グッバイベイビィ・アンドエイメン

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*ペーパー、ウェブ、bobbin名義で出した漫画の本の再録本
*新しいものは下記のサンプルの短編のみ
です。頒布価格、部数共に抑え目です。よろしくどうぞー。

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足もとに流れる深い川












シーズンを折り返し、椿の雰囲気が変わったとおなじ若手たちの話題にひっそりとのぼるようになっていた。ベテランたちはとっくに気がついていたが、おのれが通ってきた道だからあえて口にするようなことはないし、そういうくすぐったさに気づくとあー歳を取ったななんて思うから酒の肴には向かないのだ。
「今日、すっげえかわいいサポにサイン書いてたけど、なんか普通に笑ったりしてたぜ!」
「なんだって!?」
清川が反応するのはかわいい、のところだ。赤崎はあぁん? と横入りする。
「あいつこないだ落としたマジックパッカに拾ってもらってサポ取られてたじゃねーか」
赤い顔で手を震わせて、ふただけならまだしも本体まで。パッカさんかっけー、って壊し屋と恐れられるマスコットは子供のハートはがっちり離さないのだ。
「握手して、ありがとうございます、またスタへも観に来てください、なんつってたんだぜ。」
「なにそれ、目の前で見ないと信じられん」
「場景を聞いているだけなら選挙活動に見えなくもないな」
「あ、でも最近そんな感じっすよ、椿」
おない年の宮野がかばうように会話に加わる。ふん、と赤崎が顔を向けた。
「お前はそつがないほうだもんな」
「やっと手近なお手本に気づいたんかね?」
「あ、俺も堺さんお手本にすりゃよかったのか!」
ファン層が違うからなー、と宮野は内心つぶやく。おなじ子供でも、堺にはさかいせんしゅ、なんて寄って行くのに世良にはセラー! と呼び捨てだ。
「まあほら、ちょっとずつ自信がついてきたんじゃないっすか」
親指と人差し指で数センチの空白をつくる。模索しながら練習を続けるスタミナ自慢の友達だから、積み重ねは自信の根拠になりえるだろうにいつまでも内省を続ける椿をしょうがないなと見てきた宮野にはようやっと、という気持ちも少しある。
「まあなあ」
「それだけのことはしてきてるからなあ、イケてるときとダメダメなときの差がすげえけど」
「そっすね」
かれら若手と呼ばれる選手たちの躍進とベテラン勢が噛み合って、今年のイースト・トーキョー・ユナイテッドは開幕の予想を覆す暴れようを見せている。周囲の期待も高いが、戦うチームのモチベーションはさらに高い。
「おれらも負けらんねーな」
「そうっすよ、余裕でサインしなきゃ」
そっちかよ! 清川は世良の別の意味での余裕にくちを大きく開けた。



提案をしたのは達海だった。達海と椿なら、イニシアティブは当然のように達海のようにある。
長い指がボードの上のマグネットを動かし、敵の動きを予測する。そして指示を出す。この局面では必ずこいつにボールが出てくるから、ここをマークする。カバーも忘れない。同じように達海は服を脱いで、椿のジャージにも手をかけた。
尊敬の気持ちがあこがれにふくらんで、触れたい、表情の変わるところを見ていたいと思うのは逸脱だろうか。椿は残念ながら色恋に馴染まずに都会へ出、ボールを追っかけていたので、気がついたら一部リーグにいた身には十五歳年上のあたらしい監督への気持ちが恋だなんて気づくはずがなかった。
だから不躾な視線にだって気づいたのは達海が先だった。達海もおなじようにボールと自分がすべての世界にいた者だが、さすがにもうそこまで初心でもなかったので椿のそれにもふうん、なんて思っていたものだった。理由はわからないが。
大体椿は達海の部屋さえノックできない男なのだ。でも窓ならひらりと入ってしまう。礼儀と反射神経なら余裕で後者が勝つ、だって思慮がないから。
はじめて椿が達海の部屋の窓を超えたとき、入ってすぐにあるモニタを蹴倒してしまった。そこを達海がやべ、とモニタを支えに飛び出したから、もちろん狭い部屋でふたりは漫画のようにぶつかって床に重なった。テーブルやベッドにあたらなかったのはこれ幸いで、硬い床にも椿は器用に着地したようだった。
「……なんだこりゃ、ケガないか椿」
「はい……」
返事に反して椿には起き上がる気配がない。ちょ、どいて。椿。達海が腕をあげ椿の肩に置くと、びくん、と跳ねるように椿が床に手をついて身を起こす。
「……てーな、なんなんだよ一体」
見上げた顔は部屋の照明を背にしてもわかるぐらい真っ赤で、達海は片隅の疑問がほろと溶けたのがわかった。あ、ああ、ああ。達海はすいと手を出して椿の胸に指先をつけた。ぴくんと肩が震えるのが肉眼でもわかる。
「椿、退いて」
このとき椿ははじめて唇の内側は肉の色をしていることを知った。唾液で濡れてつやになった、見た目も甘そうな肉の色。







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いつだったか忘れましたが云ってました「予告された恋愛の記録」のショートカットです。
はじめの思い付きからずいぶん離れてしまったので、名残に書きました。



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