ルビカンテがくれた炎のマフラーは、想像以上の力を持っていた。どんな炎も受けつけず、俺を守る。
 くんくんとにおいをかげば炎のにおいがして、何故だろう、胸の奥がきゅうっと締めつけられるような気がした。


***


「……俺の、誕生パーティーを?」
 二人はうんうんと頷いて、拳を握り締めている。気迫に圧倒されつつ、見上げてくる爺とツキノワの顔を交互に眺めながら、信じられない、という気持ちでもう一度口にした。
「俺の? 本気で言ってんのか」
「本気にございます!」
「僕は本気です、お館様!」
 爺とツキノワがにじり寄って来た。玉座に据えていた腰を少し浮かせ逃げ腰になりながら、首を横に振る。
「俺は……俺はもうオッサンだぞ? 誕生パーティーってのはガキがやってもらうもんじゃねえのか。例えば、ほら、ツキノワの誕生日パーティーならおかしくもなんともねえけど」
「僕はガキじゃありません!」
 物凄い剣幕で叫んだので、「あー……悪い」とその紫頭を撫でた。「また! また子ども扱いしてます!」と再度叫んだので、広めの額を指で弾いてやる。ううう、と額を押さえて座り込んだツキノワの頭をぐりぐりと撫で掻き回しながら、爺の方に視線をやった。
「とにかく、誕生パーティーなんて必要ねえから。祝われるような年齢でもねえし」
「し、しかし!」
「お、お館様ぁっ!」
 情けない声を出し蹲っているツキノワに軽く手を振りながら、王の間を後にした。



 誕生パーティー。
 確かに、幼い頃は毎年行われていたように思う。親父とお袋、爺と、それから民達。エブラーナは人口が少ない国だから、国の皆が集まって俺の誕生日を祝ってくれた。
 あのパーティーは、いつ無くなってしまったんだろう。俺が何歳の時に、無くなった?
 ふと考えて、気がついた。
「ああ……俺が、二十五歳の時か」
 そうだ、あの年が最後だった。あれが、親父とお袋と過ごした最後のパーティーだったんだ。
 祝われることがなんだか恥ずかしくて「子どもっぽいパーティーなんて必要ねえよ」と言った俺に、親父とお袋は優しく微笑みかけてくれた。
 それから数ヵ月後、エブラーナは壊滅状態に陥った。平和な日々がずっと続くのだと思っていた俺は、城の惨状に落胆し、膝を折った。
 二十六歳の誕生日は、洞窟の中で過ごした。
 この世の終わりを悟ったとでもいうような――――そんな顔をしている皆を元気づけたくて、俺は平静を装った。泣いてはいけないと思った。俺が笑えば皆も笑うような気がして、俺は笑った。
 ルビカンテを恨まぬはずがなかった。だが、全てを奪ったあの魔物は、魔物らしからぬ心を持っていた。「いつでも相手になるぞ」と言いながら俺の顔を見下ろして、時折、慈しむように微笑んだ。
 俺はルビカンテを倒し、両親の仇を討った。あの時は必死だったから気がつかなかったけれど、思い起こせば、死の間際、ルビカンテは俺に笑いかけていたように思う。
 それはあまりにも優しすぎる笑みで、殺された者のする表情とは思えなかった。
「……げっ」
 見渡せば、一面の海。ぼうっとしながら歩いているうちにいつの間にかこんなところまできちまったと頭を掻き、踵を返そうとする。月はあまりにも青く一番星は煌く音がしそうなほど眩しくて、何となく去るのも惜しくなり、どっかとその場に腰を下ろした。
「酒でも持ってくりゃ良かったかな」
 魔物が減った大地は、本当に静かだった。
 砂を掴みさらさらと落とす。その中に紛れていた、小さな貝殻を発見する。指先で摘み、薄桃色の貝殻を月光に透かした。
 唐突に、「この星が無くならなくてよかった」と安堵した。皆を守れてよかった、と。
