ん。

 んしょ。

 ん、っと。

 〜〜♪

 ………………


 ――ガツッ

 !

 あぅ……痛い。

 ゆび、はさんだ。

 なめて、ふぅふぅってしたら、ちょっとおさまった。

 ……やっぱり、むずかしい。

 でも、つくる。

 アルルゥが、つくる。

 前に、おと〜さんにつくった。

 おと〜さん、よろこんでくれた。

 わらってた。

 ……うれしかった。

 だから、つくる。

 おと〜さんじゃないけど、きっと、よろこんでくれる。

 そしたら、うれしい。

 だから、むずかしいけど、アルルゥがつくる。

 ハチミツと同じ。

 ハチミツ取る、むずかしい。
 でも、むずかしいほど、おいしい。

 それと、同じ。

 むずかしいほど、よろこんでくれる……きっと。

 お姉ちゃんに教えてもらったから、たぶんつくれる。

 がんばって、つくる。



 ん? 糸、足りなそう……。



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「はっ!」

 鋭い、と言うよりは、可愛らしい気合の声が響く。
 少女の振るう薙刀が、弧を描いて相手に襲いかかる。

 ――キンッ

「打ち込みが軽過ぎます! もっと、勢いを付けて振り切りなさい!」

 彼女の放った一撃は、いとも簡単に受け止められ、叱咤の声とともに反撃が来る。
 見本とばかりに、凄まじい勢いのついた打ち込み。

「くぅっ」

 その一撃を受け止めきれず、後ろに弾き飛ばされる。
 何とか体勢を立て直すが、今の一撃で、手が痺れてしまっていた。

 思うように得物を扱うことが出来ない少女に、容赦のない攻撃が繰り出される。

 斜めから斬りつけ、返す動作で横薙ぎ。
 次いで槍を回転させて、真上からの打ち下ろし。
 更に僅かに引いて、目にも止まらぬ突き。

 何とか攻撃を躱しはしたが、そこまでが限界だった。

 ――ガキッ

 体勢の崩れたところに打ち込まれた一撃を避けきれず、薙刀で受ける。
 痺れた手では受けきることも出来ず、武器は弾き飛ばされ、自身も倒された。
 受け身をとるのが、精一杯だ。

 そして、起き上がろうとしたところに、槍の先が突きつけられる。


 ――――終わり、だった。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「動きも、技術も、悪くはありません」

 稽古を終え、いつものように稽古内容の評価が始まる。
 ベナウィのそれは、とても厳しく、お説教を聞くのと変わらない。
 アルルゥにとっては、少し苦手な時間だった。

 ただ、厳しくはあるが、その指摘は的確である。
 改善できれば、確実に上達する。
 それは、経験で解かっていた。
 だから、苦手ではあっても、聞き漏らさないよう真剣に聞く。

 強くなりたいから。

 みんなを護れるように、なりたいから。


「……攻撃の組み立てが、すぐに読めてしまいます。それから、やはり体力が圧倒的に不足していますね。まだ成長期ですから仕方ありませんが、今のままでは、実戦で通用しないでしょう」

 ベナウィの話は、そう締めくくられた。

 その言葉に、アルルゥの顔が曇る。
 彼女が体力向上のための鍛練もしていることは、ベナウィとて
 知っているはずなのだ。
 しかし、成長しきっていない彼女は、そもそもの許容量がない。
 鍛えるだけでは、どうにもならない限界というものがあった。


