「カミュち、早く〜」

 花冠を頭にのせたアルルゥが、後ろに続くカミュを振り返り、その場でもどかしそうに足踏みをする。

「アルちゃん、そんなに急がなくても大丈夫だよ。
 おじ様、まだお仕事してるはずだから」

 頭にのせたお揃いの花冠を、落とさないように気をつけて走り寄るカミュ。

「ん」

 そんな事は知っている、と短く返事を返すアルルゥ。
 急ぐ必要も、探す必要もない。
 この時間、いつも父は書斎に閉じ込められているのだから。
 そうわかっていても、走らずにはいられないのは……今日の花冠が、とっても綺麗に出来たからだろう。
 どんなに気を使っても、だんだん歪んでくる花の列。それが今日はまっすぐ外を向いているし、太さも均等。一番難しい仕上げも上手くできた。
 これを早く父に見せてあげたい、綺麗に出来たと一緒に喜んで欲しい。花冠を渡すぐらいの少しの時間なら、うるさいベナウィも見逃してくれるだろう。
 そう思うのは、無理のないことかもしれない。
 それぐらいの会心作だ。
 隣に追いついたカミュの、呼吸が整うのを待っている間も惜しい気がして、アルルゥは再び歩き始めた。

「カミュち〜」

 早く来ないと先に行く、1人で父に褒めてもらうと何度も何度も振り返る。

「あ。アルちゃんズルイ!」

 2人で作った花冠だ。褒められる時は2人一緒でなければ、不公平。
 先を行くアルルゥに追いつこうと、カミュが走り出す。

「きゃっほぅ! カミュち、競争。
 どっちがおと〜さんの所に早くつくか」

 頭を飾る花冠を落とすまいと胸に抱き、アルルゥも走り出す。

「よぉ〜し、負けないよ〜!」

 

 

 

 「そんなに気を張り詰められたら、かえって気が散る」とハクオロに部屋を追い出され、トウカは書斎の入り口で側遣えの任についていた。
 そこに華やかな笑い声と、少女2人の軽やかな足音が響く。
 声の方に顔を向けると、アルルゥが何かを抱えながら後ろ向きに走ってくる。

「カミュち、遅い〜」

「む〜アルちゃん、早いよ〜」

 アルルゥの後ろに続いて走って来るのはカミュ。
 
「あ、トウカ姉様」と、カミュはトウカに気がついて走る速度を落とす。
 ムントやベナウィ程ではないが、トウカも礼儀作法には少し煩い。廊下を走っていた所を見つかったとあれば……それなりの注意を受けるだろう。
 
「んぅ?」

 カミュにならい前方を向き、トウカの姿を認め、自分も速度を落とし、止まろうとしたアルルゥの足下が疎かになった。
 次の瞬間、とんっと床を蹴り、前のめりに倒れ込む。
 受け身を取ろうと、反射的に差し出した手から花冠がこぼれ落ちた。

「アルルゥ殿!」

 床を転がる花冠。
 花冠の小さな白い花。
 汚れのない白は、転んだアルルゥを受け止めようとしたトウカによって、踏みにじられ、一瞬にして無惨な姿に変わってしまった。
 トウカの腕に支えられ、無言で足下の花冠を見つめるアルルゥ。

「……あ、アルちゃん、……え〜と、その……」

 床に転がる花冠を見つめるアルルゥに、何と声をかければいいのか。
 先程まで一緒に花冠を作っていたカミュは知っている。
 どんなにアルルゥが一生懸命、ハクオロの為に花冠を作っていたかを。
 仕上げ以外の一切を自分に頼らず、何度も何度も作り直していたことを。

「お怪我はありませんか? アルルゥ殿」

 腕の中の動かない少女を不審に思い、トウカがアルルゥの顔を覗き込むと、アルルゥは唇をきゅっと結び、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「どこか痛かったり、捻ったりしましたか?」

 トウカの問いに首を振って答える。
 ちゃんとトウカが受け止めてくれたので、どこも怪我はない。
 泣きたい気分ではあるが。
 しかし、花冠をダメにしてしまったのは、自分を受け止めたために起こった不慮の事故。
 前方不注意も、廊下を走っていたのも、自分が引き起こした事。
 いわば、自分で花冠を壊してしまったような物だ。
 これでは泣きたくとも、泣けない。

