3510号がミズシマのところに来てから、数日が過ぎていた。
 その間、ミズシマは彼女に、アイスマンの世話役として必要なことを教えていた。

 彼女は63号と比べ、精神的に大人だった。
 甘えてくることもあるが、それよりも相手の役に立ちたいと望むようだ。献身的で、自分よりも相手の事に気を遣う。普段は大人しいが、危険な行為や無茶なことをすると、相手が人間であっても叱ることがあった。

 その日も、ミズシマは彼女の怒鳴り声を聞いていた――――。

 

「ハカセ! また昨日も徹夜したですカ!?」
『いや、仕事が残っていたのでね』

 嘘、だった。

 仕事は確かに残っていた。しかし、それは特に急ぎという訳ではない。日を改めて片付けても良いものだ。無理をしてまで進める必要は無い。
 それでも、仕事をするのには理由がある。

 眠るのが怖い――そんな、他人が聞いたら笑い出すような理由。

 63号を失ってからだ。
 眠っていても彼女の悲鳴が頭の中に響き、冷たい汗と共に飛び起きる。そして、後悔に苛まれるのだ。
 だから仕事に没頭する。

 悲しみを、一時でも忘れる為に……。

 ただの現実逃避だと、自覚してはいた。だが、どうにもならない。

 

 そんな思いを知ってか知らずか、3510号の声は徐々に大きくなる。

「体に良くないでス! 倒れたりしたらどうするンですカ!!」
『そんなに無理は、していないつもりだが……』
「十分、無理でス!! これで四日目ですヨ!」

 口を尖らせ、丸い目を精一杯吊り上げて、声を張り上げる。
 聞き分けの無い子供を、叱りつけるように。
 その姿からは、普段の控えめな態度は感じられない。

「今日は、何がなんでも寝てもらいますヨ! 寝るまで見張ってまス!」
『まだ、昼間だが……』
「関係ありませン!!」

 そこまで言って怒鳴りつかれたのか、ハァ、ハァと、荒い息をする。
 そして一息つくと、表情を変え、呟くように声を漏らす。

「ハカセに、何かあったら、わたし、とっても悲しいでス……」

『――――判った、一息ついたら寝るとしよう』

「ハカセ!」

 眠ることが怖くなくなった訳ではない。
 彼女のほっとした表情、それを見たら承知せずにはいられなかった。

 本来、彼女は怒ることに慣れてはいない。普段の姿を見ていれば判る。
 それでも相手のことを心配して、精一杯怒っているのだ。
 それを無下にするような真似は、ミズシマには出来なかった。

 準備を整えると、仮眠室へと向かう。
 本当に眠れるかは保障できないが――そんなことを、考えながら。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 …

 ……

 …………歌が、聞こえる。

 穏やかな、ゆったりとしたメロディー。

 それは、空気に染み入るように響き渡り、全てを優しく包み込む。

 その声に誘われるように、ミズシマは目を覚ます。

 3510号が、歌っていた。聞いたことの無い、でもどこか懐かしい曲調。

 

 時計を見ると、それ程長い時間眠っていた訳ではないようだ。
 しかし、妙に疲れが取れているように感じる。

 ……熟睡、していた?

 驚きと共に実感する。あの日以来、熟睡出来たことなどなかったのだから。

 そして、モニターに目をやった。
 ミズシマの状態に気付いた様子もなく、楽しそうに歌い続けている。

『ずっと、歌っていたのか?』
「え? あ、ハカセ……、すいませン。起こして、しまったですカ?」

 眠っていると思っていたのだろう。突然の問い掛けに、狼狽する様子を見せた。そして、申し訳なさそうに首を下に向けている。
 その顔を見て、ミズシマは苦笑する。

『いや、お陰で熟睡できたようだ。どうやら、その歌を聞いていると眠れるらしい。もう少し続けてもらえると、ありがたいな』
「あ、ハイ!」

 途端に顔を輝かせ、嬉しそうに歌い始める。

 その表情と声に、ミズシマはどこか安堵感のようなものを感じていた。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
  

