ゆめうつつ



 何が幸福って言ったら、俺が考えるに、これだ。今、やってること。これしかない。つまり、今みたいに、風祭を腕の中に抱いて、あったかい布団の中で、うとうとすること、これにつきる。
 もう最高。他に何もいらない――そんな気分には間違いなく、浸れる。
 そりゃ、サッカーは楽しい。わくわくする。体中が楽しくって、サッカーのために生きてる、って気になる。ボールが自分のとこにきたときなんか、ぞくぞくして、たまらない。もう、本能にサッカーが組み込まれてるんじゃないかって、俺は思う。この感覚や快感が俺の中から消える事はないだろう。これがなかったら、俺が俺じゃないって事だし。
 でも、風祭はちょっと違う。なんて言うんだろう、こういうの。
 じわじわ? 
 じくじく? 
 違う、しみじみだ。風祭と一緒にいて、そんで、キスしたり、エッチしたりしてたら、しみじみするんだよ。生きてて良かったーって心の底から、そういう風に思う。
 眠ってるときでも、起きてるときでも、風祭は、いつだって、あったかくって、小さいから、俺の腕の中にすっぽり入る。
 どこまで腕が風祭の体に回せるかとか、頭をどれくらい下げたら、風祭の唇に届くのかとか、俺は全部知ってる。勉強したから。予習も復習もばっちり。誰に聞かれたって、すぐに答えられるだろう。
 抱きしめたり、すぐ近くにいれば分かるけど、風祭って、いい匂いがするんだ。太陽とミルクと花と草を一緒にしたみたいな、ふわふわした感じのいい匂い――あ、ちょっと違うかも。俺が風祭を好きだから、その匂いをいい匂いだって思ってるのかもしれない。
 でも、結構な人数が、風祭のこと、いい匂いとか思ってるんじゃないかな。俺にしたら、ちょっと、悔しいけど、風祭は俺のだし、いいや。好きなとき、匂いが嗅げるのって俺だけだもんね。
 寝顔だって、こんなに近くで見られるのは俺だけだ。
 息がかかるくらいに近づくと、分かることも色々ある。意外に睫毛が長くて、唇が綺麗な薄いピンク色していて、日焼けしているけど、ほっぺたは柔らかいまんまなんだ。もちろん、日に当たらない白い部分も柔らかい。キスマークが付けやすいから、俺はよく噛んで、風祭に怒られている。
 なんで、いいじゃん。証拠なんだからって言ったら、しばらく、させてもらえなくなった。目立つとこにはつけないって約束で許してもらったけど、たまに、風祭が気づかない内に、すっごいとこにつけてる。誰だって、分かるような場所に。
 俺が風祭のものなのと同じように、風祭は俺のだもんね。きちんと印をつけておかないと、世の中には悪い奴が多いからさ。
 寝顔のことは言い出したらきりがないんだけど、もう一つ。風祭って寝癖が無茶苦茶、可愛いの。
 どんな寝癖かっていうと、これが最高。俺に抱きついてくるんだ。
 あんまり嬉しいから、逆にちょっと苛めたくなって、一回、先に起きて、風祭から離れてみたことがある。俺がいなかったらどうするんだろうと思ったんだ。
 風祭は手を伸ばして、俺がいた辺りを探ってた。いないって分かったら、今度はくるんって寝返りを打って、俺がいたところにくる。そこで、やっと目を開いて、すっごい寝ぼけた、でも、不安そうな声で言った。
「藤代君……?」
 たまらなくなって、俺、はーい、とか返事しながら、風祭の隣に戻って、腕にぎゅっとして、そのままエッチになだれ込んだ。
 風祭は目が覚めきらなかったみたいで、途中までは、え、え、とか言って、訳が分からないみたいだった。まばたきして、俺のこと呼ぶから、そのたびに返事して、キスしている内に、俺がやろうとしていることにやっと気づいた。
「駄目だよ」
