戻ってきたファルーシュを見て、ゲオルグは眼帯に覆われていない右目を見張った。
部屋を出る前に、言っておかなかったからだとファルーシュは、申し訳なく思った。
「ごめんなさい、ゲオルグ。もう、休む?」
もし、ゲオルグが無理だというのなら、ファルーシュは明日にもカイルに聞いてみるつもりだった。
そうやって運命の選択肢は、ファルーシュにもゲオルグにも訪れていたが、彼らがそれを知ることは永久になかった。運命とはそういうものだ。
ゲオルグは今にも部屋から立ち去りそうなファルーシュに首を振った。
「あ、いや、どうして、戻ってきたのかと思ってな。てっきり、俺は部屋に戻って……」
幾分、早口気味だった言葉の最後は口の中に消えた。
ゲオルグが何を想像したのか、まったく知らないファルーシュは、どうやらまだ彼が付き合ってくれる様子なので、ほっとした。良かった。また明日になれば、彼も城を出るのだから、今の内にしっかり勉強して、後々迷惑をかけないようにしなければならない。
「で、どうしたんだ?」
気を取り直したように、ゲオルグは改めて、ファルーシュを見つめ直す。
「自分で擦るってどうやるの?」
――ゲオルグが焦っている。見たことがないくらいに焦っている。そもそも焦るゲオルグなど、見たことがない。あまり、めずらしいので、ファルーシュは驚いてしまい、謝ることも忘れ、まじまじとゲオルグを眺めていた。
大きく変わる訳ではないが、その面には、ファルーシュには読めない表情が次々と過ぎり、やがて、ゲオルグはふっと短い息を吐いた。
「――こっちに来い」
手招きされて、近づいていくと、ゲオルグに腕を掴まれた。ぐいと引かれ、ファルーシュはその力のままに、ゲオルグの胸の中に入った。
ゲオルグの膝の間に座る形になり、戸惑っていると、彼が後ろから覆い被さるようにしてきた。背中に彼の胸が密着し、体温と彼の体臭が伝わってくる。今までにない距離に、ファルーシュはびくりと身を震わせた。
「足を広げろ」
耳朶に忍び込んできた声は、離れて聞くよりも低く、熱い。
ファルーシュは言われたとおり、両足を広げる。ゲオルグの右手が太腿の上に置かれ、その固い手のひらに驚いたのもつかの間、ゲオルグは左手でファルーシュの寝間着の裾を持ち上げ、下肢の全てを空気にさらした。
右肩にゲオルグの顎がのせられ、下が覗き込まれる。
「あ……」
そこが、誰でもない、ゲオルグの目に触れることに、突如、ファルーシュは、訳もない羞恥を感じた。
出自柄、身の回りには常に誰かが侍っていたから、裸体を見られることなど恥ずかしいとも思わなかった。それなのに、なぜ、急に恥ずかしくなったのだろう。
どうして、と問いかけるように震える息を吐いたファルーシュに囁くようなゲオルグの声が届く。
耳のすぐ側で響く彼の声に、首から腰まで震えが走っていく。
「まだ、生え揃っていないようだな」
「変、なのかな……?」
「いや、人それぞれだ。あまり気にするな」
内腿の奥へと手は動く。薄い肉づきの腿にゲオルグの手がある。手のひらは熱く、ファルーシュの頬は、その熱を受けたかのように上気する。
親指が足の付け根にあたった。その感触が生々しく、一瞬、ファルーシュは目を閉じた。
「ファルーシュ、自分で触れるな?」
声が出ず、ファルーシュはこっくりうなずくと、おずおずと自分の足の間に手を伸ばした。ゲオルグの静かな息づかいと違い、ファルーシュの呼吸は、乱れがちだ。
先を恐る恐るつまむファルーシュにゲオルグが告げる。
「右手で握るような感じだ」
言われたとおり、ファルーシュは指先を使い、陰茎をそっと握った。
「そのまま、上下に擦ってみろ」
「こう?」
ファルーシュは巻きつけた指と手のひらをゆっくり上下させ、ゲオルグを苦笑させた。
「もう少し早く」
ファルーシュの手つきは、最初よりは早くなったが、なんとも心許ない。
それでも、自分の手のひらや指で与えられる刺激に、ファルーシュは腰がむずがゆくなった。その感覚に、さらに、指の動きがなおざりになる。
