ある日の夜の過ごし方



 深夜中継が行われるとき、渋沢は間接照明とは聞こえが良いが、ようは廊下で足下を照らすだけの小さな照明を引っ張ってくる。
 次に、安定しない床に直接、置いては危ないので、盆を持ってきてその上にコーヒーの入ったカップか、気が向いたら酒瓶とグラスを置く。それからソファに寄りかかり、クッションを背中に当てる。
 後はテレビをつけ、真昼の世界で行われる速度を競うモータースポーツを観戦する。これだけでも充分、楽しいのだが、今はもう一つ、楽しみとも喜びともいえるものが加わることになっていた。
 将が寝室から出てきて、遠慮がちに渋沢の隣に座る。大きな毛布かタオルケットを持ってきているので、それにくるまって、彼もテレビを観る。
 渋沢が立ち上がり、将の分のコーヒーを注ぐ。お礼を言う将にほほえんで、また座り、テレビに視線を戻す。
 将は渋沢に話しかけてこない。邪魔になるのだろうと思って、みじろぎも、くしゃみも小さく、静かに行うのだ。
 時々、将が自分の横顔を見ているのを渋沢は知っている。なぜだか、うつむいたり、顔を赤らめたり、コーヒーを啜ったりしているのを、きちんと横目で見ている。上手いこと、テレビと将、どちらにも意識が向けられるのだ。
 渋沢は将が起きてきて、自分の隣で一緒にテレビを観ている時間が好きだ。倦怠感にも似たぼんやりした感覚に身を委ね、将の気配とテレビの淡々とした中継、モーターエンジンの唸りに耳を澄ませる。淡い光に包まれた夜のこの時間は、身に染み入ってくるような幸福感があった。
 こうして何度か、渋沢の隣で中継を見ているので、将もモータースポーツの世界をまるきり知らないという訳ではないらしい。が、やはりサッカーほどに興味は持てないらしく、その内に眠ってしまう。それまでに目を擦ったり、コーヒーを飲んだりと、懸命な抵抗が続けられているのだが、瞼の重さがいつも勝つ。
 最初は渋沢の肩か腕が重くなる。ふわりと寄りかかってくる体温に渋沢は、この時間にふさわしい、しみじみしたいとしさを感じる。そっとクッションを一つ取り、足を開いて、膝の上に置く。将の頭をそこへ移動させる。
 ずれた毛布をきちんと体にかけ直してやり、体を楽なように動かしてやったりもする。その後で口にする、ぬるくなったコーヒーがなぜだか美味い。
 テレビを観る渋沢の手は、将の肩や腕に触れている。子どもを寝つかせるように、優しく、静かに傍らの恋人の体を抱いていた。
 指先だけたまに気まぐれに動いて、手遊びする。髪に絡めて、頭を撫で、肩を包む。眠りをうながしこそすれ、覚まさせるような愛撫ではなく、横顔も指先同様、静かで穏やかだった。
 将は寝言を呟く時もある。意味の取れない言葉で、耳に入ったとき、思わず、微笑してしまう。まだ、寝言で名前を呼ばれたことはない。聞き逃しているのかもしれない。
 テレビ中継が終わると、渋沢は伸びをする。窓の外の暗さが薄れているのがカーテン越しに分かる。瞼を押さえるとテレビに見入っていたために、熱を孕んでいた。強張った首を動かし、将を見下ろせば、彼はまだ眠っている。きっと朝が来るまで、このままだ。
 体を抱きしめ、毛布を自分の体にもかけて、渋沢は目を閉じる。このときのために、将は大きな毛布を持ってきてくれる。
 毛布はあたたかく、柔らかい。将の体も同じだった。日なたのようなあたたかと匂いに包まれて、渋沢はとろとろと眠りに落ちていく。
 ずっと続けばいい、と渋沢は思う。この夜、この時間、将と共にあること。贅沢な願いだなと自分で苦笑する頃、すでに渋沢は眠りに落ちている。

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