舌のやけど



黒川柾輝

 出された日本茶を見て、黒川は思わず、眉を寄せていた。将は敏感に表情の変化に気づく。
「嫌いだった?」
「いや、違う」
 黒川は首を振り、苦笑した。
「舌をやけどしてるんだ」
「えっ」
 大変とばかりに将は黒川を見上げる。
「大したことねえよ」
「でも、痛いんだよね? 別の飲み物にするよ」
 将が冷蔵庫へ行こうとする。呼び止めた。
「いいよ。冷めるの待つから」
「駄目だよ。そっちは僕が飲むから」
 将は冷蔵庫からアイスコーヒーをグラスに注いで、持ってきた。
 黒川は素直に礼を言う。将は黒川の分の日本茶を自分の方へ引き寄せた。
「それ、飲むのか?」
「うん」
「やけどに気をつけろよ」
 黒川が微笑して言うと、将はありがとうと笑った。





須釜寿樹

「ちび君」  須釜が手招きする。将が近寄っていくと、須釜がいきなりかがみこんだ。
 同じになった目線で将と須釜は見つめ合う。
「どうしたんですか?」
「どうなってるかな?」
 将の問いかけに、須釜は口を開いて、舌をべえっと突き出した。
 驚きながらもじっと見て、将は、どうもなっていないと答えた。
「おかしいな。やけどしてるはずなんだけど〜」
 将は顔を寄せて、もう一度、舌を見せてもらった。濡れて赤く光った須釜の舌は、とくに異常は見られない。
「痛いんですか」
 心配そうな顔になった将の唇を須釜がぺろっと舐めた。
「スガさん!」
 たちまち赤くなる将に、須釜はにっこり笑った。
「結構、痛いんだ〜」






藤村(佐藤)成樹

「ポチ、あっかんべえして」
 成樹に言われて、将はきちんとしたあっかんべえをした。目の下もちゃんと引っ張った。
 成樹は吹き出しかけて、慌てて、付け加えた。
「舌だけでええよ」
将が舌だけのあっかんべえをすると、成樹はまじまじとそれを眺めた。
「分かった。ありがとな」
 将は舌を引っ込める。今度は成樹があっかんべえをした。
「シゲさん、どうしたんですか?」
 今更の将の質問に、成樹はあのなあと顔をしかめた。
「舌、やけどしてん」
 今度は将がまじまじと成樹の舌を見た。言われてみれば赤い気もする。
「小さなやけどなら、舐めたら治ると思わん?」
 成樹が言って、将をじっと見た。
「ポーチ」
 変に甘えた、からかうような声を成樹が出す。舌がちろちろ動いた。
「いやです」
 将は赤くなった。
「誰も見てないで」
「そういうことじゃなくて」
「気分の問題、気分の。ポチに舐めてもろうたら、すぐ治るて」
 ほらほらと手まで掴まれた。
 諦めて、将は背伸びし、成樹は腰をかがめた。将の舌がちょんと成樹の舌に触れる。
 ぎゅっと目を閉じた将の顔を堪能して、成樹は将を解放した。
 唇ほころばせて、一言。
「ポチのおかげで治った。治ったから、今度はこっち」
突き出された唇に、ため息をついて、将はふたたび背伸びし、成樹は腰をかがめた。





潤慶

「痛いんだ」
 言いつつも、潤慶は上機嫌で笑っている。
 どこが、と将が訊ねると、潤慶は口を指した。
「ここ。こっち」
 こっち、のあと、潤慶はべえっと舌を出した。見て見てと目でうながしているので、将は舌を見た。
 しばらく見た後、潤慶は舌を口の中に戻した。
「ね、赤くなってるだろ。火傷なんだ」
「うん」
 でも、舌って赤いんじゃないかなと将は心の中で呟く。潤慶は楽しそうに痛い、痛いと言っている。
「ほんとうに痛い?」
「ほんとうに痛いよ」
 ほんとかな。将のつぶやきにかまわず、潤慶は腰をかがめた。
「だから、今日は、こうするね」
 まず左の頬に唇が当てられる。
「こっちも」
 右頬へもキスされた。
「将も」
 期待に充ち満ちた潤慶のまなざしに逆らえず、将は潤慶の右と左の頬へ、そっと唇を当てた。猫が喉を鳴らすように潤慶が、嬉しそうに笑い声を立てた。将もおかしくなって、笑った。
 将が両頬のキスを終えると、潤慶は唇を指さした。
「やっぱり、こっちも」
 笑ったままの形の唇が近づいたのか、近づけたのか。たぶん、二人にはどちらでもいい。





