「僧正、――――より、使者の方が参っております」
「判りました。こちらの用事が済み次第、話を伺います。それまでは空き室でお待ちになるように、と伝えて下さい」
「はい」
相手が去っていくのを確かめてから、ふぅ、とため息をつく。
毎日が忙しい。時間がいくらあっても足りない感じだ。
それも仕方がないのかな、と思う。
今の私は僧正なのだ。神の声を聞き、皆を導く者。
そんな肩書きで呼ばれている。
だけど、その実態は便利屋みたいなもの。
色々な人が、問題を解決してほしいと訪ねてくる。
祭礼を執り行ったりもするけど、村どうしの争いの仲裁とか、失せ物探しの依頼なんかもある。思わず追い返してしまいそうになるような、取るに足らないものも多い。
……意外と短気な自分に、ちょっと驚く。
でも、こんな状況を作ったのは、自分自身。
――お父様を解放者として奉り、封印の地を聖地として、誰も近づかないようにする――
そうしたのは、私。
お父様を安らかに眠らせる為に。
忌まわしい禁断の知識と技術を、誰にも伝えないようにする為に。
なによりも、私たちの悲劇を繰り返さないように。
あちこちを巡って色々な人と会った。その度に、解放者の話を語って聞かせた。誇張したところも多いし、嘘もついた。
……洗脳と言った方が正しいかもしれない。
時には強引な手段を使ったりもした。相手によっては、自分の忌まわしい能力まで利用した。俗に言う奇跡さえ演じて見せた。
そうして数年が経った今、その試みは成功しつつある。
解放者の名は徐々に広まっていて、神と崇めるものさえ出てきている。
村によっては、解放者を扱った祭事が執り行われたりもする。
その声を代弁する私は、僧正とも巫とも呼ばれるようになり、回りに人が増えた。僧正としての仕事を手伝ってくれる者、身の回りの世話をしてくれる者、私を尊敬していると言って傍にいる者さえいる。頼られているな、と実感できることも多い。
忙しいのは、その結果。
だから、逃げる訳にはいかない。
それに僧正としてなら、ずっとここに居られる。
――お父様の、一番近くに。
お父様のことは、今になっても吹っ切ることが出来ないでいる。
普段はそうでもなくなったけど、少しでも暇があると、無意識にお父様の眠る場所を見つめている自分に気付くことがある。
『もう一度会える』、その言葉を信じて、今は頑張っている。
私はお父様の声を聞く巫なのだから。
……そう、判ってはいる。自覚もちゃんとある。
仕事そのものが嫌いな訳じゃない。
ただ、ここ最近の忙しさは、酷過ぎる気がする。
書類の読みすぎで、目はしょぼしょぼするし、肩凝りも辛いところ。
それに、埒のあかない話を聞いていると、苛々してくる。
「抜け出したいな……」
そう思ってしまう。いや、思うだけでなく口に出ることもある。
側近の者に聞かれたら大変なので、慌てて口を噤んでみたりする。
そんなことが、続いていたせいなのだと思う。
ついに耐えられなくなった私は、部屋から抜け出す決心をしていた。
その行動が、薄れかけた記憶を蘇らせることになるとも知らずに――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――ックシュン!」
盛大なくしゃみが出てしまった。
「う〜、水浴びには少し早かったかな……」
……誰も、見てないよね?
