城に帰った俺を待っていたのは、両親の怒声―――ではなく、泣き顔だった。
 どこへ行っていたの、エッジ。心配したのよ。
 お袋は、泣き腫らした目で俺をじっと見つめ、親父は何も言わず、視線だけで俺を叱った。
 申し訳ありません。
 胸の痛みに負け、俺は膝をついて頭を下げた。
 お袋のこんな顔を、俺は見たことがなかった。親父のこんな眼差しを、見たことがなかった。
 二人を、傷つけてしまった。

「ったくよぉ……」
 薄暗い自室。扉の外には二人の兵士が、俺を見張るために立っている。
 テラスへと続く窓には、外から鍵がかけられていた。
 当然の措置だ。三日も城を留守にしていたのだ。信用してもらえるはずがない。しばらくは外出も許されないだろう。
 両親の悲しげな表情を思い出し、心の中で、もう一度彼らに頭を下げた。
 ルビカンテは、待っているだろうか。
 今夜は月が出ているし雨の心配はないけれど、彼もまた、あの雨の夜の俺みたいに、寂しい気持ちでこの空を眺めているのだろうか。
 もう、二度と会えないかもしれない。
 瞬間、針で突かれたように胸が痛くなって、俺はベッドにうずくまり、空気を求めて喘いだ。
 謹慎が解けてから、彼の家を訪ねてみようか。
 自分から約束をとりつけておきながらそれを破った俺に、彼は会ってくれるだろうか。
 もう、二度と会えないかもしれない―――。
 耳鳴りがする。耳を塞いだ指先にピアスが触れ、無造作にそれを取り外した。

『お前のピアスにエブラーナの紋章が彫られているだろう。その下に、お前のフルネームも彫ってあったんだ』

 眺めてみるのだけれど、やっぱり彫刻は見つからない。
 くるくると石を回しながら、窓の外を見た。
 美しい二つの月は、静かに輝き続けている。窓に歩み寄り、ピアスを翳してみた。赤い石が月光を透過し、背後の壁の一部を円状に赤く染め上げる。
 綺麗だなあ、と思いながら、もう一度、ゆっくりと石を回してみた。
 一瞬、壁に何かが映し出されたように見えて、俺は息を飲んだ。
 月光に翳し、慎重に石を回転させながら、赤く染まった壁をじいっと凝視する。

 見えた。

 俺のフルネームが、赤い円を背景にして鮮明に浮かび上がっていた。
 お袋がくれたピアスに、こんな仕掛けがあったなんて。
 月の光に照らされて、姿を現した俺の名前。見慣れた名前の筈なのに、それはとても新鮮なもののように思えた。
 こんな風に、ルビカンテもこのピアスを見つめていたんだろうか。
 見つめているうちに、彼も俺のフルネームを発見して、それで……
「ルビカンテ……」
 どうしたっていうんだろう。気付けば彼のことばかり考えている。
 貪りつくように与えられたキスの感触を思い出し、俺は静かに息を詰めた。




 刀の手入れをしたり、覚えたばかりの術の練習をしてみたり、普段はあまり手を付けない難しい本を読んでみたり、そうやって、俺の毎日は過ぎていった。
 険しかった両親の眼差しが、徐々に優しくなってくる。ほっとする。あの二人を悲しませたくない、そう思うから、従順なふりをし続けた。
 心の奥底では、『外に出て、あのモンスターに、ルビカンテに会いたい』と望んでいるというのに、現実の俺は冷静を装い、にこやかに微笑む。
 毎晩毎晩、窓の外を眺めては、彼を想う。
 以前よりも術が上達したこと、少し背が伸びたこと、ピアスの謎が解けたこと。
 伝えたいことが、溢れ出す。彼の耳に入らなければ意味がないのに、胸の奥から零れてくる、言葉、言葉、言葉。
―――会いたい。
 どうしてこんなにも胸が熱いのか。彼のことばかり考えてしまうのか。
 窓に縋りつく。冷たい硝子に額を当てる。
 外から鍵をかけられているとはいえ、ここから出るのは簡単だ。この程度の鍵、五分もあれば開けられる。親父だって、それ位分かっているだろう。
 分かった上で、俺の良心を試しているのだ。俺は試されている。ぎりぎりと窓を引っ掻くと、嫌な音が広がった。
 棚に近づき、針金を取り出す。試行錯誤を繰り返し、俺は針金で鍵穴を弄くった。耳障りな金属音。かちゃり、窓が開いた。
 心臓が喚き散らす。指先が、鍵を元の状態に戻そうとした。
 俺の本心はどこにある。自分自身に問いかけた。
「……ルビカンテ…」
 窓を開け放したまま、俺は身を翻す。
 両親の悲しげな瞳が、頭の中を過ぎって消えた。