 爺とツキノワは、俺のことを気遣ってくれたのだろう。特に爺は赤ん坊の頃から俺のことを見ているから、不憫に思ってパーティーのことを提案してくれたのかもしれない。
 でも、その気持ちだけで十分だった。パーティーに使うお金や食べ物は、皆が皆の為に使えばいいと思った。
 砂浜の上にごろりと横になり、瞼を閉じる。思い出されるのは、炎の色だ。
 そう、炎の――――。
「エッジ」
 よく知った声に呼び起こされ、ぱちりと瞼を開いた。目の前に真っ赤なマントを着た魔物がいたような気がして、息を詰める。けれどそれは気のせいであったらしく、一面の星空が広がるばかりだった。飛び起きて辺りを見渡すけれど、人っ子一人いやしない。
「疲れてんのか」と独りごちて、マフラーを胸元に手繰り寄せた。
 これは、ルビカンテがくれたマフラーだった。
 一対一で戦いたいと仲間達に告げた俺は、ルビカンテと対峙した。ルビカンテは苦しんでいて、早く楽にしてやらねばならないと思った。大きな魔物は、俺よりずっと上手だった。あいつを越えたい、あいつよりも強くなりたい。俺の中には、いつだってそんな気持ちがあったように思う。あいつ以上にすごい力を持つ炎を操りたくて、火遁の修行に励んでいた。
「ルビカンテ……」
 マフラーからは、炎のにおいがした。何故かそれがひどく切ないもののように思えた。急に冷えだした夜風に身を震わせながら、マフラーに鼻を埋める。
 波音が、感傷を運んでくる。
 エブラーナを滅ぼそうとした魔物。世界を破滅へと導くため、ゴルベーザ配下で生きていた魔物。恨み切ることができずにいるのは、あの魔物がやけに人間くさいところを持っていたからかもしれない。俺達に回復魔法をかけてから戦いを挑んでくるなんて、普通の魔物ではあり得なかった。
 あの魔物の真面目過ぎるところは、嫌いではなかった。
「さみ…………」
 天候も悪くなってきたようだ。月を、厚い雲が覆い隠し始めている。
 また爺に捕まっちまうかなあ、などと考えながら、城へと足を進めた。



 城は静かだった。
 いつの間にか、門番もいなくなっている。
「おい……?」
 誰もいない? そんな、まさか。『静かな城』に恐怖を覚え、心臓が早鐘を打ち出した。
 頭の中に思い浮かぶ、静かなエブラーナ城の光景。民は洞窟に逃げこみ、親父とお袋はいなくなってしまった。俺は城を留守にしていて、彼らを助けることができなかった。俺は無力だった。夕焼け空がやけに美しく、血に染まった壁は、夕陽の力を借りて更に真っ赤に染まっていた。
 あんな光景を見るのは、もうご免だった。
「爺……っ!」
 力を込めて、扉を開いた。
「おめでとうございます、お館様!」
「へっ?」
「お誕生日、おめでとうございます! 若!」
「お、おめぇら……」
 爺とツキノワだけではなく、民達皆が集まり、笑顔で拍手をしていた。テーブルの上にはご馳走がのっている。壁一面に貼られた、金銀色とりどりの飾り。時計は、丁度十二時を指していた。
 そうか、日付が変わったのだ。ということは、今日が俺の誕生日だった。
「おいおい……:」
 驚かせんなよ、と言いながら、俺は地面にへたり込んでしまった。
「お、お館様……!?」
「申し訳ありません、勝手なことをして……! ま、まさかそこまで驚かれるなんて」
 爺とツキノワが駆け寄ってきた。計画をたてたのはこの二人らしかった。心配を顔に浮かべる彼らの顔を見ていると、ささくれだった心が静まっていくような気がした。
「いや、いいんだ」
 ゆるゆると首を横に振り、こちらに伸ばされているツキノワの手をとる。その後ろには、ザンゲツ、ゲッコウ、イザヨイが立っていた。ツキノワに笑いかけてから、立ち上がる。
