カインが帰って来ない。
 テントのある方へ戻っていったきり、帰って来ない。

◆◆◆

『少しの間でいい、見張りを交代して欲しい』

 眠るゴルベーザをそっと揺すり起こし、そう声をかけたのはカインだった。断る理由はなかったのでゴルベーザは頷き、承諾し、外へと向かった。
 ゴルベーザは『この月は自分が知っている月とはまるで違う』と思う。奇妙なほどに張り詰めた空気が、辺りをじわりじわりと冷やしていた。
 見張り場である岩に背を預けると、「寒いだろう?」とカインが毛布を肩にかけてくれた。その毛布にはぬくもりが微かに残っていて、ゴルベーザの頭の奥がじんと痺れた。
 用事を済ませるためにテントの方へ向かうカインを見送りながら、ゴルベーザは愚かでどうしようもない自分自身の心の内を自覚していた。
(私はまだ、カインのことを忘れられずにいる)
 毛布を、きつく握る。
 ゴルベーザはゼムスの力に支配され、カインはゴルベーザの力に支配されていた。二人の『主従関係』を繋いでいたのは信頼でもなければ尊敬でもない。二人を繋いでいたのは、洗脳の術、ただそれだけだった。術が解ければ、夢や幻のように消えてしまう関係だった。
 術を使って、ゴルベーザは様々なことをカインに強要した。嫌がる彼の脳を力で無理矢理ねじ伏せ、屈服させ、弱り切っていた心と体を暴いた。澄んだ瞳は青く、嫉妬と虚しさにまみれた心は黒かった。カインの真っ黒な心はゴルベーザのそれとよく似ていて、カインもまた、そのことを自覚していたように思う。
(傷つけ合い、堕とし合うしかない関係。未来のない関係だった)
 それでも、カインと過ごしたあの時間は、ゴルベーザの人生の中で最も特別な時間だったのだ。カインにしてみれば、早く忘れ去ってしまいたい悪夢の時間でしかないのだろうけれど。
「……カイン……」
 名を呼ぶだけで、胸の中がじわりとあたたかくなる。
 手荒く犯しても、酷い言葉を投げかけても、カインの心は綺麗で鮮やかだった。その鮮やかさに焦がれ、ゴルベーザはカインを貪り食った。カインの中にある美しい思い出や切ない感情を覗き見るのが堪らなく好きで、ただ、カインの全てを知りたいと思っていた。
 だが、そんなことが許されて良い筈がない。カインの心は彼だけのものだ。彼の脚を無理矢理開いていい筈もない。
 あれは、許されない行為だった。だから、ゴルベーザはカインに対する感情を葬り去ろうと決めた。この感情を悟られぬようにと、無表情を装ってカインに接することもあった。
 ふと違和感を覚えて、ゴルベーザは後ろを振り返った。
 そういえば、カインがこの場を離れてからどれ位の時間が経ったのだろう。
「…………カイン?」
 呼ぶけれど、返事はない。そう遠くへは行っていない筈なのに。
 嫌な予感がした。胸騒ぎがする。
 立ち上がり、テントの方へと向かった。

***

 この月は、一体どうなっているのだろう。
 消えてしまった扉――――があった場所――――を呆然と眺めながら、カインは呆然と立ち尽くしていた。

 ゴルベーザに見張りを代わってもらい、テントに向かったのは良かった。テントに入りあるものを懐に入れ、テントを出たのも良かった。
 だが、そこからが良くなかったのだ。
 テントを出たカインの目に飛び込んできたのは、金色の装飾が施された木の扉だった。扉はテントの側にある岩に張り付いていて、まるで、「入ってください」と言っているようだった。
(ついさっきまで、ここには何もなかったはずだ)
 新手の罠だろうか。アサルトドアーのような性質を持つ魔物なのかもしれない。
 恐る恐る近づいて槍でつついてみても、扉は無反応だった。ならばと勇気を出してノブを回してみれば、ノブはいとも簡単に回った。
 そっと開き、中を覗く。扉の隙間から見える光景は真っ暗で、特別なものは何も見えない。隙間をほんの少しずつ大きくしていくのだけれど、見えるのは闇ばかりだった。
 本当に、何もない。
 ――――何も?
 ぞくりとした。本当に『何もない』のであれば、この扉を開いた先には岩が見えている筈だ。だが、今見えているのは這うように蠢く闇だった。
 この闇は、一体何なのだろう?
 危険を感じて後退った。扉を閉めようともした。だが、扉は閉まらない。
 足が動かないことに気づく。
 背筋を走り抜けた悪寒に支配される。途方も無いほどの闇に、視界を奪われる。逃げなければと思うのに、何もできない。瞬きすらできなかった。
「……あ……っ!」
 闇に飲み込まれ、扉が閉じる。――――真っ逆さまに、堕ちていく。


