星の見えない夜だった。
 シーツのみを身に纏い、俺は、あの人を待っていた。
 ざあ、ざあ、と、叩きつけるような雨音だけが部屋を支配している。暗い部屋に一人でいると、酷く頭が痛かった。
 ゴルベーザ様が来るのが、待ち遠しい。
 彼は気まぐれだから、もしかしたら来ないかもしれないのに、俺はただ、彼を待ち続けていた。
 ゴルベーザ様は、不思議な人だった。あの人に触れられているだけで、不思議と頭痛は和らいだ。だから俺は、彼の手を望んでしまう。
 あの人と体の関係を持ったのは、いつのことだったろう?
 よく思い出せなかった。

『……服を脱いで、腰を上げろ。決して振り向くんじゃない』

 あの時、ただ、彼は静かにそう言った。俺は抵抗しようとしたのだけれど、何故か、抵抗することができなかった。
 這い蹲って腰を上げ、俺はクッションに突っ伏した。
 ゴルベーザ様が兜と鎧を脱ぐ気配を背後で感じ、どきりとした。
 ゴルベーザ様が兜を外しているところを、俺は見たことがなかった。見られたくないから、この体勢を選んだのだろう。
 どろりとした液体――今思えば、潤滑油だったのだろう――が窄まりを這い、ぎゅっと目蓋を閉じる。
 当たり前のように、男に抱かれたことなどなかったから、俺はあまりの恐ろしさに震えていた。

『力を抜け』

 抜けるはずがない。愛撫すら行われていないのに――そう思った俺の思いは、簡単に砕け散ってしまう。彼の指先が背中に触れてきた途端、体は弛緩し、ゴルベーザ様を受け入れる体勢をとっていた。

 絶え間なく降り注ぐ、雨。雨音は心を落ち着かせ、俺を眠りの世界へと誘おうとする。
 このまま眠りにつけば、きっと、楽しい夢を見ることはできないだろう。頭の芯を襲うのは、じりじりと焼け付くような痛みだ。
 ベッドから下りて、服を身に着ける。ゴルベーザ様の部屋に行こう。
 彼に触れることができれば、この痛みも治まるだろう。