 3510号との生活は、傷ついていたミズシマの心を癒していった。
 覚醒したアイスマンの世話役となっても、彼女の態度は変わらなかった。まるで本当の親子のように、ミズシマを慕ってくる。
 しかし、ミズシマは必要以上に彼女に近づこうとうはしなかった。

 ――63号の時のような思いはしたくない。
 
 そんな思いが、態度となって現れていた。

 

 その心配は、意外なほど早く現実のものとなる。

 

 議会で、アイスマンの再凍結が決定された。今までに選られたデータから、研究には時間がかかると判断された為だ。
 同時に、必要のなくなったマルタの廃棄処分も決定される。
 凍結ではなく、廃棄。その存在を、消されてしまう処置。

 廃棄対象のマルタの中には、3510号は含まれていない。だが、彼女にも何時同じ決定が下されるか判らなかった。

 

 この決定がなされたとき、ミズシマは一つの決意を固めていた。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「ハカセ、こんな時間にどうしたですカ?」
『ああ、すまないな、こんなところまで』

 3510号がミズシマに呼び出されたのは、普段ほとんど使われない倉庫だった。まともに整備されておらず、人も近寄らない。

『少し、二人だけで話したいことがあってね。ここなら邪魔は入らない』
「?」

 少し不安そうな様子の3510号。
 無理もない。ミズシマの言葉には、まったく感情がこもっていなかった。
 だが、その後に彼女を見つめながら発した言葉には、今までにない温かさと戸惑いが含まれていた。

『さて、どう聞いたものか……。そうだな、正直な気持ちを答えて欲しい。アイスマン……彼のことを、どう思っている?』
「え、ど、どうっテ?」
『それでは、彼と一緒にいる時に、どういう気持ちになる?』
「あ、え、え〜と、その…………やっぱり、よく判らないでス……。ただ、顔が熱くなって、心臓がドキドキしまス……」

 顔を赤くして、吃りながら答える3510号。
 その答えは、予想通りのものであった。
 ここしばらくの、3510号の様子を見ていれば察しはつく。
 ただ、最後に確認しておきたかったのだ。
 自分の決意を、実行に移す前に。

『判った。聞きたかったのは、それだけだ』
「……?」
『後は明日、アイスマンもいる時に話そう。……それから、お前に渡しておきたい物がある』

 そう言うと、部屋の隅にある簡素な箱を開けるように指示する。
 3510号がその箱を開けると、中には丸い輪のような物が入っていた。

「ハカセ、これハ?」
『それも、明日説明する。大切に持っていてくれ』
「ハイ」

 そのまましばらく、ミズシマは3510号のことを見つめていた。
 その真剣な眼差しに、3510号は再び不安を感じる。

「ハカセ?」

『……ああ、何でもない。少し、疲れているようだ。…………久しぶりにあの歌を、聞かせてもらえないか? 少しは疲れが取れると思う』
「ハイ」

 3510号は頷くと、静かに歌い始めた。

 

 ミズシマは、目を閉じて聞き入っている。

 眠る為ではない。

 その歌を、3510号の姿を、心の奥に刻み込む為に――――

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「――――考え直す気はないかね? 他の者はともかく、私は君のことを高く評価している。埋もれさせるには、惜しいと思っているのだよ」

「…………」

「だんまり、か。君が態度を改めて今後の研究に貢献すると約束すれば、君のやった事を不問にしても良い、そう言っているのだよ。これ以上の待遇はあるまい。何の不満があるというのかね?」

 男の台詞が続く。
 しかし、ミズシマはそれに答える気は無かった。
 相手の言葉を右から左へ、聞き流す。

 あの時――アイスマンたちを逃がした時、ミズシマは死を覚悟していた。

 だが、ミズシマは追放されなかった。拘束され、簡素な牢獄へと軟禁された。
 そして数日後、かつて上司であった男が説得に現れたのだ。
 その説得は、魅惑的な提案と共に、今も続いている。

 しかし、その誘いに応じる気にはならなかった。
 誘いに応じることは、納得のいかない研究を強制されるということだ。罪を不問にする条件として提示されたのだから、今まで以上に理不尽なことを押し付けられる可能性が高い。

 今まで行われてきた、人間性などかけらもない行為が頭に浮かぶ。

 同時に疑問に思う。 自分達は、人間なのだろうか?