「……そう急ぐことは、ありませんよ」

 考え込んでいたアルルゥに、ベナウィが珍しく笑顔を向けた。

「上達していることは確かですし、まだまだ、これからですから」

「ん」


「……それにしても、早いものですね」

 唐突なベナウィの言葉。
 アルルゥは意味が解らなかったらしく、きょとんとしている。

「私がアルルゥ様に薙刀を教えて、もうすぐ一年になります」



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ――カタン、トン、トン

 さほど大きくない部屋に、心地良い音が響く。

 それは、機織りの音。

 太めの糸を縦横に複雑に絡ませ、何かを作り上げていく。

 鮮やかな色彩、複雑な模様。

 素朴だが、暖かみのある作りだった。


「ほら、アルルゥ! そこはそうじゃないって、言ったでしょう?」


 少し強めの声が、機を織る音を打ち消した。

「う〜〜」

 作業をしていた少女が、悔しそうな声を洩らす。

「そこで間違えたら、先の方までおかしくなっちゃうんだから。……気を付けてね」

「ん……これで良い?」
「そうそう、その調子。……それで、こっちの糸をここに通して――」

 エルルゥが、糸を指差しながら説明を続ける。

「――この下をくぐらせて、上に引っ張るように……」
「こう?」
「うん。それなら大丈夫。……上手くできてるよ」
「ん〜♪」

 姉の言葉に気分を良くしたのか、満足げな笑みを浮かべるアルルゥ。
 とても、楽しそうだ。

 その顔があまりに嬉しそうなのを見て、不思議そうにエルルゥが尋ねた。

「……そういえば、これ、誰に作ってあげてるの? ハクオロさん?」
「おと〜さんには、また今度つくる」

 振り返りもせずに、答えるアルルゥ。

「じゃあ誰なの?」
「ヒミツ」
「え、どうして? 教えてくれてもいいじゃない」
「ナイショ」
「ちょっとだけでも……」
「ダメ」
「…………」
「…………」

「む〜。教えてあげてるのに〜〜」

「〜〜♪」

 頬を膨らませるエルルゥの横で、アルルゥは楽しそうに手を動かし続けていた。



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「私がアルルゥ様に薙刀を教えて、もうすぐ一年になります」

「ん」

「正直、これほど上達されるとは思っていませんでした」

 休憩の為に木陰に移動しながら、ベナウィが感慨深げに呟く。

「ん〜」

 彼には珍しい誉め言葉に、アルルゥは照れたような表情を浮かべた。
 木の根本に腰を下ろすと、ベナウィに寄りかかってくる。

 しかし、ベナウィ自身は複雑だった。
 二人だけの秘密の稽古。
 無垢な少女、それも自分が仕える人間の愛娘に、人を殺す技を教える。
 本人が強く望んだこととはいえ、抵抗感がなくなる訳ではない。
 本音を言えば、途中で音をあげることを望んでいたくらいなのだ。

 ――この少女の手を、血で汚したくはない。

 それが、彼の偽らざる思いだった。

 しかし、ベナウィは彼女の性格をよく知っている。
 大切な人に何かあれば、誰が何を言っても聞きはしない。
 必ず助けに行こうとするだろう。
 その時に、戦う術を持っているか否かは、彼女の生死をも左右する。
 そう考えたからこそ、彼女に薙刀を教えることにしたのだ。

 そして、自らは護りたいものを戦に巻き込まないために、多忙な状況に身を置く。
 外交に内政、時には裏工作。戦を生まぬ為の努力を続けている。
 戦が起こらなければ、その被害もない。例え、戦う術を身に付けたとしても、目の前の少女が戦場に立つことはない。

 そんなことを思いながら、日々、書簡・木簡の山を築いている。


 しばらく黙り込んでしまったベナウィの顔を、アルルゥが不思議そうな目で見上げていた。

「ベナ?」

 ベナウィは思わず苦笑すると、話題を変えた。
 少し前から考えていたことを、アルルゥに伝える。

「私の厳しい稽古に、よくついてきましたね」

「ん。アルルゥ、がんばった」

「ええ、アルルゥ様は、とても努力されていました。
 誉めてさしあげますよ」

 そう言って、アルルゥの頭をなでる。
 彼女の父親が、よくそうしているように。

「んふ〜〜」

 アルルゥは、気持ちよさそうに目を細めている。
 その姿を見て、僅かに表情を綻ばせながら、ベナウィは話を続けた。

「実は、アルルゥ様が一年間ちゃんと稽古を続けることが出来たら、
 何か御褒美をさしあげよう、と思っていたのですよ」

 その言葉を聞いた途端、アルルゥの目が光る。
 一瞬でベナウィの方に向き直り、期待に満ちた目で見つめてくる。

「まだ……秘密ですよ」
「……」

 はぐらかすような答えに、無言でベナウィの顔を睨むアルルゥ。
 更にしばらくして、彼の胸をぽかぽかと殴り始める。
 それを咎める訳でもなく、むしろ微笑みを浮かべてベナウィは話を続けた。