「あの……トウカ姉様」

「カミュ殿?」

 今にも泣き出しそうな顔をしているアルルゥに、おろおろと狼狽するしかないトウカ。おずおずとカミュがトウカの足下を示す。

 示された先にある物は……

「…む? このような所にゴミが」

 踏み付けられ、原形をとどめない花冠。
 哀れ、トウカの目にはゴミに映った。

「トウカ姉様……」

 トウカに悪意がないのはわかる。
 元の綺麗な状態を、一生懸命作っていたアルルゥを知らなければ、確かにそれはゴミに見えるかもしれない。
 だが、まぎれもなく、そのゴミは花冠だった。
 ハクオロの為に、アルルゥが一生懸命作った……世界でたった一つの。
 絶句するカミュに、このゴミがどうかしたのか? と眉根を寄せるトウカ。ゆっくりと自分を支える腕を解くアルルゥ。

「……アルルゥ殿?」

 アルルゥは静かに足下のゴミを拾い上げる。

「……これ、アルルゥ作った。
 おと〜さんにあげる、お花のかんむり」

 ぽそぽそと、小さな声で漏らすアルルゥ。
 その言葉に、トウカは自分が何を言ってしまったのか理解し、全身の血の気が引くのを感じた。

「一生懸命作った。でも、不格好」

 淡々と語る、アルルゥの瞳に涙が溢れる。

「…………ゴミに見える」

 ぎゅっと花冠を抱き締め、声を殺して泣くアルルゥに、トウカは何も言う事ができなかった。
 知らぬ事とはいえ、自分がどんなにアルルゥを傷つけたことか。
 つい先程まで楽しそうに笑っていた唇が、今はしっかりと閉じられ、小さな嗚咽がもれている。

「アルちゃん、大丈夫だよ。
 ちょっとへこんじゃったけど、おじ様きっと、喜んでもらってくれるよ」

 確かにあの父なら、出来はどうあれ、喜んでもらってくれるかもしれない。
 でも、今までで最高に上手く出来た物だったからこそ、渡したかったのだ。花冠なら何でも良いという訳ではない。

「だ、大丈夫!」と、アルルゥの腕から花冠を取り上げ、花冠を修復しようとするトウカ。

「ここをこうして……こうすれば」

 踏まれてしおれてしまった花を取り除き、いくらか疎らに、そして細くなった花冠。
 早起きしてお弁当を作ってもらい、ちょっと遠くまで摘みに言った白い花。
 カミュに手伝ってもらい、綺麗に隠した茎。
 アルルゥにとって最高傑作だった花冠は、修復を試みたトウカの手によって、見事に……

 見事に…………瓦解した。

「「……………………」」

 アルルゥはすでに涙すらも出ない。
 直そうとした結果、完膚なきまでに崩壊させてしまったトウカは、なんとか場を和ませようと言葉を探し、口をパクパクと動かしている。

「……そ、某としたこ……」

 やっと出て来たいつもの口癖は、最後まで続かなかった。

「うるさいですわ」と背後から現れた美女に…正確にはその手に下げられている徳利の一撃によって、遮られた。

「……つぅ〜。カルラ殿!」

 鈍い傷みに耐えながらも眉をつり上げ、立ち上がろうとするトウカの額を軽く押さえ制する。

「アルルゥの胸は、もっと痛いはずですわよ」

 唇だけ動かしてそう言うカルラに、トウカはぐうの音も出ない。
 大人しくなったトウカを解放し、カルラは動かないアルルゥの手を少し強く引き、自分の方を向かせる。

「もう一度、作りにいきましょう」

 優しく覗き込むカルラを見つめ、アルルゥはゆっくりと首を振った。

「もう、いい。アルルゥ、綺麗に作れない」

 一生懸命作り、自分では最高の出来だと思っていた物を、大好きなトウカにゴミと言われてしまい、アルルゥはすっかりしょげていた。いつも元気に揺れている尻尾も、今は静かなものだ。

「私が、綺麗に作るコツを教えてさしあげますわ」

「……本当?」

「あら、私がアルルゥに嘘をついた事なんてありまして?」

 艶やかに微笑むカルラ。
 ハクオロやトウカに対して悪戯をしかける事はあるが、自分やカミュに嘘を教えた事は一度もない。歯に衣を着せない、本質だけを見抜いたカルラの物言いは、父やベナウィの言う事より分かり易かった。

「…………ない」

「では、決まりですわね。早速行きましょう」

「ん」と短く返事をかえし、ゴシゴシと顔を拭くアルルゥの目を盗み、カルラは『名誉挽回の機会を作ってやった』とトウカに目配せをする。

「……某も……」

 ついて行こうと腰を浮かせるトウカに、アルルゥは一瞬だけ顔をしかめた。
 自分の不用意な発言でアルルゥを傷つけ、すっかり嫌われてしまったトウカ。その表情だけで足から力が抜けていくのを感じたが、ここで黙って見送っては、一生可愛いアルルゥに嫌われたままだ、と足に喝を入れる。

「某も一緒に、参ります」

 

 

 

 

