「桃、食べようか」
将が言ってきたので、不破はうなずいた。
桃は不破の母から将がもらってきたものだ。不破の知らないところで、将と母はちょくちょく行き来があるらしい。
将が冷蔵庫から桃を取り出し、流しで洗っている。包丁とまな板を取り出す前に、不破は将を呼んだ。
「手で剥こう」
「手で?」
「ああ」
皿とビニール、それにタオルを持って、ベランダへ行った。夕暮れ時のひやりとした風に吹かれながら、二人並んでベランダと部屋との境に座る。
「涼しい」
将は言って、不破と自分との間に、桃とビニールを置いた。取り上げて、皮を剥く。不破も一つ、手に取った。力を入れずともするする皮が剥がれていく。したたった果汁が指を濡らす。そのままかぶりついた。
「甘い」
「おいしいね」
街のざわめきが聞こえてくる。剥いた皮と種はビニール袋に捨てた。将は熟れすぎているのか、なめらかな桃の果肉についた茶色の部分を食べた。ひときわ濃厚な甘みが喉を通っていく。冷蔵庫で冷やしていたので、桃はおいしかった。将はまた一つ取り上げて、皮を剥いた。皮の柔らかい抵抗を楽しみながら、将はほんのり黄みがかかった白い果実を口に運ぶ。
不破も二つ目を手にしていたが、食べようとしないで、じっと見ていた。
「不破君?」
「ん?」
「悪くなってた?」
「いや」
不破は将の顔を見て、また桃に目を落とした。
「不破君?」
将は囓りかけの桃をそっと手に包み直した。
不破は、ぽつんと言った。
「この桃は、お前の尻のようだ」
淡々とした言い方だったので、将はふうんとうなずきかけ、慌てて、不破を見た。
「え?」
「この桃は、お前の尻に似ている」
不破の気性を呑み込めてきた将にも、この一言には呆然とした。一瞬、飛んだ意識の中で、自分のはそんな形なのかと思ってしまう。それから慌てて首を振った。
「なに、言って」
「事実だ。おとといも見たから間違いない」
将は赤くなった。それしか反応しようがなかった。
「この曲線の具合は酷似している。ただ、さすがに桃の方が柔らかいし、匂いも違う」
将は黙って、拝聴していた。何しろ、どう止めるべきなのか。言葉が見つからない。不破と暮らしていると、こんなときがあるのだが、なかなか慣れない。どういう時に、こうなるのかが、将にはまだ掴めないからだ。
ええと、ええと、と頭の中で意味もなく言葉が回る。不破はまだ話している。
「しかし、桃の感触とお前の感触とでは違うな。どちらが好ましいかというと、また話は別だが」
不破は一人、うなずいた。
「果物と人間のどちらかを好きか比べるのはナンセンスだ。ただ、選べというなら、俺は風祭の尻を選ぶ」
「……ありがとう」
不破はうつむく将に目をやって、自分も下を見た。不破も不破で事あるごとに悩んでいた。一緒に暮らす恋人に対し、たまに不可思議な気持ちや感情が込み上げて、膨らんでしまう時があった。
こうして、二人揃って時間を過ごしていると、その思いが意味も掴めないまま、口をついて出てくる。
将への恋愛感情に帰していることは間違いないのだが、どうしてこうも意味のない言葉を言ってしまうのだろうか。考えても考えても、謎は謎でしかない。不条理さを認められないたちの不破としては、苛立ちというか、落ち着かないのだ。
ため息が出た。少し弱々しい声も出た。
「俺の言うことは変か」
「……照れる」
「照れるだけか」
「う、うん」
「それなら、また言っても許してくれるか」
「……たまになら」
「分かった。努力する」
不破は真面目に約束した。将は不破の顔から、慌てて、桃に目を移した。鼓動が早い。胸が締めつけられるようになり、震えに近い感覚が体を走る。横目で不破を見ると、桃を口元に当てて、囓っていた。
将はまたもうつむいた。十秒数えて、言った。
「不破君」
「なんだ」
「桃、食べてしまおう」
「うむ」
「それから、ベッドに行こうか」
「……ああ」
夕暮れ時だから、不破の頬は赤かった。将の頬も赤かった。最後の桃も夕日に照らされて、赤くなっている。