ただいま、という言葉と共に、強く抱きすくめられた。
「会いたかったよ、カイン。……お帰りなさいって言って?」
「……おかえり」
カインは呻くように言った。
自分の声は震えてはいなかったろうか。そっと唾を飲み込んだ。
今日は少し大変だったよ、厄介なモンスターがいてね……と、カインを抱きしめたまま、セシルは続けた。
「触手がやたらと伸びるんだ。しかも酷く固くてさ。それで……」
とりたててどうということもない日常会話。
なのに、この空間をおかしく思うのは、セシルの手のせいだ、とカインは思う。
(手、が)
白い手がカインのシャツをたくしあげて、背中をゆるゆると撫でている。
ぞく、と走る電流を抑える術を、カインは知らない。
セシルは素知らぬ顔で淡々と話し続けた。
「―――でね、その時、洞窟の壁が……」
「……っ」
「どうしたの?カイン」
涼しい顔で、セシルはカインに問う。
セシルの指先が下着に侵入し下腹を撫でたが為に、カインは息を詰めたのに。
「セシ……ル、俺は、こんなことをしに……お前の部屋にきたわけじゃない……」
カインの声が震えた。
「こんなこと?」
(……しまった……!)
ぐい、とカインの手首をセシルは強く掴み、カインの体を物のようにベッドに投げ飛ばした。
痛さに呻くカインを無視して、セシルは頬にキスをする。
その顔は微笑を湛えていて、それでも、カインにはその表情がとても恐ろしいものに見えた。
「僕にとっては、これはとても大切なことなんだよ」
分かってるよね?という言葉と共に、鎖の音が耳に入ってくる。
(…ああ、また)
この行為が始まってしまう。
カインはそっと目蓋を閉じる。
「ねえ、カインには分からないの?大切なことだって」
セシルの唇がカインの耳元に近づいた。
「分からないなら分かるまで…お仕置き、しなきゃね」
手首に手錠がはめられる。
カインは唇を噛み締めた。
●
「ひぃ……ぁ……っ!」
まだきついそこに、先端を埋め込む。ゆっくり、でも確実に、僕のものがカインの中へ入っていく。きつく締め付けてくるその感触に、堪らない快感を覚えた。
「……セ、セシ……ル……ッ!」
這いつくばった獣のような体勢で、しどけなく首を振るカインに煽られる。
日に焼けていない白く柔らかい臀部を撫で、ゆっくりと抜き差しを始めた。
ぐちゅぐちゅ、と潤滑油の滑った音が響く。
「やめ……て……くれ……っああぁっ!」
手錠に拘束された手首には血が滲み、それはシーツを汚していた。
「手首、せっかく治りかけてたのにね……」
強く抉りながら囁く。
僕はカインのイイところを知っている。だから、重点的にそこを突き上げた。
カインを人形みたいに揺すぶる度、手錠が金属音をたてる。それに何だか腹がたって、カインの綺麗な髪を掴み、引いた。
「い……っ!」
あえかな悲鳴をあげながら仰け反る彼を、貫き続ける。
堪らない。
だって、この行為の間だけは、僕は僕でいられるのだ。
いつも何か膜に包まれているような視界が、この瞬間だけは澄んでいるのだ。
カインが体を細かく震わせている。限界が近いらしい。
「あっ、あ、あ、ぁ……!」
「……後ろだけで、いっちゃうの?ほんといやらしいね、カインは…」
僕が言った言葉に反応して、カインが体を更に熱くする。
「中にいっぱい、出してあげるね……」
「いやだ……やめ……あぁっ」
頭の中がびりびりと痺れる。
可愛いカイン。僕の、可愛いカイン。
これが 愛情 ってものなんでしょう?
これが 愛しい ってことなんでしょう?
目の前が白くなる。
カインの甘い悲鳴が聞こえた。
●
手錠を解かれた手首が痛くて、カインはそこをそっと撫でる。
早く自分の部屋に帰りたい。何もかも忘れて眠りたい。
痛む関節を庇い、不自然な調子でゆっくりと歩く。真夜中の城は道を選べば見張りの目にもつかないから、問題はない。ただし、その道は竜騎士にしか使えない道ではあるのだが。
長い交わりの為に微かに笑う足を叱咤しながら、カインは跳躍を繰り返す。屋根や塀に飛び乗る度、足がびりりと痺れた。冷たい夜風が身を切り、体が冷える。
そうしてバルコニーへ下り立とうとした途端、小さな悲鳴が耳に届いた。
この真夜中の寒空の下、誰かがバルコニーに立っていたのだ。
(……!)