 植物が生い茂る奇妙な場所で、カインは目を覚ました。
 体に痛みはなく、ただ、自分がどこにいるのかだけが分からなかった。
「ここは……?」
 どうやら、皆がいる場所とは違うところへ来てしまったらしい。テントは見えないし、ゴルベーザの姿も見えない。
 ここは、一体どこなのだろう。
「……見たこともない植物ばかりだ」
 呟いた声は、岩に少しだけ反響して消えていく。
 ごつごつとした岩に、無数の植物がその茎を這わせている。おそるおそる歩みを進めるその度に、足元から青臭いにおいが漂って、鼻腔をくすぐった。
 緑に埋め尽くされた岩の壁が、延々と続いている。仲間達の元へ戻るための道は見えない。帰ることができなくなるのではないだろうか、と少しずつ恐ろしくなっていく。
「……ゴルベーザ……」
 言いようのない恐怖に支配され、足が竦んで、ただただ男の名を呼んだ。
 カインがテントに戻ったのは、ゴルベーザにあるものを手渡すためだった。ゴルベーザに見張りを代わってもらったのも、それを手渡すためだった。
 懐を探って、『あるもの』を取り出した。掌の中で、それが微かに光る。
 それは、飛竜の細工が施された金色の指輪だった。
 カインが操られていた頃、ゴルベーザと二人で偵察に出かけた際に、露店で偶然見つけたものだった。