 大きく息を吸い込めば、夜の香りが体に満ちる。
 彼と初めて会った時とよく似た夜。俺を照らすのは、あまりに明るすぎる月だった。
「ルビカンテ……」
 何も言わずこちらを見つめている、その巨躯に話しかける。
 言いたいことがたくさんあった筈なのに、ちっとも言葉が出てこなかった。
 顔を見ているだけで、涙が溢れそうだ。しかし、泣いていては何も始まらない。俺は、強く目を閉じて、涙を押し遣った。
「…約束、破って……悪かった…………」
 駄目だ、声が震える。拳を握り、ぐっと堪える。
「俺、城から出られなくて……それで、ここに、来られなくなっちまってさ」
 ルビカンテの返事はない。そのことに不安を覚えながらも、俺は必死で話し続けた。
「でも、どうしてもここに来たくて、城を抜け出してきたんだ…」
 やはり返事はない。怖くて目蓋を上げることができずに、立ち竦む。
 突如、両肩を強く掴まれて、俺は目を開けた。
 俺の顔と同じ高さまでしゃがみ込んだルビカンテが、真剣な目つきでこちらを見ていた。
「……もう、私に構うな」
 心臓を揺すぶられたかのように、俺の胸に痛みが走る。
「お前と私は近づきすぎた。……もっと早く、離れるべきだった」
「……何で…!」
 首に縋ろうとした瞬間に身を離されて、俺の両手は空を切る。手のひらを呆然と見遣った後、ルビカンテの顔を仰ぎ見た。
 彼は酷く無表情だった。
「お前の傍にいると、人間に戻れたような気がして、とても心地良かった」
「ルビカンテ」
「……もう、二度と会うこともないだろう」
 炎の色をしたマントが、目の前でゆるりと翻る。
 視界が真っ赤に染まった―――と同時に、彼の姿はどこにも見えなくなっていた。
 胸が鳴った。とてつもない衝撃だった。声も、出ない。
「…………っ」
 崩れそうな膝を叱咤して、俺は足を進めた。留まっていたら、叫びだしてしまいそうだった。
 ひたすら歩いて、月を眺めて、また歩く。その動作を延々と続けた。しばらくの間、何も考えることができなかった。
 そしていつしか俺は森の中に足を踏み入れ、月の見えない奥地へと体を潜り込ませていたのだった。
 はたと気付いたときにはもう遅く、暗闇が辺りを覆うばかりで。
「何やってんだ、俺は…」
 崖と大きな岩に行く手を塞がれ、仕方なく立ち止まる。
 崖の傍には小さな湖があり、岩からは澄んだ湧き水が溢れ出していた。
 喉の渇きを覚え、湧き水に顔を突っ込んだ。ごくりと嚥下して、頭をぶるりと振る。
 鼻先から、水が雫となって滴り落ちた。
「はぁ……」
 手繰り寄せたマントで顔を拭う。
 空しいような、悲しいような、行き場のない思いが一斉に押し寄せてきた。
 岩に背を預け、もう一度顔を拭う。

 ルビカンテは俺に何て言っていた?

 マントを握り締めながら、俺は彼の言葉を復唱した。
「…もう、二度と……会うことも…」

『もう、二度と会うこともないだろう』

 背が震えた。
 月の見えない暗闇が、悲しみを増幅させる。
 小枝を集めて火でも焚けば、少しは落ち着くことが出来るかもしれない。
 落ち着くことなど出来はしないと知りながら、俺は近くに落ちていた木々を拾い始めた。
 火遁を上手く扱えるようになったところを、ルビカンテに見て欲しかった。想いに、そっと蓋をする。
 木を幾つか集め、積み上げた。
 目を閉じ、手を翳す。指先が赤く光った。

『お前の手のひらに、熱が集まる。お前の体にある熱全てが、手のひらに集中する』

 ルビカンテに囁かれたような気がした。
 お前が教えてくれたのに。お前に見て欲しかったのに。
 火が小枝を燃やし、辺りを赤く照らす。と、暗闇の中で赤い何かがちらと光った。
 モンスターかもしれない。構えながら、俺は目を凝らした。
 赤い何かが、ゆっくりとした調子でこちらにやってくる。それは、普通のものの倍ほどもある、巨大なフレイムドッグだった。
 尾をゆるゆると振りながら、フレイムドッグは真っ直ぐにこちらを見ている。
 その瞳を見た瞬間、俺の中の警戒心が音をたてて崩れていくのが分かった。