「カルラお姉ちゃ〜ん」

 ぴこぴこと色とりどり咲き乱れる花畑の小道を走りながら、少し離れた木陰に座っているカルラに手を振るアルルゥ。先程までの涙の影は、今はもう見えない。

「あら、綺麗にできましたわね」

 アルルゥの頭を飾る白い花冠。
 トウカの踏み付けた後の物しか見てはいないが、踏まれる前の物と比べても、こちらの方が格段に上手に出来ているであろう事がわかる、アルルゥの満面の微笑み。
 カルラのいる所まで走ってきたアルルゥは、その隣に座り、手許を覗き込む。

「カルラお姉ちゃんも、かんむり?」

「うふふ、秘密ですわ」

 器用に編み込まれていく、色とりどりの花。
 アルルゥの使った白い花とは違う、茎を曲げるのにコツの必要な物ばかりが使われている花輪。
 不思議そうな顔をして手許を覗くアルルゥの頭に、先に作った花冠をのせる。

「カミュの分は作らなくてよろしいの?」

 皇城から出るさいに、ムントに捕まったカミュ。
「こっちの花冠、ちゃんとユズっちに渡しておくよ〜」と手を振りながらムントに引きづられていった。
 今頃は宿題の山と睨めっこをしているか、上手く逃げ出してユズハの部屋でお茶でも飲んでいる頃だろう。

「ん、作る」

 耳をぴっと立てて新たな目標、『カミュにも花冠を』に向かいアルルゥは腰をあげた。

 

 

 

 

 アルルゥが先程までいた白詰草の群生地。
 その丁度反対側で、トウカも花と奮闘していた。

(……確か、ここを……このように捻って……)

 先程見た花冠の現物を思い出しながら、見よう見まねで手を動かしている。
 その出来は……踏まれた後の花冠よりもいびつに曲っていた。

 当然の結果かもしれない。

 思えば幼い頃から剣の修行に明け暮れ、女の子らしい遊びをしたことなど一度もなかった。そして、見覚えのある花冠は、すでに自分が踏み付け、潰れたものだけ。これでは、綺麗な花冠など作れるはずがない。
 少し離れた所にいるカルラは綺麗な花冠を作っているようだが、彼女に作り方を聞くのは、なんとなく気が引ける。まず最初に「こんな簡単な事もできませんの?」とからかわれるだろうことが容易に想像できた。
 そのような屈辱を受けるぐらいなら……っと、力いっぱい手を握りしめていたことに気がつき、手を開く。
 散々苦労して作った、どうにか形らしい形になりつつあった『物』は、握りしめられ、見事に潰れていた。

 どうやらカルラに作り方を聞いて、からかわれるのが嫌だ……などと言っている場合ではないらしい。

(聞くは一瞬の恥じ、聞かぬは一生アルルゥ殿に嫌われたまま……)

 意を決して腰をあげ、ふっと思い出す。
 昔一度だけ、花冠をもらった事があった。
 幼い頃、エヴェンクルガの里で……

 

 

 

『はい、トウカちゃんにあげる』

 ふわりと頭にのせられた、白い花冠。
 はにかみながら微笑んでいるのは、隣の家の少女。

『ありがとう、リンチャン殿』

 微笑みながら、礼をのべるトウカ。

『一番きれいにできたから……』

もじもじとしている『リンチャン』の後ろからもう1人。

『あ、リンちゃん。トウカちゃんにあげたの?』

『うん』

『じゃあ、トウカちゃん、トナリの作ったのも貰ってくれる?』

 差し出された、白い花冠…

 

 

 

(リンチャン殿にトナリ殿……今頃、きっと元気に……)

 花冠から完全にそれた思考で、トウカはある事に気がついた。

(某はずっと『リンチャン殿』と呼んでいたが……本当は『リン殿』が正しいのでは……)

 懐かしい隣人の姿を思い浮かべ、しばし考える。
 確かに、自分の両親も友も『リン』と呼んでいた。

 つまり、『リンチャン』と間違った覚え方をしていたのだ。自分だけが、ずっと。

(そ、某としたことがぁ〜!!)