『お前によく似た指輪だな』

 普段笑うことのないゴルベーザが笑みを含んだ声でそう言ったのを、今でもよく覚えている。『お前が持っているといい』と、ゴルベーザはその指輪をカインに買い与えた。
 指輪は小さく、カインの指には嵌らなかった。
 カインは、いつまで経ってもその指輪を捨てられずにいた。洗脳が解けても、ゴルベーザが青き星から去って行ってしまっても、捨てられなかった。
 ただ、ゴルベーザのことを忘れられなくて、忘れたくなくて。自分と同じ瞳をして寂しげに背に手を回してくる不器用な男の記憶を、葬り去ることができなくて。
(ゴルベーザとは、もう二度と会えないのだと思っていた)
 名前を呼ぶ切なく悲しい声を聞くことも、たどたどしい手つきで体を抱きしめるその腕を感じることも、ただ普通に話すことですらもう二度とできないものだと思い込んでいた。
 それでも一縷の望みを捨て去ることができず、カインは指輪を大切にし続けた。
 いつか会えたら、会うことができたなら。大切にし続けていたこの指輪を見せて、自らの気持ちを伝えよう、と。そう決めていた。
『俺は、お前のことを愛している』、と。
 胸がきつく締め付けられる。
 カインは、指輪をぎゅっと握り締めた。
 出口の手がかりを見つけられぬまま、奥へ奥へと進んで行く。しばらくすると、少し広い場所に出た。蔦のような植物が這っていることに変わりはないのだが、その蔦の一本一本が今までにあったそれらよりも妙に太いような、そんな気がした。
 もしかしたら、帰り道の手がかりが見つかるかもしれない。
 壁に何らかの仕掛けがあるかもしれない。
 微かな期待を抱きながら、壁や床を調べ始める。
 瞬間、得体の知れない音が、辺りに響き渡った。
 何かを引き摺るような音。粘っこい液体の音。それらが合わさって、こちら側へと近づいてくる。
 ――――魔物だろうか。
 槍をきつく握り締めた。植物の青臭いにおいがきつくなる。
 何かが、カインの足首をきつく掴んだ。
「ひ……っ!」
 蔦が、足首を掴んでいる。跳ぼうとするのだけれど、びくともしない。咄嗟の判断で槍を振るおうとしたが、心の中を読んだかのように手首も封じられてしまった。それならば、と今度は魔法を使おうとするのだけれど、また心を読んだかのように魔力を吸い取られてしまい、それも叶わなくなる。
 魔力がないと、魔法を使うことはできない。
 絶望的な状況に、カインの心は暗くなった。
 動けなくなった体に、太く粘ったものが――――奇妙な音の正体が――――巻き付いてきた。
 音の正体。それは、他の蔦よりもずっと太くて大きい、丸い突起物が幾つもついている青々とした蔦だった。
「な、何だ……? ……あっ!」
 片方の足首を、思い切り引っ張られた。地面に突っ伏した体に、無数の蔦が迫り来る。ぎち、ぎち、と蔦が鳴る。べちゃべちゃした液体が、蔦のあちこちからどろりと滲み出ていた。
 見たこともない植物のおかしな行動に、背筋が凍りつく。粘液は大量に降り注ぎ、余すことなく全身を濡らしていった。
 気持ちが悪い。このまま、永遠に囚われ続けることになるのだろうか。
 そんなのはご免だった。
「く……っ」
 どんなに力を込めても、蔦は動かない。手首が痺れ、槍が転がる。転がったその槍の状態を見て、絶句した。――――槍は、少しずつ溶け始めていた。
「……あ……あ……!」
 心の底からぞっとした。
(どうにかして逃げ出さないと、体を溶かされてしまう……!)
 蔦の先端が、全身を這う。ぬるぬるした粘液を体中に万遍なく塗りつけられ、食虫植物に捕らえられた蝶のように、どんどん絡め取られ消化されていく。
 粘液のにおいを嗅いでいると、ふっと気が遠くなるような気がした。
 溶けていく防具や槍をどこか遠くに居るような気持ちで呆然と見遣っているうちに、ふと、おかしなことに気がついた。
 ――――痛くない。
 鎧は水に浸けられた砂糖菓子のようにとろとろと溶けていく。なのに、皮膚には何のダメージも見受けられない。痛みもない。どうやら、生き物は溶けないようになっているらしい。
 もしかしたら助かるかもしれない。この蔦の目的は分からないけれど、目的を済ませたら拘束が解かれる可能性もある。
 粘液が、首筋を伝っていくのを感じた。
 いつの間にか、防具は殆どその形を失くしてしまっていた。
 掌の中にある指輪の存在を思い出す。
 この指輪だけは溶かされたくない、失くしたくない。先程までよりも強く握り締め、必死で守ろうとする。
(そうだ。俺は、ゴルベーザ達のところへ帰らなければならない。やるべきこと、やりたいことが沢山ある)
 青き星を救って、バロンに帰り、セオドアに稽古をつけて。それから、ゴルベーザに――――。
「う……っ」
 破られ溶かされた下衣の上を、蔦の先端が撫でていく。
「あ、あぁ……あ……!」
 引っ繰り返ったみっともない声が、辺りに響いた。仰向けに転がされる。蔦が胸を弄り、歯を食いしばる。
 よく知っているあの感覚が、カインの体に襲いかかった。
 この植物の目的が見えてきて、けれどそれを信じたくなくて、ゆるゆると首を横に振る。
 蔦の先端がぱっくりと口を開く。ゆっくりとした動きで、胸をきつく吸った。
「い……っ! あぁっ!」
 感じたくなんかないのに、腰が浮いてしまう。蔦を引き剥がしたくて頭の上で纏められた両手を動かそうとするのだけれど、蔦はどうやっても解けなかった。
 口付けるようにして、蔦はカインの胸を何度も何度も吸った。やわらかいそれに包まれ愛撫されて、乳首だけでなく性器がかたさを持ち始めるのを感じる。
 こんなのは嫌だ、植物なんかに感じさせられるのはご免だと思い続けるけれど、それに反して体はどんどん熱くなっていく。
 足首の蔦が、カインの足を左右に割り開いた。大きく足を開かされて、羞恥で顔が熱くなるのを感じた。
 性器に絡みついた蔦が、やわらかく、異常なほど優しく上下に動き始める。
「や、やめ……」
