太陽が西に沈む夕刻。
夕食には少し間がある、この時間。
ベナウィは広場の一角で1人続けていた修練を中断し、アルルゥを見つめた。
「……薙刀を、ですか?」
聞き間違いか? と確認の意味を込めて問い掛ける。
ムカティパを駆り、戦場に顔を出す事はあっても、アルルゥが自ら武器を取るような事は今まで無かった。
「ん」
簡潔な返事。
いつも通りの思いつきの行動……であれば良いが、ベナウィの所に来るのであれば、アルルゥなりに本気なのだろう。
「それで、聖上は何と?」
武器を持ち、人を殺める術を得る事について、アルルゥの父親たるハクオロの了解は得ているのか。
悪質な物ではないが、この少女は時々嘘をつく。
ベナウィは不審な仕種を見のがすものかと、アルルゥの瞳を見つめる。
……………ぷいっ。
嘘は許さないと、真直ぐに自分を見つめる瞳に負けて、アルルゥは目を反らした。
それが答え。
ハクオロには話していない。
もしくは、却下されたのだろう。
「聖上のお許しがなければ、アルルゥ様にそのような事はさせられません。」
きっぱりと断られ、アルルゥは唇を尖らせ、拗ねる。
「う〜」と唸りながら、言い難そうに視線を泳がせ、しきりに瞬きを繰り返す。
「ムックル……」
ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声で。
「ムックル、もうすぐお母さんになる」
「だから、しばらく森に帰す」と、それだけ言うと再び目を反らしうつむいた。
赤ん坊の頃からムックルの世話をしていた『森の母』とて、出産・育児中の獣には近付けない。子を守ろうとする母親の本能によって、自分の身が危ういからだ。普段から森で遊んでいるアルルゥは、誰に教えられる事なく、自然界の掟を身に付けている。
そして、しばらくムックルを森に帰すと言う事は、いざ戦が起これば自分は戦場に出られない。1人で皆の無事を祈り、帰りを待つ……そんな辛い日々を送る事になる……。
そんなのは嫌だ。
家族と一緒に戦いたい、自分だって大切な家族を守りたい。
ならば、自分も武器を手に取ろう、と。
「…………1つ、条件があります。」
ベナウィの意外な言葉にアルルゥが顔をあげる。
「条件?」
「これを聞き届けてくれるのでしたら、喜んでお教えしましょう。」
一度断った事を受け入れる。
ベナウィにしては珍しい事だ。
歓迎すべき言葉ではあるが、それだけに条件が気になる。
「…………ん」
言葉ではこの男に適わない。
それを知っているアルルゥは、少しの引っかけにも騙されまいと、耳をぴっと立て、先を促す。
警戒するアルルゥに微笑み、ベナウィは言葉を続けた。
「薙刀を使いこなせる様になっても、けっして戦場には出ないと約束していただけますか?」
家族を守る為に、戦場に立つ為に、戦う術を身に付けたいと言っているのに。
術を教える変わりに、その戦場には来るな、と。
しかし、それでは何の意味もない。
ムックルがいなければ戦場には出れない、戦う術を身につけようとしても戦場に出れない。
そんな無茶苦茶な条件など、のめるハズもない。
結局、最初からこの男には、自分に薙刀を教える気などなかったのだ。
「聖上は今でも、アルルゥ様が戦場に出られるのを反対なさっています。
……もちろん、私も反対です。ですから…………」
「ダメ」
言葉を遮り、再びうつむいたアルルゥに、やっぱり聞き入れないか、とベナウィはため息をつく。
「アルルゥ、一緒に戦う。おと〜さん、守る」
うつむいているため、表情は見えないが、声が震えを帯びはじめている。
「……でしたら、私も薙刀をお教えする事はできません」
戦場に出る事をあきらめろ、と言外に告げらた。
悔しかったが、泣き落としも効かない意地悪なベナウィに涙は見せたくなかったので、アルルゥはうつむいて「う〜」っと唸る事しか出来ない。
条件をのめないくせに、引く気配を見せないアルルゥに問いかける。
「オボロは何と言いましたか?」
「…ダメって言った」
「クロウは何と?」
「……ダメって言った」
「カルラは? トウカはどうでした?」
次々に自分が訪ねた相手の反応を聞かれ、アルルゥは黙ってしまう。
みんなに反対されたから、最後に一番頼み難いベナウィの元に来たのだ。
「皆、本当はアルルゥ様の手を、血で汚したくはないのですよ」
それはアルルゥもわかっている。
戦場に出る度、家族みんなが悲しそうな目をするのを。
でも、それでも……
「武器の重さは、命の重さかもしれませんね」
大人しくなったアルルゥの背中に回り、ベナウィは自分の槍を握らせる。
ベナウィに支えられていても、ずっしりと重い槍。
「振ってみますか?」
1人で持つ事もままならない槍を。
ベナウィの腕に支えられ、導かれるままに槍を振る。
実際はほとんどベナウィの力によるものだが、優美な曲線を描き、構え、突く。
「……重い」
ぽつりと漏れた声。
「私は、これで人を殺めてきました」
それは変えようがない真実。
民のため、國のためと言いながらも、戦場ですることは一つ。
「ですが、これで人の命も守ってきました」
「ん」
それは知っている。アルルゥ自身、何度もこの槍に助けられている。
「大丈夫です。聖上は私が命に変えてもお守りしますから」
背中から体を通って直接伝わる声は、何故か人を安心させる響きを持っていた。
「ダメ」
元気よく、ぴたっと動き止めたアルルゥが、ベナウィの胸に頭をあて、見上げる。
「みんなで、帰ってくる」
誰一人かける事なく、みんな無事に。
誰かのために命を捨ててはダメ。
それは、その人の事を大好きな人達を、悲しませる事になるから。
「そうですね、みんなで帰って来ます」
最高の我侭と笑顔を見せる、腕の中のアルルゥに、ベナウィもつられて微笑んだ。