チャイムが鳴る。
「誰だよ、こんな時間に」
テレビを見ていたヤマトは立ち上がって、インターホンで客が誰なのか確かめた。
「俺」
素っ気ない返事だったが、こんな返事をする人間をヤマトは一人しか知らない。
ガシャンと受話器を乱暴に置く。ばたばたと玄関まで走っていって、ヤマトはドアを開けた。
「た、太一……」
急いでドアを開けたものの、なんと言ってよいか分からないヤマトの目に、中身がぎっしり詰まったコンビニの袋を手に持った太一が映っていた。
「入っていいか?」
ふわっとシャンプーの香りがヤマトの鼻をくすぐった。
「もう寒くってさー。風呂上がりってやっぱり冷えるな」
ほとんどパジャマ代わりの部屋着、素足にサンダルの太一、まだところどころ濡れている洗い髪――春とはいえまだ夜は冷える。
ヤマトはまだむっつりした表情を変えなかったが、太一を家に上げた。
「これ、おみやげ」
お菓子やジュース、サンドイッチやおにぎりがつまった袋をヤマトに押しつけて、太一はサンダルを脱ぐと、玄関に上がった。
「もう飯、食ったのか?」
「ああ……」
テレビの中のけたたましい笑い声が静かなリビングに響く。
「太一」
ヤマトが袋をテーブルの上に置きながら言った。
「冷たいのより、あったかいのがいいだろ。コーヒー入れる」
「サンキュ」
太一は嬉しそうに笑って、椅子に腰掛けた。
なんだかんだ言ってもヤマトはこういう気遣いを欠かさないのだ。
コーヒーを入れたカップを太一の前に置くと、ヤマトも椅子に腰掛けた。
「これ、けっこう旨いぜ」
太一は細長い缶に入ったポテトチップスを開けて、一枚つまむとヤマトにも勧めた。
「でもコーヒーには合わないかな」
太一は袋をあさって、コーラを取り出した。
「お前、体が冷えるぞ」
「……」
太一は何か言いたげにヤマトをちらりと見たが、黙ってプルトップをつまんだ。
番組の切れ目だったので、炭酸飲料の入った缶につきものの威勢の良い音がやけに大きく聞こえた。
ヤマトはポテトチップスをおもしろくなさそうにつまんでいる。
「なあ」
バラエティー番組のエンディングが流れていく。太一はテレビに目をやりつつ、呼びかけた。
「なんだよ」
「まだ、妬いてる?」
「――誰も妬いてない」
太一は吹き出すのをこらえて、ちょっと意味深げな顔をしてみせた。
「あのな」
「ん?」
「さっき、あいつから電話があってな。今度一緒に出かけないかって」
「!」
ヤマトの顔が強張った。太一は内心、ほくそ笑みながら続ける。
「全部、あいつのおごりだって。俺、どうしようかな……」
「大輔だろ!」
「俺はそんなこと言ってないぜ」
「じゃあ、誰なんだよ! どうせ行くんだろ? 俺なんかといるより大輔といる方が楽しい――」
ヤマトは太一の表情に気づいて口をつぐんだ。
太一はおもしろがるようなそれでいてどことなく悲しそうな表情を浮かべている。
「バーカ。ウソに決まってるだろう」
太一は言って、横を向いた。
「太一……」
「お前が俺を信じないでどうするっていうんだよ」
太一はぽつんとつぶやいて、ヤマトに向き直った。
「いつまですねてるんだよ、ヤマト」
反論しようとしたヤマトだったが、太一は素早く身を乗り出して、ヤマトに口づけた。
「……」
言葉と想いの行きように迷って、ヤマトは太一をじっと見つめた。
しばし、見つめあった後、太一は不満そうに、
「ヤマト、今日はなんにもしないんだな……」
「な、何言って……」
太一は照れくさそうに小さな声で言った。
「俺がなんのために風呂に入ってきたと思うんだよ……」
「あ……」
ヤマトが意外な展開に言葉を失った。
「体が冷えるだなんて、言うくらいなら暖めてみろよ、この鈍感」
太一に鈍感と言われたのには反論したいが、それは置いておく。
つまりこれはそう言う風にとっていいということなのだろうか――さすがに妙なケンカの後で、ためらいを覚えたヤマトだったが、間近で感じる太一の体温や石鹸の香り、大きめの上着から見える喉元や鎖骨には、それなりの反応を覚えたのも確かであった。
「ええっと――」
「帰っていいのか?」
「いや、ダメだ」
太一の手をぎゅっとつかみ、ヤマトはちょっとコンソメの味が残る唇に口づけた。
「今日はごめんな」
太一にキスしすると、驚くほど素直にそんな言葉が出てきた。