 イザヨイが、近づいてくる。
「エッジ様、おめでとうございます。これを……」
 手渡されたグラスを受け取ると、今度はザンゲツが近づいてきた。
「お館様! おめでとうございます」
 差し出されたのは、大きな花束だった。受け取ってからゲッコウの方に視線をやると、ツキノワと共に、大きなプレゼントの箱を運んでくるところだった。
「お館様、おめでとうございます!」
「僕達の気持ちです、受け取って下さい、お館様!」
「おめぇら……」
 ありがとう、と小さく呟く。大きな声で言おうと思っていたのに、涙が出そうになって、それを堪えるのに必死になってしまう。喉が詰まってしまい、声が出なかった。
「ありが、とう……」
「若……?」
 丸まってしまった俺の背中を、爺はぽんぽんと叩いてくれる。その叩き方は俺が幼い頃のものと全く同じで、だから、余計に涙が滲みそうになってしまった。
「爺の、馬鹿野郎……っ」
「ばっ! 馬鹿とはなんですじゃ、馬鹿とは!」
 他の者に悟られぬようにさっと眦を拭い、顔を上げる。俺の涙を見て爺は驚いた顔をしていたけれど、にいっと笑ってやると、安堵したようだった。
 頷き、民達の方を向く。
「皆、ありがとう! 今夜は呑みまくってくれ! あ、爺はあんまり呑むなよ? 年寄りなんだから。ブッ倒れたらこま、るっ!?」
 きつい一撃を背中にくらわされた俺を見て、皆、楽しそうに笑っていた。



 雨が降りだしたらしかった。ざあざあと鳴る音は強さを増していく。
 自室に戻った俺は、椅子に座り、酔った頭を机上に預けていた。部屋の中は真っ暗だった。
 手渡されたプレゼントの中身が気になって、リボンを解いてみる。大きな箱の中に入っていたのは、薄紫色をした浴衣だった。よくよく見てみると、縫い目ががたがただ。もしかして、ゲッコウとツキノワが縫ったのだろうか。
 二人が縫い物をしている姿を想像して、ふき出すと同時に、胸が熱くなるのを感じた。そういえば、ツキノワの指先には小さな傷痕が幾つもあった。修行でついた傷だと勝手に思い込んでいたのだけれど、あれは針で突いた痕だったのかもしれない。
 風が吹き、雨粒が窓に降り注ぎ、大きな音をたてた。
「雨……」
 叩きつけるような雨。その雨音で、大切なことを思い出した。そうだ、風呂に入らなければ。
 重い体を引きずり起こし、その場で服を脱ぎ捨てた。ただひたすらぼんやりした頭をぶるりと振って、風呂へ向かう。
 温めのシャワーを浴びながら思うのは、今夜のパーティのことだった。皆嬉しそうで、楽しそうだった。これなら毎年開いてもいいかな、と思ったほどだ。
 皆が喜んでいる姿を見るのは、嬉しかった。
 体を拭くのもそこそこに、ふらふらとベッドへ向かった。激しくも優しい雨音を子守唄にして、このまま眠ってしまいたいと思う。
 時計を見れば、夜中の三時。ツキノワは、もう眠りについただろうか。子どもには少し辛い夜更かしだったのではないだろうか。
 眠りの中に落ちていきそうになったその瞬間。雷鳴が轟き、しばらく後に雷光が瞬いた。
 何かが見える。闇の中に潜んでいる、何か。
「…………っ!」
 雷光を背に、誰かが立っていた。
「誰だ……!?」
 答えはない。
 大きな影だった。逆光でよく見えないけれど、男だということは分かった。
 微かに漂う、火のにおい。ぞくりと身を震わせた。記憶違いでなければ、このにおいは――――。
「ルビカンテ……?」
 ああ、呑み過ぎた。あんなに呑むんじゃあなかった。男が、魔物が、俺の名前を呼んだような気がした。シーツを掴み、目を凝らす。
 また、おかしな奴らに復活させられてしまったんだろうか。それとも、これは幻なのか。酔っぱらいの、夢か?