思わず辺りを見回してしまう。
僧正として、こんな姿は見せられない。
震えながら、日も昇りきらないうちに水浴びしたことを、ちょっとだけ後悔する。濡れてしまった羽が、なかなか乾かない。
でも、冷たい水は、疲れた体に気持ち良かった。良い気分転換にもなったと思う。
それだけでも、抜け出してきた甲斐があったというものだ。
……今ごろは、大騒ぎになっているかもしれないけど。
目の前では、さっき焚いたばかりの火がパチパチと音を立てている。
「ハ〜、あったかい」
心地よい温かさが染みてきて、そんな言葉が漏れる。
我ながら、僧正としての威厳のカケラも無い声だ……。
でも、こんな時くらいは良いよね。
普段は、絶対に出来ないことだから。
……本当はいつも、僧正なんかじゃなく、お父様の娘でいたい。
私の回りにいる人達はとても良くしてくれるけど、家族と呼ぶには無理がある。皆が、私を特別扱いしているのが判るから。どれだけ親しくなっても、最後の最後に壁がある。少し寂しいけど、それが僧正である私の現実。
そんなことを延々と考えながら、なんか暗いことばかり考えちゃうな、と思っているときだった。
――ぽふっ。
突然、私の背中――正確には翼に、ぶつかってくる感触があった。
「?」
見ると、小さな女の子が、翼に顔を突っ込んでジタバタしていた。
まだ乾いてなかった翼に触ったせいで、あちこちが濡れてしまっている。可愛い服も、かなり湿ってしまったようだ。よそいきっぽい、仕立ての良い服に見えるので、ちょっと可哀相かもしれない。
「あぅ〜」
そんな声を出しながら、頭をフルフルと振って水を払っている。
……あまり効果はないように見えるけど。
可愛いなぁ。
その仕草を見てそう思う。ただ、こんな森の中に小さな女の子一人というのは妙だった。もののけとも思えないし。
「こんなところで、どうしたの?」
出来る限り優しい声で聞いてみる。
しかし、その女の子は返事をする代りに、私のことをじっと見つめてきた。
……なんだろう。どこか変なのかな、私?
思わず、自分の姿を見直してみる。
でも、特におかしなところは見つからなかった。
精々、濡れているくらいだ。
う〜ん、なんだろう?
そんな風に私が首を傾げていると、その子が目を輝かせて叫んだのだった。
「おね〜ちゃん!」
…………は?
目が点になる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おね〜ちゃん♪」
え〜と、おね〜ちゃんて姉のことだよね?
……って、誰が?
残念だけど、こんな場所でそんな風に呼んでくれる人に、心当たりなんてない。
……でも、嘘を言っているようにも見えないんだよね。
そして、私の混乱などお構いなしに、次の瞬間には、その子が私の胸に飛び込んでくるのだった。
『おね〜ちゃん』を連呼しながら。
……また、濡れちゃうんだけどなぁ。
「あのね、少しだけ離れてくれないかな?」
そう言ってみる。
……が、ぎゅ〜っとしがみついたまま、離れてくれない。
仕方が無いので、無理矢理引き剥がそうとしたのだけど、見かけと違って妙に力が強い。それ以上無理すると、腕の方が折れてしまいそうだった。
「え〜っとね、私はあなたのお姉ちゃんじゃないんだよ?」
試しにそう言ってみる。誰かと間違えてるかもしれないし、間違いと判れば、離れてくれるかもしれないと思ったからだ。
しかし――
「ん〜? ………………やっぱり、おね〜ちゃん!」
――状況は、変わらなかった。
ちょっとだけ頭を上げて、私の全身に目をやる。
視線と一緒に首まで動いていて、それがまた可愛いかったりする。
ところが、その行動が終わると、再び私の胸に顔を埋めてしまった。
「ね、そんな風にしてると濡れちゃって冷たいでしょ。一緒に火にあたらない? あったかいよ?」
仕方が無いので、説得してみる。
「ん」
お、効果があったかな?