「まだ、一年までは日がありますからね。
 それまでアルルゥ様が、ちゃんと稽古を続けられたら、
 ちょうど一年目の稽古のときに、御褒美を差し上げます」

「う〜」

 まだ少し不満そうではあったが、そう言われては納得するしかない。

「頑張ってください」

「ん。ぜったい、ごほうびもらう」

 そう言うと、アルルゥは、小さなこぶしをぐっと握り締めるのだった。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「お姉ちゃん、これ、あげる」
「え?」

 アルルゥが姉のところにやって来たのは、数日前。
 思いつめたような表情で、持参していたハチミツをエルルゥに渡そうとする。

「どうしたの? これ、アルルゥが大事にとっておいたハチミツじゃない」

「ん、あげる」

 その表情と行為に、初めは何事かと心配したエルルゥだったが、すぐにその意図を察した。

「何か、頼みたいことがあるのね?」

 とっておきのハチミツ。
 とても美味しいから、おと〜さんと食べるのだと。
 友だちであるカミュにさえ、あげなかった程のとっておき。
 妹にとって、それがどれだけ大切なものか、エルルゥは知っていた。

「…………」

「このハチミツよりも、大事なことなんでしょう?」

「ん……」

「なら、言ってみて。悪戯じゃなければ、協力してあげる」
「う〜」

 その言葉に、アルルゥは抗議するような声をあげる。
 そんなことで、大切なハチミツを渡そうとするはずがないのだ。


「……………………」


 たっぷり数分間は黙り込んだ後、アルルゥはすがるような目で姉のことをを見つめた。


「……教えてほしいこと、ある」



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 エルルゥが妹から頼まれたのは、機織りの指導だった。

 普通に織るだけなら、アルルゥもそれなりのことは出来るようになっている。ただ、複雑な織り方になると難しいらしい。
 確かに、彼女が教えて欲しいと言ったのは、かなり高度な技法であった。難しくはあるが、その分凝った作りとなり、人目を引く。高値で取り引きされる織物などにも、使われているものだ。

 誰かの為に作りたい、そんな思いを感じて、エルルゥは喜んで妹の頼みを承諾した。
 しかし、誰に作るのかは、今もって教えてもらえない。



「さて、と。こんなところかな」

 少しばかり考えに耽っていたエルルゥは、妹の手際を確認してから呟いた。ここ数日で、アルルゥは教えられたことを、ほとんどこなせるようになってきている。

「ん」

 アルルゥの返事には、少なからぬ自信が感じられる。
 表情も明るい。

「あとは、1人で出来る? アルルゥ」
「ん、だいじょぶ」

 そう答えながら、手を休めることなく作業を続ける。
 振り向こうともしない。
 その集中ぶりを見て、エルルゥは苦笑した。

「良いものが出来るといいね、アルルゥ……」

 微笑みながら妹の背に向かって声をかけると、エルルゥは静かに部屋を出た。



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 爽やかな風が吹く丘の上に、一人の少女が座っている。
 膝を抱え、木陰に隠れるように。

