眩しいものを見る眼差しで、人々は辺りを見渡していた。
鳥がさえずり、青空を羽ばたく。太陽は輝き、緑の葉を照らす。
「――この辺りだったと、思います」
澄んだ空気を生み出す森が、果てしなく続いている。あまりにも変わってしまった風景に、何ともいえない心持になった。
私の記憶に間違いがなければ、バロンは海の傍にあったはずだ。それが、こんな山の頂上に位置している。
「美しいな」
伯父は言い、微笑んだ。
「胸が痛くなるほど、美しい」
つられるようにして微笑み、露に濡れている緑の葉を見つめた。
月の民が目覚めたのは、数日前のことだった。
軋む体を起こし、カプセルの側面に表示されている数値を見、眠りについてから、既に果てしない時が過ぎ去っていることを知った。
不思議な気分だった。
フースーヤを追いかけ、故郷の月に辿り着き、私は彼の無事を確認することができた。後を追うように目覚めた月の民達が、彼を危機から救ってくれたのだという。
彼は私が戻って来るとは考えていなかったらしく、「弟に似て頑固者だな」と苦笑した。
眠りの日々は長く、短かった。
様々な夢を見たが、それらは指の間をすり抜け、泡のように消えていってしまった。
青き星に行こう、と言ってくれたのは、他でもない、フースーヤだった。
月の民達――彼らは善良な心を持っていた――も青き星の姿を見たがり、月の民全員で青き星へと向かったのだった。
久方ぶりに目にする青き星は、変わらぬ美しさを持っていた。
ただ、その美しさの中に、人間の姿はなかった。
何が起こったのかは分からない。ただ、人間だけが青き星から姿を消していた。まるで、遥か昔に戻ってしまったようにも見えた。
幾つかの陸地は海に沈み、陸は隆起し――――ただ、その青空と緑の眩しさだけが変わらない。
感嘆の声を漏らす月の民達からそっと離れ、私は森の奥へと足を進めた。
彼に会えると信じていたわけではなかった。
手紙を読むことも叶わぬだろう、そう思っていた。
紙は、いつしか土に還る。月の民のように高度な文明を持っていれば防ぐことも可能ではあるかもしれないが、青き星の民達がその術を持っていないことは明白だった。
彼との約束は、悲しくも優しい嘘だった。彼の心が少しでも軽くなるのなら、嘘をついても構わないと思った。
二度と交わることはないと思っていた時間軸は、やはり二度と交わることはなかった。彼と生きることを夢見た日々ですら、もう、戻ってくることはない。
現実を見せつけられてしまえば、夢を見ることすら叶わない。
彼はもう、この世界には存在しないのだ。
彼は、誰かを愛しただろうか。子どもを儲け、セシルのように微笑んだだろうか。
――幸せに、暮らしただろうか。
落ち着いた気候、静かな星。どす黒い嫉妬などは存在せず、ただただ穏やかな気持ちだった。風の匂いはあの頃と変わらず、懐かしい感覚を運んでくる。
おそらく、月の民達はこの星に移住することを望むだろう。移住先としては申し分ない。
彼がいなくなってしまった星で生きることに胸が痛まないわけではなかったが、心が荒れることはない。
『手紙を書いて欲しい』
そう望んだのは、単なるエゴだったのかもしれない。彼に忘れられてしまうことを、何より恐れていたのかもしれなかった。
そうまでして、彼の心を縛りつけて置きたかったのか。
カイン、お前は本当にそれで良かったのか?
彼が存在しない今、問うことも許されない。
ぴちゃり、水の音がした。どうやら、近くに水場があるらしい。
止まってしまっていた歩を進めて歩き出せば、徐々に水面に反射する光が見え始める。
森を抜ける瞬間きつい風が吹き、目の前に広がる光景のあまりの眩しさに、息を潜めた。
抜けるように青い空。
それを背景にして、一頭の飛竜が水浴びをしていた。
透きとおるような水色の体に、宝石も似た青い瞳が填まっている。
カインの飛竜を除き、飛竜は絶滅してしまったのではなかったか――そう思うより先に、飛竜は小さく小さく啼いた。
誘われ、近づく。飛竜は逃げなかった。
「…………カイン」
届く場所のない響き。青き星の風の香りが、過去に置き去りにしてきた筈の記憶を呼び覚ます。
彼が手紙にしたためていたその内容を見ることができたような気がして、空を仰いだ。
「『離れてから気がつくだなんて、本当に馬鹿だ。どうして、お前なんかを好きになってしまったんだろう。お前に伝えたいことがあるのに、何一つ伝えられない。』」
ずっと昔に彼が書いた手紙の言葉と同じ心境になり、けれど何かが足りなくて、その続きを口にする。
「……ただいま、カイン」
青い瞳と、目が合う。
瞬間、飛竜が微笑んだように思え、その滑らかな首筋に手を伸ばした。
End