 いやらしい動き。感じさせようとする動きだった。
 くちゅくちゅ、という音に、耳を犯される。
 先端をつつくように抉られ、括れの部分を舐めるように愛撫され、胸を吸うように弄られる。
 どこかで感じたことのある、愛撫の仕方。
 非現実的な状況に、目眩を覚えた。
「――――ゴル、ベーザ……?」
 カインの体に愛撫を施したことのある人間は、後にも先にも、あの男しかいなかった。
 無愛想で、それでもどこか悲しそうで、本当は優しくて。
 蔦の愛撫は、ゴルベーザがカインに与えたそれと酷似していた。
「あ……っ!」
 口付けるように、蔦が唇を撫でた。
 太い蔦が、口の中に侵入してくる。青臭くて堪らない。ずるずるとしたそれが、何度も口の中を行き来する。乳首を撫でる蔦の動きに翻弄され、高みへと追い上げられる。
 嫌だ。こんなおかしなものに射精させられるなんて。
「ぐ……っ!」
 歯に思い切り力を込めると、繊維の切れる嫌な音がした。
 噛み千切った蔦の先端を吐き出し、もんどり打って跳ね回っているそれを睨みつける。
 安堵したのも束の間、他の蔦がまた襲いかかってきた。
 同じ手には乗らないと決めて、カインは唇を引き結んだ。諦めることを知らない蔦はカインの唇を幾度も撫で擦り、気色の悪い粘液を塗りつけていった。
 さっさと諦めろ、というカインの思いも虚しく、蔦は別の方法で口の中に侵入を試みる。
 体に巻き付いていた太い蔦が、これでもかというほどカインの胸元を締めあげた。
「あ、あぁっ!!」
 苦しくて、思わず口を開いてしまった。半開きになった口の中に、それが入ってくる。体を締めあげていた蔦の力が緩んでも、息苦しさに喘いでいるカインは抵抗することができなかった。
「ん、う……っ! んうぅ、う……っ」
 荒々しく性器を擦られて、目の前が真っ白になった。それと同時に、口の中に生臭い液体が満ちる。口に蓋をされているから、飲み込む以外に道はない。
 苦い。喉の奥がいがいがする。粘ついて、舌に引っかかってしまう。
 ぼんやりとした視界の向こうで、蔦が性器を吸い上げているのが見えた。
 この蔦は生き物の魔力と体液を吸収しそれを養分にして生きているのかもしれない。
 閉じ込め封じていた記憶を抉じ開け吸い取って、蔦はカインの体を暴こうとしている。
 頭の中がぐらぐらと傾き、現実が幻の中へと吸い込まれていってしまう。ここがどこなのか、今がいつなのかが分からなくなっていく。全てが曖昧に歪められ、息をすることですら苦しくて堪らない。
 引き込まれてはいけない、蔦の術中に嵌ってはいけないと頭の隅の方では分かっているのに、体は悲しいくらい素直に反応し始める。
 頭をおかしくさせる粘液とゴルベーザを模倣した蔦の動きに翻弄されて、心の中が、頭の中が、感覚が、あの頃へと帰っていく。
 ゴルベーザに操られていた、あの頃に。
「あぁっ、あ、あっ!」
 体を持ち上げられ尻の割れ目を撫でられて、涎が顎を伝っていくのを感じた。閉じることができなくなった口は、ひっきりなしに情けない声を漏らし続ける。まともな思考はぐちゃぐちゃに潰されてしまって、残っているのは敏感になった体とゴルベーザへの想いだけだった。
(……痛い……)
 指輪を握り締めている手が、痛い。
 心の底からどろどろと蕩けて、消えてなくなってしまいそうだ。
「ひ……っ!」
 次に何をされるのか。そんなことは、分かりきっていた。
 太くてかたいそれが、音を立ててカインの中に入ってくる。
「……や……っ、う、ああ、あ、あ」
 嫌だ。嫌だ、と思うのに。
 悦い場所を擦られて、体が震えた。ぎりぎりまで引き抜かれ、奥に叩きつけられ、また引き抜かれる。
 蔦が内から抜け出す度、カインの性器から透明の液体がとろとろと流れた。
「ゴ、ゴルベー、ザ……さま、ぁ……っ」
 カインを犯しているのはゴルベーザではない。なのに、その名が溢れ出てしまう。過去に帰ってしまった心が、勝手にその名を紡ぎ出す。
 腹の中に、熱い液体が吐き出された。おぞましい感覚に、きつく瞼を閉じる。
 これで終わってくれるかもしれない。そう考えたけれど、カインの中に入り込んでいるものは硬度を保ったままだった。
 ずるり、と、また引き抜かれ、奥の奥に叩きつけられる。
「ゆるし、許し、てくださ……っいぃ……!」
 抜いて欲しい。許して欲しい。これ以上みっともない姿を晒したくない。体を貫いているものの熱さに震えながら、解放を求めて懇願した。
「……も、もう、もう……ゆ、ゆるし、て…………っひ、あぁ……っ!」
 また、中に注ぎ込まれた。液体の熱さに腰が震え、つられるようにして達してしまう。
 蔦は精液を舐めとるために先端に吸い付き、達したばかりのものをこれでもかというほど弄られる気持ち悪さに、カインは呻くしかなかった。
 ただ、荒い息を吐く。きつすぎる快感に、腰が抜けた。
 先端に吸い付いていた蔦が、少しずつ枝分かれし始める。
 カインは、次は何をされるのかという恐怖心と必死に戦っていた。
 太めの糸くらいの太さになった蔦が、性器の先端を撫で始める。嫌な予感が過ぎり、声にならない悲鳴をあげた。
(……こんな……まさか……)
 蔦が、性器の中に侵入してくる。
「あ……ああぁ……っあ……!」
 足を閉じ腰を引いて逃げようとするのに、カインを押さえつけている蔦はそれを許さなかった。
「いや、だ……嫌だ、い、あぁ……っ」
 先端を抉り管の中を突き進みカインの精液を直接吸い取っている。同時に乳首をきつく摘まれ弱い脇腹を撫でられ、それだけでも酷く辛いのに後腔を貫くものが再度動き始め、もう頭がおかしくなりそうだった。
「うあ、あ……! 出る、出る……」
 射精感が止まない。尿道を犯されているせいだ。腹の中から射精を促される。前立腺を押し潰される。
 どれだけ達しても許されない。達し尽くして枯れて死んだ時に、ようやく解放の時が訪れるのだろうか。
「……ゴルベーザ、さ、ま……」
 きつく握り締めた掌から、赤い雫が滴り落ちた。

