分からないのでお任せしてもいいですか、というのが黒子の言葉であった。
互いに下着姿で、黒子は仰向けに、灰崎はその上に覆い被さり、黒子の足の間に腰を割り込ませていた。
いよいよ、という時間が始まるところでの発言に、灰崎も返事のしようがない。黒子が初めてなのは、予想通りなので驚かないし、しおらしいといえばしおらしい態度ではあるのだが。
「君の方が経験は圧倒的に多いですから、お任せしようと思うんですけど」
黒子の言葉は事実であるが、一点だけ反論したい。
「いや、女ならともかく、男相手はねえよ」
おや、と黒子がまばたきして呟いた。
「――予想外でした」
「この年齢で男も女も経験豊富なやつの方が少ないだろ」
「少数派に位置するとばかり、僕は……」
お前なあと灰崎は黒子の額をこづいた。
自分や黄瀬の経験数は例外に位置するが、それでも、女性方面ばかりで、男性方面での経験など皆無だ。
「どっちにしても、よく知らないんですけど、分かります?」
「入れりゃいいんだろ?」
即物的な返事に、黒子は呆れたように言った。
「君ね……僕、男ですよ。女性と違うのは分かりますよね」
見れば分かると灰崎は黒子の胸に手を置き、ついでに腰を撫でた、はっと黒子が息を呑んで、びくりと身を震わせる。その初々しい反応ぶりに、灰崎はつい手を止めてしまった。
考えてみれば、自分が初体験相手という立場は灰崎も初めてだった。急に申し訳ないような嬉しいようなそんな気持ちにかられ、意味もなく頬をかく。
「そんなに簡単に入らないと思うんです」
黒子はやたら遠回しな言葉で、女性と男性の違いと、快楽中枢が身体に及ぼす事柄について説明して、よく分からないままに、灰崎はうなずいていたが、途中で、やっと気づいた。そういうことか、それは確かにそうだ。
「あー、だよな。確かに濡れねえわ」
「そ、そうですよ……だからっ」
何かないんですか、と小声だったが黒子は聞いてくれた。前向きなのは喜ばしいので、灰崎は頭を掻きつつ、ベッドから降りた。
毛布を黒子の体にかけて、机の引き出しを開ける。奥の方に確か、と思って、ごそごそと探ると、小箱とボトルが見つかった。
「コンドームはある。ローションは……」
使いかけのボトルを灰崎は引き出しの奥に押しやった。後で捨てよう。いつ買ったのかを覚えていないせいもあるが、使いかけのものを黒子との時間に使用するのは、自身にとってもためらわれた。
「ないな」
灰崎の言葉に黒子は身を起こした。
「じゃあ、また次ですね」
「マジかよ」
焦って振り返ると、当然だといわんばかりに黒子がうなずいた。
「マジです」
いい雰囲気になって、お互いに服まで脱いで、ベッドにも入ったのに。次回に先延ばしなど、非情すぎる。だいたい、次回がいつになるかも分からないというのに。
「だいたい、灰崎君は詰めが甘いです」
黒子が責め立てる。様子からすれば黒子自身も、残念に思っているのだろうか。
「僕が来ること、前から分かってたでしょう」
「お、おう」
「家に誰もいないっていったの灰崎君です」
「そうだな」
「じゃあ、何となく予感はしないんですか」
「……まあ……」
徹底的な部屋の掃除にベッドシーツを新しいものに交換、枕カバーは洗って、布団と毛布を外に干した昨日を思い出し、灰崎は口ごもった。
最初からその目的だけではないが、もしかしての、万が一、に供えておいても不足はないと思ったのは確かだった。それに清潔な方が好感こそもたれ、嫌がられる事はないだろうし。
「その予感のための準備をしようとか思わなかったんですか」
じいっと黒子が恨めしげに見上げてくる。風邪引くぞ、と思うが、灰崎だって下着一枚だから同じだ。
「お前だって、何か持ってくりゃいいだろ」
ベッドに腰を下ろして言うと、今度は入れ違いに黒子がベッドを降りた。しなやかな背から腰の線を灰崎は目で追う。床に置いた鞄から、黒子は紙袋を取り出し、灰崎の膝の上にぽいと投げやった。
「それ一つ買うので、僕の心はくじけました」
灰崎の横に座って、黒子は両手で顔を覆う。
紙袋の中は、新品のコンドームだった。
「生まれて初めてです。買ったの」
はあとため息と同時に呟く黒子の耳が真っ赤だ。灰崎は黒子を見下ろし微笑した。
「どうだったよ、初体験は」
「五軒です。店員が男、かつ、あまり若すぎないレジの店員を探すのに五軒行きました」
「おう。がんばったな」
ぽんと頭を叩くと、黒子が指の隙間から、いっそうじっとりした恨めしげな目を向けてきた。
「レジに行ったら女性と交代された僕の気持ち分かりますか」
「エロ本買うときにあるな」
「ほんと、最悪でした……」
黒子が深くうなだれた。
「向こうはなんとも思わねえって」
「分かってますよ。自分の羞恥心との戦いな事くらい」
大げさだなと灰崎が笑うと、黒子はため息をついた。
「何回、買えば慣れるんでしょうね」
「さあな」
今度ついて行ってやろうかと顔をのぞき込むと、黒子が肘打ちしてきた。
いってえと言いながら、灰崎は腕を伸ばして、黒子の腰に巻き付け、ともにベッドに倒れ込んだ。
二人分の重みに、ぎしりとスプリングがきしむ。
「とりあえず、使おうぜ」
黒子が寝返りを打って、灰崎に身を寄せてくる。その首の下に腕を差し込み、残る片手で黒子の顔を胸に乗せる。黒子がもぞもぞと頭を動かし、落ち着く場所を探しているようだ。胸板をくすぐる髪の感触がこそばゆい。
やがて黒子の動きが止まって、ふわりとした呼吸が灰崎の皮膚を撫でた。どちらにとってもあたたかい体勢だ
「入らないですよ」
灰崎は指先で黒子の髪を引っ張り、指に巻きつける。長くもない髪は一巻きすれば、くるりと跳ねるように指先から逃げていく。
「別に入れなくてもいいだろ」
「そりゃそうですけど」
灰崎は膝からベッド上に落ちていたコンドームを持ち上げ、軽く揺らした。
「これ使い方、教えてやる」
黒子が首をもたげて、顔をのぞき込んできた。
「君、いま、すごくいやらしい顔してますよ」
「いやらしいことするからだろ」
まだ、戸惑いの方が強いらしい黒子の顎を引き寄せ、灰崎は口づけた。軽やかな音を立て二度ほど口づけて、舌を滑り込ませる。
唇を離すと、黒子の頬が赤らんでいる。無意識にか、すり寄せられた腰を灰崎は乱暴に引き寄せた。黒子のがあたったように、灰崎のも黒子の体に触れたのだろう。
あ、と黒子が声を漏らした。その声で、灰崎の手つきは、やや荒くなった。無言で、毛布をめくり、黒子の体を引き込む。
抱き合って、互いに指を伸ばす際に、黒子が囁いた。
「……足りますよね?」
「足りるだろ」
まさか、足りなくなって、コンビニまで走ることになるとはその時点では思わない灰崎だった。