 槍を握りしめながら、彼の部屋へと足を進める。
 自室とは違い、廊下の空気は乾いていた。
 空調が効いているのだろう。微かな機械音が、ただただ響き続けていた。
「……カイン!」
 突然、目の前に金色の長い髪が現れた。続いて現れたのは、突風。長い髪を全身に纏いながら、彼女は優雅に微笑んだ。
 美し過ぎる笑みは、人間のものではない。
「どこへ行くの?」
 端的な質問を俺にぶつけ、形の良い唇をぺろりと舐めた。
「……ゴルベーザ様の部屋だ」
「ゴルベーザ様の? 何か、約束でも?」
「いや……これといって、重要な約束があったわけじゃない」
「じゃあ、何で?」
 俺は質問責めに苦笑しながら、
「頭痛が治まらないんだ。……ゴルベーザ様に触れられれば、すぐに治るから、だから、あの方の部屋に行こうと――」
 バルバリシアは、俺を見つめて微笑んでいた。魔性の瞳が、吸い込まれそうなほど美しい色をして輝いている。長い爪で俺の額をぴんと弾き、
「あんたは嘘つきね」
 鈴の音のような声で言った。
「ゴルベーザ様の傍に居たいなら、素直に言えばいいじゃない」
 思いもよらない言葉に見舞われて、絶句した。
 俺は、嘘などついていないのに。
「嘘じゃない。俺は、頭痛を治したいだけだ」
「そう。じゃあ何故、あの方に抱かれることをよしとしているの? 触れられるだけで構わないのなら、抱かれなくたって良いはずでしょう」
 頭に血が上った。どうして、バルバリシアがそれを知っているんだ。
 彼女は跳ね、宙を舞い始めた。まるで、じっとなどしていられない、とでもいうように。
「あんたがゴルベーザ様のお気に入りだってことは、四天王みんなが知ってることよ。ゴルベーザ様が自室に誰かを招きいれることなんて、そうあることじゃないんだから」
 勿論、触れることもね。と彼女は呟く。
「あんたは覚えてないでしょうけど……カイナッツォがあんたの腕を食べようとしたとき、ゴルベーザ様ってば、ものすごい勢いでカイナッツォのことを叱りつけたのよ。人間を庇うゴルベーザ様なんて見たこともなかったから、私たち四天王はそりゃあもう驚いたわ」
「……そんな、ことが……」
「このゾットの塔は、魔物の巣なのよ。あんたが槍一本で退けられる相手ばかりじゃない。でも、あんたはこうして生きてる。……これがどういう意味か、分かる?」
 バルバリシアの言っている意味が今一つ理解できず、首を横に振った。
「ここまで言っても分かんねえってのか」
 背後から響いてきたのは、水を操る四天王、カイナッツォの声だった。
「お前の体には、ゴルベーザ様のにおいが染みついちまってんだよ」
「な……っ!」
「ま、人間みたいに貧弱な嗅覚じゃあ嗅ぎ分けることはできねえだろうけど……俺達には分かるぜ。シャワーを浴びようが、服を着替えようが、消えねえ。お前の体からは、ゴルベーザ様のにおいがするんだ。だから、頭の良いモンスターはお前に関わる事自体を避ける。お前を、ゴルベーザ様の所有物として認識するからな」
 俺が、ゴルベーザ様の所有物だって?
 思わず、くん、と自らの体のにおいを嗅いでしまった。当たり前のように、自分では分からない。においがうつるほど抱き合っていたのだろうかと考え、俺は首を横に振った。
 確かに昨日は抱き合ったけれど、その前の日は何もしていない。じゃあ一昨日は、その前の日はと考えて、思っていた以上にゴルベーザ様に抱かれていたことに気づき、何も言えなくなってしまった。
 恥ずかしい。どんな顔をすればよいのか、分からない。
「お、俺は、ゴルベーザ様の命令で、抱かれているだけなんだ。単に、命令を聞いているだけで……っ」
「馬鹿言え。気持ち良いから、抱かれてるんだろ?顔に出てるぜ」
「そうそう。嘘は体に良くないわよ」
「嘘じゃない!」
「なら、俺がエスナをかけてやろうか? エスナをかければ、頭痛もすっかり消えるだろうよ。これで、ゴルベーザ様のところへ行く理由もなくなるってもんだろ? したくもねえセックスをする理由もなくなる」
「そうね、カイナッツォにエスナをかけてもらえばいいわ。ゴルベーザ様の手を煩わせることもないでしょうし」
 意地の悪い笑みを浮かべる二人の顔を交互に見比べながら、俺は口を噤んだ。
「素直じゃない子は可愛くないわよ」
 バルバリシアは言い、
「ま、素直じゃなくても可愛くねえけどな!」
 カイナッツォはにやにやと歯を見せた。
「可愛いだとか可愛くないだとか……そんなこと、お前達には関係ないだろう! 俺がゴルベーザ様に……抱かれて、いようと……抱かれている理由が何であろうと……」
 忌々しい気持ちになって槍を振るった。カイナッツォの太い腕が降ってくる。跳躍することで、それを避けた。
 ゴルベーザ様に抱かれている理由? そんなの決まっているじゃないか。頭痛を治すためだ。けれど、ゴルベーザ様に触れられなくとも、エスナを誰かにかけてもらえばこの頭痛は消えるのだ。
 なら、どうして。
 どうして俺は、あの人に触れたい、触れられたいと思ってしまうのだろう。