ゲオルグは太腿の上にあった手を浮かせ、ファルーシュの右手に自分の右手を重ねた。
「あ……」
手を添えられ、包み込まれたファルーシュは身を竦ませる。
「こうだ」
ゲオルグの手がファルーシュの手を包んだまま、上下に動く。自分で動かしているというよりは、ゲオルグの手に操られるような形だ。
そうされると自然に、息が荒くなってしまう。
「ゲオルグ、何か、熱くて、痛い」
手のひらの中の感触が変わり始めている。柔らかかった肉が、急に張ったようになっているのだ。
「ああ、勃起してきたな」
「え」
聞き慣れない言葉に、下肢を見ると、まるで目が覚めたかのように、そこが起きあがってきている。
「これ……」
「子種が出るときは、こうなるんだ」
ゲオルグの言葉に、そうなのかとは思いつつも、やはり何か怖ろしい。まるで、自分の意思など関係なく、息づいているようだった。
ファルーシュの手をゆるゆると操っていたゲオルグが指の動きを止めた。重ねていた手を離し、指先が先端へと向かう。
そのまま自分で触れているのがためらわれて、ファルーシュは右手を引いた。
ゲオルグの指が先端の周辺にあたると、いっそう息が荒くなり、引いた手で拳を作ってしまった。それが厭だ。何が厭なのか分からないまま、息を乱し、生々しい熱を放つ自分をゲオルグに見せたくないと思う。
無意識なのか、太腿を閉じようとし、かえってゲオルグの腕を押す形になってしまった。
気がついて、すぐに腿を開く。耳に吐息がかかる。ゲオルグは笑ったようだった。
くりっと親指で軽く押すように、撫でられ、ファルーシュは肩を揺らした。
ゲオルグの親指と人差し指は先端をつまんでいる。
「少し、痛いぞ」
ぴりっとした痛みが走る。ゲオルグの指がそっと皮を剥いて、先を露わにしていた。
「ここはきちんと洗っているようだな」
「うん。父上が、そうする、ように……」
ファルーシュの言葉は途切れがちになる。
じわじわと得体の知れない感覚が強く、深く、体の内側を満たしていくのだ。どうしたらいいのだろう。これほどに、自分で処理するのは大変なことだったのだ。明日から処理をせねばならなくなったときは、一人で出来るだろうか。
苦しくて、胸が痛くて、目が潤み出す。心臓の鼓動がとても早い。体中が火照って、うっすらと汗ばんでさえいる。
ゲオルグが皮が少し寄ったくびれの部分に触れ、親指の腹でゆっくり撫でる。喉の奥でファルーシュは声を堪えた。そこは、変になる感覚が、とても強い部分だ。体中の熱が、陰茎に流れ込んでいくようだった。
「ここに触れるときは気をつけろ。擦りすぎると、血が出るときがある」
うなずきながら、ファルーシュは目を閉じ、ゲオルグによりかかった。びくともせず、ファルーシュの体を受け止めるゲオルグの胸の中は広く、あたたかい。
「ゲオルグ、恐い、胸が、変。痛いし、どきどきして、でも、泣きたくなる」
それに腰が引けて、逃げたくなる。ゲオルグが背後におらず、手が添えられていなければ、とっくにそうしていただろう。
「感じてるってことだ」
薄く目を開いたファルーシュは、下肢を見て、息を呑んだ。
「僕の、もっとおかしくなってる。変だ」
「変じゃない。擦っていれば、こうなるんだ」
「だって……」
ファルーシュは首を振った。
いつもよりも大きくなり、幹の部分が固く張りつめている。先の皮はゲオルグが剥いた時以上にめくれて、先端から赤い艶のある表面がのぞいているし、細い血管が浮かび上がっている。
何より恐いのは、いつも足の間に下がっているはずのそこが、臍に向かって、起き上がるような状態になっていることだ。最初に見たときよりも、角度がきつくなっている。
「このまま、元に戻らなかったら、どうしよう、ゲオルグ」
涙声で訴えるファルーシュにゲオルグは、なだめるような声を出した。
「心配いらん。射精すれば戻る」
「しゃ……あっ」
ゲオルグの人差し指が、先端をそっと撫でた。とくに一点を、あまり刺激せぬように触れて、囁いた。
