労働報酬



 三上が髪を洗い終え、顔を上げたとき、ちょうど将が風呂に沈んだ。
 何を遊んでいるのかと三上は思ったのだが、顔を上げる気配がない。慌てて腕を伸ばして、体を引き上げると、案の定、眠っていた。
 体を揺さぶり、頬を叩いてもみたが、起きる気配はない。将の寝つきがいいのはいやというほど思い知らされているので、起こすのは諦めた。
 そもそも、将が風呂場で眠ってしまった原因は、三上だ。
 久しぶりに一つ屋根の下で顔を合わせたのまではよかった。お互い、帰ってくる時間がもう少し、早ければ、仮眠を取るなりして、夜も一緒に過ごせたのだろうが、あいにく、軽い夜食を二人して取るぐらいの時間だった。
 だが、独り寝の期間は一月にも及んでいる。三上がその気になって、おい、と手を伸ばしたのは責められまい。肝心の将は返事は何とか返すものの、やはり眠たげだった。
 それほど激しい練習をしているのかと訊けば、そこまででもないらしい。要は日頃の疲れが溜まって、この日、限界がきてしまったということだろう。
 だから大丈夫ですと、眠気のためなのだが、妙に艶のあるとろんとした視線で将が言うものだから、このところ久しく、将に触れていない三上としては煽られる他なかった。
 ついつい付き合わせてしまい、いつもよりは、力のない体から離れると、将の方は、睡眠欲と性欲とをまぜこぜにしてしまい、どちらが足りなくて、どちらが満ち足りたのか、分からないような、曖昧な柔らかい表情を浮かべていた。
 ただ、三上との体の重ね合いは、将の意識にも幾分かの覚醒を呼んだらしく、三上が将と自分の体の後始末をしているときは、恥ずかしそうにしていたり、文句めいた言葉を言っていたものだ。
 風呂に入るという三上に、自分も入ると付いてきたくらいだから、その時点では眠気の方は大丈夫だったらしい。
 そのうち、眠いと言い始めるだろうから、早く、風呂から上がらせるつもりで、先に体を洗わせていれば、髪も洗うと言い出したので、そうさせて、湯船に押し込んだ。
「のぼせる前に上がれよ」
 忠告して、自身、将が洗髪を終えるまで湯船で待っていたため、のぼせそうになっていた三上は体を洗い始めた。
「考えたら、お風呂に一緒に入るのも久しぶりですね」
 しばらくして、将がつぶやいた。
「そうだな」
「入浴剤、入れてもいいですか?」
「くさいのはやめろよ」
「くさくないですよ」
 体を洗う間は言葉を交わし、三上が髪を洗い始めると、将はおとなしく、入浴剤を入れた湯船に浸かっていた。その辺で限界がきたらしかった。
 湯船にどぼん、である。三上が気づかなければ、溺れていたかもしれない。寝るときまで、どこか抜けたやつだなと三上はため息をつき、将の体を横にどかしつつ、自分も湯船に浸かった。
 湯が縁を越えて、流れていく。三上は将を背後から抱く形にして、腕の中に収めると、足を湯船から出した。
 将は三上の肩に頭を預け、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。今から、湯船から引き上げて、体を拭き、パジャマを着せ、ベッドに連れて行くのだと思うと、さすがに三上も疲れの予感を抱く。
 まあ、将が風呂で眠ったのは、一度や二度ではないので、経験はある。えらく大変なだけで、出来ないわけではない。何とか、なるだろう。
 濡れた髪に顔を埋めると、二人して使っているシャンプーの匂いがした。髪の毛が乾けばこれに将の体臭が混じり、それは将の匂いとしかいえないものに変わるのだが、今ここでは三上とまったく変わらない匂いだ。
 くしゃりと髪の毛を撫で、しずくを跳ねさせると、三上は思い立って、手を将の胸へとあてた。手のひらを当てて、そっと撫でると、将の乳首が浮き上がるのが分かる。
 指先でつまんで、ゆっくりした愛撫を加えると、穏やかな寝息を立てている将の唇が、ほんの少しだが、開かれた。
 強弱をつけて、三上が愛撫を続けると、将は長いため息をつき、かすかに頭を動かした。
 三上は少し、迷ったが、悪戯を止める気にはならなかった。
 手を下ろし、足の間をまさぐる。時々、からかいの種にする、幾分、少年めいた淡さの残る茂みを撫で、指先でそこの形を確かめると手で包んだ。優しく、撫で擦っていく。両手で性器すべてにやんわりした刺激を与えると、将の呼吸が荒くなった。
 手の動きを、もう少し激しくすれば、将は達するだろうが、そうさせるつもりはなく、快楽的な匂いを含んだマッサージじみた愛撫を三上は続けた。いじるのが楽しいという、悪趣味といわれてもしょうがない事実もそこにあるのだが。
 眠っていても体に感じる異変は分かるのか、将の唇からは、時折、あえぎが漏れる。
 元気になってきたなと三上が、指の腹で先を数回、擦ると、ぴくりと将の肩が揺れた。
 長いため息をついた後、三上の肩に乗っていた将の頭の重みが軽くなった。
「えっ……あれ?」
 よく状況がつかめていないようで、それをよいことに三上は手を動かしながら、将にささやいた。
「寝てろ」
 将の声音には、一度、目覚めたものの完全には覚醒していない響きがあったから、三上は先手を打った。
「寝てていい」
「はい……」
 じゃあ、おやすみなさいと素直にまたも眠ろうとする将。語尾はもつれて、すぐに寝息に変わる。
 自分の腕の中で、安心した様子を見せるので、何となく、思いついた。将を軽く、揺さぶった。眠たげな息を吐く、将の耳に言葉を吹き込む。
「好きか?」
 面と向かって訊ねたことは、それほどない。面と向かって、言われることも、あまりない。第一、三上が日常生活で、すんなり言うような性格ではないから、自然、将もそう倣うようになった。
 愛されていないわけではないし、愛していないわけでもない。要は、何となく、素直になれないときが多いだけだ。
 将が幸せな夢でも見ているかのように、小さくほほえんだ。
「好き、です……一番、大好き」
 これが眠たいときの、途切れがちで、甘えるようにも聞こえる口調だから、どうしようもない。
 三上がたじろいで、将を見下ろすと、ここでとどめの一撃が来た。
「三上、先輩、だいすき」
 もう一度、呂律の回らない口調でつぶやいて、将は眠ってしまった。
 三上はしばらく、無言のままだった。
 我に戻り、くそ、かわいいじゃねえかとつぶやいて、将の体を軽く、抱きしめると、湯船から出た。ずるずると沈んでいきそうな将を引き上げ、湯船の縁に顔をそっと預けさせた。これから、将をベッドに連れて行かなければならない。
 気持ちよさそうに眠る将の顔を見下ろして、苦笑する。これからの労働は、たった今、与えられた報酬分に値するか、否か。
 どちらでも良いのかもしれないが、もう少し欲しいのは確かだ。
 いつでももらえるからいいかと三上は濡れた将の頭を、軽くこづいた。

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