眠れないという訳ではなく、眠りたくなかった。微睡んでは目が覚めてしまうのも、そんな気持ちが心の底にあったからかもしれない。
何度目かの浅い眠りのあと、ファルーシュは少しぼんやりする頭を枕の上で動かし、そっと起きあがった。隣の男は静かな寝息を漏らしている。
寝台横の卓上にある水差しから杯に水を注いで、口に運ぶ。ぬるんだ水を二杯分、喉に流し込んで、ファルーシュはゲオルグの隣にふたたび身を横たえた。
ゲオルグはよく眠っている。これで、殺気でも感じれば飛び起きて、傍らの剣に手を伸ばすだろう。ファルーシュと共に眠るときでも、彼はごく自然に右手を空ける。
左手の方はといえば、頭の斜め上辺りに投げ出したようになっていた。人恋しさに押されて、指先を這わせ、皮の厚い固い手のひらを撫でてみた。
反応はない。ファルーシュはゲオルグに身を寄せると、足を彼の臑に絡めてみた。全体的にファルーシュの体毛は淡く、細いため、肌は少年の頃のままの滑らかさを保っているが、ゲオルグの方は当然というべきなのか、しっかり生え揃っている。
絡めた足を動かすと、肌に毛が擦れて、じょりっとざらつくような、皮膚と皮膚との間の細かな異物感を感じた。
気持ちいいものではないのだが、面白くて、たまにやる。手でやれば渦が出来るのだが、これは昔、父が教えてくれた遊び方だ。母に見つかると、呆れたようにたしなめられたが、その目を盗んで、たまにやらせてもらった。リムスレーアの方は、引っ張る方がお気に入りだったらしく、父はたまに涙目になり、うおっと叫びながらも、小さなぷくぷくした手の好きにさせていたものだ。
思い出すと、ますます、懐かしくなって、足をさらに擦りつけた。ゲオルグの寝息は、わずかに乱れて、すぐに戻る。男の信頼と安堵を預けられる我が身を思いながら、ファルーシュは自分の胸の前にあった手をゲオルグの胸に当てた。
しっかりと張りつめた胸板の厚みを確かめ、そっと下ろしていく。手の下には、鍛えられた、というよりも、生死の世界に身を置く男の持ちうるたくましく、活力に溢れた肉体が感じられる。
手で辿っていると、彼の躯が目に浮かぶようだ。ファルーシュの躯をゲオルグが隅々まで知っているように、ファルーシュもまたゲオルグの躯を知っている。
くっきりと割れた腹筋は、呼吸のたびに小さく動く。ぽつんとへこむ臍をつついて、さらに手を下ろす。下履きの帯の結び方は寝苦しくないようにだろう、ゆるく、ファルーシュの細い指先が忍び込むのを何も邪魔しない。
引き締まった下腹からもっと下へと指を下げると、中指の先がちくりと固い感触に当たる。繁みを探り、撫でる。皮膚は暖かく、毛が指先が動くたびに絡んでくるようだ。
羨ましい、と純粋に思う。ゲオルグは頭髪の方は、陽にさらされて少し色が抜けているのだが、陰毛の方は艶のある黒々としたそれで、濃く繁っている。色味は違うが、記憶にある父親のそれとも似ていて、母の血の方が強い自分の躯を恨めしく思う。
男である以上は、いつか濃くなるし、量も多くなると言っていたゲオルグも、この頃では何も言わなくなった。ずっとこのままなのだろうかと何度か前の情事の際に、ファルーシュが呟くと、何も生えていないよりはいいだろうと、ゲオルグは言って、淡い繁みを撫で上げた。
どうも、彼は今のファルーシュの状態がお気に入りらしい。満足感を隠しきれない口元が、そう語っている。彼の唇が近づけば、非難する余裕もなくなり、こうして、ファルーシュのひそやかな悩みはいつも棚上げにされた。
無毛という訳ではない。やはり、色が問題だ。ゲオルグのように黒い体毛は得なのだ。
ファルーシュの髪は銀色だが、これは光に透けると、非常に淡く見える。輝きがあるから白髪には見えないのだが、体毛は全体的にこういう感じだ。下の方は、色としては多少、濃いのだが細いし、何とも柔らかい。ゲオルグの立派さに比べれば、か弱すぎる。
ゲオルグの毛は固めで、そのせいか、撫でていると少しちくちくする。彼の性器を受け入れているとき、会陰に当たるその感触は、不思議な刺激になり、彼の雄臭さをそのようなところで感じる悦びがあった。
さわさわと指で梳いてみる。起きない程度に引っ張ってみる。ぐしゃぐしゃと乱してみる。遊んでいる内に、手がペニスの根本に触れた。周りをぐるりと指で撫でて、ファルーシュは自分でも気づかないうちに、唇を不満げに噛んでいた。
憎たらしいくらいにこちらも立派だ。
いつだったか、酔って肉体的劣等感について語ったファルーシュに、 俺はお前のすべてに満足している、とゲオルグは真面目に返した。普段、そのような言葉を吐かないせいもあり、その日の夜は、燃えに燃えて、仕方がなかった。