***

 テントの周囲を探しても、カインの姿を見つけることはできなかった。魔物に襲われたのかもしれない、という考えが、ゴルベーザの心を暗くする。
「カイン……」
 流石に、ここまで見つからないのはおかしい。皆を起こして探すべきだろうか、と思い踵を返した。
 視線を感じたような気がして、ふと、右の方を見る。
(――――闇?)
 テントの傍、岩に沿うようにして、薄汚い闇が凝っていた。魔物と共に暮らしていた頃、あれと同じ物をよく見かけたように思う。
 あれは、魔物が張った罠だ。
(まさか、カインはあの闇に……?)
 闇に向かって手を翳すと、紫色の光が瞬いた。呻きながら、闇が口を開く。
「私を、カインの元へ連れて行け」


 気味の悪い場所だった。岩壁に無数の植物が這っていて、うねうねと身を捩り続けている。蠢き足を絡め取ろうとする蔦に忌々しさを感じながら、ゴルベーザは足早に奥へと進んで行った。
「カイン! カイン、返事をしてくれ!」
 声が虚しく響いた。
 ただ、無事でいてくれと願う。
 隙をついて襲い掛かろうとしてくる蔦をファイラで防ぎながら前に進み、カインの名を呼び続けた。

 どれ位進んだのか。ゴルベーザは、蔦でできた壁の前に立っていた。その場所に満ちている、微かな違和感。
 ――――蔦はここに、何かを隠している。
「……退け」
 ファイガで焼こうとして、思い留まる。この蔦のすぐ向こうにカインがいるかもしれない。カインに怪我をさせてしまっては、元も子もない。剣で斬ることも躊躇われる。
 蔦の壁に手を突っ込んで、その内の一本を鷲掴み、力と魔力を込めた。魔力の熱そのものを注ぎ込まれた蔦が、ゴルベーザの手から逃れようと身を捩る。熱さに怯えた蔦は、諦めたような動きでのろのろと散り散りに逃げていった。
「あ…………」
 瞬間、くすんだ青い瞳と目が合った。
「カイン……ッ!」
 捕らえられた手首と足首は、赤い。
 肌には白い液体が散っていて、半開きの口は微かな喘ぎを漏らすだけだった。性器の先端と後腔は蔦に貫かれている。
 こんなことをされて、正気を保っていられるはずがない。
 ゴルベーザの頭に血が上った。
 剣を振るい、カインの体を拘束している蔦を切る。そして、切れてカインから離れた蔦にファイガを放った。
 枷を失ったカインの体が、地面に向かって落下する。その体を受け止め胸元に抱いて、ゴルベーザは「カイン」と一言呟いた。
 壁中に張り巡らされていた蔦が、一本残らず逃げ出していく。ゴルベーザには敵わない、と悟ったのだろう。
 何もなくなった地面に座り、ゴルベーザはカインの体を膝の上に横たわらせた。
 痛々しい姿だった。
 所持していたポーションを布に含ませ、手早く体を拭いていく。粘液にはどんな作用があるのか分からない。抱きしめて叫び出したい衝動に駆られたけれど、そんなことをしている暇はなかった。
 青い瞳が、ゆらゆらと揺れていた。薄い唇が、何かを紡ぐ。
「――――……ゴル…………ザ……さ、ま…………」
『ゴルベーザ様』。やはり、意識が混濁しているのだろうか。カインの眦から涙が流れ滴り落ちる。
「カイン。……もう大丈夫だ。もう……」
 言い聞かせるように耳元で囁きながら、カインの後腔に手を伸ばした。そこにはまだ蔦が残っていて、忌々しい緑色の身を揺らしていた。
 ゆっくりと引き抜いていくと、カインの体が微かに震えた。
「あぁ、あ……っ!」
 掠れた喘ぎ声だった。粘液には催淫作用もあったのだろうか。少し動かすだけで、カインは達したような動きを見せる。だが、カインの性器から白濁が溢れることはなかった。
 中から、どろどろとした液体が流れてくる。
 後ろの蔦を抜いて燃やし、今度は前を支配している細い蔦に手をかけた。
「う、あぁ、あ……! ……ゴルベーザ様……っ!」
 カインの腰が揺れる。昔、カインを抱いていた時のことを思い出した。
「あ……っ!」
 濡れた音をたてて、カインの中から細い蔦が抜けた。
 だが、カインのものはまだ達せずにかたさを保ったままだ。
「…………このままでは、苦しいだろう」
 頬に口付け、ゴルベーザはカインの背を自らの胸に凭れさせた。そっと足を開かせ、解放を求めている性器を握る。
「ん……っ」
「……声を堪えなくてもいい」
 混乱させぬように、と洗脳していた時代の口調そのままでゴルベーザが言うと、カインはゆっくりと頷いた。
「ん、ああぁ、あっ、あ」
 甘い喘ぎに、理性を握り潰されそうになる。首筋に口付けながら、熱くなった性器を何度も何度も擦った。
「……ゴルベーザ様、も……、一緒に……」
 荒い息を吐きながら、
「俺と、一緒に……っ」
 屹立したものが、カインの臀部に当たってしまっている。ああなんて浅ましいのだろうと自らの身を呪いながら、首を横に振った。
 これ以上、カインを傷つけるわけにはいかない。
「や……っ、ゴルベーザ様……」
 一緒に、とカインが涙声で囁くように言った。
「お願いします……」
「……カイン」
 手を伸ばし、カインはゴルベーザの頭を引き寄せた。その手はきつく握り締められている。何を握っているのだろうと指を優しく開かせると、金色の指輪が現れた。
 この指輪には、見覚えがあった。カインに買い与えたものだ。竜の形と綺麗な色がカインによく似ていて、買わずにはいられなかった。
 カインは、この指輪を大事に持ち続けていたのか。爪の痕がくっきりつき掌が血を流してしまうほど、きつく握り締め続けていたのか。
 微かな期待と悲しい感情が、ゴルベーザの心に芽生えた。
「――――カイン」
「……ゴルベーザ様……?」
「『様』なんてつけなくていい、つけないでくれ……頼む」
『ゴルベーザ様』と呼ばれるのが辛かった。カインを混乱させぬために何も言わないでいるつもりだったのに、いつものように『ゴルベーザ』と呼んで欲しくなってしまう。
 指輪を荷物の中に仕舞って、カインの腰を軽く持ち上げる。
 それから、カインの性器と自らの性器を同時に握った。
「あ……!」
 擦り上げながら、真っ赤になった耳朶に唇を寄せる。甘い嬌声に煽られ、限界へと向かっていく。
「あ、あぁ……っ」
 やわらかな金の髪、なめらかな筋肉を持つ胸元に指を滑らせる。乳首を軽く摘むと、カインの声がほんの少しだけ大きくなった。
 どの場所が弱いのか、どの場所で感じるのか、ゴルベーザはカインの体の全てを知っている。だが、今現在のカインの心の内を窺い知ることはできなかった。
 ゴルベーザが知っているカインは――――洗脳していた頃のカインは――――いつも思い悩み、前に進むことを恐れていた。胸に抱えた小さな闇を持て余し、セシルとローザへの暗い感情から目を背けていた。ゴルベーザは、カインの中に自分の姿を見たのだ。
 だが、今のカインは違う。
 今のカインは、暗闇ではなく光がある方を目指して歩いている。
「……カイン」
 腕の中にあるあたたかい存在を、確かめるようにきつく抱いた。
 カインには幸せになって欲しいと思う。バロンに帰り、人並みの幸せを見つけて欲しいと思う。
 幼馴染のことで悩み、敵に操られ、十数年も山に篭っていた彼に、あたたかい幸せを知って欲しかった。
(私では駄目だ。私は、カインに幸せを与えてやることができない)
 眼の奥が熱くなる。彼と体を重ねるのはこれが最後だと考えると、心臓が激しく鳴って涙が零れそうになる。
『好きだ』と、唇だけで呟いた。その声が、カインに聞こえることはない。
 びくん、とカインの体が震える。
「あっ、い……いく……っ」
「……ああ、私もだ……」
「あ…………っ!」
 先端から、白濁が零れた。