 そこから見えるのは、皇宮の裏庭。
 少女がいつも、武術の稽古をしている場所だ。
 本来なら、今もその場所にいるはずだった。

 しかし、今は行く気にはならない。
 逃げ出すようにして、こんな場所にいる。
 いや、本当は行きたかったのだ。
 今日の稽古を、ずっと楽しみにしていたのだから。

 師であるベナウィから、御褒美を貰えるはずの日。

 しかし――――。


「……捜し、ましたよ、アルルゥ様」

 ――ビクッ

 突然背後から聞こえた声に、少女の体が強ばる。
 一瞬、耳がピンと立つ。しかし、それもすぐに力無く垂れてしまう。
 微かに全身が震えていた。

 声を掛けたのはベナウィだ。
 この男にしては珍いことだが、僅かに息が上がっている。

「自分から言い出した稽古を、途中で投げ出すのは感心しませんよ?」
「ちがう! 投げ出したりなんて、しない……」

 ベナウィの言葉に、思わず振り返って反論しようとするが、段々と声が小さくなってしまう。
 理由はどうあれ、稽古から逃げたのは事実なのだ。
 この状況で反論など、この男相手にできる訳も無い。

「理由も言わずに稽古を休まれるのは、逃げたのと同じです。……稽古が、嫌になりましたか?」
「ちがう!」
「それでは、何か大切な用事でも出来たのですか?」

 無言で首を横に振るアルルゥ。

「何か理由があるとしても、言ってくれなければ判りませんよ?」

「…………」

 アルルゥは、何度も口を開きかけるが、その度に俯いてしまう。

 そして、耐え切れなくなったのか、ベナウィの視線から逃れるように、その場から走り去ろうとする。


 その時――

  パサッ。

 ――アルルゥの手から、何かが落ちた。


 反射的に、ベナウィがそれを拾う。

 少し遅れてそれに気付いたアルルゥは、慌ててベナウィが拾ったものを奪おうとする。

 しかし、僅かの差で、ベナウィに見られてしまっていた。


「これは……」

 見るからに柔らかく、暖かそうな布地。


 ――首巻、だった。


 素朴な色合いだが、凝った模様が目を引く。

 そして、模様の中心には、人の顔が描かれていた。

 髪型や鎧などの、いくつかの特徴。
 何よりも、一緒に描かれた白いウォプタル。
 見る者がみれば、誰の顔だか判るだろう。


 ――もちろん、ベナウィにも。


「――――これは……私……ですか?」



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 驚きを隠せない様子で、手の中の首巻とアルルゥを交互に見つめるベナウィ。
 アルルゥは、それを奪うことも逃げることも諦めた様子で、彼に背を向けて俯いている。


「……ベナ、ごほうびくれるって言った。だから、ベナにも、ごほうび……」

 背を向けたまま、アルルゥが消え入りそうな声で呟く。

「私に……ですか……」

 ベナウィは、驚いたような、困ったような、複雑な表情を浮かべていた。


「……ありがとう、ございます。アルルゥ様」

 そう言って、再び首巻を眺めた後、首に巻こうとする。

 その衣擦れの音を聞き、アルルゥが慌てたように振り返った。

「――だめ! それ、しっぱ……」

 しかし、アルルゥが制止の言葉を言い終わる前に、ベナウィは首巻を身に付けてしまっていた。

 しばし、言葉を失う2人。



「ぅ〜〜。やっぱり、長い…………」

 ベナウィの姿を見たアルルゥは、悔しそうに呟く。
 片方を丁度よい位置に合わせた首巻は、もう一方の先が腰よりも下にあった。

 そして、その言葉を聞いたベナウィは、彼女が今日の稽古に来なかった理由に、やっと気付く。彼が御褒美のことを口にしてから今日まで、それほどの時間があった訳ではない。一生懸命、作ったのだろう。
 しかし、出来あがったそれは、普通のものよりもかなり長い。逆に、丁度良い長さにしようとすれば、図柄が犠牲になりそうだった。長いだけでなく、所々に失敗のあとも見られる。