一馬

 舌を歯の裏につけて、ぴりついた痛みを確かめていると、隣の将が話しかけてきた。
「真田君、口どうかした?」
「え」
 何で分かったのかと一馬は驚いて、将を見つめ直す。
「さっきから、ずっとくちびるを動かしてるから、気になって」
「あ、そっか……」
 見られていたのかと一馬は恥ずかしくなった。将も頬を赤くした。自分も一馬を見ていたのに気づいたからだ。
 漂いだした気恥ずかしい空気を感じながら、一馬はそっと言った。
「あのさ、昨日、舌をやけどして、なんか、ぴりぴりするから……」
「そうなんだ。大丈夫?」
「平気。ちょっと赤いくらい」
 それでも将が心配そうな顔をしたままなので、安心させたく、ほら、と一馬は口を開いてみた。
 将は何気なく、一馬の腕に手を置いて、のぞきこんだ。将の手の重みを感じて、一馬は幾分、緊張した。
「ほんとだ、少し赤い」
 目の下に将の優しいあどけない顔がある。匂いが鼻をくすぐった。
「ご飯食べるときとか、話すとき痛いよね」
「痛いけど……すぐ、治る」
 舌を引いた一馬の吐息を感じ、将は目線を上げた。思いがけないくらい近くに、一馬の顔があった。将の頬が赤くなる。一馬の頬も赤い。今更、手を引けるわけもなく、身を離すわけもなく、しばらく見つめ合った。
 と、一馬が首を動かした。
「痛いなら」
 将が呟いた。
「痛くない」
 囁いて、一馬が顔を近づけた。将が目を閉じた。





吉住

 ああ、と吉住の声が上がり、将は振り返った。
「どうしたんですか」
「やけど、した」
 手にしたカップを遠ざけて、吉住は唇を噛むような仕草をした。
「痛い」
「舌ですか」
「うん」
 見せてください、と頼むと、吉住は舌を出した。
「ちょっとだけ赤いです」
「ええ、ちょっとだけ?」
 けっこう、痛いんやけどなあと吉住はぶつぶつ呟いた。
「痛いですか」
「うん、痛い。なんか、こう痛い」
 吉住は口元を押さえ、眉間に皺寄せた。
「こういうちっちゃい痛みはかなわんなあ」
 ふうとため息をついて、吉住はベッドにもたれかかった。将はまだ大丈夫だろうかといいたげに、吉住を見ている。それを見返した吉住は、顎に手を当て、いささか年寄り臭く、ふむふむうなずいた後、唇を指さした。
「なあ、意味、わかる?」
 そういって突き出すものだから、将だとて気づく。
「ほ、本気ですか」
「嘘いう目にみえる?」
 と、細い目を開いていうから、どうやら真面目らしい。こんな諧謔めいた言葉もいうのか、新しい一面を見たようで、将はうれしさと照れで、微笑した。
 吉住もにっこり笑った。ほころんだ唇に、将はかすめるような一瞬のキスをした。
「ああ、痛うなくなった」
 ほっとした声で吉住が言う。
「ほんとうですか」
「うん」
 吉住の目が優しいので、将は顔を近づけた。
 もう一度してみれば、治ったわ、と吉住が呟いて、今度は自分から顔を寄せた。