 太陽の色。

 そう、フレイムドッグの瞳の色は、ルビカンテの瞳の色と瓜二つだった。
 ぐるる、と獣臭い声でフレイムドッグが唸る。吸い寄せられるようにして、俺はフレイムドッグに接近していった。
 手を伸ばす。フレイムドッグの舌先が、俺の手のひらを舐めた。
「…おめぇ、攻撃してこねえのかよ」
 恐々と頬を撫でてみる。炎に似た毛は熱くなく、さらさらとして気持ちが良かった。
「…あったけえ……」
 ルビカンテ、と呟けば、気持ちが少し楽になった。
 獣はぐるると喉を鳴らし、されるがままになっている。背に、何か柔らかいものが当たった。
 唐突に触れてきた何かに驚き、俺は身を竦ませる。
 ぐるる、獣がまた唸る。思わず後を振り返る。
 フレイムドッグの尾が無数に裂け、俺の背を撫でていた。
「なっ……!」
 裂けた尾が手首に巻きつく。咄嗟に構えようとした苦内が、地面に転がる。
 両腕を絡め取られたままの体勢で、崖に叩き付けられた。岩肌と向き合う。獣の荒い息遣いが、俺の耳を擽った。
「…ひ…っ」
 ぞろりと耳を舐められて、全身が粟立つ。
 衣服の隙間から入り込んだ尾が俺の体をくまなく撫で始め、あまりの気持ち悪さに俺は震えた。
「俺なんか食っても…うまく、ねえぞ…!…っぐ」
 身じろぎしながら叫んだ俺の口を、一本の尾が塞ぐ。先っぽが舌をさらい、唇の隙間を出たり入ったりを繰り返した。
 何か、苦い液体が滲み出てくる。吐き出したいのに吐き出せない。
「ん、んっ……うう、ん……っ」
 意識が徐々に遠くなる。
 甘い痺れが全身を覆い、俺はひたすら体を震わせるだけだった。





 己が体をこんなにも恨めしく思ったことはない。

 打ちのめされた表情をしたエッジは、今にも泣きだしそうな目をしていた。
 本当は、伸ばしてきた手を取り、引き寄せ、抱き締めてやりたかった。
 あれだけ冷たく突き放せば、もうあの場所に来ようとは思わないだろう。あと少し大人になれば、私のことなど忘れてしまうに違いない。
 モンスターの体でさえなければ、彼の傍にいられたかもしれないのに。悶々と考え込みながら、自室へと続く廊下を歩く。
 私の足音と重なるようにして、別の足音が前から近づいてきた。無視を決め込もうとしたが、撤回する。
 それは、ゴルベーザ様の足音だった。
 暗い色をした鎧に身を包み、肩まである髪を揺らしながら、こちらへやって来る。私はゆっくりと頭を下げた。
 頭を上げれば、意地悪く微笑む主君と目が合う。微笑を崩さず、彼は私に問うた。
「あの銀髪の子どもはどうしたんだ、ルビカンテ。殺したのか?」
 銀髪の…という言葉にどきりとしながらも、平静を装って言葉を返した。
「いえ……彼は生きています。まだ子どもですし、放っておいても支障はないかと思われます」
「暢気な奴だ。確かに今は子どもだが、直に大人になって私達に向かってくるぞ。面倒なことになる前に、さっさと殺しておいた方がいい……そう思わないか」
「しかし……」
 彼は笑顔を絶やさない。
 あまりに無邪気なその笑みに、寒気が走った。同じ十代の男でも、エッジの笑みとゴルベーザ様の笑みは全く違う存在だった。
 笑顔に圧倒される。
 彼は目を細めると、声をたてて笑った。
「…まあ、お前が手を下すまでもないだろう。さっき、エブラーナ周辺を見回っているオーガから連絡が入った」
 言いつつ、主君は再び歩き出す。すれ違いざまに、彼は小さく呟いた。
「『銀髪の子どもが森に迷い込んだ。そして“火の臭い”のする彼に吸い寄せられるように、森の主が彼の後をついて歩いて行くところを見た』、と」
 咄嗟に森の主の姿かたちを思い出そうとする。
 あれは巨大なフレイムドッグではなかったか。そして、『火の臭い』とは。
「ルビカンテ。お前、あの子どもに火の力を吹き込んだろう。森の主がどんな行動にでるか……分からないか?」

