷いが存在している。バロンに無関係な人間を使った方が、きっと――――。
「……あぁ、あ……!」
ぶる、とカインの体が痙攣した。
「……痛いか?」
カインの下半身に触れる。下着の隙間から指を差し込むと、冷たい金属の感触がした。「外して下さい」とカインがせがむ。焦らし、撫でさすった。
「ひい、あぁっ、あっ!!」
腰が逃げをうつ。足首を押さえつけて繋ぎ止めた。今度は首輪でもつけてやろうか。野蛮な考えが過ぎって消えた。
「さ、さわらないでください、おねが……さわらないで、あたまがおかしく」
下着を膝まで下げ、金属を舐める。感触が伝わることはないが、振動は伝わったようだ。喉をひゅうひゅう鳴らして喘ぎ始めた。
勃起しても、押さえつけられて痛いだけの筈だ。達することもできない。
頭を振り、カインは懇願する。外して下さい、と泣く。
何を外して欲しいのかは分かっている。足を折り曲げ、苦痛と快楽に喘ぎ上下する胸元を眺め、絶望の淵に立たされている男に話しかけた。
「何を?」
「…………外して、下さい、これを」
言いながら、カインは金属に手をやった。震えている。金属についている錠をぎゅっと握りしめた。何度も何度も言いかけては止め、ついに諦めたのか、
「……貞操帯を……」
小さく口にした。
懐から取り出した鍵を錠に差し込み、口づける。かちん、歯が当たった。その音に重なるようにして、錠が開く。きつく舌を吸った。
「んん、んんんんんう……っ」
足が突っ張り、白濁が散った。唇を解放すると、とろりと唾液が顎を伝う。
荒い息が、部屋を満たした。
カインのペニスはしとどに濡れ、貞操帯は白濁に汚れている。虚ろな瞳。快楽とは正反対の場所にある瞳をしていた。どこか無感情にも見える、悲しい表情だった。
「お前が愛する『花』は、太陽の方を見て咲き続けるだろう。月を見て咲く日など、永遠にこない」
喘ぐように息をしているカインの唇が、うっすらと開いている。
「バロンに戻ることはもうできんだろう。……お前は、私の下で生きていくことを選んだのだからな」
そうし向けたのは私だった。カインの心の内を覗いて操作し、純粋さを残していた心を黒く染めあげた。彼の心の内にあったのは、年齢の割に幼い嫉妬と悲しい気遣いだった。ローザはセシルを愛していた。セシルもまた、ローザを愛していた。カインは自らを『邪魔者』と判断したのだった。
寂しげな瞳が私を射抜いていた。他に行く場所などないのだと、丸い青は語った。青は美しかった。闇に染まりきらず、綺麗な色をしていた。
「…………気づいてしまったのです。太陽を壊しても、俺は……幸せに、なれない」
指を差し入れると、白い首が仰け反った。
無言のまま、体を重ねた。声にならない矯声が溢れて溢れる。
「お前は、私のものだ」
髪を掴んで囁くと、カインは目を見開いた。
「バロンへは戻らせぬ。私の足下で生きていけ」
カインは小さく頷いた。躊躇いを隠さぬまま、私の肩に顔を埋めた。
「……はい、ゴルベーザ様……」
●●●
黒竜は、時折森に行きたがる。それを世話するのはカインの役目なのだが、今日は少し違っていた。
「……ゴルベーザ様も?」
黒竜の口に耳を向け、カインが小さく口にする。
彼を抱いたのはつい昨日のことだ。なのに、竜騎士の武具を身につけた体からは欲望のにおいがしなかった。
黒に染まりきらないからこそ、汚したくなってしまう。すらりとして無駄のない鎧を剥がせば人間くさい本性が覗くのに、その本性は、今は微塵も見えない。
「ゴルベーザ様と共に行きたいと、黒竜が言っています」
「私と……?」
「はい。三人で行きたい、と」
どうされますか、と困り顔のままカインは黒竜を見つめた。たまには、悪くない。そんな考えが生まれたことに驚いた。
「短時間なら構わぬ」
一瞬驚きの表情を浮かべた後、カインは黒竜と視線を交わらせてにっこりと微笑んだ。
少年のような笑顔に、曖昧な焦燥感がこみ上げてくる。
カインは、竜が好きなのだ。竜を想い、愛している。
何だ、この感覚は。
「では、参りましょう」
この痛みの正体が、分からない。
***
ゴルベーザ様は無言だった。