***

 体の上に、何かあたたかいものが掛けられている。まだうまく開けずにいる瞼を必死に抉じ開けながら、天井があるはずの方向を見上げた。
 薄暗闇の中、誰かがこちらを見下ろしている。
「……ゴルベーザ…………?」
「気付いたか」
 カインの頬を撫でて、ゴルベーザは微笑んだ。その笑顔がどこか痛々しく見えて、胸が嫌な音を立てて軋む。
 ぼんやりした頭で、自分は何故ゴルベーザの腕に抱かれているのだろう、と考えた。
 おかしな扉の中に入ってしまって、蔦が這う場所に連れてこられて。そして蔦に捕らえられて、それから――――それから?
 全身がかあっと熱くなるのを感じた。体中粘液だらけだった筈なのに、それらは綺麗に拭われている。絡み付いていた蔦も見当たらない。
(あんなみっともない姿を、ゴルベーザに見られた……?)
 恥ずかしくて堪らない。
 魔物の罠に引っかかったこと、情けない姿を見られたこと。考えれば考えるほど恥ずかしくてみっともなくて、カインは思わず体を震わせるしかなかった。
 記憶は途中で途切れていて、ゴルベーザが助けてくれた時の自分がどんな言葉を吐き、どんな格好をしていたのかも分からない。
 俯いたカインの様子をおかしく思ったのだろう。ゴルベーザは「もう終わったことだ。……お前が無事で良かった」とカインの髪を梳いた。
「ありがとう、ゴルベーザ……俺は、お前に迷惑を……」
「もう終わったことだ、と言っているだろう?」
「そう……だな」
 ゴルベーザの優しさに救われながら、違和感を覚えて掌を見た。あるはずのものが無いことに気づき、毛布を体に巻き付けたまま立ち上がる。目眩に襲われ、ごくりと唾を飲み込んだ。
 もしかしたら、指輪はあの蔦に溶かされてしまったのかもしれない。
「カイン、無茶をするな」
 気持ち悪い冷や汗が、首筋を伝っていく。「指輪は?」と口にすると、ふらついた体をゴルベーザに抱きすくめられた。
「お前が持っていた指輪なら、ここにある」
 懐から取り出された指輪に安堵する。竜の細工もそのままだ。傷一つついていない。
(ゴルベーザは、この指輪のことを覚えているのだろうか)
「……ゴルベーザ。お前はこの指輪のことを覚えているか?」
 指輪を差し出しながら問うと、ゴルベーザは困ったように目を逸らした。
「いや……覚えていない」
 鋭い何かが、カインの胸に突き立てられた。ゴルベーザは操られていたのだから、覚えていなくてもおかしくはない。そう、おかしくはない筈なのに、カインはどうしようもない位衝撃を受けてしまっていた。
 それでも、この気持ちを伝えなければ。
 カインは息を吸い込んだ。
 見上げれば、薄紫色の瞳。優しく光るその様に懐かしさを覚えた。ゾットの塔で、いつもこの瞳をじっと見つめていた。
「……ゴルベーザ。俺は、お前のことが好きだ」
 声が震えている。また、どうしようもない顔をゴルベーザに晒してしまっている。
 堪らない気持ちになりながら、ゴルベーザの瞳を見つめ続けた。