郭英士

 げほっげほっと突然、英士が激しく、咳き込んだ。将が目を向けると、英士は口元を押さえて、まだ咳き込んでいる。手に茶色いしずくがつき、袖口にも大きな染みが出来ていた。そのまま、英士は無表情でありながら、不機嫌であることがありありと分かる、奇妙な顔で、コーヒーカップをおいた。
「郭君、熱くなかった?」
 将は言いながら、ティッシュを引き寄せ、数枚、引き出す。
「平気」
 英士は固い声で言い、将の手からティッシュを受け取ると、手に散った飛沫を拭いた。
皮膚はともかく、シャツのシミが取れるわけがないので、やがて英士は、黙って立ち上がり、部屋を出て行った。将も雑誌をおいて、追いかけた。
 洗面所から水音が聞こえる。将がそちらに近づくと、足音を耳にしたらしく、英士がまたも素っ気なく言う。
「大丈夫だから、部屋にいってなよ」
 淡々とした声に、将は顔を曇らせたまま、部屋へ戻った。読みかけの雑誌を手に取る気がおこらない。
 テーブルにまだ残る乾きかけたコーヒーを拭き、目を伏せていると、ひとまず洗い終えたらしい英士が戻ってきた。何事もなかったように元の場所に座った。とくに言葉もないまま、英士は参考書を広げ始めた。十分ほど前に、もうすぐ課題が終わるから、そうしたら二人でゆっくりしようと言ったときの彼がいなくなったようだった。
 邪魔かと思いつつ、いたたまれないので、将は声をかけた。
「染み、落ちるかな」
「さあ、分からない」
「ごめん。クリーニング代、出すよ」
 英士は目を軽く、見開いて、顔を上げた。
「なんで、風祭が?」
「僕がコーヒー出したし」
「飲みたいっていったのは俺だけど」
「だけど」
「いいよ。落ちなかったら捨てる」
「もったいないよ」
「風祭が気にしなくていい」
「気にするよ」
「なんで」
「郭君、怒ってる」
 英士は、なぜか妙な顔になった。困ったような、言いにくそうな表情で、ひょっとしたらうろたえているのかもしれなかった。その表情のまま、英士は将を手招きし、近づいた将はその腕に引っ張られた。
 英士の体に自分の体を預ける形になり、将はとまどった。英士の手が将の後頭部をそっと押さえ、髪を撫でる。慣れ親しんだ英士の匂いに安堵を覚え、そこにコーヒーの香りを見つけて、将は英士の腕の中で物思わしげに眉をひそめた。
 英士はふうっとため息をついたあと、告白した。
「……すごく間抜けだっただろ」
「え」
 顔を上げようとしたら、英士の手に拒まれた。胸に顔を埋めたまま将は英士の言葉を聞いた。
「風祭、見ててむせたんだ。舌は火傷するし、服は汚すし、みっともないったらないよ、ほんとに」
 最後、英士は、ずいぶんと忌々しげに呟いたが、将はもう怖くなかった。
「もしかして……郭君、照れてた?」
 その答えは将の唇が知っている。――唇が離れた後の英士の頬は薄赤かった。





三上

 あちっと声の後に、水音が響いた。将が顔を上げると、三上がしかめ面をしている。白いシャツに、小さな染みが点々と残っていた。
「先輩」
「なんでもねえよ」
 三上がそっぽを向いた。
「拭かないと」
「洗濯したら落ちる」
 あまのじゃくだなあと将は呆れつつも、タオルを探した。
「いい、座ってろ」
「だけど」
「いいって」
 三上が不機嫌そうな様子なので、ここはそっとしておこうと将は雑誌に目を落とした。
 三上も自分の雑誌をぱらぱらめくっている。しばらくして、三上がぼそりと呟いた。
「格好悪いだろうが」
「……格好いいです」
 言葉の間を見逃す三上ではない。
「風祭」
 将は首をすくめた。
「嘘つくな」
「じゃあ――可愛いです」
「……うれしくねえよ」
 言葉の間を将は見逃さない。顔を上げたら、三上は仏頂面になっていた。近づいていったら、抱きしめられた。
「可愛いはないだろうが」
「じゃあ、かっこいいです」
「嘘はいい」
「可愛いです」
「止めろ」
「かっこいいです」
「嘘つくな」
 三上の機嫌は直ったらしい。





周防

 いつもと違う気がする、と唇を離した後、将は思った。何がどうとは上手く言えないが、何かが微妙に違う。
「周防さん」
「んー?」
 将の頬に唇をつけていた周防はくぐもった声を出した。
「どうかしたんですか」
「どうもしてねえよ」
 じゃあ、今のは何だったのだろうと将は首をかしげた。
「どした」
「さっき、違ってました」
 髪の毛の中に顔を埋めて、あちこちくすぐっていた周防はやっと顔を上げた。
「さっき?」
「キスのとき、なんとなく、変でした」
 周防はまじまじと将の顔を見た。
「おまえ、よく分かるな」
 言うなり、周防は唇を重ねてきた。舌がゆっくり入って、将は驚きながらも、受け止める。やはり普段より落ち着いて、おとなしめのキスだった。
「違うだろ」
 周防が確認してきた。
「違います」
 どうして、と将が続けて訊ねたら、周防はにやっと笑って、舌先を突き出した。ちろりと舌が動き、ふたたび口の中に引っ込められる。
「舌、やけどしてさ、痛いから、あんまり激しく出来ないんだよ」
 くくっと周防が忍び笑った。
「いやあ、くっつけるだけで呼吸困難になってたちびが、気づくなんてな」
「周防さん」
「成長するもんだな」
 周防は将の体を抱き込んだ。
「将のエッチ」
「周防さんのすけべ」
 むうっと二人で睨み合って、周防は将の唇にまたいつもと違うキスをした。
 

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