 風祭が抵抗したのは一回。俺が、今日、休みじゃん、っていったら、泣きそうな恥ずかしそうな顔になって、うんってうなずいた。後は、風祭といつもみたいにあっちでもこっちでも仲良くなって、終わった後に、訊いてみた。
 風祭って、誰かに抱きついて寝るのが癖? って。そしたらさ、風祭、顔赤くして、首、振るんだ。今までの名残で、まだ頬が薄い赤色してたんだけど、エッチの最中みたいな、綺麗な赤色に戻った。
「だって、夜中とか朝とか、いっつも俺に抱きついてくるじゃん」
 俺がそう言ったら、風祭、すっごく驚いた顔して、
「そ、そんな寝癖ないよ!」
 少し、どもりながら、そんなことないって何回も言う。
「藤代君、からかわないでよ」
 なんて逆に怒られそうだったから、俺、一生懸命、説明した。目が覚めたら、大抵、俺に抱きついてきてるって、本当だぜ、って。
 風祭は俺をじっと見て――風祭が言うには俺が嘘を付いているのなら目を見れば分かるっていうから――まだ信じられないみたいに言った。
「本当?」
「本当」
 速攻で答えた。だって、本当のことだし。
 風祭は今度はどうしよう、と慌て出す。なんで慌てるんだろ。最高にいい癖なのに。
「僕、そんな癖なかったはずなのに」
 風祭は本当に困っている。
 困った顔も好きなんだけど、困らせるのは好きじゃないから、俺は考えた。
 そして、これしかない答えを思いついた。
「それってさ、俺と一緒に寝るようになって出来た癖かもしれない!」
「そうなのかな、だけど……」
「たぶん、いや、絶対そうだって!」
 そう思ったら、勝手に笑いがこみ上げてきた。
「なんか、嬉しい。すっげえ嬉しい」
 我慢できなくて、風祭に抱きついた。藤代君、と胸をぽんぽん叩かれたって、離さない。だって、ここ風祭の部屋だもん。誰も見てない。――なんて、実は計算してた。こういう質問するときは二人きりの時に限る。二人だけなら、俺がどんなに風祭にくっついていても、そんなに怒られないし、もっといい方向に行けるかもしれないし。
 そっちは、今終わったばかりだけど、もう一度、やったって、誰に何を言われるわけでもないから、俺はその通りにした。今度は、風祭の抵抗はなかった。
 という訳で、俺は風祭と寝るときは、風祭に抱きつかれている。
 目が覚めたときも、大抵、そうだ。手を繋いでたり、足が絡んでたり、全身で抱きつかれてたりと、パターンはそのときによって違うけど、風祭の一部が、俺に触れてるのは確かだ。
 俺も最近では、風祭を抱き返すのが癖になってる。風祭の家から帰った翌朝なんて、風祭を捜して、朝方、手が伸びてしまう。冷たいシーツを撫でて、目を覚ますのがオチだけど。
 この間なんて、サッカー部で合宿があって、広い畳敷きの部屋でごろ寝してたら、俺は隣で寝ていた笠井を抱きしめようとしていた。これは、合宿がある間、会えなくなるから、その前に風祭に会いに行ったのが原因だ。
 風祭の家に行って、夕飯作ってもらって、二人で食べているときに、しばらく会えなくなるって言った。どれくらい、って風祭が聞いたから、俺、すっごい暗い顔して、顔を伏せ、指を二本立てた。もちろん、二泊三日の合宿予定ってことだけど、風祭は、そう取らないんだよな。
「二週間?」
 俺は風祭をちらっと見て首を振り、急いで顔を伏せる。笑いたいのも必死に堪える。ごめん、からかって。でも、風祭のこういうとき、大きくなる目、好きなんだ。
「二ヶ月とか、じゃないよね」
 俺は黙る。ちょっと唇を歪めてみせる。
 先輩たち曰く、俺の演技はわざとらしくて見られたもんじゃない、らしいが、結構、風祭には通じるんだ。目を見られたら、分かっちゃうんだけど、今は顔を伏せているから、大丈夫。
「二ヶ月? 二年な訳ないよね」