 命令だから、仕方なくしていることなのだ――。

 心の中に響く言葉は酷く言い訳じみていて、俺は自らの気持ちを自覚せざるをえなかった。
 自覚したらしたで、どうしようもないくらい惨めな気持ちになってしまう。ゴルベーザ様が俺を抱く理由は、単なる性欲処理に過ぎないのだ。
 針で突かれたかのように、胸がずきりと痛む。
 始まった瞬間に終わりを迎えてしまった想いは、想像以上に大きなものだったらしい。
 胸にぽっかりと空いた大穴を呆然と見遣りながら、カイナッツォの巨大で鋭い爪を避け、身を翻し――――着地しようとしたところで、俺はよろめいてしまった。
「く……っ!」
 足首に激痛が走る。体を丸めて倒れこんだ。焦った様子で、カイナッツォとバルバリシアが近寄ってくる。
「お、俺は、傷つけるつもりなんてなかったんだからなっ! ただ、ちょっとからかってやろうとしただけで……」
「もう、どうすんのよこの馬鹿亀! カインに怪我をさせたなんてゴルベーザ様に知れたら、私達、四天王の座を剥奪されちゃうかもしれないわよっ」
 俺が怪我をすることは、そんなにやばいことなのか? 焦りながら、言い争っている二人の顔を見上げた。
「亀じゃねえ! 俺はリザードマンだ! ……そうだ、俺がケアルを使えばいいんだよなケアルを……って、何てこった、精神力が底を尽いてる」
「ああもうっ! 馬鹿っ!」
「大体、お前がこんなところにカインを引き止めてたのが、そもそもの間違いだったんだよ。カインがさっさとゴルベーザ様の部屋に行ってりゃあ、こいつが怪我をすることもなかったんだからよ」
「自分のことを棚に上げて、訳の分かんないこと言わないでよねっ!」
 終わらない喧嘩を眺めながら、俺は小さく溜息をついた。
「――やかましい。誰かと思えば……お前達か」
 のそ、のそ、とローブを引き摺りながら現れたのは、スカルミリョーネだった。不機嫌そうな様子で、こちらに向かってくる。
「お前じゃ駄目なんだよ!」
 スカルミリョーネをキッと睨みつけ、カイナッツォは吠えた。
「回復できる奴じゃなきゃ駄目なんだよ!」
「そう、そうなのよ! ルビカンテじゃなきゃ駄目なの! メーガス三姉妹でもいいわ!」
 勢いよく言葉を浴びせられ、スカルミリョーネが後ずさった。うるさい二人組に背を向ける。
 何もそこまで言わなくても……と思いながら、俺は立ち上がろうとした。
 さっさと、ここを去りたい。別の意味で頭が痛かった。
 気のせいかもしれないけれど、スカルミリョーネの背中が落胆しているように見える。
「……いくら何でも、言い過ぎだろう」
 俺が言うと、喧嘩をしていた二人は顔を見合わせて「あっ」と呟いた。
「あ、あのな? 今はよお、毒とかサンダーとか、そういうのは必要ねえんだよ。別にお前自体が不必要だとか、そういうわけじゃねえんだ」
「そ、そうそう! 今必要なのがケアルってだけで、あんたが悪いわけじゃないのよ」
 足首が酷く痛んだ。カイナッツォは、俺を軽くからかっただけなのだ。そんなことはいつものことなのに、今回ばかりは堪えることができなかった。
 ゴルベーザ様は、性欲処理のために俺を抱いているだけなのだ。その考えが、俺の胸を苛み、離さない。
 そういえば、ゴルベーザ様は俺を抱くとき決まって背後からしか抱こうとしない。それは多分、俺の顔を見たくないということなんだろう。
 俺の顔を見ながら抱いたって、興が削がれるだけだから。
 ゴルベーザ様は、俺の髪か何かを気に入っているに違いない。だから、背後から俺を抱くのだ。
 酷く空しい気持ちになって、足を引き摺りながら歩き始めた。「おい」「待ちなさい、怪我が」という四天王達の声が聞こえてきたけれど、止まることなんてできやしない。
 ただ、悲しかった。
 俺は、どうしてここにいるのだろう。
 ゴルベーザ様に仕えようと決めたのは、セシルと対峙したいと考えたからだった。俺の心の中には自分にすら何か分からないもやもやしたものが四六時中立ち込めていて、セシルと戦えばその霧が晴れるのではないか、と俺は考えたのだった。
 セシルやローザのことを思えば思うほど、俺の頭痛は酷くなっていく。その度ゴルベーザ様に縋りつき、俺は彼の腕を求めた。