 生命体としての強さを失い、人間らしい感情を忘れていく。
 そんな者達を、本当に人間と呼べるのだろうか?

 目の前の男、研究の為には何でもする人物を見ていると、疑問は深まる。

 

 自分の考えに耽っていたミズシマに、男の言葉は続いている。

「……くれぐれも奥の扉から、外に出ようなどとは思わないでくれよ。君に死なれては、何の為に苦労してまで、追放処分を取り消させたか判らなくなる」

 奥の扉はロックされていない。その外が、研究者達の生活区域外になるからだ。それは無菌状態になっていないことを意味する。部屋には防護服の類はないから、外に出ることは死にに行くのと同じだ。

 一度は死ぬ気だったのだから、そうしても良かったはずだった。

 しかし、63号を失い、ミコトと別れて気力を失っていたミズシマには、もはや何もする気がおきなかった。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 ミズシマがそれを知ったのは、牢獄暮らしにも慣れつつある頃だった。

 ミズシマを説得に来る男の何度目かの訪問。
 だが、その時に掛けられた言葉は、説得などではなかった。

「……ミズシマ君、アイスマンが発見されたよ」
「――!」
「私としては、君に早く研究に戻って欲しかったのだがね。どうやら、その必要はなくなりそうだ」

「……どういう、ことです?」

 彼が発見されたことも衝撃的だったが、それだけで男の態度がここまで変わるとは思えなかった。嫌な予感がする。

「見つかったのは、彼だけではなかったのだよ」
「?」
「彼は子供まで作って、マルタと一緒に暮らしていたらしい。その子供とマルタも、共に確保したとのことだ。彼に言うことを聞かせるには、十分な材料だろう?」

「なっ――!?」

「これで、君を必要とする理由も無くなった。もう、私がここに来ることもないだろう。だが、気が向いたら私のところに来るといい。歓迎するよ」

 そう言うと、男は笑いながら去っていく。しかし、その言葉はミズシマの耳には入っていなかった。
 アイスマンと共に暮らしていたマルタ、思い当たるのは一人しかいない。

 彼と一緒に逃がしたミズシマの娘――――ミコトだけだ。

 何故だ?

 彼らは大勢のマルタと一緒に、広大な地上へと逃がしたのだ。施設内と違い、見つかる確率はゼロに等しいはずだった。

 いくつかの原因が頭に浮かぶ。

 彼らがそれ程遠くまで逃げなかったのかもしれない。
 調査隊が向かった先で、偶然暮らしていたのかもしれない。

 だが、否定したい最悪の可能性だけが、頭から離れない。

 アイスマンかミコト、あるいはマスターキーの何れかに、発信機が埋め込まれていた可能性――――。

 

 そうだとすれば、気付かなかった自分のミスだ。悔やんでも悔やみきれない。

 誰も訪れない牢の中で、苦悩するミズシマ。

 

 そして、調査隊の帰還報告が入り、施設内が騒がしくなると同時に、ミズシマの姿は、牢の中から消えていた――――

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 ピッ――

 微かな音と共に、部屋の隅にあるカメラのスイッチが切り替わる。
 同時に、人影が部屋の中を移動する。
 影は別の部屋へ通じる扉に向かうと、素早く中に入り込んだ。

「ハァ、ハァ、ハァ…………」

 荒れた息が整うのを待って、小さな明かりを灯す。

「もう少し、もう少しでたどり着ける。間に合ってくれ……」

 呪文のように呟く声が、部屋に響く。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 アイスマンの研究は、すぐに再開されるかと思われた。
 しかし、アイスマンは捕獲される時に受けた麻酔の効果で、数日は眠り続ける状態にあった為、再開は延期された。