 風祭は、誤魔化すみたいに照れ笑いした。俺はずっと黙ってた。拳が震えてしまう。唇もぴくぴく動いて、肩も揺れている。これ、泣いてるみたいに見えたみたいだ。
「藤代君、どれくらい会えなくなるか、ちゃんと教えてよ」
 風祭の声が震えた。からかいたいけど、泣かせたい訳じゃないから、俺は顔を上げて、笑った。
「二日。二泊三日」
 風祭が、目を丸くした後、怒った。こんなとき目が少し、つり上がるみたいになるんだ。凛々しい、なんて見とれてたら、低い声で風祭が言った。
「嘘、ついた」
「嘘じゃないよ。俺、ちゃんと指二本立てたじゃん」
 もう一回、二本指を立てて揺らしながら、笑ってみる。
 風祭が俺を睨んで、横を向いた。
「風祭ー」
「なに」
 わ、すげえ声。すごいけど、可愛い。
「怒んないでよ」
「怒ってない」
 あー、怖い。怖いけど、可愛い。
「ねえってば」
「怒ってないよ」
「怒ってるじゃん……俺、泣くよ。風祭に会えなくなるのに」
 顔を腕に伏せて、テーブルに突っ伏した。
「藤代君」
 ちょっと厳しい風祭の声。しくしく泣いてやる。
「ひでえよ」
 小さい声で言ったら、風祭が椅子から立ち上がった。
「藤代君?」
「俺、寂しくて死ぬ。ウナギみたいに」
「……ウサギだと思うけど」
 しまった。
 風祭が変に思う前に、俺はフェイントかけた。風祭を抱いて、額や頭やつむじに、いっぱいキスして、くすぐって、気を逸らさせる。
「藤代君!」
 風祭が顔を赤くして怒る。
「ふざけないでよ」
「俺、真面目。いつでも本気」
 しばらくじゃれ合って、風祭のご機嫌を取ってみたけど、直らない。いや、あとちょっとなんだけど。もう少し、ってところで我慢できなくなった。だって、むっとしてる風祭って滅多に見られないからさ、なんか、たまらなくなってきた。
「あー、もう好き。風祭、大好き」
 ぎゅっと抱いて、風祭のつむじにほっぺたをくっつける。いい匂い、柔らかくて、でも弾力があって、抱いてるだけで幸せなんだけど、もっともっと幸せになりたくなってきた。
「じゃ、風祭の部屋、行こう」
「なんで!」
「だって、風祭と会えなくなるし、電話だって出来なくなるから、今の内に、いっぱいやっとく」
「話が繋がってないよ」
「俺の中では繋がってるから、いい」
 ね、ね、と風祭に同意を求めて、あちこち触って、キスしている内に風祭がうなずいた。
 返事が駄目、だったのはつらいけど、こういうときは気にしない。
 なだれこんだベッドの上で俺が、駄目? 駄目だったら止めるよって訊いたら、駄目じゃないよ、って泣きながら言ってくれたし、もっとすごいことも言われたから。
 俺は風祭のもっとすごい言葉に従って、一晩中、頑張った。さすがに、翌朝の太陽は、色が変わってみえたけど、これでしばらくは大丈夫――のはずだった。
 確かに風祭恋しい病は何とかなったんだけど、俺の新しい寝癖は、何とかならなかった。
 それが、笠井に抱きついた件だ。
 でも、さすが俺。抱きながら、ちょっと感触違うなあ、もうちょっと柔らかいはずだし、小さいんだけど、なんて思ってたんだ。頭がはっきりしてなくても、風祭を抱いたときの感触、覚えてたんだ。これって、すっごいことだと思う。
 笠井に拳で殴られて、頭を引っぱたかれて、ぼかぼか蹴られて、朝からぼろぼろになったけど、全然気にならなかった。俺、夢の中でも風祭のことが分かるってことじゃん。
 えへへって笠井に殴られながら笑ってたら、あいつ、すごい怖そうな目で俺を見てた。先輩とかにも、ついに脳に来たなんて言われたけど、平気平気。気にしない。