―――しまった。

 ゴルベーザ様の笑い声を背に、私はマントを翻していた。




 モンスターは、同じ臭いのするものを好む。
 バルバリシアは、風が好きだ。外に出て、風に吹かれることを何よりも好む。
 アンデッドは死肉を好むし、リリスなどは若くて美しい人間を好んで食らう。
 私の魔力が入ったエッジの体を、フレイムドッグは見逃さないだろう。きっと、彼の体を内側から食らうに違いない。
 一人で帰すべきではなかった。後をつけていれば、こんなことにはならなかったのに。

 森の中は静かで、何の気配もない。
 小鳥や虫、小動物。そういったものの気配一つ、私には感じ取ることができなかった。
 私に怯えて逃げてしまったらしかった。唇に自嘲の笑みが浮かぶ。
「…エッジ」
 躊躇いつつ、名を呼んだ。
 名前を呼んでも、彼は拗ねて出て来ないかもしれない。根気強く、私は彼の名を呼び続けた。
「エッジ!」
 自然と声が大きくなる。
「エッジ!!」
 そうして、私の喉が枯れかけた頃、それは現れた。
 湿った音。耳障りな音。唸り声、そして。
「……ん、あ、あ………」
 邪魔な木々の葉をかき分けて、音のしている場所を覗く。在ったのは、半分意識を失いかけながら圧し掛かられているエッジの姿と、彼に覆い被さっているフレイムドッグの姿だった。
 頭に血が上る。
 わけの分からない咆哮をあげて、フレイムドッグを殴りつけた。フレイムドッグは叫びながら木に背をぶつけ、よろよろと立ち上がり、森の奥へと姿を消す。
 残ったのは、目蓋を薄く開いて荒い息を吐き、胎児のような体勢で、ぼろぼろと涙を溢しているエッジだけだった。
 指先を震わせながら、彼の肩に触れてみる。何も反応を返さない。瞳もこちらを見ない。
 服装の乱れはないが、彼の体は得体の知れない粘液でべっとりと濡れていた。
 抱き上げ、回復魔法をかける。死んだように光を失くしていた瞳に、少しだけ輝きが戻った。
「エッジ、私の声が聞こえるか?」
 頭を胸元に抱きながら、濡れた背中を撫でる。
「ル、ビカンテ……」
 唾液を垂らしている口元を拭ってやると、危うい微笑を唇に浮かべながら、彼はこちらを見上げた。
「……夢か…?」
 彼の目蓋が上下する。今にも気を失ってしまいそうな、そんな動きだった。
 今は何も考えさせず、とにかく休ませた方がいい。そう思い、「そうだ、夢だ」と私は答える。彼の瞳に、寂しげな色が浮かんだ。
「ゆめ、なら……いいよな……?何言っても、かまわねえ、よ、な……」
「エッジ?」
 力の入っていない彼の手が、私の頭を抱き寄せる。弱弱しいその感触に胸を痛めながら頷いた。
 夢の中だと思っているのなら、その方が良い。

 私と出会ったこと、それ自体が夢の中での出来事なのだと、彼の中に植えつけてしまいたかった。
 全てを忘れて、普通の生活に戻って欲しかった。

「…ずっと、考えてて……おれ、何で、おめぇのことが…こんなに気になるのかなあっ、て……」
 残った涙が、彼の眦を緩く光らせる。
「あのモンスターに……襲われてるときも、ずっと、おめぇのこと……考え、てて……っ」
 抱く手に力が篭る。
「…それで……分かったんだ………俺は、おめぇのことが…好きなんだ、って…」
 何もかも諦めた風情の声が、彼の口から発せられる。

 おめぇの、優しいところが好きだ。
 目も、声も、腕も。
 全部全部、好きだ。でも、おめぇはそうじゃないんだろ?
 俺の存在を、迷惑に思ってるんだろ?