女の子は手を引っ込めて、ちょこんと私の横に座った。
しかし座った途端、ぴとっと私にくっついてしまった。
ちっちゃな手で、私の腕にしがみついている。
顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「〜〜♪」
結局、位置が横に変わっただけで、状況的には大差がなかった。
……まあ、いいか。びしょ濡れというほどでもないし、火にあたっていれば、風邪を引いたりもしないだろう。
しばらく無言で火にあたる。
少しだけ気分が落ち着いた頃、私は疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「……私って、おね〜ちゃんに似ているのかな?」
私のその言葉に、フルフルと首を横に振りながら、女の子が答える。
「おね〜ちゃん、見たことない」
「え?」
「でも、おか〜さん言ってた。おね〜ちゃん、いるって。会いにきてくれるって」
「あ……」
聞いてしまったことを後悔した。
多分、生き別れか何かで、お姉さんと会ったことがないんだ。
考え無しに質問した自分が情けない。
しかし、そんな私の思いなど関係なく、女の子は私の顔を見つめて、本当に嬉しそうな表情で言葉を続けた。
「やっぱり、おね〜ちゃん、いた!」
ニコニコと笑う。
こっちまで、つられて笑いたくなるような笑顔だ。
この子と一緒にいると、気持ちが優しくなれる気がした。
……あれ? でも、なんで私なんだろう?
まさか、会う人皆に飛びついてたわけじゃないと思うし。
ちょっと疑問に思った。
さっきの質問で懲りていたはずなのに、好奇心には勝てず、聞いてしまう。
「なんで、私をおね〜ちゃんだと思ったの?」
「おか〜さん、そう言ってた」
「え? 私がおね〜ちゃんだって言ったの?」
会ったこともない人が、何故そんなことを?
疑問が更に深まってしまう。
しかし、それは早とちりというものだった。
私のその言葉に、その子は再び首を横に振った。
「はね」
「羽?」
「くろいはね、おね〜ちゃんだって」
……つまり、羽が黒かったら、誰でもおね〜ちゃんってことかな?
無茶な教え方をするお母さんだなぁ……。もう少し判りやすい特徴はなかったんだろうか。
…………え?
そこまで考えて、初めて気が付いた。
黒い羽の持ち主が、私しかいないことに。
少なくとも私は見たことがない。
そして、女の子の腕にあった飾り気の無い腕輪。
一瞬にして呼び起こされる記憶。
それは、あの扉を開けるために利用した鍵。
懐かしさと驚きで、胸がいっぱいになる。
この子、私の妹だ――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私の妹。
危険に巻き込みたくなくて、他人に預けた大事な妹。
私と同じ、お父様の娘。
思えば、気付かなかったのは間抜けだったかもしれない。
言われてみれば、確かに面影がある。
母親であるミコトさんに似てきたようにも見える。
手掛かりはあったはずなのに、見逃していた。
……というより、記憶が薄れていたのだろうか。
見違えるように大きくなっていた妹。
忙しすぎて、心に余裕のなかった私。
そして、こんな森の中での突然の再会。
条件も悪かったのだと、自分に言いわけした。
会ったら、絶対に気付いてあげなくちゃいけなかったのに。
この子は私を、おね〜ちゃんと呼んでくれたのに。
自己嫌悪で、また落ち込みそうになる。
でも、そんな気持ちも再会の嬉しさには勝てなかった。
気付いた瞬間に、その子を抱き締めていた。
相手が濡れちゃうことも、全然頭になかった。
強く強く、ぎゅ〜っと抱き締める。
子供特有の温かさが伝わってきて、確かに私の腕の中にいるのだと実感出来る。
「んむ〜〜〜〜」
「あ! ごめんね」
気が付くと、女の子の顔が真っ赤になっていた。
力いっぱい抱き締めたせいで、息が出来なくなっていたらしい。
慌てて手を離すと、今度は、お尻と背中に手をやって、抱き上げた。
少し重い。
昔、この手に抱えて飛んだときの重みは、今でも覚えている。
あの時とは、比較にならない重さだ。
成長したんだな、と思う。
同時に、この子と離れていた時間の長さを実感する。
前に一度、たった一度だけ、この子の様子を見に行ったことがある。
まだ、僧正などと呼ばれる前のことだ。
彼らが向かうと言っていた方向を頼りに、必死になって探した。
必死になって、苦労して、探し続けてやっとの思いで見つけることができた。
……でも、声すら掛けられなかった。
目に映った幸せそうな雰囲気を、壊したくなくて。
ううん、そうじゃない。入り込めなかった。
どうしてだかは、未だに判らないけど……。
多分――お父様を失った私は、幸せそうなこの子に嫉妬したんだ。
だから、元気でいることだけ確認して、そこから離れた。
その後も、また見に行きたいと思うことはあったけど、実行には移せないでいた。
今日、ここで会えたのは、幸運だったのかもしれない。
わだかまりを消すことが出来る機会なのだから。
それとも、お父様かハカセの導きだろうか?