咄嗟に体を捩るが、カインは避けきれずにバルコニーに居た人物にぶつかる。二人は呻き声をあげながら、床に転がった。
「いっ……つ……」
「いた……っ」
「す、すまない……」
打ち付けた頭を押さえつつ、カインはぶつかった相手を見やる。
「……ローザ!」
ローザはううんと言いながら足を撫でていた。
「まさかここに人が居るとは思わなかったんだ、本当にすまない……怪我はないか?」
薄いピンクのガウンを羽織ったローザは、項垂れたカインににこりと微笑んだ。
「大丈夫よ、カイン。貴方こそどうしたの?こんな時間にこんな所で」
しかもそんな薄着で、とローザは首を傾げる。
彼女には勘づかれたくない。不自然にならないよう、カインは笑顔を作る。
「いや、ちょっと夜風に当たりたかっただけだ。……ローザは、どうしてこんな所に?」
「私は月を見に来たのよ。今日は良く晴れているから、綺麗に見えるの」
成る程、確かに月は二つとも美しく輝き、空に在る。
「そうか。……じゃあ、俺はもう部屋に戻るから。邪魔をしてすまなかった」
体が痛い。早く戻りたい一心で、カインはジャンプの体勢をとった。
「……待って」
ローザがカインの袖を引く。
「この傷、どうしたの?」
彼女の視線はカインの手首に注がれている。
隠すのを、忘れていた。
カインは背に嫌な汗が伝うのを感じた。
「何でもない。ちょっと鍛錬している時にな」
そう言って踵を返そうとしたが、ローザは許してくれない。
「そうは見えないけど……とりあえずケアルをかけるわ」
そうっと手を握られた。
「カインはいつもそうね。秘密ばっかり」
ローザの掌から光が生まれ、みるみるうちにカインの怪我が消えていく。秘密、という言葉にカインは胸が苦しくなるのを感じた。
「……はい。もう片手も」
無言でもう片方の手を差し出す。
「カイン、お願いよ。私に出来ることがあったら言ってね」
ローザの声には嗚咽が混じっていた。
手を、柔らかく白い掌で包まれる。
「……セシルも……いつも無理をして……私には何も……何も……」
「ローザ……」
ローザはカインの胸に頭を預け、涙をこぼす。
カインの薄い服は涙を吸い、べとりと肌に張り付いた。
ローザに言える筈がない。
ついさっきまで拘束されてセシルに抱かれていた、だなんて。
そしてそのセシルにも、セシルとカイン以外知らない秘密がある、だなんて。
目を閉じれば、今もまざまざと思い出すことができる。
胸を焼かれるような衝撃…幼いカインにとって、それはまさに悪夢だった。
その日、カインはセシルと会う約束をしていた。
(思っていたより遅くなっちゃった。セシル、待ってるだろうな……)
父に槍の稽古をつけて貰っていたのだが、ついのめり込みすぎてしまった。
一緒におやつを食べよう、なんて話していたのに、空はもう橙色に色づいている。
(……怒ってるかな。ちゃんと謝らなきゃ)
セシルの部屋へと続く階段を駆け上る。
そのまま上りきろうとして、カインははたと立ち止まってしまった。
何か、不思議な音が聴こえたからだ。甲高いそれはまるで子猫の声に似ていた。
「……?」
それに重なるように響く、何かが軋む音。低い声。セシル、とその名を呼びたいのに、頭のどこかでそれを静止する警鐘が鳴っていて。
それでも正体を確かめたくて、カインはぎりぎりまで部屋に近づいた。
今度ははっきりと聴こえてくる。
ベッドの軋む、音。
何かがぶつかる、音。
金属の、音。
男の人の、声。
セシルの、すすり泣く声。
「……ゆるして…………っ」
水の音。
ねちゃねちゃとした音。
ぞく、と身体中に悪寒が走る。
酷く恐ろしいのに、好奇心に勝てず、覗き見た。
宙を掻いては、何も掴めずに握り締められる、手。
その手首には銀色に光る手錠がかけられていた。
「ゆ……る……して……」
セシルの瞳は光を失っている。
背後からセシルを揺さぶっている男は、愛している、愛していると囁いていた。
囁かれると同時に、セシルは首を横に振る。
セシルを助けなければ。
だって、セシルは泣いているじゃないか。助けを求めて手を伸ばしているじゃないか。
(でも、でも!)
自分の目に狂いがなければ、セシルの背後にいるあの人は。
男がセシルを揺さぶる速度が増していく。ぐじゅぐじゅと何かが溶けたみたいな音が大きくなる。
荒い息遣い。高く掲げられた尻を強く鷲掴み、男は人形のようにセシルを扱う。
セシルが一際甲高い悲鳴をあげた。ベッドががたがたと軋む。
男は「せしりあ、せしりあ、」とセシルに囁く。
せしりあ、愛している
せしりあ、愛している
男の体が痙攣した。
びゅ、と白濁した液体がセシルの体を汚す。
絶望に歪んだセシルの顔が、ふとこちらを向いた。
目が、合う。
(セシル…っ!)