だが、翌日になってみれば、横には男性美の理想ともいうべき肉体があり、見下ろせば、それなりに筋肉はついたが、今ひとつ、迫力の欠ける躯があった。羨ましいのと悔しいのとがない交ぜになった愛しさがこみ上げて、つついて握りしめれば、ゲオルグと一緒に目を覚まし、太い腕にあっという間に抱き込まれ、目覚めたばかりの躯に熱を注ぎ込まれた。
躯を重ねてから、それなりの時間が流れたが、いまだに、ファルーシュはどこをどうすればゲオルグの欲望を呼び起こせるか、掴めない。この男は、妙なところで欲情するし、その逆もある。ゲオルグはファルーシュの欲情を見逃さないから、この辺りでは、自分はまだまだゲオルグには及ばない。
これからも精進が大事だなと再確認してから、持ち重みのあるペニスを探る。今はだらんと両足の間にうなだれがちに存在するそこを、指で探っていると、形がそのまま、思い出された。
黒い繁みから伸びるペニスの長さや太さ、カリから先端の形状、色合い。勃起するとどの程度大きくなるか、どのように血管が浮かび上がるか、どこをどうすれば悦ぶか。まったく絵に描けてしまうくらいだ。
我知らず、唇を舌先で舐めていたファルーシュはゲオルグの瞼が開いたのに気づいた。
「……さっきから何をしている」
言葉の始めがかすれていたのは、寝起きだからだろう。
「――按摩?」
「まったくお前は……」
ごそりとゲオルグは寝返りを打ち、ファルーシュの方へ躯を向けた。腕が伸びて、腰に置かれる。
ゲオルグが動いたせいで手から離れたペニスを指で探し、もう一度、触る。躯が横を向いているので、少し傾いているペニスの根本から先端まで触って、掌でもてあそぶ。
と、腰にあったゲオルグの手が下がり、尻の肉を掴まれた。そのままぐにぐに揉まれる。
「何をして……」
「按摩だ」
思わず、笑いが漏れてしまった。真顔で言うから、おかしい。肩を揺らして笑って、それでも、触るのを止めない。陰嚢にじゃれついて皮を引っ張っていると、ゲオルグがため息をついた。
腕が伸びて触れていた左手を掴まれる。ぐいと上に引っ張られて、腰を抱かされた。腹筋と変わらずに引き締まった脇腹を撫でて、少し身を上に上げる。
ゲオルグの左腋下にぐいと顔を擦りつけ、彼の体臭を確かめる。少し、匂いが濃いのは、眠る前に二人でかいた汗のせいだろう。鼻先に当たる毛の感触がくすぐったい。
額を擦りつけながら下ろしていく。ゲオルグの指が髪をかきやってくれる。さらさらと髪の毛が指の間を落ちていく音が聞こえる。
胸板に手を添えた。しっかりした肌の感触とその下にある血肉の熱さにため息がこぼれた。揺らぎ、震えるたびに、この躯に受け止められている。
「眠れないのか」
ゲオルグの言葉に首を振る。そっと唇を寄せて、乳首をぺろりと舐めた。ぴくりと腕と胸の筋肉が動く。前歯で甘噛みして、ちゅうっと吸い上げる。
深いため息が頭の上を通り過ぎた。軽く腰を抱いていた手に力がこもり、躯を引き寄せられる。
「寝ろ」
「ゲオルグより、先に寝たくない」
ぴったりと隙間がないくらいに寄り添って、ファルーシュはゲオルグの足の間に自分の足を差し込み、もう一本は上から絡める。それだけでは足りない気もして、腕に力を込めた。
「俺はお前が一人で起きている方が気になるが」
「悪戯するから?」
「そうだな」
声の響きはそれだけではないぞと告げていて、心の内がたやすく見抜かれたことに気づく。
ファルーシュは長い息を吐いて、ゲオルグの胸に頬を寄せた。この腕の中なら、この胸の内でなら、幾らでも甘ったれて、わがままをいうことが許されている。
寂しさを寂しさとして受け止め、心に吸いこませることがいつになったら出来るのだろう。分かるのは、そのいつかが来たら、ゲオルグが自分の元から去っていくことだけだ。
ぽたりぽたりと目からこぼれた雫は顔を横に流れて、シーツに落ちる。
とん、と背中が叩かれる。ゆっくりと間を置いて、また、とん、と叩かれる。どうしてこのあやし方を知っているのだろう。
目を閉じると、幾つもの顔が幾つもの表情で過ぎっていく。堪えきれなくなって、目を開く。ゲオルグの胸はゆるやかに上下している。静かな息づかいが頭上から聞こえ、背中は柔らかく、叩かれていた。
分かっていて、確かめたくなった。
「ゲオルグ」
「ん?」
眠りたくない。けれど、眠らなければ、彼もきっと眠らない。
「もう少しだけ」
かぶりを振る。ゲオルグの胸に顔を埋める。涙が乾かずに、この頬が彼の胸とくっついてしまえばいい。
濡れて冷たい胸に、ゲオルグは何も言わない。心臓の鼓動ほど早くはないが、同じほどに確かに、その手だけがファルーシュの背中を優しく叩く。
もう少しだけ、いつか来る日を、遠ざけさせてください。願い、祈り、ファルーシュは目を閉じた。