 どんなときだって忘れない風祭に、合宿が終わってから会いに行くこと考えたら、殴られようが蹴られようが、気にならない。それどころか、力が湧いて、もう俺、何だってやれる。
 それなのに、合宿が終わって、すぐにテストがあることを忘れてた。やだよなあ、学生って。テストばっかり。教科書読むより、風祭の顔が見たいっていうのに、教科書とノート、プリント、資料集、そればっかりと付き合って、その間は、たまにする電話で我慢するしかない。
 風祭に関する問題なら、俺、全教科百点の自信があるのになあなんて思いながら、何とか試験は終わった。
 そうして、やってきた風祭に会いに行ける休みの日。朝になった途端に、俺の耳からは音がみんな消えて、見えるものは急にぼやけて、頭の中には、風祭の家までの道のりしか浮かばない。
 機械みたいに正確に、寄り道もしないで風祭の家まで走った。一回も立ち止まらなかった。
 走ってる間、腹が減って喉が渇いて、頭ががんがんして、胸が痛くて、目頭が熱くて、指先が少し、震えていそうで、訳がわかんなかった。
 ものすごく長いように思えた道のりの最後に、風祭に会って、分かった。俺、風祭に飢えてたんだなあって。きっと、俺、風祭に一生、あえないとか言われたら死ぬ。間違いなく、死んじゃう。
 久しぶりだねって笑う風祭を見て、たまらなくなった。がつがつしてるなって自分でもちょっと恥ずかしかったけど、あえなかったから仕方ないんだと納得させて、風祭を抱いた。
 おなかがいっぱいになって、喉も潤って、頭がすっきりして、胸が早くなって、指先が熱くなって、ふるえは止まったけど、駄目だ。風祭に触ってるのにまだ全然足らない。もっといっぱい、もっとたくさん、俺の中が全部、風祭になって、風祭の中が俺になって、それくらいにしないと駄目だ。
 あんまりしすぎたら風祭がきつくなっちゃうけど、とまらなくて、自分でも押さえがきかなくて、ごめんな、ごめんなって何回も謝った。俺ずるいよなとか思うんだけど、やっぱりごめんっていいたいんだ。
 いいよと風祭は涙を浮かべて、笑った。
「僕も、ずっとずっとあいたかった」
 余計、とまらなくなるのに。
 明日、休みでよかった。わがまま許してくれて、ごめん。
 風祭と俺だけしかいない時間が終わって、ちょっとだけ話した後、ほとんど同時に目を閉じた。一秒か、二秒しかない、眠っちゃうまでの時間、また風祭と一緒に眠れるんだなって思ったら、胸中に涙みたいなあったかいものがこみ上げてきた。そのせいか、い夢をたくさん見た。起きた途端、嬉しくなる。眠ってていても起きていても、風祭を独り占めできるのは、俺だけなんだ。
 たまらなくなって目を開く。風祭は、やっぱり俺の隣にいた。ぴったりくっついている。指が俺のシャツをぎゅっと握りしめている。どこにも行かないのに。
 顔を動かして、風祭の方に傾けた。やっぱり、いい匂いがした。
 思ってもいいかな。こんな幸せそうな顔して風祭が寝てるのは俺が側にいるからだって。
 風祭を抱き返す。無防備で、安心しきってる体が、熱くて、柔らかい。
 早く、風祭、起きないかな。でも、このまま寝顔を見続けてるのもいいかもしれない。
 風祭が起きたらなんて言おう。笑いかけようかな。おはようって言おうかな。それとも、真っ先にキスしようかな。好きだって言ってもいいし、全部、やってもいい。一緒にいるから、考えたことが何でも出来る。嬉しい。すごく、嬉しい。
 おはようの後、好きだって言って、キスして、それから、大好きだって言うんだ。そして、風祭に、好きだって言ってもらって、キスしてもらって、それから大好きだって言ってもらおう。

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