暖かい。

 お日さまの匂いと、花の香り。

 心が暖かくなるような、優しい空気に包まれているのを感じて、ゆっくりと目を開いた。

 夜は未だ明けていない。
 暗闇の中で横になったまま、白い敷布の波紋を見つめ、ぼんやりと先ほどまで見ていた夢を思い出す。

 漆黒と純白の獣。
 深紅の瞳の少女。
 鮮血の海に転がる、忠臣の首。
 焼け野原と化した都。
 一瞬で消えた、愛しき民。

 それから……

 恐怖と絶望から逃げ出してしまった自分。

 なんと愚かな事をしてしまったのか。

 自分なりに、頑張った。
 悲しいのも、苦しいのも我慢して、民の為に。
 何が間違っていたのか、どこから間違えてしまったのか。
 結果、全て失ってしまった。

 残ったのは、弱い心を持つ自身の体と……

「ん……クーヤさま……」

 小さな自分の体に回された、細い腕に気が付く。
 寝返りを打つと、良く知った顔があった。

「サ……クヤ?」

 ゲンジマルが國を出る時に、一緒に連れていってしまった孫娘。
 唯一人の友。
 サクヤの長い髪が、顔にかかっている。
 いつも良い匂いのした髪。
 腰まで伸びた、柔らかな髪。
 自分の我侭に突き合わせて、無惨な形に斬られてしまった髪。

 今隣で眠るサクヤの髪は、最後に見た記憶にあるよりも長かった。

 夢だったのだろうか?

 今まで見ていた、悲しい事や、苦しい事。
 ハクオロに出逢った事も、國を失った事も。
 それに耐えられず、心を手放してしまった事も、すべて夢だったのだろうか?

「……はぁ……い?」

 名を呼ばれ、うっすらと目を開いたサクヤが微笑む。

「クーヤさまぁ……まだ……朝じゃ、ありません……よぉ」

 完全に寝ぼけながら、背中に回されていた腕を、クーヤの頭にそえ、胸元に抱き寄せる。

「もぉ……すこ……し……おやすみし……ましょぅ……ね……」

 幼い子供をあやすような声音が、すぐに安らかな吐息にかわる。
 柔らかな胸に顔をうめながら、理解した。

 夢だったのではない。

 斬られてしまった髪が、元の長さまで伸びただけ。

 それだけの時間が経ってしまっただけだ、と。

 いったい、どれ程長い間、自分は逃げていたのか。
 そして、その長い間、どんな想いでサクヤは自分の隣にいてくれたのだろうか。

 一度、心を手放してしまった。

 でもこうして、ちゃんと帰って来た。

 自分はクンネカムン最後の皇、アムルリネウルカ・クーヤ。

 前より少しだけ強くなった心は、客観的に物事を整理してくれるようだった。

 おこしてしまった事の、責任はとらなければならない。

 やる事も、考える事も、たっぷりある。
 うんざりするが、今度こそ逃げ出さずに、自分でやらなければならない。
 立ち向かう勇気も、強さも、目の前にある。
 今一番守りたい、大切な存在。

「クーヤさま……」

「ん?」

 顔をあげると、どんな夢を見ているのか、サクヤが幸せそうに微笑んでいる。

 今も昔も、きっとこれからも変わらない、サクヤの微笑みと温もり。

 もう少しだけ……せめて、夜が明けるまでは、サクヤの胸に甘えていよう。
 これからの事は明日、朝になったら考えよう。

 再びサクヤの胸に顔を沈め、目を閉じる。

 目が覚めたらサクヤになんと言おうか。

 ありきたりだが、心を込めて「すまない」と「ありがとう」


 でも、何よりも先に「おはよう」と言おう。


 きっと、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら笑って、「おはようございます〜クーヤさまぁ」とか言うのだろう。



 朝が来るのが楽しみだった。



 長い長い夜が明ける……