酔わせてみた。別に、何か理由があった訳ではない。何となく、酔ったところを見たくなった。本当なら、将の場合は、あと六年待たなくてはいけないのだが。
酒に弱いだろうなあと思っていたが、その通りだ。缶チューハイをコップ一杯飲んで、顔を真っ赤にした。一気のみではなく、猫がミルクを舐めるような、ちびちびした飲み方だったから、ほほえましい。
周防が笑って見ていると、むっとしたように赤い顔で将がそっぽを向く。
「こっち向けよ」
「いやです」
「ほら」
手首を掴んで、引っ張ると、体を引こうとする。火照ってきたのか、ぽかぽかした温かい体を、無理矢理、膝の上に抱き寄せた。せめてもの抵抗なのか、周防の腕の中でごそごそ動いて、将は背中を向ける。なんだ、その拗ねた背中は、と周防はおかしくなる。実をいうと、周防も少々、いや、かなり酔っていた。
「おい」
「なんですか」
横からのぞき込むと、唇を少しだけ尖らせている。
何を怒っているんだ。そう訊いたら、また顔を背ける。
「周防さん、お酒臭い」
「なんだと」
そういうことを今更、言われても困る。テーブルの上にはビール缶やらチューハイ缶やらが、ごろごろ転がっているし、床にはさきほど、味見した貰い物の清酒の瓶が置いてあったりもする。つまみはあたりめ、柿ピー、ナッツ類。家にあった適当な乾きものを集めて、将もつまみにしての一人宴会だ。
「お前、酒が嫌なら、俺が飲み出す前に言えよ」
「言ったって、止めないです」
「そりゃ、そうだけど……」
気分が良いから周防は飲む。気分が良いのは将が側にいるからで、しかし、その将は虫の居所が悪い。周防の部屋に来た当初は、そんな様子もなかったが、今は、ちょっと拗ねている。
困ったなあと周防は将の膝を撫でる。将が履いているのはハーフパンツだから、そこは剥き出しだ。すべすべした肌を辿って、中へ入り込もうとすると、ぺちりと将の手が飛んだ。抜群のタイミングだった。痛え、と文句を言うと、将は両膝を手で押さえて、重々しく言った。
「周防さん、オヤジくさいです」
酒が入っているからか、将をちょっとからかってみたくて、わざと彼に構わずに、周防が酒を飲んでいたからか、いや、きっとそのどちらも理由にはあるだろうが、将はめずらしく、周防を真っ向から批難した。なにしろ年の差がある。将ほどの年齢の少年にオヤジくさいと言われては、周防もすぐには反論できない。
「まだ二十三だ」
そう言ってみたものの、十四の少年と若さ比べして勝てる訳がない。むしろ、年齢を口にしたことで、俺もそんなに歳なるのかと改めて思った。
「周防さんの酔っぱらい」
将の背中が丸くなっている。足が伸び、爪先がぷらぷら揺れている。幼い仕草に、たった今、自分の年齢を思い知らされた周防は腕を離したが、将は膝から降りなかった。じゃあ、このままでいいのだなと周防はふたたび、将を後ろから抱く。
「それは日本語として、ちょっと変だろ」
将の肩に顎を乗せ、周防は片手をテーブルに置いたままのビールグラスに伸ばした。それを目で追っていたらしい将が呟く。
「僕はお酒、嫌いです」
「じゃ、なんで飲んだ」
言いつつ、将の肩の上で周防はビールを飲む。泡は消えて、中身は温んでいた。
将はビールを睨んでいる。
「周防さんがだましたから」
「俺のせいか」
「そうです」
そうか、そうかと周防は将に顔をこすりつける。将は厭がって首を振る。
「周防さん」
手のひらを周防の顔に当てて、この酒臭い恋人の顔を、将は遠ざけようとする。
「どうした」
「ひげが当たるんです」
「困ったな」
朝から剃っていないので、確かに伸びている。グラスを置き、片手で顎をさっと撫でて、周防はなおも将に頬寄せた。柔らかく、あたたかい頬に自分の顔をこすりつける。小さい手が、顔を遠ざけようとしているが、そんな抵抗を周防は気にしない。なにしろ、酔っているのだから。酔っぱらいは、酔ったことを行動の理由にするのである。
「周防さん!」
将の頬は触れ心地がいい。手の方も、肌の感触を求めて動かす。将が周防の手を押さえようとしたので、その隙に、顔に頬をこすりつけた。
「本当に止めて下さい」
「駄々こねるなよ」
「どっちがですか」
「お前」
むっと将は周防を見た。すぐ近くにある顔を見て、周防は笑った。将は目を逸らさずにじっと見つめてくる。視線が、どことなく危うかった。やっぱり、こいつも酔っているなと、周防は嬉しくなる。
「なんだ、にらめっこか」
周防はにやりと笑みを深めた後、ぐっと眉根を寄せて、将を見た。二人して、息のかかる距離で睨み合う。将はまだ口に残る甘たるい酒の匂いと味にくらくらしているし、周防は大量に流し込んだアルコールで、機嫌良く酔っている。そのせいか、何をしているのか、どちらにも分からなくなってきた。
睨み合っている内に、唇に吹きかかる周防の酒の匂いが残る吐息に、将は苦しくなったらしい。
「周防さん……」
思わず、背筋に泡立つものを感じてしまった。無意識にしろ、意識的にしろ、将のこの声音は周防を刺激する。将を抱いていた腕に力を込めてしまった。
「お前の負け」
嘘をついて、将の体を自分の方へ向けさせる。勢い余って、将が胸に顔をぶつけた。自分の胸にある小さな頭を撫でると、将が顔を上げた。その赤くなった鼻をひょいと摘んでみる。とにかく、からかいたい、構ってみたい。酒の影響はこんな風に出ていた。