「――っくちゅん」
感慨に浸っていた私の顔目掛けて、くしゃみが飛んでくる。
……鼻水まで飛んでこなかったのは、幸いだった。
いや、そんなこと考えてる場合じゃなくて。
私が考え無しで抱き締めていたせいで、体が冷えてしまったらしい。
そういえば、私も結構寒くなってきている。
「……とりあえず、火にあたろっか」
私の言葉に、コクンと頷く。
私たちは冷えてしまった体を温めながら、のんびりと取り止めのない話を続けた。
好きな食べ物のこととか、流れていく雲のこととか。
そんな、何でもないような話題。
久しぶりに、大きな声で笑った気がする。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それから私たちは、体が暖まるまで話し続けた。
いっぱい、いっぱい、おしゃべりした。
今まで離れていた分を取り戻そうとするように。
その後は、二人で思う存分遊んだ。
二人だけの、かくれんぼ。
この子が小さいので、見つけるのにとっても苦労した。
逆に、私が木の上に隠れていたら、見つけられなくて、泣きそうになっていた。宥めるのに、また苦労する。
それから、おにごっこ。
さすがに手加減してたんだけど、真剣にやってと怒られた。
トテトテと一生懸命走る姿が、印象的だった。
転びそうになったのを助けようとしたら、
「つぎ、おね〜ちゃん、おに」
と言われてしまった。
……ちょっと、納得がいかない。
疲れると、座り込んでしりとりをした。
段々と文章になってしまったりする、怪しげなしりとりだった。
まだ語彙が少ないので、仕方が無いと思うけど。
途中でお腹が減ったので、魚を獲ったり、木の実を集めて、簡単な食事をとったりもした。この子にも準備を手伝ってもらった。
木の枝を軽く削った串に刺して、魚を火で炙る。そのままでは食べ難そうだったので、骨を取って、身をほぐしてあげた。
はぐはぐと、美味しそうに食べていた。
火傷しないかと、はらはらしながら見守っている自分に気付いて、ちょっと過保護かなぁと思う。
木の実は、そのまま食べられるものばかり集めたので楽だ。
甘いのや、すっぱいの、ちょっと渋いのもあった。
食べる度にこの子の表情が変わり、見ていて飽きない。
この子にせがまれて、抱いたまま空を飛んだりもした。
何がそんなに楽しいのか、飛んでいる間中、上機嫌だった。
……はしゃぎ過ぎておっこちそうになったりしたのは、二人だけの秘密だ。
他人が見てどう思うかは、判らない。
でも、私にとっては、夢のように幸せな時間だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
え? ちょっと待って。
なんか、とんでもないこと言わなかった、今?