 愛おしさが、胸に満ちて溢れる。
 息が苦しくなる。
 きつく抱き締めた。言葉にならなかった。互いの頬に指を這わせる。
 どちらともなく唇を寄せ合っていた。触れるだけの、ささやかな口づけだった。
「……変な夢、だな………妙に、リ、ア…………ル…」
 細い首を仰け反らせ、エッジは目を閉じる。

 彼の記憶を消してしまおう。

 私の心は決まっていた。




 バブイルに戻ってすぐ、私はエッジの体を清めた。
 至る所に粘液が擦り付けられていて、それはもう酷い有様だった。
 内側から流れ出してくる白濁した液体が、惨状を物語っていた。

 湯の中で汚れを落とし、柔らかい布で拭いてやり、自室のベッドに寝かせても、彼は目を覚まさなかった。
 今のうちに、記憶を消さなければならない。
 思いながら扉に向かう、と同時に、来客があった。バルバリシアが髪の先を指で弄りながら呟く。
「……だから言ったのに」
 エッジに近づこうとしている彼女を制しながら、
「何の用だ」
と訊くと、彼女はいつになく真剣な表情で、私の耳に囁きかけた。
「……知らないみたいだから、教えてあげるけど」
 止めようとした腕を振り切り、バルバリシアがエッジの傍に立つ。そうして銀の頭に触れ、エッジの顔を横に向けた。耳の付け根をゆるりと撫でる。
「ここ。よく見なさいよ」
 長い爪が触れているその先を凝視する。赤黒い、痣に似た何かが浮いていた。複雑な形をした、まるで紋章のような。
「……しるしよ。『モンスターと交わったしるし』―――なんてまどろっこしい言い方はよすわ。これは『モンスターに犯されたしるし』なのよ」
 彼女は話す。
 これは、決して消すことの出来ないしるしで、穢れの象徴なのだと。
 記憶は消せても、体に浮いたしるしを消すことはかなわない。淡々と語られるその言葉に、心が乱れた。
「どうするつもりなの?」
 私の顔を覗き込む、その瞳から目を背ける。
 『しるし』に触れてみた。少しだけ盛り上がっているそれは、まるで花のような柄をしていた。
 がたん、という音がする。バルバリシアが私の私物が入っている棚の中を漁っている音だった。
「ハンカチかカーテンか、適当な布、持ってるわよね?」
「…あ、ああ」
 棚の中に頭を突っ込みながら、彼女は次々と中身を放り出していく。
 青いカーテン、赤い布、白いシーツ。様々なものが、床に投げ捨てられて積み上がっていった。
「ねえ、その坊やに似合う色は何色だと思う?」
 唐突な質問が降ってきて、私は声を詰まらせる。
「ちょっと、聞いてるの?坊やに似合う色を教えて欲しいんだけど」
 エッジに似合う色。
 青、赤、白、それらに目をやってみるのだが、あまりピンとこない。
 ふと、エッジの部屋にあった、上品な色をしたカーテンのことを思い出した。そういえば、彼が普段着ている服も同じ色をしていて、とてもよく似合っている。これしかないだろう、と思った。
「……薄紫」
「薄紫?ふうん。うすむらさき、ね」
 一枚の布を手にして、バルバリシアが振り向いた。
「いいんじゃない?マントの色とも合ってるし、悪くない。これで耳元を隠してやりなさいよ。まあ、気休めみたいなもんだけどね」
 差し出された布を受け取る。その布は、私がまだ人であった頃に使用していた、大判のハンカチだった。
 懐かしい気持ちで眺めていると、バルバリシアは小さく溜め息をつき、
「…もう一つ、教えてあげる。しるしは確かに消せないものよ。けどね…」

「他のモンスターと交われば、モンスターのしるしを描き換えることが出来るのよ」




「抱いてあげればいいのに」そう言って、彼女は笑っていた。

 抱く?
 私が、彼を?
 何の為に?