 そしてその間に行われることになったのが、母体となったマルタ、3510号の解体。

 アイスマンへの取引材料は、子供一人で十分。母体の方は、貴重なサンプルになる。
 それが、研究者達の見解だった。

 偶然からそのことを知ったミズシマは、躊躇することもなく、居住区域外へと飛び出して行く。

 

 娘を、助ける為に――――。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ミコトが拘束されている部屋は見当がついていた。
 そこにたどり着くまでの障害も、隠し持っていた携帯端末で無効化することが可能だ。

 問題になるのは、時間だった。

 ミコトの手術が始まる前に、ミズシマがたどり着くこと。
 そして、ミズシマの生命が尽きる前に、たどり着くこと。

 既にミズシマは、体調の悪さを自覚していた。呼吸が荒く、ダルさを感じる。ただの風邪かもしれない。だが、それでも死に至るほど、研究者達の体は弱っていた。ミズシマとて、例外であるはずがない。

 この時ほど、健常な肉体が羨ましいと思ったことは無かった。

 だが、そんな感傷に浸っている暇はない。
 部屋のロックを解除し、監視の目を誤魔化して通路を通り抜ける。

 そんな作業を何度繰り返したか、ようやく目的の部屋にたどり着く。

 だが、人のいる気配はなかった。

 

 見当違いをしたか?

 

 そう思いつつも、部屋の中を確認して回る。
 だが、見当たらない。

 仕方なく一度廊下に出ると、再度、場所を検討しようとする。

 

 その時、何故か向かいにある部屋が気になった。
 無意識に、足がそちらに向く。

 

 

 そして、ミズシマは後悔した。

 ――――その扉を、開けてしまったことを。

 

 

 寒い部屋の中に、プレートの付いたケースが並んでいる。
 奥のケースから順に、プレートに刻まれた番号が大きくなっていく。

 やがて目に入った、見ただけで新しいものと判るケースとプレート。

 

 

 

 

 ――――そこにあったのは、3510の文字。

 

 

 

 

 目の前の光景が意味するもの。

 それは、ミコトのたどった結末。

 もの言わぬ存在となって、ケースに押し込められた姿。

 

 

 もはや、ミズシマの心に残るのは、絶望の二文字だけだった…………。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 ――――間に合わなかった。

 

 63号のときは何も出来なかった。

 ミコトの救出には間に合わなかった。

 自分を慕ってくれた娘達に、何もしてやれなかった。

 

 そんな思いが絶望と共に心を満たす。

 もはや動く気力も失い、その場に崩れ落ちるミズシマ。

 

 

 

 

 そうして、どれくらいの時が過ぎただろうか。

 彼の耳に、微かな泣き声が聞こえた。
 小さいけれど、どこまでも響くような声。

 思わず声の方向を振り返り、耳を澄ませてみる。

 今度は、はっきりと聞こえた。自分の存在を主張するかのように。

 その声を聞いてミズシマは思い出す。
 ミコトと共に捕らえられた、もう一つの存在のことを。

 泣いているならば、まだ生きている証だ。

 そう自分に言い聞かせると、失いかけた気力を振り絞って体を起こす。

 

「せめて、ミコトの子供だけは助けてみせる…………」

 

 声に出して呟くと、泣き声のする方向へと走り出した。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 ミズシマの予想通り、ミコトの子供は無事だった。
 それどころが、高性能な保育器に入れられ、厳重に保護されていた。

 それを見つけたミズシマは、喜びの声を上げたくなるのを堪え、幾重にも仕掛けられたセキュリティの解除に取り掛かった。

 そして、異常が無いことを確認すると、慎重に赤ん坊を抱き上げる。

 母親に、よく似ていた。

 それまで泣き続けていた赤ん坊は、ミズシマの顔を見て微かに笑顔を浮かべると、安心したように眠ってしまう。

 

 愛しい――素直にそう思う。

 