森の中を進みながら、俺は少し戸惑っていた。
繰り返される、草の音。嬉しそうな声を出しながら、黒竜は後をついてくる。俺は、ゴルベーザ様の後ろを。その俺の後ろには黒竜が。太陽が全く似合わない人だと思いながら、彼の背を追った。
黒竜の散歩で通い慣れたトロイアの森は、木々の隙間から惜しげもなく光を零している。
ゴルベーザ様の肩に、木の葉がひらりと落ちた。
「あ」
手を伸ばして、真っ黒な甲冑に触れる。痺れるような闇の色。ゴルベーザ様が振り向いた。目が合った、と思う。分からない。
夜遅くに彼の素肌に触れたことはあった。けれど、こうして昼に触れることは、鎧越しにですらまずない。
熱い舌、肌、ずくずくと浸食してくるような快楽――――見つめられていると、頭の芯の部分がおかしくなってくる。
黒竜が可愛らしい声で啼いた。落ち葉をぱくりとくわえ、黄色い瞳で俺を見る。
「あ、ありがとう」
俺の頬をぺろりと舐めて、首に巻き付きじゃれてくる。ゴルベーザ様はと言えば、さっさと足を進めて行ってしまった。
「……行くか」
道が開け、やわらかい水の音が足音に重なる。「ゴルベーザ様」足早に追いかけると、兜を抱えたゴルベーザ様が泉の畔に佇んでいた。
思わず、自分自身の兜を外す。葉を食んでいた黒竜が、今度はぱくりと兜を咥えた。
ゴルベーザ様の銀の髪が、優しい風に靡いている。こんなに明るい場所で見るのは初めてのことだった。でも、手触りなら知っている。癖を持つ彼の髪は柔らかくて、まるで幼い獣のようなのだ。
「う、わ……っ!」
ゴルベーザ様の姿をぼんやりと眺めていた俺の背に、衝撃が走った。がらん、兜の転がる金属音と共に、足を踏み外す。真っ逆さまに落下して、青い空と木々の緑が渦を巻いて回った。最後に鳴ったのは、水音だった。
「……何をしているんだ」
彼の声音はまさに呆れ声で、だから、俺は俯くしかなかった。黒竜は、嬉しそうに水と戯れている。俺は、戯れに巻き込まれたのだ。
「ずぶ濡れだな」
頭上から声が降ってくる。泳ぎ、岸に辿り着いて立ち上がろうとした。
足首に絡む、『何か』の感触。ぞわり、肌が粟立った。
「ひ」
ゴルベーザ様が顔を顰めている。視界の端の光景を他人事のように感じながら、手を伸ばした。掴まれ、引きずり出され、しがみつく。
「……釣りでもするつもりだったのか?」
体中びしょびしょだ。しがみついたらゴルベーザ様まで濡れてしまう、それは分かっていた。だが、何故か腕を放せない。彼と視線を交わらせるのも恥ずかしく申し訳なくて、首を横に振ってやりすごした。
緑色の何かが、水面から顔を出して揺れていた。植物にしては不自然だ。植物がこんなに激しく動くものだろうか。細長くて蔓のようだが、意思を持って動いているように見えた。
「気に入られたな」
ゴルベーザ様の声が、耳元で響いた。笑いを含んだ声だった。驚いて彼の薄紫色の瞳を見ると、とても楽しげな顔をしていた。
「これは植物だ。水中で成長する。綺麗な水の中でしか育たない、黒竜の好物だ。最近ではあまり見かけなくなってしまったがな」
ああ、だから黒竜はここに飛び込んだのか。
足首にある蔓は、俺の足首にしっかりと巻き付いている。
「……ゴルベーザ様、申し訳ありません……取れそうに、ないのですが……」
「そうか」
「そ、そうかって」
ずるり。蔓の先が暴れ、俺の尻を撫でた。
「あ、あの」
ゴルベーザ様は、新しい玩具を見つけたようだ。これは危険だ。俺は抵抗した。ゴルベーザ様が浮かべている微笑みは、いたずらっ子そのものだった。
思わず悲鳴をあげたくなるような感触に呻く。ゆるゆると首を横に振った。蔓が、また尻をべろんとやった。
「ん、く……っ!」
一番触れられたくない場所に、蔓の先が触れたのが分かった。
「……相手が植物でも構わないのか?」
「ち、がい、ます……」
ゴルベーザ様が、俺の俺の体を引き上げた。振り向けば、何本もの蔓が俺に巻き付いている。鎧の留め具をいじる音に驚いて体を見ると、ゴルベーザ様が俺の鎧を脱がせているところだった。
こんなところで?こんなに明るい場所で、こんな状況で?