 自分の所有物である、と誇示する為に?
 嫉妬心を消す為に?
 違う、どれでもない。私の心にあるものは。

「エッジ……」

『…それで……分かったんだ………俺は、おめぇのことが…好きなんだ、って…』

 諦めきった表情で告げられた、あの言葉を思い出す。
 胸が熱くなる。力の抜けた彼の手を握り締めれば、また、熱さが増した。
 私は彼に惹かれている。
 真っ直ぐな瞳と無邪気な笑顔に、どうしようもなく魅せられている。
 エッジの告白は本物だろう。彼は嘘をつけるような人間ではない。本気で私のことを想っているに違いなかった。
 彼に刻み付けてしまいたいと思う。
 彼の体に二度と消えないしるしを埋め込んで、彼が全てを忘れてしまっても、想いが在ったという小さな証を、そこに残しておきたかった。
 ベッドに上がり、髪を撫でた。上掛けをゆっくりと剥ぐ。
 白色をした簡素な服の裾から手を差し入れると、滑らかな肌がぴくりと波打った。首筋に口づけて、緩く歯をたてる。弱い悲鳴を漏らす唇に噛み付き、舐めとった。
 薄目が開く。緑色の瞳が、こちらを見た。
「あ、ぁ……っ」
 胸元の突起を指先で転がすと、軋むような声が漏れ出た。夢現つといった状態の彼の瞳を見つめながら、下着ごと、下衣を脱がせる。半分起ち上がっている雄を握り、ゆるゆると扱いて刺激した。
「…ル、ビカン…テ……ッ!?」
 急所を握られたことで覚醒したらしいエッジが、狼狽した声で私の名を呟いた。
 上ずった喘ぎに、下腹部が重くなる。
「なに、して………ひっ……!」
 膝裏に手を入れ、大きく足を開かせ、折り曲げる。彼の頬に朱が走った。口を開いて雄を口腔に含んでやると、エッジの背が仰け反り、指が私の頭を掴んだ。
 滲み出た先走りを絡め取りながら、吸い出すようにして舌先で愛撫する。
「うぅっ……あ、あ、あ」
 足を肩にかけさせ、垂れた唾液を窄まりに塗りつける。
 その場所に、そろそろと指を突き立てれば、顔を真っ赤に染めながら、
「そんなとこ、さわんじゃね、ぇっ……!」
と涙混じりに言う。
「解さないと、入らんぞ」
と返せば、
「入る……って……、まさか…マジかよ……」
という言葉が返ってきた。
 指を更に深い場所まで埋めていく。自らの顔を両手で隠し、エッジは喘いだ。その姿に煽られる。
 我慢の限界だった。
「……お前を、抱きたい」
「んなこと…きゅ、急に言われても………んんっ!」
 入り口付近を探り、しこりを突つく。折り曲げた足の爪先に、口づけを落とした。
 熱い、とエッジが口にする。
「そこ、変だ……っ!指、抜け………」
「もう一本、入れるぞ」
「ひ…ああぁっ!」
 抜き差しを繰り返せば、新たな喘ぎが溢れ出る。水音が、間断なく耳を刺激し続けた。
 半開きになったエッジの唇から、唾液がとろりと流れ出す。
「あ、あ……で、出そう……だか、ら……やめ……」
 先走りが零れ落ち、私の指を濡らす。彼の雄を握り、上下に扱いた。ぴん、とエッジの足先が突っ張る。
「ああぁ……っ!」
 白濁した液体が、彼の首筋や胸に散った。蕩けた眼差しで、彼は視線をこちらに向ける。息が荒かった。
「……本当に…俺を、抱くつもりなのか……?」
「……ああ」
「何でだよ、何で…俺のこと、好きでも何でも、ねぇくせに…っん」
 泣き出しそうに震えている、柔らかな唇を塞ぐ。

 どうせ消えてしまう記憶なのだから、気持ちを伝えることなど無意味だと、そう思っていた。
 けれど今は、少しの間でも構わないから、気持ちを交わらせたいと思う。

 おずおずと差し出された舌を、そっと吸った。
 秘部に入れている指を三本に増やし、拡げるようにぐるりと回す。
「んんっ!ん!」
 暫く前後させた後、頃合か、と指を引き抜いた。
 ベッドに座り、エッジの体を片手で抱き上げる。空いている方の手で自らのものを取り出すと、エッジの瞳に怯えが走った。
「でっけえ……」
「駄目、か?」
「駄目とか、そんなんじゃねえよ…ただ、おめぇの気持ち……俺、全然聞いてねえし…」
 両腕で抱き上げて、
「お前の笑顔が好きだ」
と耳元で囁く。
「…それだけかよ」
 拗ねた口調で返される。
「そういう反応も、可愛いと思う」
「ば、馬鹿にしてんのか」
「……ずっと傍に、いたいと思う」
 彼の眉が歪み、ひ、と喉が鳴る。泣くのを堪えて噛み締められた唇が、何かを紡ごうと何度も震える。
「…お前の成長を傍で眺めていたかった」
 膝を大きく開かせて、私の足を跨らせた。秘部を指で割り拡げ、雄を押し当てる。ちゅく、と濡れた音がした。
 肩を揺らし、エッジが、
「…俺達は、一緒にいちゃいけねえのか」
と小さく呟く。頷きで返すと、胸元に縋りついてきた。彼の体をゆっくりと落とし、猛りを埋めていく。
 「痛い」と泣く彼を宥めながら、きつく締め付けてくる場所を押し広げていった。しかし、最後まで収まりきらず、止まってしまう。限界だった。
 馴染ませる為にそのまま留まり、彼の背を撫でる。胸に爪をたてて、彼は喘いだ。汗ばんでいる腰を掴み、持ち上げる。
「あ、あ、あ……!」
 ずるずると引き抜いていけば、彼は切なげに啼いた。もう一度、埋め込む。
「…あちぃ、よお……っ」
 上ずった声で、甘く啼く。徐々に、速度を上げていった。
 快感が、私の背筋を駆け上る。抱き締める。「お前を離したくない」と思わず漏らせば、エッジは涙の雫を落とした。





