「俺は、ゴルベーザのことを忘れられない」
 切なく、どこか遠くを見るような眼差しで、カインは言った。
「ゴルベーザは、独り寂しそうだった。俺は、そんなあいつに惹かれていった。あいつの中に、俺と似た部分を見出したからかもしれない」
 息を一つ吸って、
「俺は俺を許してやることができない。だから、ここに残る」
 試練の山の風は強く――――綺麗な金の髪が靡くさまに見とれながら、僕は首を横に振った。
「……僕は、君とバロンに帰りたい。昔のように、君と過ごしたいんだ。君が兄さんの事を忘れられなくても、僕は……」
「昔のように?……それは、恋人のように、ということか」
 自嘲の笑みが浮いた唇。青い空を見上げ、彼はぽつりと呟いた。
「もう、昔には戻れない。俺達は、もう戻れないんだ。俺は、お前に幸せになって欲しい。……勿論、ローザにも幸せに――――」
 彼の声は、涙に滲んで消えてしまった。
 その涙に抗うことなど、できるはずもない。


***


 ゴルベーザと俺は、よく似ていた。
 セシルに愛されていても、俺は孤独だった。
 俺は、セシルに愛されたかった。でも、ローザに幸せになってほしいと思う気持ちが、彼女の愛をも得たいと思う気持ちが、それを許さなかった。
 どちらを選ぶこともできずに居た俺に手を伸ばし、胸の孤独を埋めてくれたのが、ゴルベーザだった。


 見張り番をしている彼に思わず声をかけてしまったのは、その背が寂しそうに見えたからだろうか。
 ゼムスと戦かったあの日から十数年経っているというのに、彼の笑顔は変わらない。

「……私が、お前の孤独を?」
 俺の告白を聞いて、ゴルベーザは小さく微笑んだ。
「お前に救われていたのは、私の方だ。人間から遠ざかっていた私に、人間というものを教えてくれた」
 ゴルベーザと再会できたのは、奇跡だった。月に残ると言った彼と会うことはもう叶わないのだと、そう思っていた。
「ゴルベーザ……」
 洞窟の中に、沈黙が流れた。他の者は、皆寝静まっている。――――勿論、セシルもだ。
「お前は、セシルのことを愛しているのだろう?」
 微笑みを絶やさぬまま、彼はぽつりとそう言った。
 絶句した俺の瞳をじっと見据え、「全て知っている」と呟く。
「……お前は気を悪くするのだろうが……私は、お前の心の中の全てを知っていた。お前の心の闇も、セシルとローザへの想いも、全て」
 そうだ。ゴルベーザは俺を操っていた。あの時の俺は人形だったから、躊躇わず心の中の全てをゴルベーザに明け渡していた。
 ゴルベーザは、俺の気持ちを知っている。
「…………お前は、それで良いのか? 私は、お前に救われた。お前の温もりに救われた。……お前が与えてくれた『愛情』で、人間とはどういうものなのかを知った。だが、この愛情は、本当は私に向けられるべきものではなかったのではないかと、そう思っている」
「ゴル、ベーザ」
「お前は、セシルに孤独を埋めて欲しかったんだろう? 私ではなく、お前が愛する、セシルに」
 体が強張った。心が震えた。図星だった。声にならない。
 自らの心に嘘をついてまで、セシルと別れると誓ったのに。
「カイン」
 優しい声が悲しかった。逃れようとした俺の体を抱きしめて、ゴルベーザは切ない囁きを俺の耳に落とす。
「セシルの幸せを願うのは構わない。では、お前の幸せはどこにある?」
『幸せ』――――その言葉を聞いた途端、涙が溢れて止まらなくなった。
 胸元に絡みついたゴルベーザの腕を解こうとすると、それは簡単に解けてしまう。
「私は、お前に幸せになって欲しい」
 その言葉は、俺がセシルに告げた言葉と同じもので。
「俺は……」
 涙の滲む瞳を向けることしかできない俺に、ゴルベーザは微笑みかけてくれる。これ以上傍にいたら、また彼に頼ってしまう。
 逃げるように駆け出した俺を、ゴルベーザは止めなかった。


***


 テントを出ていくカインの後ろ姿を、眺めていた。僕の視線に気づくことなく、彼は僕から遠ざかっていった。

『もう、昔には戻れない。俺達は、もう戻れないんだ。俺は、お前に幸せになって欲しい。……勿論、ローザにも幸せに――――』

 あの時そう言った彼を止める術を、僕は持っていなかった。彼は兄さんのことを好きなのだと、僕のことなんてもう愛していないのだと、自分に言い聞かせるしかなかった。
 毛布に潜り込みながら、ただ、カインのことを想っていた。彼は、兄さんのもとへ行ったのだろう。
 彼の足音を聞き漏らさぬようにと耳を澄ます。
 しばらくして帰ってきたカインは、小さく鼻を鳴らして俯いていた。
 もしかして、カインは泣いているんだろうか。思わず、カインの方を見た。
 開かれたテントの入口から、外の光が滑りこんでくる。照らし出された彼の顔。青い瞳が、潤んでいた。
「…………カイン」
 声を出してしまった。いけないと思いながら、彼が困惑すると知っていながら、声を出さずにはいられなかった。
「セシル……」
「どうして、泣いてるの……?」
 小さな声で問いかけた。彼はゆるゆると首を横に振った。誰に泣かされたの、何故泣いているの、兄さんと何を話したの。
 聞きたいことは沢山あるのに、言葉が出てこない。
 カインは、テントを飛び出した。僕もその後を追う。必死で逃げていく彼に追い縋ろうとする。僕も必死だ。
「カイン!!」
 どこまで走ってきたのか分からぬほど、周りの景色なんて見えないくらい本気で追いかけ、ついに、その体を捕まえた。
「何で、逃げるの!?」
「お前が……追いかけてくるからだろう……」
「僕が追いかける前に、君が逃げ出したんじゃないか」
「…………セシル……」
「何で泣いてるのさ」
「セシル」
「僕に幸せになって欲しいと言ったのは君だろう」
「セシル……」
「ねえ、何故君は幸せそうな顔をしていないんだ。君が幸せそうな顔をしていないと、僕も、幸せになんてなれない」
「セシ、……ッん……っ!」
 僕の名前を呼ぶ彼が愛おしかった。久し振りに味わう薄い唇の感触に、堪らない気分になる。
「ねえ、カイン。逃げないで、僕の目を見てよ。僕は、君の本心が知りたい」
 抱きしめた体は、小さく震えていた。
「君の幸せは、どこにあるの?」
 もう一度、唇を重ねる。悲しげに目を細めた彼は、「分からない」と呟くばかりだった。



End


Story

その他