ライバルにもならない



 グラウンドに向かって近づいてくる影を認めて、本宮大輔は顔を輝かせた。
「太一先輩!」
 練習中にもかかわらず、大輔は手を振った。
「よおっ!」
 笑って、手を挙げ大輔に応えてくれたのは大輔のサッカー部の先輩である太一だった。
 いまは進級し中学へ通っているので、大輔と会うことも少なくはなっているが、それでもこうして顔を出してくれる。
 大輔は止める仲間の声も耳に入らず、まっすぐ太一のもとへと走った。
「どうしたんですか? 太一先輩」
「んー、なんか来ちゃった」
 学生鞄を脇に挟んで、太一は頬を掻いた。  何気ない仕草だったが大輔は眩しげに目を細める。
 大輔の視線に気づかず、太一はユニフォームを着た大輔とグラウンドで練習に余念のない他のサッカー部の少年たちを見比べた。
「いいのか? 練習中なんだろ」
「いいっすよ」
 太一と話せるのなら、練習など後回しでもいい。
 あきれ顔の太一は、大輔をたしなめようとしたが、それよりも早く大輔のサッカー部仲間が大輔を連れ戻しに来た。
「なにやってんだよ、お前は! 練習試合始まるぞ。来いよ!」
「わあっ、それよりも太一先輩と話す方が……」
 ずるずると少年三人に引きずられながら、大輔はグラウンドに戻っていく。
「太一先輩、試合終わるまで待っててくださーい。お願いです!」  叫ぶ大輔に分かったとうなずいてから太一は、隅に植えられている木の下に座った。
「あいつ、しょうがねえな」
 監督にこづかれている大輔を眺めながら太一は思わず、笑ってしまった。


 いつも以上に長く思えた練習試合を終え、大輔は汗を拭く間も惜しいように、まっすぐ太一のもとへ駆けていった。
 太一は約束通り、待っていてくれていた。
 大輔は木によりかかってうつむいている太一に、声を掛けようと口を開く。
「太一……」
 先輩と続けようとした声をあわてて飲み込む。
「ね、眠ってる?」
 すーすーと安らかな寝息が太一の口から漏れている。
 太一の横に膝をついて、その顔をのぞき込んでみると、確かに太一は眠っていた。
 こころもち首を傾け、幼く見える寝顔を大輔に見せている。
「先輩……」
 こうしてみると兄妹だけあるのかヒカリにもよく似ている。ヒカリよりは日に焼けた肌も、じつになめらかそうだった。
(……触るだけ……)
 そうっと指をつきだして、頬に触れてみる。太一の頬は大輔の思った以上に柔らかく、暖かかった。大輔の鼓動が早くなる。
 太一が少し眉を寄せて、なにかつぶやいたが、起きる気配は全くなかった。
 頬に触れた指先を押さえ大輔は、さっと辺りを見まわした。
 誰もこちらに目を向けているものはいないようだ。
(ちょっとだけ――)
 自分に言い聞かせながら、自分も顔を傾け、太一の顔へと近づけていく。
 太一の寝息が大輔の唇と重なろうとしたときだった。
「太一、起きろよ」
 とんでもなく不機嫌な声が大輔の後ろから響いた。
 ぎょっと振り向いた大輔の目に、長髪で目の鋭い、顔立ちの整った少年が写った。
 太一と同じ中学の制服を身につけ、背中にはギターを背負っている。
「え――あれ、ヤマト?」
 太一が目をこすりながら、体を起こした。
「こんなとこで寝るなよ、バカ」
「あ、俺寝てた?」
 なぜか顔を強張らせている大輔に太一は聞いた。
「は、はい!」
「みっともねえなあ」
 照れ笑いで立ち上がり、服の埃を払うと、太一はヤマトに不思議そうな目を向けた。
「なんで、ヤマトがここにいるんだよ」
「お前なあ……ライブに来たいって言ったのはお前だろうが」
 ヤマトは言い捨て、すぐに背を向け、歩き出す。
「そうだ、ごめん!」
 太一はあわてて鞄を取り上げて、ヤマトの後を追う。  呆然と立ちつくす大輔に、手を顔の前に立てて、謝る身振りをする。
「ごめん、大輔! 用を思い出した。悪いな」
 駆け出した太一を見送って、大輔は肩を落とした。
(あと、一センチもなかったのに……)
 あの少年のせいだ。
(くそっ!)
 くやしさに拳を固め、地面を叩く。
「おい」
 その頭上から声が振ってきた。顔を上げた大輔を見下ろして、ヤマトはきっぱりと言った。
「手を出すなよ?」
「え……」
 はっと大輔はこの少年の言葉の意味に気づく。負けじと立ち上がり、その身長差にくやしさを覚えつつ、
「そんなの俺の自由だろ!」
「バーカ。太一は俺のことが好きなんだよ」
「なっ!」
 決定的な言葉を口にされ、大輔は相手をにらみつけた。
「そんなのうぬぼれかもしれないだろ」
 相手は首を振って、にやりと笑った。
「本当だ。だから、お前なんかライバルにもならねえよ」
 絶句した大輔に微笑してから、ヤマトはグラウンドの外で自分を待つ太一のもとへと去っていってしまった。
 大輔は、しばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げ、グラウンドを横切る相手に聞こえるような大声で叫んだ。
「俺はあきらめないからな! あとで悔しるなよ!」
 相手は振り向きもしなかった。
「絶対、負けるもんか」
 拳を固め、大輔は心に誓った。
「太一先輩は、俺のもんだ!」
 木と大輔自身の影がのびていく。
「負けるもんか!」
 もう一度叫んでから、大輔は片づけを始めた仲間のもとへ走り出した。
 勝ち負けもなにも、勝負はすでについていることを知らないまま、大輔は新たなライバルの出現に心を燃やしていた。



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