「ちっこい鼻」
「ひゃめてくらさい」
「なんて言ってるか分かんねえよ」
将がくぐもった声で同じ言葉を繰り返す。周防は両の手で将の頬を挟んだ。手のひらでぐにゃぐにゃ揉んでやる。
「ほっぺた、こってるな」
「そんなとこ、こってません」
言い返す将の唇に、自分のそれを近づけると、将がはっと目を伏せた。そのまま、キスするのが惜しくなる。
「お前、酒臭い」
将が周防の胸を拳で打った。一度でなく、五度は打った。きっと、仔犬の甘噛みを受けたとき、こんな気分になるだろう。
「周防さんの方が、お酒臭いです」
反論せず、周防は唇を重ねた。舌で遠慮無しに、将の中を侵した。交わす吐息も絡め合う舌も唾液も酒の味がする。
「甘い」
将の唇をべたべたに濡らしておいて、周防は言った。反論するかのように開かれた唇をすかさず、もう一度塞ぐ。
将は目を開いたまま、周防をじっと見ていた。多分、睨んでいたのだろう。周防も真似して、将を見た。唇は重ねたまま、またも二人で見つめ合う。悪戯したくなり、片手で将の目を覆ってみた。将が両手を伸ばし、同じように周防の目を塞いだ。湿ったあたたかい手だった。睫毛でくすぐるようにして、周防は目を閉じた。将も目を閉じたのが分かった。
さんざん好きなように、上唇も下唇も扱って、周防は将の頬に自分の頬をぴたりとくっつけた。将は諦めたのか、もう何も言わない。
「なあ、俺がわざと無視してたから怒ったんだろ?」
「やっぱり、わざと無視してた」
「拗ねるなよ」
そう言う自分の顔を、誰も見ていられないだろうと思う。それでいい。こんなやに下がった顔、将以外に見せるものか。
「どこ、触ってるんですか」
「いいだろ。ほら」
脇腹をくすぐる。その内、指の動きを、くすぐるとはいえないものに変えた。
「良くないです、駄目ですって!」
「いいから、いいから」
将の手を片手で押さえて、周防は服を脱がせ始めた。途中で、俺は今、時代劇の中の悪代官のようだとおかしくなった。よいではないかと、こっそり呟いて、将の上着を脱がせた。
「周防さん、本当に……」
「いやか」
「……」
「本当に、本当に、心底、嫌なら、止める」
「そういう言い方はずるいです」
「そりゃ、オヤジだからな」
だから、手もいやらしいのだと、周防は将の体に触れた。平らな胸をさすり、乳首を軽くはじく。刺激を受けて、浮き上がってきたが、将の唇はへの字になった。周防も同じようにへの字にした。
「周防さん、ずるい」
「ずるい」
「酔っぱらってるんでしょう」
「酔っぱらってるんでしょう」
「僕の真似しないで下さい」
「真似しないで下さい」
周防は将の視線を受け止めて、笑ってみた。将が胸を叩いてくる。痛い、痛いと大げさに言って周防は将の体をソファに組み敷いた。周防の体の下で、将が手足を動かす。
「何だ、上がいいのか」
「違います!」
ついに、周防は将の機嫌を損ねてしまった。周防の下から抜け出るのは、無理だと思ったのか、好きなようにさせているが、出てくる言葉がひどい。これには参った。
最中でも、嫌いだと言い続ける。本心でないのは分かっていても、嫌いといわれては、つまらない。これでもかとばかりに将を追いつめて、言葉を撤回させようとしても、嫌いだと言われる。よし、絶対に、好きだと言わせてやると張り切り、最後にはぼろぼろ泣かせてしまった。
しかし、しゃっくりあげて、涙をこぼし、周防さんなんか嫌いだと言う将に対して、周防は余計に熱くなった。嗜虐心をそそられたとでもいうのだろうか。
そこからは、オヤジというよりも、ほとんどけだものだった。言葉どころか、指で舌で歯で、体中のあらゆるところを使って、将をいじめた。嫌いという言葉は、あえぎ声に溶けてしまい、将も周防と共にどろどろした粘る熱の中に落ちていった。
――結果は二日酔いよりも尾を引く、気まずい朝である。
「あーと……昨日は悪かった」
ベッドに座り、周防は弱い声で謝った。意識を失うほど呑んだわけではないから、当然記憶はあった。昨日、無くしたのは、止め時を見極める理性であり、行動に歯止めをかける部分である。
「本当に悪かった。酔っぱらってたんだ」
手を合わせて、将を拝む。将は寝返りを打ち、布団の隙間からそっと周防の顔をのぞき見ているようだった。ここぞとばかりに頭を下げる。
「もうしない、絶対しない。将、本当に悪かった」
声音は真剣だったが、つい、一言、付け加えてしまった。
「でも、あれはあれで良くなかったか――」
将の手が伸びた。周防の顔に枕を投げ、そのまま布団に潜り込んだ。二度と出てくるものかとばかりに、深く潜っていく。
「将、ごめん」
シーツの上から揺すり、周防は謝り続けた。
「なあ、将。ごめんって」
謝罪を繰り返し、五分後、やっと聞けた将の言葉は、知りません、だった。その言い方も、なんだかえらくそそられるなと思う周防は、やはり懲りていない。
「ごめん。顔見せてくれよ」
――周防が痺れを切らして、シーツを剥ぐまで、あと三分ある。その二十分後、将は周防の腕の中で甘い声を上げている。許したのか、怒り続けているのか、定かではないが、もう嫌いだとは言わないはずだ。終わる頃に、将が何と言うかは周防だけが知っている。
ともかく、将の顔を強引に見るまで、周防は謝り続けるのだった。
「将、悪い。許してくれ――」