「ああ。ヤマトにやきもちやかれるなんて思わなかったから、けっこう嬉しかった」
太一は笑った。ヤマトはやんわり苦笑して、立ち上がると太一に近づいた。
「やきもちだろ?」
太一は上を向いて、目を閉じながら聞いた。
「――やきもちだ」
もう一度、今度は次のひとときのための口づけを太一に落とす寸前にヤマトはささやき、微笑した太一の唇に自分のそれを重ねた。
上着の隙間から手を差し込むと、太一がくすぐったそうに身をよじった。
「おとなしくしてろよ」
「だって、ヤマト」
太一は首筋を撫でられて、妙な快感が背筋に走るのを感じつつも、言わずには、いられなかった。
「ここでするのか?」
「うーん」
「ご飯食べるところだろう。俺、なんか抵抗があるぜ」
「じゃ、部屋に行くか」
ヤマトは太一を抱え上げて、部屋へ向かった。
行儀が悪いとは思うが、足でドアを開けて、床の上に太一を降ろす。
太一が目を閉じる暇もなく、ヤマトが覆い被さってきた。
最初は微かだった二人の息づかいも、やがて激しくなっていく。
ヤマトの指の下で太一の胸の先がこつんと固い感触を見せ始める。太一が一番喜ぶように、痛むくらいにつまむと甘い吐息と声が同時に洩れた。
口と指と両方で、触れてみると太一の声が泣きそうなものに変わる。
こんな反応が楽しくて、ヤマトはいつも太一の顔を見つめながら愛撫を加えるのだが、今日はいつになく反応がいい。どこに触れても、ヤマトにしがみつくようにしてくる。
今までの経験で太一の弱点と思われる部分は一通り知っていたので、そこにも手を伸ばしながら、ヤマトは太一の耳たぶを歯で挟んだ。思わず、このまま噛みしめたくなるくらいに柔らかい。太一の目元に涙が滲んだ。
無意識にだろうがヤマトの手から逃げる素振りを見せる。
しっかり組み敷いておいて、ヤマトは自分の体の下で熱くなりはじめている箇所へ手をやった。それは手のなかで震えているように思える。
まだ、それほど時間は経ってないが、ヤマトもじつは限界に近い。
「太一、」
「うん……」
太一が追い詰められた苦しげな声でうなずいた。
膝を抱えるようにして、ヤマトが体を進めてくる。
ひどい圧迫感があったが、思ったよりきつくない。それよりもむずがゆさにも似た快感が腰の辺りを刺激してくる。
ヤマトに足をしっかり絡めて、太一は目を閉じた。こうするとヤマトの吐息と自分の呼吸音、擦れあう肌の音、耳に生々しく響く音だけに包まれる。
最後の瞬間にいつもヤマトが、かすれた声で自分の名を呼ぶのを聞くのが太一は好きだった。
ヤマトの耳にも自分が彼を呼ぶ声が聞こえただろうか――目もくらむようなあの瞬間に、太一はそう思った。
ともに果てた後、しばらくはお互い見つめあい、息を整えるばかりであったが、ヤマトの乱れた髪に手を伸ばして、太一はほほえんだ。
「また、汗かいたな……」
ヤマトが笑って、ふっと目を細める。
「太一 ――」
「あっ、ヤマト……」
太一はヤマトの手がたった今、解放さればかりの部分にそっと下がっていくので、困ったようなそうでないような曖昧な顔をした。
「いいだろ?」
「あ……」
そんな場所を優しく握られて、いいも悪いもない。太一が反応し始めると、まだ繋がっているヤマトの方も熱くなった。
体の中で別の、ヤマトの熱が息づいている。なんともいえない初めてのこの感覚に太一は大きく息を吐く。
「太一」
ヤマトが体をずらした。太一が何も言わないので迷っているらしい。
あきらめたように腰が引かれる。
「や、やだ」
ヤマトが自分から離れぬようしっかりつかまえて太一は首を振った。
「いいのか」
太一は首を振るばかりで、何も言わない。ただ自分にしっかり抱きついてきているので、たぶん構わないということなのだろう。
「いいんだな」
試しに軽く突き上げてみると、太一の顔が仰け反った。
「――ああっ」
ちらりと見えた顔がどうしようもなく切なげな甘いものを浮かべている。いつもよりもずっと陶然とした、ヤマトが見惚れるほどに色っぽかった。
愛しさと情欲とに耐えかね、ヤマトは太一を引き寄せると、腰を動かす。揺さぶられて、太一は押さえようもない甘い声を上げ始めた。
「んんっ」
ヤマトに貫かれた部分から、体全部に快感が伝わってくる。
ヤマトの体に回された太一の手が、ヤマトの肌に食い込んだが、ヤマトは気にすることもなく、夢中になって体を動かしている。