 だから、なのだろう。
 アルルゥが稽古に来なかったのは。

 稽古のお礼として作ったのは間違いない。

 それが、失敗してしまった――――

 ベナウィに会わせる顔がない、とでも考えたのだ。
 御褒美を貰う資格が無い、そう思ったのかもしれない。


 ベナウィは、再び少女を見た。
 背を向けて肩を震わせている。涙を溢していないのが不思議なくらい、落ち込んでいるように見える。


 その姿を見て、自然と体が動いた。


 アルルゥの傍に近づき、ゆっくりと、手を伸ばす。


「……こうすれば、長過ぎることはありませんよ」


 ベナウィの言葉に、アルルゥの肩がピクリと動く。

 何時の間にか、アルルゥの首にも首巻が巻かれていた。

 アルルゥは、背後にいるベナウィの方へ顔を向ける。

 驚くほど近くに、ベナウィの顔があった。

 ちょうど、互いの視線が合うくらいに。


 ベナウィの腰まであったはずの長い首巻。


 それが、アルルゥの首に巻かれていた。


 2人を、繋ぐように――――


 初めは驚いていたアルルゥだったが、ベナウィの優しそうな笑顔に気付くと、目を細めて自分の首に巻かれたものを見た。

 失敗作だと、思っていたもの。
 ずっと、自分の胸を締め付けていた原因。

 それが、今は、やけに心地良い。

 両手を首巻に添え、ベナウィに背中を預けた。
 少しの間、その感触を確かめてみる。


「ん、あったかい……」


 ベナウィの手が、アルルゥの頭に添えられる。


 しばらく、穏やかな時間が流れた――――



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ――ガツッ!

「ぁぐぅっ……」

 連続攻撃の隙に打ち込まれた激しい一撃を受け、アルルゥの体が後ろへと飛ばされる。倒れることこそ無かったものの、その表情には苦痛の色が伺えた。

「……今日の稽古は、これまでにしましょう」

 アルルゥの様子を見て、ベナウィが宣言する。
 少女は一瞬だけ悔しそうな表情を浮かべたが、師の言葉に従って、いつも通り礼の姿勢をとった。

 稽古の終わり。

 それは、お説教のような話が始まることを意味していた。
 しかし、今日は雰囲気が違っている。
 ベナウィの表情は、穏やかで、少し複雑そうだった。

「アルルゥ様」
「ん?」
「……今日で、約束の一年目。今まで、よく稽古を続けられましたね」
「ん、まだいっぱい続ける」

 アルルゥが、少し真剣な表情で答えた。その言葉に、先刻までの気落ちした様子はまったくない。

「約束どおり、ご褒美を用意してあります」
「きゃっほぅ♪」

 真剣だったアルルゥの表情が、満面の笑みに変わる。
 目がキラキラと輝き、身を乗り出すようにして、次の言葉を待っている。
 それだけで、彼女がどれほど楽しみにしていたかが判る。

「それでは、少しお待ちください」

 ベナウィはそう言って、少し離れた場所にいるシシェのところに行く。
 そして、丁寧に布で包まれた細長いものを持って、アルルゥのところに戻った。

「これが、ご褒美です」

 その言葉に、アルルゥの顔が少しだけ残念そうな表情になる。
 もしかすると、食べ物を期待していたのかもしれない。
 そう思い至り、ベナウィが苦笑を浮かべた。

「重い……」

 それを受け取ったアルルゥが呟く。

「あけてもいい?」
「ええ、構いませんよ」

 ベナウィの許しを得て、アルルゥはゆっくりと包みである布を剥がしていく。


「……ベナ」

 中から出てきたものを見て、アルルゥが呆けた様に師の名を呼ぶ。


 ――薙刀、だった。

 研ぎ澄まされた刃を持つ、実戦で使える武器。

 彼女が驚いているのも、無理はない。
 今までは、ずっと木で作られた模造の薙刀しか使ったことがない。
 ちゃんとした技術が身に付くまで、本物の武器に触れてはならない。
 そう、言われていたからだ。師弟間の約束事の1つ。

 つまり、これを貰えたということは、彼に認められたことと同じなのだ。

 実用性を損なわない程度に施された装飾。
 アルルゥの好む青を基調とした色合い。
 長さも彼女に丁度良いものだ。
 彼女の為に鍛えられたかのように、ぴたりと合っていた。
 少し重くはあったが、扱っているうちに自然と筋力が鍛えられるはずである。