 彼は、決して俺を拒まなかった。
「……求めていたのは、俺の方じゃないか……」
 確かに、一度目はゴルベーザ様からだった。
 けれど、二度目、三度目は?
 体を暴かれることを望んでいたのは、他でもない、俺自身だった。
 ゴルベーザ様の手は優しく同時にとても執拗で、俺はいつの間にか勘違いをしてしまっていたのだ。
「……っ」
 大きな何かにぶつかった。途端、感じる熱さ。
 見上げた先には、ルビカンテの困り顔があった。
「……スカルミリョーネ、カイナッツォ、バルバリシア。お前達、カインに怪我をさせて……しかも泣かせたとゴルベーザ様に知れたら、大変なことになるぞ。四天王の座を剥奪されるだけで済めば良いが、もしかしたら命まで……」
 俺の眦に浮いた涙を拭い、ルビカンテはケアルラをかけてくれた。にっこりと微笑み、「大丈夫か」と優しく問うてくる。ありがとう、と口にするより先に、『お前の体には、ゴルベーザ様のにおいが染みついちまってんだよ』というカイナッツォの声が蘇って、頭の中をぐるぐると回り始めた。
「ルビカンテ。お前も、俺の体にゴルベーザ様のにおいが染みついていると思うか?」
 何故そんなことを訊く、といった顔でルビカンテは首を傾げていたが、やがて静かに頷いた。
「……おそらく元々人間であったせいなのだろうが、私は、モンスターの中では鼻が利かない方だ。そんな私でも、お前のにおいがゴルベーザ様のものと酷似していることが分かる。ということは、相当染みついているということなのだろうな」
「そうか……」
 頭を垂れた俺を見て、「あいつらに何をされたんだ?」とルビカンテは言う。俺は曖昧に微笑み、首を横に振った。
「……俺が悪いんだ。あいつらは、何も悪くない」
 俺の言葉を聞いたカイナッツォは目を見開き、「人間ってのは、これだから分からねえ」と首を傾げた。
「カイナッツォの言うとおりなんだ。図星なんだよ……俺は、ゴルベーザ様のことを……」
 ゴルベーザ様に抱かれていると、体だけではなく、心が気持ち良くて。
 嬉しくて、堪らなかったんだ。
 ルビカンテが、こちらを覗き込んでくる。
「……カイン。お前は、ゴルベーザ様の気持ちを知らんのか?」
「ゴルベーザ様の、気持ち?」
 視線を外し、ルビカンテは焦ったような表情をした。口を噤む。カイナッツォやバルバリシア、それからスカルミリョーネ達に目をやった。彼らも、同じように困ったような顔をしている。
「……ゴルベーザ様の所へ行くがいい。素直にお前の気持ちを話してみろ。悪いようにはならんだろう」
「俺の気持ち……」
「お前も、あの方も、他の者達より少しばかり不器用なだけなのだ。カイナッツォほど素直になれとは言わぬが、あと僅かばかりでも良いから、考えを口に出した方がいい」
「どういう意味だ、そりゃあ」
 膨れっ面をしてルビカンテに殴りかかろうとしたカイナッツォの頭を、バルバリシアとスカルミリョーネが同時に張り飛ばす。思わずふき出した俺の肩をぽんぽんと叩き、ルビカンテは「行け」と言った。
「お前はまだここに来てしばらくしか経っていないが、ゴルベーザ様がこのモンスターばかりの塔に身を置いてから、かなりの時間が経過している。……あの方は、人間とどのように接すれば良いのかが分からぬのだ。力で捻じ伏せ、気に入らないものは消す。そんな方法しか、思いつかぬ。お前と接する場合も、例外ではないのだ」
 ぴらぴら、とバルバリシアが手を振った。
「早く行ってらっしゃい。ぐだぐだと面倒くさいことばっかり考えてんじゃないわよ」
 ゴルベーザ様に会いたくて、胸が苦しくなってきた。低く響く声を思い出し、ゴルベーザ様の部屋の方へと歩き出す。
「……ありがとう」
 俺が言うと、バルバリシアとカイナッツォは顔を見合わせ、ルビカンテとスカルミリョーネは苦い顔をした。
 ルビカンテが、口を開く。
「……ゴルベーザ様を想うお前の気持ちが、本物であるよう祈っている」
 ルビカンテの言葉の意味が、分からない。
 ルビカンテの顔を見上げ、スカルミリョーネは黄色の瞳を光らせ、呟いた。
「……本当に、そうだな」
 彼らの言う言葉の意味が分からぬまま、頭痛を抱えたまま、歩き出した。