死んだ魚のように濁った瞳が、カインを見据える。
どうしてたすけてくれないの
どうして
どうして
どうして
どうして!!
気付けはカインは走り出していた。足が縺れて何度も転んだ。でも、痛みなど感じない。
ただただ怖くて堪らなかった。
「ああああああああああああっ!!」
意味を持たない声が口からこぼれ出て、止まらなかった。
「……カイン?」
柔らかい声を聞いた途端、現実に引き戻される。ローザはいぶかしげな表情でこちらを見上げていた。
「カイン、ありがとう……取り乱したりして、ごめんなさい」
そっと体を離し、ローザは目尻の涙を拭った。
「私、もう家に戻るわ。本当は徹夜で勉強してしまいたい魔法があったんだけど」
母の淹れてくれるミルクティーが飲みたくなっちゃった。
そう言って微笑むローザに、カインも微笑み返す。
「カインは?もう部屋に戻るの?」
「俺は……もう少しここにいる……」
今部屋に戻ってベッドに体を沈めたら、見るのは確実に悪夢だろう。しばらく月でも眺めていよう、とカインは思う。
そうして空に目をやったカインの肩に、そっと温かい物が掛けられた。
「はい、これ。その薄着じゃ風邪ひいちゃうわ」
「……すまない」
「また明日ね」
おやすみなさい、とローザが去っていく。
肩と背に感じるガウンの温もりに、そしてローザの然り気無い優しさに、幼い頃の母の面影を見た気がした。
まるで月のように、柔らかくこちらを照らしてくれる。
けれど、そんなローザの光も、セシルの心には届かない。
セシルは、カインを抱いている時だけ自分でいられるんだ、と言って笑うのだ。
カイン、あいしてる
あいしてる
あいしてるよ、可愛いカイン
体が男らしくなるにつれて、セシルがバロン王に抱かれる回数も減っていった。
その代わりに、セシルはカインを抱くようになった。
まるでバロン王の手管を辿るように、手錠で縛り付けて、あいしていると囁くのだ。
自分にはセシルを助けてやることができない。セシルの狂った心と愛情を、正してやることができない。むしろ、傍にいればいるほどに、彼の心を傷付けていくのかもしれない。
(俺がこの国を離れたら、セシルは…もしかしたら…)
もしかしたら、本当の愛を知ることが出来るかもしれない。
自分が、彼の前から姿を消してしまえば。
「俺が、この国を抜け出せば……」
『その望み、叶えてやろうか?』
空から声が降ってきた。
どこから発せられたのかと辺りを見渡していると、また、静かな声が聞こえてきた。
『バロンを、離れたいのだろう?』
低い、男の声。
酷く冷たいその声に、ぞくぞくと悪寒が走った。
「……う…っ」
姿の見えない何かが体を縛り付ける。これは何者なのか。今までにない恐怖に、額に汗が浮くのを感じた。
「何の…つもりだ…っ」
『…バロンを、離れたいのだろう?』
先程と同じ質問が投げ掛けられる。
肺に酸素が送られてこないかのような感覚に陥って、カインは首に爪をたてた。
耳鳴りが、止まない。気付けば地面に膝をついていた。きぃんきぃんと頭の奥で高音が鳴り響き、目の前に光が瞬く。
『セシルの傍にいるのが辛いんだろう?』
―――あぁ、セシル。
俺はお前といると悲しくなるんだ。
お前が俺を抱く度に、胸が潰れそうに痛くて堪らなくて。だって、お前の歪んだ愛情の形は、俺には苦しすぎるから。
(セシル…)
幾ら体を繋げても、俺はお前と手を繋ぐことすら出来ない。手錠を掛けられた両手は、お前を抱き締めることも叶わない。
俺はただ、お前と抱き合いたいだけなのに。
ただただ、口づけを交わしたいだけなのに。
風が吹き、苦しかった喉が突然楽になる。急に流れ込んできた空気にむせ、更に崩れそうになった体を、何者かが抱き止めた。
(……セ、シル……?)
何もかもが霞んで、目がよく見えない。自分が涙を流していることに、その時初めて気が付いた。
微かな花の香りが鼻孔を擽り、それはセシルのものとよく似ているように思えた。
『セシルの代わりに、私がお前を愛してやろう』
返事を口にすることなく、カインは逞しい背に手を回す。
緩く、その唇に笑みを浮かべて。
End