それは、俺にしか感じることのできない代物だった。
「どこにもないよ?」
リディアが言い、
「……見えないな」
カインが言った。
ならば幻か、と思い首元に手をやると、微かに温かく、それは確かに存在しているのだった。
さっきまで、俺はルビカンテと戦っていた。
幻でなければ偽物でもない、あれは確かにルビカンテだった。
ルビカンテは両親を殺したモンスターで、それは未来永劫変わることのない事実だから許す気はないのだけれど、二十代の頃とは違う気持ちが、俺の中に芽生えていた。
時間が経つことで、俺は何かを学んだのだと思う。それがどういったものなのかなんて、説明することはできないのだけれど。
両親を亡くした時は頭に血がのぼっていたから分からなかったけれど、俺とルビカンテはよく似ているのではないかと思うことがあった。
ルビカンテは主人に忠実で、馬鹿真面目で、そこら辺にいる人間より人間らしい気がした。
ふと、脳裏を過ぎる光景。
人間になったルビカンテが、俺にかしずく。こちらを見上げ、「御館様」と呼ぶ。日差しのように真っ直ぐな眼差しが、俺を射抜いている。決して卑怯な真似はせず、礼を尽くす男。全てが真っ直ぐだ。それは分かるのに、どのようなかたちをしているのかは分からない。顔立ちまでは、想像することができなかった。
あいつがモンスターでなければ、もし、エブラーナの民だったとしたら――――俺はあいつに惹かれずにはいられなかっただろう。
「エッジ!!」
背に衝撃が走り、我に返った。何者かに背を叩かれたのだ。
「どうしたの、ぼうっとしちゃって!」
「……だ、大丈夫ですか?」
どうやら、リディアが叩いたらしい。セオドアが、不安げな表情で問いかけてきた。
「大丈夫大丈夫。ちょっと疲れただけだ」
セオドアの頭をよしよしと撫でてから、リディアの頭もよしよしと撫でる。
「子ども扱いしないでよ、もうっ」
「そうですよ!僕はもう子どもじゃないんですから……っう」
生意気を言うセオドアの鼻を摘み、思う存分よしよしとやっていたら、カインに肩を叩かれた。
「――で?お前の首に何があるっていうんだ」
そうだ、忘れていた。
俺は首元に手のひらをあてた。僅かな温もりを感じる。透明だが、それは確実にそこにあった。
ルビカンテが姿を消した瞬間に、俺の首に巻きついたものだった。
「ここに、なんつうか……マフラーみてえなもんがあるんだ」
「マフラー?」
いてて、と鼻の頭を撫でながら、セオドアがもう片方の手を伸ばしてくる。大人しく従った。セオドアの手は空を切った。
「何もないようですが……」
言いつつ、セオドアは首を傾げた。
と、今まで無言で傍観していた男が、こちらに近づいてくる。無表情のまま、俺の首元をじっと見た。
「……ゴルベーザ。おめぇには見えるのか?なんなんだ、これ」
訊くと、ゴルベーザは唇の端を上げた。
「…………害はないから安心しろ。モンスターと戦えば、自然に分かるだろう」
「何だよ、それ」
俺の問いかけには答えず、ゴルベーザはずんずん進んで行ってしまう。
「ま、待って下さいっ」
ひっくり返った声でセオドアが叫び、「行くぞ」カインがぶっきらぼうに呟いた。
モンスターと戦えば分かる。
どういうことだと思いながら、俺は刀を振るった。
黒魔法を詠唱するモンスターを切り、魔法の発動を阻む。攻撃をまともにくらい、モンスターの体が地面に沈んだ。
沈んだはずだった。頭を起こしたモンスターが、小さく「ファイガ」と呟き、爆音が響き渡った。
敵を倒したと思い込んでいた俺は、咄嗟に対応することが出来なかった。
反射的に息を止める。熱気に喉をやられたくはなかった。喉は熱に弱い。それは、奴との戦闘で学んだことだった。
痛みに耐えるために目蓋を閉じる。防御の体勢をとった。
「…………?」
しかし、衝撃はやってこなかった。
「な……んだ……?」
おそるおそる目蓋を開くと、鮮やかな炎が目に飛び込んでくる。
辺りを見渡す。俺は半球状の炎に包まれていた。
俺を守るように、揺らめいている。どくん、と心臓が大きく鳴った。見覚えのある炎だった。
「ルビカンテ……!」
呟いた途端に炎は散り、俺の首に巻きついて、その姿を消した。
はたと気づき、今度こそ、モンスターに止めを刺す。モンスターが動かなくなる。
何故か、動悸がおさまらなかった。
首元に手をやってみる。
体温に似た温かさ、どこかで嗅いだ事のある、火の香り。
「……『お前に炎を放つのは、私だけでいい』……おそらく、ルビカンテはそう思ったんだろう」
ゴルベーザが、背後から話しかけてくる。
無理矢理に笑顔を作ろうとし、失敗する。振り向けない。首元にある炎に、鼻を埋める。
火の匂いがした。あの男の匂いがした。
鼻の奥が痛くなって、手の甲で目尻を拭った。
End