***

 拒絶したのは、自分だ。
 そんなことは分かっている。
 ゴルベーザは、『カインの幸せを思って』身を引いた。指輪のことなど覚えていない、と自らとカインに嘘をついた。「お前のことが好きだ」と言うカインの言葉に、ゆっくりと首を横に振った。
(これで良かったのだ)
――――本当に、これで良かったのだろうか?
 あの時。カインを腕に抱き寝顔を見つめながら、ゴルベーザは幸せを感じていた。懐かしさを覚えていた。 
 本当は、自分の想いを伝えたかった。お前のことを手放したくないと言いたかった。その体を抱きしめていたかった。
「私はお前を想っていない」と告げると、カインは体を強張らせて小さく頷いた。「すまない」と涙声で呟くように言って、ゴルベーザの体を軽く押しやり、「早く、皆の所へ戻ろう」と偽りの笑みを顔に貼り付け口にした。
 カインは、「良かったら貰ってくれ」とゴルベーザに指輪を手渡した。冷たい手だった。震えていた。
 それから、カインはゴルベーザの方を見なくなった。全て吹っ切った、とでも言うように魔物を倒し、青き星を救うために前を見続けた。その槍と瞳に迷いはなく、ゴルベーザは寂しさと安堵感とを同時に味わっていた。
 真っ直ぐな、青い瞳。吸い込まれてしまいそうな程青く、何もかもを見透かしているかのように輝いている瞳。
 きつく、指輪を握り締めた。
 思い出すだけで、過去に引きずり込まれてしまう。



 ゾットの塔から見える月は、何故か少しだけ大きく見えた。
 ベッドサイドに手を伸ばし、カインはグラスを手に取った。手に取って初めてグラスが空っぽであることに気づいたらしく、気怠げにベッドを降り、水差しの中身を波々とグラスに注いだ。余程喉が乾いていたのか、その水を一気に飲み干し、カインは恍惚にも似た表情を浮かべた。
 それから、窺うようにゴルベーザの方を見た。
「ゴルベーザ様は、不満に思われないのですか? その……狭いとか、重いとか……」
 何について問われているのか理解できず、ゴルベーザは「何のことだ?」と逆に訊き返した。
「……ベッドのことです」
 確かに、小さなベッドだった。男二人で寝ると、動く度ぎしぎしと音をたてる。どう考えても狭い。
 だが、ゴルベーザはこのベッドが好きだった。だから、不満など無い。
「…………カイン。私にも水を」
「は、はい」
 言いながら、空になったグラスに慌てて水を注ぐ。カインがそれを手渡そうとした瞬間、ゴルベーザはゆっくりと首を横に振った。
「え……?」
 カインの青い瞳が泳いだ。グラスを持ったまま硬直している。グラスとゴルベーザの顔とを交互に見て、カインはきゅっと唇を結んだ。
 グラスを傾け、カインは水を口に含む。含んだままベッドサイドにグラスを置き、ベッドに横たわっているゴルベーザの唇に自らの唇を重ねた。
「……ふ……っ」
 流し込まれた水をゴルベーザが嚥下すると、カインの顔に朱が走った。
(さっきまで抱かれていたのに)
 さっきまで抱かれていたのに、あられもない格好をゴルベーザに晒していたのに。それでも、カインは『自分はまだ堕ちきっていない』とでもいうような顔をして、羞恥を訴えたり涙を流したりする。
 カインのそんな部分を疎ましく思う――――と同時に、どうしようもない程愛おしく思うのだ。
「カイン」
 カインの手首を引いて、腕の中に閉じ込めた。真っ赤になった耳。鼓動が喧しく鳴っている。
 このベッドは狭い。だから、抱き合って眠るしかない。
 ゴルベーザは、このベッドが好きだった。
「お前は、このベッドが嫌なのか?」
 問うと、カインは静かに首を横に振った。赤くなった耳朶を優しく摘むと、微かな吐息が聞こえてきた。



 試練の山に吹く風は、ひどく冷たかった。
 ゴルベーザは今夜、この青き星を発つつもりでいる。それで、何もかもが終わるはずだ。
 想いも、望みも、この星に置いて行けばいい。
「――――本当に、それでよろしいのですか?」
 低い声が、辺りに響いた。驚いて振り向く。
 月を背にして、背の高い誰かが立っていた。
「本当に、後悔はしないのですね?」
「ルビ、カンテ……どうしてここに……? だって、お前は」
「……ゴルベーザ様の事が心配で、少しだけ戻ってきてしまいました。スカルミリョーネも、カイナッツォも、バルバリシアも、皆、貴方のことを心配していましたよ」
 ルビカンテが歩み寄ってくる。高い所にある顔を見上げ、ゴルベーザは「後悔」と譫言のように呟いた。
(後悔……私は、本当に後悔しないのだろうか)
 手の中にある指輪も、捨ててしまおうと思っていた。自分で決めたことなのに、指先が震える。
「……ゴルベーザ様。その指輪を捨てるということは、カインの気持ちを捨てるということなのですよ」
 震えが、止まらない。
『すまない』と悲しく言った、カインの涙声が蘇ってくる。「ミストでカインを拾ってから、ゴルベーザ様は少しだけ人間らしくなりました。その変貌に、私達四天王は希望を見出しました。……私達は、ゴルベーザ様が『人間らしい幸せ』を手に入れることができるのではないか、と少しだけ期待していたのです。けれど、貴方は月に残ることを望んで……眠りの道を、選びました」
 ルビカンテの黄色い瞳が、濡れているような気がした。
「私達四天王の力では、ゴルベーザ様を幸せにすることができませんでした。私達は所詮魔物です。人間ではない。貴方に『人間らしい幸せ』をもたらすことはできなかった。貴方の幸せをただ祈ることしか、できなかった」
「ルビカンテ……」
 ルビカンテは、優しい顔をしている。
 ゼムスの支配がまだ弱かった頃、よくこんな顔を見せていた。いや、ルビカンテだけではない。他の四天王達も、こんな表情を見せてくれていた。
(まだ幼かった私を、見守ってくれていた)
「ゴルベーザ様、道を誤らないで下さい。幸せを、自ら捨てないで下さい」
 ルビカンテが、何かを唱えている。
 ゴルベーザの体が、眩い光に包まれた。