 重い頭を起こそうとするのだけれど、眠気と酔いに阻まれてしまった。
「……エッジ」
 はっきりとした声に、これが幻影でないことを知る。
「ルビ、カンテ……」
 魔物の太い腕が伸びてきて、俺の瞼を撫でた。優しい撫で方に、肌が粟立つ。「どうしたんだよ、おめぇ」と尋ねると、ルビカンテは唇の端を上げた。
「私にも、分からぬ……何故、お前の所へ来てしまったのか」
 マフラーを貰ったあの時、ルビカンテは消滅したはずだった。この目で見たのだから間違いない。そのルビカンテが何故、実体を伴ってこの場所にいるのか。
 理解ができなかった。
「……消滅の間際、私はお前と別れることを『惜しい』と思った。久方ぶりに会ったお前に尋ねたいことがあったのだ」
「尋ねたいこと……?」
 もう一度、俺の瞼を撫でた。ルビカンテの指先から、回復魔法が流れ込んでくる。
「この傷は、どうした? 回復魔法でも治らぬようだが……」
「ああ、これか」
 俺の瞼についた傷が気になって、消滅できずにいるということらしい。馬鹿真面目なこの魔物らしいなと思いながら、男の指を握った。体温の高い指だった。
「これは、おめぇがつけた傷だよ」
 面食らった顔をして、ルビカンテは「私が?」と呟いた。
 そう、これは、ルビカンテがつけた傷だった。
「……死にかけてたから覚えてねえのか。バブイルの塔で戦った時、おめぇ、俺の腕をひっ掴んだんだよ。びっくりして振り払おうとしたら、おめぇの体から急に力が抜けて」
「……それで、死んだ、か?」
「ああ。急に力が抜けたもんだから、振り払った勢いで腕がぱあんと跳ねて……そのなげえ爪が、俺の瞼に当たったってわけだ」
「ああ……成程な」
 頷いて、諦められないのか、もう一度回復魔法をかけてくる。「んなことしたって無駄だ」と笑ってやれば、諦めて小さな溜め息をついた。ローザやミシディアの長老にも消せなかった傷なのだ。消すことはほぼ不可能だろうと思われた。
「傷ができてからすぐに回復してもらったんだ。そん時は、傷はすぐに消えた。でもゼロムスを倒して国に戻って――――しばらくしてから、また浮かび上がってきたんだよ」
 俺が「どうしてだろうな」と言って自らの瞼を撫でると、ルビカンテは痛そうな表情をした。
「悪かった」
「……んだよ、気にしてんのか」
「ああ」
「気にすんなよ。視力には影響ねえんだし」
「それでも……それは、私がつけた傷だ。私が『消えぬように』と願ったから、消えないでいるのかもしれない」
「おめぇが願ったから?」
「お前に、忘れ去られたくなかった」
 忘れたくても、忘れられるものか。国を奪おうとした魔物だぞ。そう叫ぼうとした口は、何かに塞がれて使えなくなってしまった。
「ん……っ!」
 口づけられているのだと理解するのに、しばらくかかった。伸し掛られて屈しそうになったけれど、そういうわけにもいかない、と魔物の胸を両腕で叩く。
「んー! んんっ!」
 熱い舌に口腔を蹂躙され、頭の芯がぼやけてくる。舌を舌で追いかけられ、歯列の裏をなぞられる。ぴちゃり、音をたてて唇を開放される頃には、体の力が抜けきっていた。
「……な、なんの……つもりだよ……この……」
 『変態』。
 そう言い放とうとして、自分の下半身が反応してしまっていることに気がついた。これでは、俺も『変態』の仲間入りではないか。しかも、俺は真っ裸だった。こんな成りでは、隠しようもない。しゃあねえなあ、と隠すことを早々に放棄して、ルビカンテの顔を覗き込んだ。
「俺に、忘れ去られたくなかったって、おめぇ……」
 それは、愛の告白のような言葉だった。
「おめぇ、もしかして、俺のことを……?」
 どく、どく、どく。心臓がやかましいくらいに鳴っていた。耳元で、血の流れが聞こえるようだった。
「ああ。……そう、なのかもしれん」
 曖昧な返事だった。煮え切らない。
「どっちだよ? 好きなのか、嫌いなのか」
 ルビカンテは、困った顔をして笑った。
「……好きだ」
 もっと触りたい、と。劣情を宿した金色の瞳が言っていた。
「俺が人間だからか? 魔物ってのは、人間を喰う生き物なんだろう?」
「食べたいと思ったことが無いわけではないが……お前が人間でなくても、私は……」