 ただ、扉の前で立ち尽くしていた。
 怖くて、扉を開くことができない。
 ゴルベーザ様は、どんな顔をするだろう。俺が「ゴルベーザ様のことが好きなのです」と言ったら、困った顔をするのだろうか。
 扉を開くスイッチに手を伸ばす。何にせよ、ロックされていたら、この扉は開かないのだ。
 思い切って、スイッチを押した。空気の抜けるような音がして、扉が開く。
 中は暗く静かで、ゴルベーザ様は留守なのかもしれない、と思った。
「……ゴルベーザ様……?」
 途端。真っ暗闇の中、暗く輝いている銀色が、目に飛び込んできた。
 思わず息を飲む。
 ベッドの上で寝息を立てている人物を見て、頭が真っ白になった。
 ベッドサイドには、ゴルベーザ様の兜がある。床には鎧が脱ぎ捨てられていて、眠っているこの人物はゴルベーザ様なのだ、と俺に教えていた。
 初めて見る彼の顔。透き通るような美しさを持つ銀髪は肩まで伸び、俺の視線を奪った。
「……ゴルベーザ様」
 眠る彼は目蓋を開かず、ただ、静かに寝息を立てている。早鐘を打つ心臓はやけに煩く、俺の意識を彼一色に染め上げていった。
 想像以上に逞しい腕。身長は高く、肩幅も広い。
 生身の彼を見たことがなかったから考えたこともなかったけれど、あれほど重そうな甲冑を身に纏っているのだから、この体格は当然と言えた。
 彼に抱きしめられたことは、一度もない。口づけられたことも、甘い言葉を囁かれたこともない。
 それでも心が彼を求めてしまうのは、彼が優しい手を持っていたからだった。背後から伸ばされる手は、まるで俺を欲しがっているかのように執拗で、同時に気遣いの塊のように穏やかだった。
 求められることが嬉しかった。ベッドの上で彼に求められている時、俺は『生きて』いると実感することができた。「セシルを殺せ」と耳元で囁かれる度に胸に訪れるのはどす黒く醜い感情の波で、それでも、自分は必要とされているのだと思うだけで、自然と笑みが零れ出た。
 恋愛感情よりももっと深い――名も知らぬ謎の感情に、俺の胸は支配されていた。
 ゴルベーザ様は目覚めない。恐る恐る、頬に手をやってみた。静かな寝息は変わらず、ほっとする反面、少し残念な心持になる。
 頭を侵していた痛みが、すうっと消えていった。
 どくどくと鳴る胸を気にしながら、そっと彼の唇に自らのそれを重ねた。
「……ゴルベーザ、様……」
 彼が目覚めたら、叱りつけられるかもしれない。ロックが解除されていたとはいえ勝手に部屋に入って口づけるだなんて、許されることではない。それなのに、彼に触れたいと思ってしまう。体が動いてしまう。
 首筋にも口づけて、耳朶を撫でた。自らの息が上がっていることに気づき、かあっと体が熱くなる。ベッドの上に乗り、彼の体に跨った。
 これ以上はいけない。彼が目を覚ましてしまう。
 彼が欲しい。頭がどうにかなりそうだ。
 我慢できず、自らの下着を下ろす。欲望ははちきれんばかりに屹立し、触れられることを待ち望んでいる。毎夜弄られている場所までも同時に疼きだしたような気がして、歯を食いしばった。
 彼の下半身に、手を伸ばす。下衣を下げ、少しだけ立ち上がりかけているものを緩く握った。
 ぴく、と彼の体が反応する。けれどもう、止めることはできなかった。
