この暗がりの中でなら、許されるような気がしていた。
 彼が目覚めませんように、と、それだけを祈っていた。

 閉じられた瞼の向こうにあるのは、様々な感情を混ぜ合わせた薄紫の瞳だ。覗き込んで、彼の顔を眺めた。
 今夜も、ゴルベーザ様に抱かれた。喉が痛い。それは、俺が彼を求めたという何よりの証拠だった。
 脳の底を焼くような熱い夜を過ごしても、思考はどこか冷えている。視界に入る何もかもが遠くにあるように思える。
 これは、現実なのだろうか。時折分からなくなってしまう。俺は、どうしてここにいるのだろう。何のために、ここにいるのだろう。
 何も分からなかった。深く考えてはいけないような気がしていた。
 闇のクリスタルをセシルから奪い取った事実。深く考えれば考えるほど、頭が酷く痛んだ。
 ふと自らの指先を見て、驚く。指先が血に染まっている。爪の隙間に、黒に似た赤が固まっている。
 一体どこで?
 視線を巡らせると、シーツにも赤が落ちていた。元の場所を辿る。主の背中に行き着いた。全身が、かあっと熱くなる。そういえば、今夜はずっと彼の背に手をまわしていたような気がする。
 彼の背に残る深い爪痕を見ていると、目眩がした。
 指で撫でる。彼の体温を、指先に感じる。
「……ゴルベーザ様…………」
 互いを貪っても、何も生まれない。何も手に入らない。微かに伝わる体温が心のどこかを暖めてくれるような気がするのだけれど、それは気のせいに過ぎなかった。
 黒い心に黒い色を垂らしそこに欲望を混ぜ込んで。どす黒くなっていく心はぐちゃぐちゃで汚くてどうしようもなくて戻れなくて、こんな汚らしい心には自分でも触れたくないと思うのに、彼は俺を抱きしめるのだ。
 ゴルベーザ様の体温を感じていたいから、俺はゴルベーザ様の傍を離れられずにいるのかもしれない。ふと、そう思った。
 おそるおそる自らの唇をゴルベーザ様の唇に重ねようとして、やめた。
 何度も体を重ねているのに、口づけをしたことは一度もなかった。彼はきっと、口づけが嫌いなのだろう。それとも、俺とはしたくないだけなのかもしれない。
 代わりに首筋に口づけると、ゴルベーザ様の体温が唇に伝わってきた。
「カイン……?」
「あ……」
 起こしてしまった。
 瞼が開き、薄紫色の瞳が覗く。手首を掴まれうろたえていると、今度は頭を引き寄せられた。
「眠れんのか?」
 抱きしめられ、囁かれる。眠れなかったわけではない。ただ、ゴルベーザ様の寝顔を見ていたかっただけだ。
 本当はそっと口づけるつもりでいたのだけれど、そう簡単にできることではなかった。
「それとも……し足りなかったのか?」
「ち、違います!」
 鼓動が高鳴った。重なった胸が熱かった。形勢逆転はあっという間で、うつ伏せであったはずの俺の体は、いつの間にか仰向けになっていた。
 この人の瞳が好きだった。憂いを帯びていて、どこか物足りないという色をした、紫の瞳。吸い込まれてしまいそうだと思う。彼の中に潜む闇の深さに、心臓が痛くなる。
 ゴルベーザ様の瞳の中に、俺が存在している。愛されている――――そんな、虚しい錯覚をする。
 瞼を閉じて開くと、悲愴に歪んだ彼の顔があった。
「……目を、閉じていろ」
 言われた通り再度瞼を下ろすと、唇にあたたかい何かが触れた。驚いて目を見開くと、「閉じていろと言ったのに」と彼は呟く。
 背に、手をまわしても良いだろうか。口づけられただけで、頭の奥が痺れて動けなくなるなんて。
 腕を撫で、肩を辿った。人差し指の腹に触れるのは、ざらついた傷の感触だった。
 ――――嬉しい。
 ――――何故、口づけを嬉しく思う?
 彼が俺のものになったような気がするから? だから、なのだろうか。
「……ん……う……っ」
 舌に絡め取られ、思考も同時に絡め取られ、深く考えようとしたことは全て霧散してしまい、指先に力が篭った。
 背の傷を爪で抉ってしまい、ゴルベーザ様が呻く。けれど、口づけは止まない。段々と、口づけだけでは足りなくなってくる。血のにおい、温い感触、その全てが、俺の中にある何かを煽った。
「……カイン……」
 返事をする暇も無い。唇が離れたと思ったら、深く穿たれていた。準備は必要なかった。数時間前に放たれた精液が垂れ、潤滑油となる。
 仰け反った首筋に落とされる口づけは、優しかった。


***


「ああぁ、あっ!」
 涙に濡れた青い瞳が、瞼の下、瞬き覗いては隠れる。その様を見つめながら律動を繰り返し、カインの中を抉った。
 心を混ぜ合わせても、黒い心に黒い心を溶かしても、残るのはどす黒い塊だけだ。そんなことは、分かっていた。それでも、それだからこそ、カインを貪らずにはいられない。
 彼の体温が、欲しかった。
「ひっ、あぁ、あ……」
 快楽から逃れようとする腰を引き寄せる。「欲しいのだろう?」と囁きながら、浅い抽迭を繰り返す。「欲しい」という言葉を口にできず躊躇い口をぱくつかせる彼の視線は、背徳に歪んでいる。
「……朝陽、が…………っあぁっ!!」
 もうこんなことをする時間ではない、と彼は言いたいのだろう。喘ぐ唇を、噛みつくように塞いだ。
 一度口づけてしまえば、もう後戻りはできない。胸に溢れるこの想いを大きくしてはならないと思い、口づけだけはしないでおこうと決めていたのに。
 青い瞳の中に、橙色の光が映る。焦れてひくつく媚肉の奥に無理矢理押し入ると、カインの口から空気が漏れた。声もない。
 縋りつくような声が聞きたくて、指先で舌を撫でる。
「………………ゴル……ベーザ、様……っ」
 ぶるぶると震えながら頬を紅潮させている彼の顔に、カーテンの隙間から漏れた朝陽がかかる。
 シーツの白が、カインの金色が眩しい。
「ゴルベーザ様……あ、ぁ……っ」
 背に何度も走る痛みすら、愛おしく思えた。もっと、この名を呼んで欲しい。呪われた名を口にして欲しい。
 そうして、カインをミストで見つけた時に感じた、あの感覚の正体を知る。
 知ってはならなかった、あの甘い刺の正体を。




End

Story

ゴルカイ