え〜と……。
「……お母さんたちとはぐれたぁ!?」
私のあげた悲鳴のような声に、女の子はコクリと頷く。
何故かニコニコと笑っているその子を見ながら、私は驚愕のあまり、顎が外れそうになっていた。
それを聞いたのは、遊び疲れて休んでいるときのこと。
何気なく、こんなところにいた理由を聞いてみたのだ。
さすがに私を探してこんな森にいた、というのは無理がある。
それで返ってきた答えが――
「きがついたら、みんないなかった」
――だったのだ。
根気よく話を聞いていくと、村の代表数人で僧正――私だ――に、会いに来る途中、皆とはぐれたようだった。
村でちょっとした祭事があって、それに招こうとしていたらしい。
その人達にしてみれば、旅の途中でこの子が失踪したことになる。
大騒ぎどころの話じゃない。
……あああ〜〜〜〜どうしよ〜〜〜〜。
心配しているはずの両親を思い浮かべ、頭を抱えた。
顔が青ざめていくのが、自分でも判る。
まずい……凄く、まずい状況だよ…………。
よくよく考えれば、小さな女の子がこんなところにいる理由なんて、迷子くらいしか思い付かない……。
信じられないくらい、うかつだ。
自分の行動を呪いつつ、対策を考える。
しかし、上手く考えが纏まらない中、ふと思う。
もしかすると、無意識にその話を避けていた……のかな?
この子と、離れたくなくて。
そんな、身勝手な考え。
心配している人達のことが頭を過ぎり、否定しようとする。
でも、絶対に違うと言い切ることは出来なかった。
確かに今の私には、この子と一緒にいたいという気持ちがある。
それも、今だけでいいという訳じゃない。一緒にいればいるほど、ずっとこの時間が続いて欲しいと思ってしまう。
今の私の立場を考えると、一緒に過ごす為には、この子を両親から引き離すことを覚悟しないといけない。
でも、この子を悲しませるようなことは、したくなかった。
ただ、もしも……そんなことあるはずないけど、もしも、この子が両親と上手くいってなかったとしたら?
そんな考えが、浮かぶ。
こんなこと考えちゃダメだよ……。
そう思いながらも、それならばこの子と一緒にいられるという思いは、強くなる一方だった。
「……………………」
「おね〜ちゃん?」
「…………ね、ちょっと聞いても良いかな?」
「んぅ?」
人差し指を顎の辺りに当て、こくびをカクンと傾げている。
「…………おか〜さんと、おと〜さんのこと、好き?」
「うん!」
少しの躊躇もない答え。
その笑顔を見ていたら、こんな質問をした私が馬鹿みたいに思える。
……いや、たぶん馬鹿なんだ。
両親が嫌な人間なら、この子がこんな風に育つわけがない。
最初から判っていたことだ。
それなのに、自分の我侭のために、この子の不幸を願ってしまった。
姉として、失格だね……。
自嘲気味に心の中で呟く。
でも、これで諦めがついた。
こうなったら、早く両親を捜してあげないとね。
私を訪ねてきたのなら、捜すのもそれほど難しくはないはずだ。
そんな風に考えながら、捜す段取りを頭の中で検討する。
その真っ最中のこと。
ふいにこの子が言葉を付け加えた。
「おね〜ちゃんも、大好き!」
……一瞬、何を言われたか判らなかった。
気持ちを切り替えようとしている最中に、突然耳に入った言葉。
さっきと同じ、幸せそうな笑顔。
知らないうちに、涙が頬を伝っていた。
泣きながら、この子を抱き締めていた――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――――これで、よろしいですか?」
「はい、はい、ありがとうございます」
何度も頭を下げるお婆さんに、笑顔で答える。
依頼は無事終了。
今日は、いつもより仕事が捗っている。
自分でも、気力が充実しているように思う。
多分、あの子に会えたから。
一緒に遊んだから。
気力を取り戻すには、充分過ぎる休日だった。
……後で、皆からめちゃくちゃ怒られたけど。
あの後、彼女の記憶と自分の勘を頼りに、この子を育ててくれた両親のところまで送って行った。
さすがに、あのまま連れてくるような真似は出来ない。
