父の夢を見ていた。

 山と積み上げられる仕事に、辟易しながらも奮闘する……そんな父の夢。

 懐かしい、髪を撫でてくれる大きな手。
 時々おんぶしてくれた、広い背中。
 自分の名前を呼ぶ、低くて優しい声。

 今はいない、お父さん。

 だけど、大好きなお父さん。



 背中が温かい。

 これは夢の続きだろうか。

 ぼんやりと目を開く。

 規則正しく響く算盤の音。
 積み上げられた書簡。
 部屋にある物は、父がいた頃と変わってはいない。
 振り返って見上げれば、難しい顔をした父と目が合って、「起こしてしまったか?」と微笑んでくれる。
 
 そんな気がして、暖かな背中の主を見上げた。

 父と同じぐらいの、広い背中。
 顔にかかった髪が、背中の主の顔を隠していたが……

 違った。

 父の着物とは違う蒼。
 父よりも明るい髪の色。

 別人だとわかっていても、諦めきれない。
 夢に現れた父の温もりが懐かしかった。

 もう一度、名前を呼んで欲しい。

 もう一度、膝で甘えさせて欲しい。

 もう一度……



 寝ぼけた思考。
 すがるような思いで、背中の主に声をかける。

「……ん」

 背中から聞こえた少し掠れた声に、算盤を弾く手が止まった。

「はい?」

 期待していた父の声ではない。
 父よりも少しだけ高い、若い男の声。

「起こしてしまいましたか?」

 申し訳なさそうな顔をして、背中の主が振り返る。
 望んだ通りの言葉だったが、顔にかかった髪が退き、見えた顔は父ではない。
 沈む心が表に出たのか、背中の主が体の向きをかえ、心配そうに顔を覗き込んで来た。
 近付いた青年の顔に手を伸ばし、その前髪を引っ張る。

「ベナ、髪伸びた」

 だから、父と間違えそうになった。

「そうですか?」

 そんなに伸びましたか? と、つられて自分の髪を引っ張る。

「今度、お姉ちゃんに切ってもらう」

 と、アルルゥは手を離し、ベナウィの前髪を解放した。






 再び、仕事の山と向き合うベナウィ。

 その背中に加わる、アルルゥの体重。

 軽い、小さな背中。

 柔らかな温もりに、違和感。

「う〜」

 アルルゥの小さな唸り声。

 タンっと床を叩く音と、少し力がこもる背中。
 訝しみながらも、作業を再開する。

 タンっと再び床を叩く尾。
 理由はわからないが、かなり不機嫌のようだ。

 時々床を叩く音と、段々重くなる……いや、圧されている背中。

「ううぅ〜」

 本格的に荒れてきているようだった。
 体重を背中にかけるだけでは気が済まないのか、床を蹴りながらこちらを圧してくる。

 背中合わせに大人しく座っていることは何度かあった。
 が、今日のように邪魔をしてくる事は、これまで一度もなかった。

「アルルゥ様」

 仕事の邪魔をするなら、諌めなければならない。
 力の支点をずらしたベナウィの膝に、アルルゥが背中ごと倒れ込む……






 頭を机にぶつけないよう、差し出された腕。

 しっかりと受け止められ、顔をしかめたベナウィと目が合う。
 悪戯を叱るべく寄せられた眉が、すぐに驚きに変わった。
 アルルゥが顔を隠すより先に、そっとベナウィの手が添えらる。

「怖い夢でも……御覧になられましたか?」

 優しい声音で、わざと見当違いな事を聞いてくるベナウィに、首を振って答える。
 涙は見られてしまったが、折角泣き顔を隠してくれているのだ、掠れた声は聞かせたくない。

「では、どこか御身体の具合でも……」

 首を振る。

 どこも具合は悪くないし、怖い夢も見ていない。
 
 見たのは優しい父の夢。
 懐かしい父の夢。
 幸せな夢だった。

 けれど、すぐに目覚めてしまった。



 夢うつつに欲張って、父の温もりに手を伸ばしてしまったから。



 悔しかった。

 ただ、悔しかった。

 背中の温もりに父を思い出し、勝手に期待して、やはり父ではなかったと、勝手に落ちこんだ自分。

 だから背中の主に八つ当たりをした。

 寂しさを言葉に出さずに、体中で我侭を言った。


 ベナウィの背中が大嫌いだった。

 父と同じぐらい、広い背中。
 優しい夢で自分を幸せにしてくれる背中は、同時に父のいない現実を突き付ける。
 
 夢から目覚めて、寂しい思いをしたのは今回だけではない。

 それでも、この背中から離れなれなかった。

 父の温もりを、微かに感じる事が出来る場所。

 そこは甘いはちみつの夢が見られる、唯一の場所だったから……