頭が混乱してきた。
「勃っているぞ」
ぎゅう、と乳首を摘まれた。びりびりと背筋が痺れる。声を出さぬように、とゆっくりと息を吐いた。
「……こんな、場所で……こんな…………」
太腿に巻き付いた蔓は、俺の体の全てを確かめるように全身を撫でている。
息ができない。声を、抑えられない。
「あぁ……っ!!」
貞操帯の上から圧迫され、大きな声が漏れ出た。
俺のものを押さえつけているのは、ゴルベーザ様の手ではなくて。
「う、んんう……ん……」
舌を啄まれ、吸われ、頭の中が更にぐちゃぐちゃになっていく。唾液が垂れて顎を伝い、胸に落ちた。
何故、ゴルベーザ様はこんなことをするのだろう。俺は、彼の暇つぶしに使われているのだろうか。
胸が痛くなる。
目の前が、滲んだ。
***
明るい陽射しの下で、カインはどんな風に乱れるのか。ただ、それが知りたかった。蔦に絡め取られた彼は、目に涙を溜め、こちらを見つめていた。
金色の髪が、淡く光っている。私の背に爪を立て、「お許し下さい」と小さく呟いた。
蔦はカインの体をこじ開けようと這い回り、だが、きっちりと取り付けられた貞操帯がそれを阻む。相当痛むのだろう、許しを乞う声は呻き声に近かった。
びく、びく、と何度もはねる体は限界を訴える。いくら達しても吐き出すことはできず、なのに、快楽だけは途切れることがない。
貞操帯の錠に鍵をさし込んだ。
期待に揺れる、青い瞳。
お前は、私でなくても良いのか。快楽を得られれば、それで良いのか。
「あ……あああああぁ……っ!!」
貞操帯を外した瞬間、蔦はその時を待ちわびていたかのように素早く、カインの体に侵入し始めた。
カインは私の体をきつく抱きしめ、絶頂に震えている。蔦はといえば、窄まりに無理矢理頭を突っ込んでうねり、彼の弱い場所を刺激している。
カインに快楽を覚え込ませたのは、私自身だ。洗脳で頭の中を覗き、彼の弱い場所を知り、何もかもを支配するために体を暴いた。
彼はどこまでも従順だった。疑いを知らぬ瞳は、私の心を掻き乱す。
蔦から滲みだした粘液が潤滑油となり、濡れた音をたて始めた。それに重なるのは、あえかな喘ぎだ。
指を滑らせて後腔に触れると、ひくつくその場所は限界まで広がって蔦を含んでいた。
「んん、う……んっ、ああぁ……っ!」
形の良い唇から、唾液が流れて落ちた。
「こ……なの、いや、です、ゴルベーザ様、どうして……」
痛めつけて、壊して、この男をなくしてしまえば以前の自分に戻れるのだろうか。
もう無理だと泣きながら喘ぐ彼を抱きしめて眠りにつき、朝目覚め、微かな呼吸に耳を傾け安堵する。
人間くさい感傷に浸る――――それが、本当の私なのだろうか。
「ゴルベーザ様……」
何もかもが分からなくなってしまう。カインの温もりに触れたくて、失神寸前まで追い込まれている彼の唇に口づける。何度も何度も、噛みつくように奪い取る。
「……こく、りゅう」
黒竜は、この光景をどう受け取ったのか。
ぐるり、カインの胴に巻き付いて項に優しく歯をたてた。
「ひ……っ」
もしかしたら、混ざりたかったのかもしれない。黄色い瞳と目が合った。
「……カイン。試しに、黒竜のものでも入れてみるか?何を受け入れても感じるのだろう?」
子どものような仕草で首を横に振り、「嫌です」と繰り返す。
「俺が、欲しいのは」
泣きじゃくりながら、
「俺は、ただ、貴方のことが」
蔦が震え、『何か』を吐き出した。繋がった場所から、白濁が溢れ出す。
蔦を掴んで引きずり出すと、カインのそこはぱっくりと口を開いたまま媚肉をひくつかせていた。
濡れた土の上に押し倒し、足を開かせる。服は所々破れている。金髪が泥で汚れた。
蔦は水の中に沈み、黒竜が瞳を輝かせてその後を追いかける。
静寂が戻った水辺はカインの吐息だけを響かせていて、さっきまでの光景が嘘のようだった。
「……ゴルベーザ、様は……」
白濁を指で掻き出して、ペニスの先端を押しあてる。やわらかい感触と濡れた感触が混じりあい、躊躇うことなく腰を進めた。
「俺のことを、単なる玩具だとお思い……なの、ですね……っ」
仰け反った白い首、首筋に残る甘噛みの痕。いつの間にか解けてしまった髪が、泥にまみれて哀れだ。
けれど、青い瞳だけが弱さを知らない。
「俺は、いくらでも代わりのきく存在で……役立たずで……」
感情を押し殺すことに失敗した声で、
「……だから、もう、消えてしまいたいと思っていたのに」
何もかもを見透かされてしまいそうなほど瞳は澄んでいて、それを見つめていると頭が焼けるように痛くて、堪らない。
手首を辿って手を握ると、胸の奥が穏やかになったような気がした。何かに突き動かされ、きつくきつく、カインの体を抱きしめる。
抱き返してきた彼の腕の感触に、目眩がした。
思い出すのは、闇にまみれた夢の中で私に伸ばされた、あの冷たい手だ。
「お前は、単なる玩具に過ぎない。壊れてしまえば、それまでだ」
体を離してそう囁くと、カインは微笑みながら頷き、そっと唇を引き結んだ。
だが、『全部知っている』といわんばかりの瞳が逸らされることはない。
律動し始めると、彼は浅い呼吸を繰り返しながら何事かを口にする。
『壊して、ください』
声にならぬ声が、唇に浮かんでは消えていった。
End