「ここから、子種が出ることを、射精という」
「え、あ、そこは……」
尿が出るのでは、と言いかけたファルーシュはその通り、そこからじわじわと透明の液体が漏れているのに気づいて、体を震わせた。
ゲオルグの指を濡らし、さらに液体は漏れてくる。ゲオルグが指を動かすと、ぴちゃりとかすかな水音が響き、ファルーシュをいたたまれなくさせた。
「ゲオルグ、汚いから、やめて」
笑い声だけが耳で聞こえた。困った王子様だなとからかわれるように囁かれて、ファルーシュはゲオルグ、ともう一度、彼の名を呼んだ。
「どうした、ファルーシュ」
声が優しい。こんなに熱くて苦しいのに、そんな声で囁かれると、堪えていた涙がぼろぼろ落ちてしまう。
「ゲオルグ」
「自分でしておかないと、次はどうするんだ」
「だって……しない、こんなの、もうしない」
ゲオルグの胸の中でかぶりを振った。自分で言い出した以上、覚えておかねばという気持ちはあるが、それ以上に、この感覚が恐い。これに支配されて、気が遠くなりそうだ。
涙がもっと溢れてくる。泣きべそをかいていると、ゲオルグが陰茎に触れていない左手で、頭を撫でてくれた。
「気を楽にしろ。何もおかしいことじゃない。怖ろしいことを俺がお前にさせると思うか?」
ファルーシュはふたたび、首を振る。髪がもつれて、首筋にまとわりつく。
「まだ、分からないから恐いだけだ。慣れれば、怖ろしくはない」
ゲオルグの諭すような声がすぐ側で響く。低くかすれた声は、足の間に集まる熱を煽るが、ゲオルグの声と思えば、不思議に安堵を呼ぶ。そして、彼が教えてくれることに対する恐れも薄くなる。
「うん……」
「いい子だ」
ゲオルグの声が優しく耳を撫でる。わななくような息を漏らし、ファルーシュは目を閉じた。
自分の荒い息が体の中にまで響いてくる。体中が火に包まれているような気分だ。とくに透明の液体が滲み出てくる先端部分を人差し指で刺激されると、上に引っ張られるような、つーんとした感覚が生まれて、声にならない声が出てしまう。
熱に引っ張られる。むずがゆくて、熱くて、排泄感にも似た感覚が突き上げてくる。
「あ、あ、だめ、何か、出そう――!」
頭の中だけでなく、体中で白い光が爆発した。
どくどく脈打つ何かが体から出て行く。それには、どんな理性も羞じらいも逆らえなかった。
大きく喘ぐと目尻から涙が落ちる。頬を伝いかけたその感触は別の熱い感触にとって変わったが、それがゲオルグの唇だとも気づかず、ファルーシュは涙をこぼして、初めて味わう感覚に身をゆだねきっていた。
ゲオルグの手はすぐには離れず、ファルーシュの陰茎を撫で、親指でそっと押している。
余韻が引いて、固くつぶっていた瞳をファルーシュは開く。ちょうど、先端からとろりと白い液体が流れてきたのをゲオルグが指で掬い取っているところだった。手のひらにも同じ液体がこぼれている。
「今の……」
「今のが射精だ」
ゲオルグは右手を広げ、白濁した液体を示した。
「これが子種になる」
寝間着を汚したものと違い、もっと白く濁っているし、粘りけもある。だが、匂いは同じだった。今の方が強いが、間違いない。
不思議なものでも見るように、まじまじと手のひらを見つめるファルーシュにゲオルグは左手を寝台の傍らに伸ばした。
置かれていた懐紙を取り、右手を拭う。
「自分で処理するときは、懐紙か、布を近くに用意しておくといい」
こうして手を拭けるからなとゲオルグは続けた。
「うん……」
ぼんやりしていた頭が段々、はっきりしてくる。幾分、疲れがあるのだが、心地よいそれだ。明らかに充足感があった。
ゲオルグの両手は離れ、彼自身の膝の上に置かれた。
日焼けした甲に浮かび上がる血管や、ごつごつした節、ゆるやかに握り込まれた指をそっと眺め、ファルーシュは不意に、喉の渇きを覚えた。水が欲しい渇きではない。ゲオルグへの疚しさを伴うそれだった。
ゲオルグの手がファルーシュの左手に触れる。いまだ寝間着の裾を、指が白くなるほどにきつく握っているのを、そっと開かせてくれる。