 悲しそうな顔をしないで欲しい。
 これが最後だなんて、言わないで欲しい。
 俺達が共存できる世界を、きっと創り出してみせるから。
 立派な王になって、お前を驚かせてやるから。
 だから、どうか、ずっと俺の傍に。


「きついか…?」
 見上げれば、動きを止めたルビカンテが、不安げな表情でこちらを見下ろしていた。
 俺に刺さったルビカンテのものは驚くほど大きいし、開かされた足はぎしぎし痛むしで、確かに、体はきつい。
 それでも、一つになっているという充足感が、俺の心を満たしていた。
「体勢が、ちょっと辛えかな…足が、攣りそう」
「…そうか」
「そうか、って…………あぁぁ……っ」
 ずる、ずる、と体の中を抜け出ていく感覚に、俺はぎゅっと目を瞑った。くるり、と体をひっくり返され、ルビカンテの胸に背が当たる。
 突然の動きにむっとして文句を言おうとした途端、両足の膝の裏を掬われ、控えめに足を寛げられた。
 俺の体を支えているのはルビカンテの胸と両腕だけで、あとは宙に浮いてしまっている。不安定な体勢に、俺は心もとない気分になった。
 ルビカンテの太腿を掴み、体を安定させようとする。
 彼のものが、俺の中に入ってきた。
「ひっ………!」
 太いものが、中を拡げる。上下に揺さぶられ、声が止まらなくなった。
「あ、あ、あ、あっ」
 俺が声を出せば出すほど、体は熱くなり、ルビカンテの動きは早くなっていく。おかしくなりそうだった。
「…変になる……っ」
 耳の中を擽る、彼の荒い息と、熱。四つん這いにさせられ、中を抉られた。迫り来る快感に我慢することも出来ず、俺は自らのものに手を伸ばした。
 シーツに頬を擦りつけ、ルビカンテの動きに合わせて指先を滑らせる。
 ぞくり、と背中に電流が流れた。
「気持ち良いのか…?」
「きもち、い……っ」
 くちゅくちゅ、と先走りで濡れた場所が卑猥な音を発する。恥ずかしいのに、やめられない。
 ルビカンテが息を飲むのが分かった。
「…モンスターの体液には、ほんの僅かだが媚薬の効果がある。それにしても、お前の乱れようは―――」
「だ、て…っ腹の中、が、熱くて……、いっぱいで……っ」
 中のものが、大きさを増す。腰を強く掴まれ、突き入れられた。
「あぁ、ぁ……で、ちま、う……っよ、お」
 頭の中が、真っ白になる。俺が迸りを放った途端、ルビカンテもまた、俺の中に放っていた。その熱さは、想像を遥かに超えたもので。
 たぎった液体が、満ちて全身に広がっていく気がした。体が熱い。熱くて熱くてたまらない。
 ルビカンテが焦って引き抜くのを遠くで感じたように思ったが、もう何も分からなくなる。
 俺の手の中にある雄がまた、硬く、芯を持ち始めた。
「すまない、エッジ……大丈夫か」
「俺、まだ……」
 驚いた表情を浮かべたルビカンテが、俺のものに唇を寄せる。
 シーツを握り締めながら、俺はその様をぼんやりと見つめていた。