 魔物の真摯な瞳に射抜かれる。
 金色の瞳に、俺の顔が映っていた。


***


 首筋に口づけても、彼は抵抗しなかった。
「こんなオッサンを喰うより、もっと若い獲物を喰ったほうがうめえんじゃねえの……?」
 言って、ぷいと顔を背けた。
 彼がそう言うまで、正直、彼の年齢を気にしたことなどなかった。言われて初めて、出会ってから十数年もの月日が流れていたということを思い出した。
「私が欲しいのは人間ではなく、お前だからな」
「……そうか」
 ずっと、触れたいと思っていた。この身を焼くような強い眼差しに出会った時から、ずっと。
 けれどそれは、叶わぬ夢なのだと思っていた。出会った瞬間から――――いや、出会う前から、お前という存在を知らされたあの時から――――私達は敵同士だったのだから。
 エッジは嫌ではないのだろうか。私は、仇なのだ。それだけでなく、魔物で同性で。彼に受け入れてもらえる要素は一つもないと思っていたのに。
「……何、変な顔してんだよ」
「お前は嫌ではないのか? 私はお前の両親を……」
「あー……」
 うろうろと視線をやってから、エッジは唇を開いた。
「確かに、おめぇは俺の国を滅ぼそうとした。俺の親父とお袋を殺した。でも、それはそれこれはこれだ。バブイルの塔で、俺はおめぇを倒した。決着は、そこでついてる」
 からっとした性格の彼らしい言葉だった。
「俺は、おめぇに『好きだ』って言われて、嬉しかったんだ」
「……エッジ」
「確かに敵だけど……俺はおめぇを尊敬してる。戦いの時に見せるおめぇの真面目さは、嫌いじゃない」
 炎のマフラーを手に取って、
「このマフラーを貰った、あの時もそうだった。自分に火燕流をかけたおめぇの真面目さに、ああ変わらねえなあって。そう思った」
 懐かしむような、緑の瞳。心惹かれ、啄むように口づける。
「エッジ……」
「ん?」
 私がつけてしまった瞼の上の傷を撫でた。十数年経っても消えないくらいなのだから、彼が生きている限り、この傷は消えず残り続けるのだろう。申し訳ないという気持ちと同時に、強烈な劣情が襲い来る。背筋を這う甘い感覚に、これ以上はいけないと叫んだ。
 エッジの体は、それほど大きいわけではない。理性で抑えつけなければと、体を離そうとした。
「ルビカンテ」
 それを、エッジが止めた。
「もしかしたら、これが最後かもしれねえんだろ」
「……ああ」
「マフラーをくれたお礼だ。一回くらいヤッたって構いやしねえよ」
「しかし」
「ああもう、俺がいいって言ってんだから、さっさとヤりゃあいいだろ、う……っ!?」
 限界だった。手首を押さえつけて胸元に唇を押し当てると、びくんと彼の体が震えた。
「あ、あぁ……っ!」
 乳首を口に含むと、甘い喘ぎが漏れる。「そんなとこ、触んな」と涙声で呟くその声が途方も無いほど愛おしくて、二度と触れられぬかもしれないと思いながら、しなやかな体の全てを味わおうとする。
 臍の窪みに舌を入れ、下腹をなぞり、ペニスを口に含んだ。
「ひ……っ!」
 腰が逃げ、跳ねた。先端を抉るように舌を動かせば、先走りが溢れ出してくる。
 両腕で顔を隠して小さく喘ぐ彼を追い詰めるため、裏筋を舌の腹で何度もなぞった。
「ふ……、あぁ! あっ!」
 大きく漏れてしまった声を隠すため、エッジは指を噛んだ。血が溢れそうなほど強い調子だった。
「……傷がついてしまう」
 ペニスから口を離してそう言うと、彼は「声が止まんねえ、誰かに聞かれちまう」と息も絶え絶えに言い、もう一度指を咥えてしまった。無理矢理指を引き抜くと指先には歯型がくっきりついていて、血が滲みかかっている。唾液の糸を引いた指はいやらしく、胸の奥が疼いた。
「これでも噛んでいろ」
 側に置かれていたマフラーを渡すと、エッジは首を横に振った。何故拒否するのかと問うと、目を逸らして囁くような声で答えを口にした。
「マフラーが破れちまうのは、やなんだよ……」
 どうやら、彼にとってマフラーは必要不可欠なものになりつつあるらしい。彼の気持ちが、嬉しくて堪らなかった。
「お前が噛んだくらいでは、破れぬ」
 そう言ってやると、躊躇いつつ、マフラーを噛んだ。