「……気に入って、頂けましたか?」


「ん……。たいせつに、する」


 まだ少し呆然としたままのアルルゥの返事に、ベナウィが目を細める。
 しかし、それは一瞬のことで、すぐに真剣な表情に戻った。

「但し、それが命を奪うことのできる道具であることだけは、忘れないでください。扱い方を間違えれば、御自身や大切な人まで、傷つけるかもしれないのです。軽々しく扱うことは、許されません」
「ん」

 神妙な面持ちで、師の言葉に頷くアルルゥ。
 手に持つ武器の重さは、命の重さであり、責任の重さである。
 その実感は、まだ無い。
 しかし、師から耳が痛くなるほど言い続けられた言葉だった。

「それでも、その武器を振るいたいですか?」

 以前にも何度かあった、師からの問い掛け。

 覚悟を、問われる。

 アルルゥは僅かばかり目を閉じた。
 もう一度、自分の気持ちを確認するかのように。

 家族の姿が思い浮かぶ。
 自分を庇い、目の前で死んでいった祖母。
 奪ってしまった命に対して、悲しそうな顔をする父。
 時には敵の命すら救おうとしていた姉。
 病に苦しんでいたトモダチ。

 少女の記憶にある、命に纏わる光景。
 決心が鈍りそうな記憶もあった。

 それでも、と心を決める。
 弱い心を上回る思いがある。

 目を開く。

 師の顔をまっすぐに見つめて、告げる。

「みんなを、守りたいから」

 その言葉から、揺るぎ無い信念のようなものを感じ、ベナウィは目を閉じて頷く。

「……判り、ました。明日からは、更に厳しい稽古になるでしょう。覚悟しておきなさい」

 師としての顔で、弟子に告げるベナウィ。

 本当の意味での稽古が、始まろうとしていた――――



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「……何を、しているのでしょうね、私は」

 皇宮への道を歩きながら、自嘲気味に呟く。
 隣を歩くシシェが、心配そうに私を覗き込んでいた。
 思わず漏れる苦笑。

 背中から、寝息が聞こえる。
 規則的で、穏やかな息遣い。
 僅かに頭を動かして、そちらを見る。
 あどけない、幸せそうな寝顔。

 戦とは無縁に思えるその姿を見ていると、自分のしていることに自信が持てなくなる。

 この御方に武術を教えて、本当に良かったのだろうか?

 何度も繰り返した、問い。

 首に巻いたものを見る。
 彼女が私にくれた、長めの首巻。
 稽古のお礼にと。
 私が寒くないように、と。
 自らの手で作ってくださったもの。

 ――あまりにも、戦いが似合わない。

 そう思わずにはいられない。

 しかし、手には私の差し上げた薙刀を持っている。
 よほど嬉しかったのか、寝てしまった後も握り締めたままだ。
 戦う為の――相手の命を奪う為の、武器だというのに。

 願わずにはいられない。
 貴女がその武器を、振るわずに済むように。

 また自問する。

 本当に、この御方に武器を差し上げても良かったのか?

 答えの出ない、問い。

 それならば。
 どのみち答えが出ないのであれば。
 自分が覚悟を決めれば良い。

「貴女も、貴女の大切なものも、私が必ずお守り致します」

 貴女がその手を血で汚すことの無いよう。
 戦いの場になど、身を置くことの無いよう。

「私の、持てる力の全てを尽くしましょう」

 戦など、起こらぬように。
 守るべき者達のために。


「……ベナ〜……」


 ふいに、名前を呼ばれる。
 少しだけ振り返ってみるが、やはり寝ていた。
 夢の中でまで、稽古を続けているのかとの考えが浮かび、思わず苦笑する。


「いつまでも御守りしますよ、アルルゥ様……」




 気がつくと、皇宮のとある一角から煙が立ち昇っていた。
 もうすぐ、夕食の時間だ。

 どうやって、この方を起こそうか。

 そんなことを考えながら、そっと裏門を潜った――――



   ―― 終 ――