 体を綺麗にしてから、俺達はベッドのシーツを交換した。
 さっきは夢中で気付かなかったけれど、このベッドはとても大きくてふかふかで気持ちがいいものだった。
「きっもちいい!」
 裸のままで飛び乗った俺の体に、何かが降ってくる。着慣れた、普段着だった。
「…洗濯してくれたのか」
「ああ。正確には、私の部下が、だが」
「……そっか。サンキュ」
 下衣だけを身に着け、ルビカンテが手渡してくれた水をぐいと飲み干した。
 そうして再度うつ伏せで寝そべった俺の横に、ルビカンテが腰掛けた。
 突然耳の下辺りを撫でられ、ひゃ、だとか、あ、だとか、俺は変な声をあげて耳を押さえてしまう。
「いきなり……っ」
 体の震えを堪えながらルビカンテを睨むと、彼は何ともいえない表情で俺の方を見ていた。
 悲しいような、苦しいような、辛いような…とにかく、よく分からない微妙な表情している。
「ルビカンテ?」
「……しるしが」
「しるし?何だ、それ」
 耳の下に触れてみると、指先に何か、膨らんだものが当たった。手裏剣を取り出し、鏡の要領で映して見る。
 そこにあったのは、暗いピンク色で、菱形をした痣だった。
 何だこれ、と呟く。ルビカンテが、低い声で説明し始めた。話が進んでいくにつれ、俺の頬はどんどん熱くなっていく。

 これはルビカンテと交わったしるしなのだ。
 彼だけが持つ、独特のしるしなのだ。

 考えただけで、胸が爆発してしまいそうになる。
「お前の体に、刻み付けておきたかった」
 熱い胸は、しかし、次の瞬間凍り付いてしまう。
「……お前は、私と出会った事を忘れて生きていくのだから」
 がくん、と体の力が抜ける。ルビカンテの手首に縋りつくと、彼は酷く悲しげな顔で瞳をこちらに向けた。
「私はスリプルもホールドも使用できない。だから、薬を使わせてもらった」
 しまった、さっきの水か。気付いても、今さらだ。
 体を仰向けられる。口元に、紫色の布がかけられた。視界の全てがぼやけ、暗くなっていく。
「このしるしの存在は、他の誰にも知られてはいけない」
 まるで、子どもに言い聞かせるような口調で、彼の言葉が紡ぎ出される。
「ずっと、隠して生きていくのだ」
 王子が穢れていると国民に知られたら、国中大変な騒ぎになるだろうから。そう言って、俺の首の後で、布を結ぶ。
「お前が元気で生きていてくれさえすれば、私は満足だ」
「や…………だ…………わすれ、たく、な……」
 閉じかけた目から、涙が流れ出す。俺の濡れた頬を拭いながら、ルビカンテは微笑んだ。
 手を繋ぎたい。そう思ったのが通じたのだろうか。彼は、俺の両手をぎゅっと握った。
「お前が忘れてしまった分まで、私が覚えておく。私が覚えている限り、共にいた日々は消えない」
 力が入らないから、手を握り返すこともままならない。

 こんなに好きなのに、どうして忘れなきゃ駄目なんだ。
 俺はお前を忘れない。絶対に、忘れない。
 お前の優しい瞳を、声を、腕を、俺は、俺は―――――。

 暗転が、思考を奪い、消してしまう。
 彼の手の感触も、いつしか闇の底へと沈み、形をなくした。









「やっと会えたな、ルビカンテ!……今日という日を待ってたぜ!」
 大男を見上げながら、俺は両手に苦内を構えた。
 目の前に立つ大男は、先日俺の国を滅ぼした、残忍なモンスターだった。
 憎むべき、敵だった。
「……ほう、どこかで会ったかな?」
 男は笑顔を崩さずに、しれっと口にする。
 かっと頭に血が上った。
 苦内を投げようとした俺をじっと見ていた男の顔が、一瞬、驚きを湛える。その視線は俺の腰にある、一枚の布に注がれていた。
「……何だよ。変な奴だなあ」
 拍子抜けしてしまい、俺は間の抜けた返答をする。狙いを定め、苦内を放った。
「俺の腰がどうしたってんだ」
「いや、物持ちのいい子だ、と思ってな」
 苦内をかわしながら、男が言う。もう一方の苦内を投げながら、俺は叫んだ。
「何訳の分かんねえこと言ってやがる!子って何だよ、子って!俺はもう二十六だぞ!」
 今度は、苦内を叩き落される。
「その布だ」
「答えになってねえぞ…………火遁!」
 燃え上がった火柱が、男の全身を包み込む。
「へっ!ざまあみろ……って………」
 マントの端すら焼けていない。あまりの衝撃に、俺は唾を飲み込んだ。
 男が近づいてくる。その光景に既視感を覚えた。
 固まっている俺の目を見つめ、男が微笑する。
「……まだまだ荒削りだが…上手くなったものだ」
 優しげな声に、俺は体を動かせない。

 太陽の色をした瞳。あの瞳は一体誰のものだったろう?

 どうしても、思い出せない。
 頭の痛みを堪えながら、俺は手裏剣を握り締めた。



 End


Story

ルビエジ