「ふっ、うう、うっ!」
 膝裏を押さえて大きく脚を開かせ、再度、ペニスを咥える。くぐもった喘ぎ声に煽られながら、先端をきつく吸った。
「んん……っ!」
 口の中に、生温い液体が流れこんできた。二度、三度、勢い良く放たれる。中に残っているものまで全て吸いだしてごくりと嚥下すると、エッジは信じられないという顔をした。
「の、飲んだの、か?」
「ああ」
「嘘だろ……」
 彼の精液は、蕩けるように甘かった。魔物であるが故に、そう感じるのだろう。
 舌を奥まった場所に持っていくと、エッジは悲鳴じみた声をあげた。
「……ル、ルビカンテ……! 駄目だ、そこ、ぞわぞわして」
 マフラーに顔を埋め、私の理性を破壊するような声で、
「舐めないでくれ、舐め、ないでくれ……っ」
 一瞬止めようかとも思ったけれど、彼は抵抗らしい抵抗を見せなかった。気持ちが良いのだと判断し、ことを進める。
 指を挿入して慣らそうとして、気がついた。私の指先には、鋭く尖った爪がついていた。これを挿入することなどできない。彼を傷つけてしまう。
 どうしようか、と一瞬迷った。
 先程までよりも大きく脚を折り曲げて、エッジの手を取る。驚く彼に「すまない」と告げてから、彼自身の指を彼の中に埋めた。
「あ、ああっ!」
 一際大きな声が響く。失敗してしまった、とマフラーを噛み直し、エッジは首を横に振った。
 彼の指をぎりぎりまで引き抜き、もう一度挿入する。淫猥な光景に、自らの中にある熱が高まっていくのを感じた。
 酷く狭い場所だった。私のものは、入らないかもしれない。
 しばらく経って、頃合いかと指を引き抜くと、「変態」とエッジは小さく呟いた。本気で怒っているわけではないらしく、逃げる様子もない。
「挿れるぞ」
 と告げると、エッジはゆっくりと頷いた。長い沈黙。雨の音だけが、大きな音を響かせていた。
 先端を、その場所に押し当てる。ふ、と小さな息を吐いてから、彼はマフラーをきつく噛んだ。
「ふ、あ、うぅ、う……うう……っ」
 ぎちぎちという音が、今にも聞こえてきそうだった。無理矢理に犯しているような錯覚に襲われ、彼の顔をちらと見る。エッジは何もかも知っているという顔をして、ゆっくりと頷いた。
「痛いか……?」
 問えば、きつく瞼を閉じてしまう。
 体格差があるせいで、彼の体に負担をかけてしまっている。それは変えようのない事実だった。
 少しずつ、少しずつ。傷つけてしまわぬようにと腰を進めていく。どうにか全てがおさまる頃には、彼の額には大粒の汗が滲んでいた。
「大丈夫か?」
 ひく、ひく、と中がうねっている。すぐにでも動きだしたいという衝動を押し殺し、エッジの頭を撫でた。浅く荒い息を吐いている口からマフラーを外すと、彼は緩慢な動作で頷いた。
「すげ……全部入ってる……」
 言いつつ結合した場所を撫でられ、思わず腰が浮いた。
「……辛くはないか?」
「大丈夫、だ、多分」
 そうは言っているけれど、異物感は酷いだろう。浅い息を繰り返している彼を眺め、髪を撫で、彼の体が慣れるのを待ち続けた。
「動かねえの……?」
 誘う表情で唇の端を持ち上げて、彼は微笑む。
 動けばいいのに、と。
「動いてくれよ、何か……じっとしてると、変になりそうだ」
 言われたとおりに、そっと引き抜いた。限界まで拡げられた場所が、限界を訴えてひくついている。乳首を摘みながら、ゆるい抜き差しを繰り返した。
「あぁ、あっ、あ……!」
 彼の喘ぎ声と濡れた音が、耳の中を侵食していく。苦痛ばかりではないらしく、彼の声は熱っぽく上ずっていた。


***


 声を、抑えることができない。ベッドが軋む音を誰かに聞かれてしまいそうで、緊張して、胸が苦しくなった。必死にマフラーを噛んでいようとはするのだけれど、自然に口が開いてしまう。ルビカンテのモノはでかくてかたくてどうしようもないくらいに熱くて、脳天までぶち抜かれてしまいそうだった。
「声、が、ぁ……っ!」
 激しくなっていく抜き挿しの中やっとのことでそう言うと、ルビカンテの動きが止まった。
「あと……ベッドが、軋んで……」
 続けて言うと、ルビカンテは「分かった」と頷いた。