 己の間違いに気付き、両手でこめかみを押さえ、うなだれる。
 無理もない。
 生まれた時からずっと一緒にいた隣人の名前を、今の今まで間違えて覚えていたのだ。

「何を遊んでいますの?」

 頭上からかけられた、どこか呆れたような声に、トウカは現実に引き戻された。

「せっかく……名誉挽回の機会を作って差し上げましたのに……」

 目を細め、トウカの握りしめている『花冠』に一瞥。

「かわりに作ってさしあげましょうか? 今のままでは、日が暮れてしまいますわよ」

「折角の申し出だが、こればかりは某が作らなければ意味がない。」

 カルラに頼み、綺麗な物を作れば……アルルゥは確かに自分を許してくれるかもしれない。しかし、そんな解決の仕方は一時しのぎにすぎない。知らぬ事とはいえ、アルルゥが心を込めて作った物を侮辱し、あまつさえ壊してしまったのだ。他人に作ってもらった物で、仲直りしようなどと……そんな情けない真似はできないし、それこそ自分が許せなくなる。

「あら、そうですの……」

 最初からトウカの返答がわかっていたカルラは、その言葉に満足し、微笑む。

「……でも、先程のアルルゥの花冠より綺麗作らなくてはダメですわよ。
 あなたはアルルゥに『ゴミ』を渡すおつもりですの?」

「ゴミっ……!」

 カッと頭に血をのぼらせ、威嚇するように耳を広げる。

「ゴミとはなんだ、ゴミとは。これは某が心を込めて……」

「……ゴミ、ですわ」

 静かに手許を覗き込むカルラにつられて、自分の作っていた『花冠』を見るトウカ。
 確かに、どう贔屓目に見ても……ゴミとまではいかなくとも、花冠とは言い難いかもしれない。
 そして、気がついた。
 今カルラに言われた事は、自分がアルルゥに言った言葉と同じだと。

「それにしても貴女、力の加減というものを知りませんの?
 それでは花が折れてしまいますわ……」

 いつもの人をからかう口調で隣に腰を下ろしたカルラは、せっせと自分の花冠の続きを編みはじめた。
 時々、トウカの邪魔をするように口を挟むカルラ。
 それらに反論しながらも、少しずつ花冠を完成させていくトウカ。

 カルラに邪魔をされているようで、さり気なくコツを教えられていることに、トウカは気付いていた。
 普段が普段なだけに、面と向かって礼を言うのは躊躇われたが。
 カルラの親切に応えるためにも、綺麗な花冠を作らねば、と改めて気合いを入れた。

 

 

 

 

 赤く染まった太陽が、ゆっくりと西の山に姿を隠しはじめた。

 遠くの空で、鳥の親子が鳴きながら山へ帰って行く。

 結局、家族全員分の花冠を作ったアルルゥは、疲れ果てカルラの膝を枕に安らかな寝息を立てている。時折耳をくすぐるカルラの指に、ぴくぴくと耳と尻尾を動かしているが、昼間ほど元気には揺れていない。

「出来た!」

 突然の歓声にアルルゥは目を覚ます。

「アルルゥ殿、出来ました!!」

 何度も作り直した中でやっと出来た、なんとか花冠に見える物をアルルゥの目の前に差し出す。
 まだ眠たそうに目をこすっているアルルゥは、差し出された花冠とトウカの顔を見比べた。

「…………」

「……アルルゥ殿?」

 お世辞にも綺麗とは言えない花冠は、最初に自分が作ったものよりも不格好。それでも、トウカの花の汁で緑色に染まった指先や、土で薄汚れた顔を見ていると……『ゴミ』と言われた事も、花冠を壊されてしまった事も、すべてどうでも良く思えてきた。

「…………不格好」

 これは、素直な感想。
 ほんの少しだけ、仕返しの意味もあるかもしれないが。

「でも、アルルゥ、これがいい。トウカお姉ちゃんが作ってくれた、アルルゥのかんむり」

 アルルゥの言葉に、トウカはほっと息を吐く。
 これでやっと仲直りできた、と。

「ん」っと頭を出すアルルゥに、トウカは瞬き、うやうやしく花冠をのせる。
 微かに加わった頭の重みを確かめるように、そっと花冠に触れるアルルゥ。

「トウカお姉ちゃんの分」

 アルルゥは家族分の花冠の中から、2番目に綺麗に編まれた物を取り、トウカの頭にのせる。

「某にも、ですか? ありがとうございます」

「ん、1番綺麗なのはおと〜さんにあげる」

 だからこれは2番目に綺麗な物だ、とアルルゥはトウカに微笑んだ。

 

 

 

おまけ。

 
カルラ製作、花冠の行方……(気力が尽きたので、セリフのみでご想像下さい(爆))

「…………なんだ、これは」
「愛の鎖ですわ」
「……いらん」
「あら。アルルゥ、あるじ様は花冠はお嫌いだそうですわよ」
「アルルゥ?」
「…………おと〜さん……」
「い? いや、それはだな……」
「アルルゥ、一生懸命作った。おと〜さん、お花嫌い?」
「…………大好きだ。アルルゥが作ったのか? 綺麗に出来たな」
「ん」
「喜んでいただけて、嬉しいですわ」
「だから、この異様に長い花輪はなんだ」
「ですから、愛の鎖、ですわ」
「…………ハクオロさん?」