「太一 ――」
ヤマトが低く太一の名を呼んだ。 太一が目を開くと、ヤマトが眉を寄せた苦しげな表情で見つめていた。
眼の中に自分への想いがあふれそうなほどにたたえられている。
どうしようもなくヤマトが愛おしくなって、太一はそっとささやいた。ヤマトが微笑する。
ふたたびせまってきた頂点に達するとき、ヤマトも太一の耳元で同じ言葉をささやいた。
それをたとえようもなく幸福な思いで聞きながら、太一は体が浮くような浮遊感を感じ、意識を手放していった。
小さく身動きとまばたきをして、太一は目を開けた。見覚えのあるヤマトの部屋の天井と横たわっているベッド。
身を起こすと、肩からかけられていた布団が滑り落ちた。
「ヤマト?」
ヤマトが部屋のどこにもいないので、太一は起きあがってリビングの方へ行こうとした。
「あ……」
腰に力が入らない。ベッドのすぐ側に座り込んで、太一は自分が素っ裸のままであることに、気づいて恥ずかしげに首をすくめた。
(そりゃあ、ヤマトには見られてるけどなあ……)
それでも気恥ずかしいものがある。
「太一?」
カチャリと音を立て、ドアが開く。リビングから入ってきた光の中にヤマトが立っている。
シャワーを使ったらしく、髪からぽたぽた雫が垂れている。
「気がついたんだな、よかった」
ほっとしたようにヤマトは言うと、ドアを閉め、部屋の明かりをつける。
「どうしたんだ?」
裸のまま、床に座っている太一にヤマトはびっくりしたように近づいた。
「立てないんだよ」
太一はこんな無防備なところを見られ、恥ずかしく顔を逸らした。
「あ、そうか」
ヤマトは納得した。
太一に手を貸して、ベッドにもう一度横にしてやる。
「なあ俺、気絶してた?」
「ああ」
ヤマトは近くにしゃがんで、ベッドにひじをついた。
「死んだのかと思ったけど、息はしてたし、なんか幸せそうな顔してるから、体を拭いてベッドに寝かせて……俺も汗をかいたし、どろどろだったから、シャワー浴びてきたけど」
ヤマトは心配そうに太一の顔をのぞき込む。
「太一もシャワー浴びた方がいいと思うけど、立てないんじゃなあ」
「そんなの簡単だ。ヤマト、手伝ってくれよ」
「俺が?」
「そう」
無意識のときに裸を見られるが恥ずかしいわけで、自分が了承しているときは見られるのは平気だ。太一はヤマトよりこのあたり、慣れが早い。
「ほら、手を貸せよ」
太一は起きあがろうとヤマトに手を差し出した。
「いや、でも」
「今頃、何言ってるんだよ。もう見慣れてるだろ」
見慣れても、それで平静を保てるほど太一の裸に慣れたわけではない。
ヤマトはせまる太一にたじろいだ。
なんだって太一はそんなに無意識に自分を困らせるようなことを言うのだ。もちろん嬉しいものもその気持ちの中には混じっているのだが。
「やっぱりダメか?」
太一はあきらめて布団に潜り込もうとしたが、ヤマトは小さくため息をついた。
「わかった、行こう」
「やった!」
太一を抱えるようにして支えると、ヤマトは浴室へ向かった。
裸のせいか、太一の心臓の鼓動がすぐ側で聞こえてくる気がする。
「なあ、ヤマト」
太一が自分を見ようとしないヤマトにささやきかけた。
「俺の家に連絡してくれるなら、いいよ」
「ん?」
意味をとらえかねて、ヤマトは太一を見つめた。途端にさきほど自分が刻んだ生々しい情事の痕跡が目に入る。
まだ情事の名残のせいか、薄赤く染まったままの太一の肌に、ぐっと体に熱が生まれてくる。
「いいって、何が?」
「風呂場だったら、すぐに体、洗えるだろ」
「体は今から洗うんだろ?」
今日のヤマトは確かに太一に鈍感と言われても仕方なかった。
「なんでそんなに鈍いんだよ!」
「鈍いって……あっ!」
意味を悟って、ヤマトは黙り込む。浴室はドアを開ければすぐそこだ。
「――明日、学校休むことになるぞ」
確認の意味で言うと、太一はあっさりうなずいた。
「お前も休むならいいや」
お互いに笑いあう。
浴室に入る前に太一にキスして、ヤマトはドアを開けた。
扉が閉まり――小さく太一の声がドアから洩れたが、それも水の音にかき消されていった。
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