 マフラーごと抱き上げられ、どこかに運ばれる。一体どこへ行くんだと首を傾げていたら、窓辺まで連れてこられた。窓際に座らされ、脚を開かれる。思わず、カーテンがきちんと閉まっているか確認した。
 大丈夫だ、閉じられている。
 背中に伝わるのは、雨の音だった。
 マフラーを噛み、上目遣いでルビカンテを見上げる。ルビカンテは悲しげな目をしていて、それを見ていると、胸が痛くなった。
 挿入の衝撃に備えるため、目をぎゅっと瞑った。
「う、うぅ……!」
 マフラーが当たっている場所が、ルビカンテに触れられている場所が、繋がっている場所が、酷く熱かった。魔物の太い首に縋りつきながら、快楽を追った。
「んん……っ、ん、う……っ」
 火のにおいと魔物のにおいが混じり合い、ルビカンテのにおいになる。
「ふ、あぁ……! ルビカン、テ……ッ!」
 ルビカンテの頭を手繰り寄せた。身長差があるせいで、口づけるのは難しい。でも、ルビカンテと唇を重ねたいと思い、その頭を抱き寄せた。
「エッジ……ッ」
 息が苦しくて、目眩がする。酔いのせいなのか、快感のせいなのかは分からない。頭の奥の奥がじんじんして、何も考えられなくなっていく。
 貪るように口づけられて、喘ぐ。自分の声とは思えないような甘く上ずった声だった。
「い、いき、そう……出る、出る……っ!」
 中を擦るその速さは速度を増し、俺の悦い場所ばかりを擦り上げ、真っ白になっていきそうになる視界に耐えながら、ルビカンテの腰に脚を絡ませた。
「あ、あー…………っ」
 気持ちが良すぎて、最後は声にならなかった。ルビカンテの背に爪を立て、自らの中が彼のものを淫らに搾り取ろうとするのを感じながら、歯を食いしばる。温いものが、俺と彼の腹を汚した。
 びくん、と俺の中にあるでかいモノが膨張したように感じられ、心臓がばくばくと早鐘を打った。
「…………っ!!」
 中に、液体が流れ込んでくる。そのあまりの熱さに、ぶるぶると首を横に振る。
「あち、い……っ! ルビカンテ、ルビカンテ……ッ」
「エッジ……」
 きつく抱きしめられながら、何もかもを注ぎ込まれて。
「これ以上、無理、はいらな……っ」
 腹が、焼けつくように熱かった。
 唐突に引き抜かれ、それでもルビカンテのものはまだ白濁を吐き出していて、俺の体を白く濡らしていく。
「エッジ……」
 切ない声で名を呼んで、ルビカンテは俺を抱きしめ、小さく言った。
「好きだ、エッジ」
 ルビカンテの言葉は「これが最後だ」といわんばかりの響きを持っていて、聞いていると、涙が滲んでしまう。
「初めて会った時から、ずっと……」
 体の力が抜けていく。行為が激しすぎて、体がついてこなかったらしい。鈍った体に舌打ちし、魔物の腕の中で瞼を閉じる。
 俺を抱き締める熱い腕の感触だけが、いつまでも肌にじわりと残り続けていた。


***


 彼の体を綺麗に拭いて、ベッドにそっと横たえる。
 眠る彼の顔は昔と何ら変わらず、その為に、瞼の上に残った傷が余計に目立って見えた。
 無鉄砲なところは、ほんの少し身を潜めただけで変わらない。惹かれずにはいられない緑の瞳は、以前より魅力を増しているようだった。
 マフラーを洗って絞り、椅子に掛けて干す。マフラーは傷つくことなく綺麗なままだ。この先も、彼を守っていくことだろう。
「エッジ……」
 吸い寄せられ、彼の髪に触れた。
 銀の髪はやわらかかった。すうすうと響く寝息が愛おしく、彼の傍にいることが出来ない我が身を呪った。無駄のない筋肉のついた体が、彼が鍛錬を欠かさず行っていることを私に教える。
 まるで、夢のような時間だった。もしかしたら夢であったのかもしれない、とも思う。雨はいつの間にか上がっていて、カーテンと窓を開けると、部屋の中に淡い明かりと風が飛び込んできた。
 空の端が、白みがかっている。それは、夢の終わりを私に告げていた。
 もう、行かなければ。
 短い髪に口づける。自らの指先が、砂のように崩れかかっていることに気がついた。さらさらと、風に攫われていく。
「さらばだ、エッジ」
 エッジの瞼が開き、緑の瞳が覗く。寝ぼけ眼で「ルビカンテ……?」と呼ぶ声に頷き、吹く風に崩れゆく体を任せた。



 End