彼を見上げると、思う以上に顔が近かった。ファルーシュが目を伏せると、そのわずかな仕草にも前髪が揺れたのか、くすぐったいぞとゲオルグが呟いた。
体をずらして、ゲオルグをふたたび見上げる。何も変わりない、重厚かつ飄々とした雰囲気の剣士がそこにはいるように思えた。
彼はファルーシュを見下ろし、口を開いた。
「もし、何か分からないことがまた見つかっても、この類のことは、女には聞くな。知りたいことがあれば、俺や……そうだな」
ゲオルグは少し考え込むように言葉を切った。
「――ゼガイかミュラー辺りがいいだろう。彼らに聞くといい。後はムラードだな」
どうして、その三人なのだろうと思った。近しいといえば、カイルやロイなどは、自分よりも色々と世慣れているから、詳しく教えてくれる気もする。
だが、ゲオルグが言うのだから、彼が居ないときは、今、名が挙げられた三人を頼りにすればいいだろう。
「わかった」
「それから」
ゲオルグの眉尻が下がる。幾分、困ったような顔だ。
「今、俺がお前に対して行ったことは誰とでもするようなことではない。……言いたいことは分かるな?」
ファルーシュはうなずいた。
他の人間とする可能性があるのなら、それこそ、耐えられないほどに恥ずかしい。ゲオルグが、城におり、彼に教えてもらうことが出来て幸運だった。
「誰にも言わないし、誰ともしない。僕とゲオルグの……秘密だ」
彼は目をまたたかせた後、そうだなとゆっくりうなずいた。
秘密という言葉が嬉しくて、恥ずかしいのも忘れて、ちょっと笑うと、ゲオルグもため息をつくように笑った。
もう少し、ここにいたかったが、翌朝には出立する彼の側にこれ以上いるのは申し訳ない。身動きして、腰を浮かす。それと察して、ゲオルグも胸を引いてくれた。
「明日は早いのに、邪魔をして、ごめんなさい」
「いや、気にするな」
「明日は気をつけて」
「ああ」
ゲオルグは軽く手を挙げ、ファルーシュも手を挙げ、彼の視線が背中にあたるのを感じながら、扉に向かう。ずっとゲオルグの腕の中にいたから、余計に部屋の空気の冷たさが分かる。
「ファルーシュ」
呼び声に、体が震えた。なぜだろう。呼び止められるのを待っていたのだろうか。
振り向くと、彼は少し眩しげに目を細めた。まるで、ファルーシュが振り返るとは思わなかったとでもいうように、幾分の驚きが漂っている。
熱を孕むようなわずかな沈黙ののち、ゲオルグは口を開いた。
「……汚れた服は、今夜の内に洗っておけ。今の陽気なら朝には乾くだろうから、他の者には気づかれんはずだ」
ファルーシュは目を伏せる前に、礼を言った。
「ありがとう」
「お前も、よく休め」
「うん」
引き留められなかったことを残念に思う自分を恥じた。それは、あまりにも独りよがりだ。
部屋に戻り、ゲオルグに言われたとおり、部屋にあった水瓶で衣服を手早く洗う。よく絞って、寝台の端にかけた。明日はリオンが起こしに来る前に、身につけなければならないだろう。
ファルーシュは寝台に横になった。この夜の内に、だいぶ大人になった気がした。わずかな時間で、とてつもない体験をしてしまったのだ。
さきほどまでの名残か、とくとくと胸が早くなる。火照り出したような体の熱を逃すために、寝返りを打つ。
ふと思った。
男なら誰でも知ってる、というのなら、ゲオルグもああして、自分で擦って子種を出すのだろうか。
ファルーシュは顔を真っ赤にして、うつぶせになり、枕に顔を埋めた。
その考えは、人の秘密を盗み見るような罪悪感を抱かせた。だが、同時に、とても――なんというのだろう。胸が高鳴ってしまう。
ゆっくりと息を吐き、ファルーシュは今の考えを脳裏から振り払った。何はともあれ、長い夜だった。
ゲオルグ、と呟いて、なぜ、彼の名を呟いたのかも分からぬままに、ファルーシュは眠りに落ちた。
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