 あの光は、テレポの光だったのだ。薄暗い部屋の中、ゴルベーザは信じられない気持ちで前を見遣っていた。
「カイン……」
 ベッドで眠っているカインを、見下ろす。開け放たれた窓の下で、金の髪が光っていた。握りしめていた指輪を月の光に透かせば、それはカインの髪と同じ色になる。
 瞼が腫れて、睫毛が濡れている。カインは泣いていたのだ。そう、カインを泣かせたのは――――。

『……ゴルベーザ。俺は、お前のことが好きだ』

 カインは、あの言葉をどんな気持ちで口にしたのだろう。指輪など覚えていない、と告げた時、カインはどんな気持ちでいたのだろう。
 胸が痛み、苦しくなった。
 カインには、幸せになって欲しい。二度と泣かせたくない。笑顔でいて欲しい。
(私は、カインを幸せにすることができるのだろうか)

『ゴルベーザ様、道を誤らないで下さい。幸せを、自ら捨てないで下さい』

 ルビカンテの言葉を思い出す。
『幸せ』の左手首に手を伸ばし、恐る恐る掴んだ。小さな指輪を彼の薬指にはめてみるのだけれど、それはやはり小さすぎてはまらない。
 第一関節で止まってしまった指輪を見つめながら、ゴルベーザはそっと微笑んだ。
(これでいい)
 そうだ、これでいい。サイズは二人で合わせに行けばいい。
――――月から帰ってきたら、二人で合わせに行こう。
 カインがゆっくりと目を覚ます。淡い月の光が、青い瞳に映り込んでいた。腫れた瞼に口づけを落とすと、金色の睫毛が蝶の羽根のように瞬いた。
「……すまない、こんな夜更けに」
 まだ眠りの淵に居るのだろう。カインは何も言わなかった。ぼんやりとしたまま、ゴルベーザの顔を見上げている。
 あれからもう十数年の時が流れているというのに、彼の印象は変わらない。
 少し、頬が削げただろうか。髪も伸びた。
 それでも、瞳の眩しさだけは変わらない。
「ゴルベーザ……?」
 指輪ごと、左手を握った。
「……お前に謝らなければならないことがある」
「……謝らなければならないこと……?」
「私は、この指輪のことを忘れてなどいなかった。綺麗で眩しいお前に似た指輪だと思ったことを、今でもよく覚えている」
 カインの瞳が、揺れた。
「う、嘘だ……っ」
「嘘ではない。……それと、もう一つ」
 頬に口づけ、カインの髪に指を通した。滑らかな感触に口づけても、彼は抵抗しない。
「私も、お前のことが好きだ。ミストでお前を目にした時からずっと、私の心はお前に囚われている。……私ではお前を幸せにできない、そう思って、私はお前から離れようとした。だが……」
 カインは、首を横に振っている。
 口をぱくぱくとさせて「嘘だ」と小さく呟くその様が、とても痛々しかった。
「すまなかった」
 耳元で囁いて、抱きしめ、もう一度「好きだ」と口にする。
 何度も何度も繰り返す。
 自分の想いを口にし続ける。
「好きだ」
 カインの心に届くまで、何度も何度も、喉が枯れるまで。
「……お前は嘘つきだ……」
「好きだ」
「俺の心をこれでもかというほどぐちゃぐちゃにして…………弄んで」
「好きだ」
「俺は、何もかもを赦したつもりだったのに、受け入れたつもりだったのに。それなのに、お前への想いだけが、熱い塊になって残ったまま」
「……好きだ」
「お前は、月へ帰ってしまうのに――――」
「私は、この星へ戻ってくる」
 カインの体が硬直した。驚いて身を離すと、彼は絶句したままこちらを見上げていた。
「私は、フースーヤ達を救って戻ってくるつもりだ。やらなければならないことが沢山ある」
「やらなければ……いけないこと?」
「ああ」
 左手を取り、握った。
「……指輪のサイズを直して、お前の薬指に嵌め直して」
 薬指の第一関節で止まったままの指輪を、くるりと回した。
「――――それから、二人で暮らす家を探さなければ」
「ゴルベーザ……」
 カインは、泣き笑いのような表情を浮かべている。
「好きだ」
 ゴルベーザが再度言うと、カインは中途半端に指輪がはまっている手で涙を拭った。唇の端を上げながら、
「――――それなら一件、いい空き家を知っている」




End


Story

ゴルカイ