あの子が戻ったのを知ると、皆が集まってきた。
大切にされているんだな、と思う。
安堵の気持ちと同時に、少しだけ寂しい気もした。
特に、母親である女性は一番に駆け寄り、何も言わずに抱き締めていた。しばらく動くこともなく、無言で。
……目には涙の跡があった。
改めて、自分の行動を後悔する。
事情を説明し、頭を下げて謝罪した。
両親は、この子が無事に戻ってきてくれただけで良い、そう言ってくれた。
でも、集まった人の中には、私を責める人もいた。
いや、そうする人の方が多かったはずだ。
でも、あの子が私を庇ってくれた。
短い両手を精一杯広げて私の前に立ち、皆を睨みつける。
「おね〜ちゃん、いじめちゃダメ!」
それを聞いて、それ以上何か言おうとする人はいなかった。
――母親を、除いて。
「おね〜ちゃん、って……」
その言葉を聞いて、私のことを観察するように眺めた。
そして、責めるような視線を向けてくる。
私のことを、思い出したのだろう。
そして、私がした必ず迎えに来るという約束も。
「どうして、来てくれなかったんですか?」
「………………」
当然のように、聞いてきた。
女の子は、私と母親とを交互に見つめている。
私が何も言えないでいるのを見て、父親の方がそれを止めた。
誰にでも、他人に言えない事情はある、そんな風に言っていた。
「いつでも会いに来てくれ。私たちは迷惑などとは思わない」
「……そうですよ。この子、ずっと待ってたんですよ?」
二人が話しかけてくる。もう、責めるような雰囲気はない。
ただ、あの子に対する優しい気持ちを感じる。
「……すぐには無理。でも、必ず会いに行くから。だから……だから、この子を宜しくお願いします」
その言葉を言った時の、何を今更、といった表情で笑う二人の姿が忘れられない。
本当に、この人たちに任せて良かった。
そして、ふとあの子に目をやって、思い出したことを訪ねる。
「あの腕輪は……」
「ああ。君から預った物で、ちゃんと残りそうなのは、あれくらいだったからな。あの子の家族を捜す手がかりになると思って、腕に着けさせていたんだ。そのうち腕輪では厳しくなるだろうけどね」
そう言って、笑った。
本当は、預けた訳じゃなかった。
私には必要がなかったから、置いていっただけだ。
でも、それがあの子だと判る手がかりになった。
「そうなったら、髪飾りにでもしてください。あの子にとって、とても大切な物だから。いつも身に着けていて欲しい……」
あれは、大切な鍵。
あの子の本当の母親が大好きだったハカセ、彼の形見でもある。
そして、お父様やハカセ、それに私たちを繋ぐ絆。
もしかしたら、将来あの子の記憶を開く鍵になるかもしれない。
ずっと、大切にして欲しい。
あの子なら大丈夫。きっと気持ちは伝わるはず。
「……僧正! 僧正〜!!」
思い出の中に入り込んでしまった私を、現実に引き戻す声がする。
「えっと?」
「『えっと』では、ありませんぞ! 次の面会人が待っているのですから、しゃんとしてください。まったく……」
ぶつぶつと呟く声が聞こえる。
失敗したなぁ、と思う。
でも、私はもう大丈夫。
あの子に元気を貰ったから。
また会う約束もした。
私が帰ろうとしたら、あの子が泣き出してしまったからだ。
離れたくない、そう言って泣いてくれた。
だから、約束した。必ず会うという約束を。
簡単には納得してくれなかったし、すぐに会えるなどと言ったら――
「すぐって、あした?」
――と言われてしまった。
結局、ご両親に説得されて、泣きながら手を離してくれた。
最後は泣きつかれて眠ってしまったみたいだった。
彼女との約束を果たす為にも、仕事から抜け出す方法を、今から考えておかないとね。
「……それで、次はどちらの使者の方ですか?」
澄ました顔で、普段通りの言葉を口にする。
「――の村となっておりますな」
「!」
あの子の村だ。
「……お通ししてください」
「はい」
表情を変えずに指示を出す。
でも、心の中では、あの人達の驚く顔を想像して笑っていた。
意外と早い再会になるかもしれない。
呼び出しの声が聞こえる。
もうすぐ。もうすぐだ。
「入ります――――」
―― 終 ――