 ゆるゆると扱きあげ、彼のものを大きくする。何とか芯を持ったそれに、舌先を近づけていった。
「ん……っ」
 こんなことをするのは初めてだった。だが、躊躇いはなかった。唇をきつめに締め、茎の部分を舌全体で愛撫する。
 唾液を塗し終えてから、唇を離そう。そう思った次の瞬間、
「……カイ、ン……ッ!?」
 ゴルベーザ様が目を覚ました。
 薄紫の瞳が、思考の全てを奪っていく。彼を欲しがる体と心は熱を持って疼き、その疼き取り去るために、俺は彼のものに跨った。
 驚愕に見開かれた彼の目を見て後悔する。
 多分もう、彼の傍にはいられない。
「あぁ……あ……っ」
 体が、彼の形を覚えていた。ゴルベーザ様は眉根を寄せて、俺の顔をじっと見ていた。
「……何の……つもりだ……っ」
 答えず、俺は腰を揺すった。痺れるような快感が、下半身を伝って脳内に流れ込んでくる。唇を噛み締めて、目蓋を閉じた。
「術がきつすぎたか……」
 ゴルベーザ様は何のことを言っているのだろう。
 呟く彼の声は痛々しくて、胸を抉られる。腹についていた手を撫でられ、両手首を掴まれた。
「そんなに、私が欲しかったのか?」
「ああ、あぁっ!」
 突然下から突き上げられて、俺は首を横に振った。濡れた音は間断なく響き、ひたすら鼓膜を犯していく。
 気持ち良くて、頭が真っ白になって、けれどどこか空しくて。焦がれている相手と繋がっているというのに、虚無感ばかりが大きくなっていく。
 ゴルベーザ様、貴方のことが好きです。
 どこが好きなのかと問われても、上手く言うことはできない。
 ただただ、心が、体が、彼を求めてしまう。
 手首を引かれ、彼の胸元に縋りついた。
「……カイン」
 悲しい響き。どうして彼は、こんなにも悲しい声で、俺の名を呼ぶのだろう。
「ゴルベーザ……様……?」
「お前が私を求めるのは、お前が私の術中にあるからだ――――」
 快楽とはまた違う何かが、体の奥底から這い登ってくる。自分が自分でなくなってしまうかのような錯覚に捕らわれながら、ゆっくりと目蓋を開いた。
 目に飛び込んできたのは、苦悶に歪んだ彼の表情だ。
 腰を掴む大きな手が俺の体を揺さぶり、流れ込んでくるよく分からない何かが、心の中を浸食していく。
「……最初は、あれほど術を拒んでいたというのに……一度転がり落ちてしまえば、あっけないものだな」

 術?

 頭ががんがんと鳴っている。自嘲を含んだゴルベーザ様の声に共鳴するように、頭をきりきりと締めつける。
「少し、術を弱めてやろう。……その青い瞳に見つめられていると、私までおかしな気分になってくる」
 快楽と共にやってくる見知らぬ感覚に恐怖を覚え、思わず、腰を掴んでいる腕に爪を立てる。皮膚を切り裂く感触は生々しく、まるで獣のようだと思った。
 途端、想いが口から零れ落ちる。
「ゴルベーザ様……貴方のことが好き、です……」
 彼は、ただただ微笑んでいた。
 微笑んだまま、俺の額に手を伸ばす。
 頭が真っ白になっていく。徐々に音が消えていく。静かになる。
 何もかもが遠くなっていくことが恐ろしくて、細い糸に縋りつくかのように、彼の名を呼んだ。




End




Story

ゴルカイ