 ミズシマは、しばらく赤ん坊を眺めていたが、すぐに気持ちを切り替えた。
 幸いにも、赤ん坊に必要な物はその場に揃っていた。それらを必要な分確保すると、研究施設の出口を目指して歩き出す。

 だが、赤ん坊を抱いている分、ペースは遅くなっていた。
 体調の悪さも歩く毎に増している気がする。
 セキュリティーが複雑化しているのも不安材料だった。
 この小さな端末で、どこまで対応できるものか……。

 だが、ミズシマは諦める気はなかった。
 行けるところまで行ってやる。
 そう決めていた。この子と出会えた時に。

 

 

 そうして、かなりの道のりを歩いたときのこと。

 前方に、微かな明かりが見えた。
 監視の目を気にしたミズシマだったが、それは部屋の明かりだった。

 しかし、それは奇妙なことであった。

 そこは、かつてミズシマの管理下にあった部屋だ。
 その部屋の主がいなくなってからは使用していない。
 もっとも、彼が牢に入れられてからだいぶ経っていたので、誰かが代わりに使用していた可能性はある。

 それでも、このような時間まで明かりがついているのは変だった。

 鼓動が早くなる。

 通路の影にそっと赤ん坊を隠すと、足音を忍ばせて部屋に近づいた。
 手には拳銃。セーフティは解除してある。
 そして、滑り込むように侵入し、中に向かって銃を構える。

 

 そこには、ミズシマが予想もしない人物が座っていた――――

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 小柄な体に真紅の瞳。背には身長に不釣合いなほど大きい漆黒の翼。

 目の前にいるのは、会えるはずの無い存在。

 

 ――――63号。

 

 幻でも見ているのだろうか?

 その姿を見た瞬間にそんな考えが頭に浮かんだが、すぐに思い直す。
 現実的に考えれば、再生されたと見るべきだろう。牢に入っていた自分に何の知らせがなくても不思議はない。そう結論付ける。

 過去の出来事が次々と脳裏に浮かんだ。銃を握る手が緩む。

 そして、震える声で彼女の名前――自分が付けたナンバーを呼ぶ。

 しかし、何の反応も無い。呼びかけに答える声も、警戒する素振りもなかった。
 目は開いている。眠っている訳ではなさそうだ。ただ、何をしても反応が無い。

 だが、彼女の姿を見ているうちにあることに気付く。
 彼女の頭部を飾る、一見して装飾品にも見えるリング。
 ミズシマには見覚えがあった。

「――――制御装置!」

 外部から脳に電気刺激を送り、人をコントロールする為に作られたもの。
 実験中には廃人となったマルタもいた未完成品。結局、拷問用具程度の意味しかもたない代物だった。
 だが、言うことを聞かない獣を、鞭で躾けるような使い方は可能だ。

 改めて上層部への怒りが込み上げてくる。
 だが、いきなりリングを外す訳にもいかない。開発途中に見たものの一部には、脳に埋め込んだ針を通して電気刺激を与えるものがあったからだ。無理に外せば、後遺症が残る危険性がある。

 ミズシマは、周囲を注意深く観察した。
 これが自分の知っているものと同じであれば、外部からコントロールしている装置があるはずだった。それを破壊すれば、あるいは制御から逃れられるかもしれない。

 前のときは助けられなかった63号との再会。
 今度こそは助けてみせる、そんな思いで一杯だった。

 

 その甲斐あってか、コントロール装置はすぐに見つかった。
 無線でデータを送信している部分を、銃の台尻で叩き壊す。

 今まで椅子に座っていた63号がビクッと立ち上がり、次の瞬間、意識を失ったかのように前のめりに倒れていく。
 間一髪、倒れていく63号を支えることに成功したミズシマは、ほっとため息を吐いた。そのまま椅子に降ろすと、容態を確認する。

 そうする内に、63号は寝起きのようにゆっくりと頭を上げた。
 そして、状況が判らないというように、きょろきょろと周りを見回した後、ミズシマに向かって呟いた。

「……あれ、ハカセ? どうしてここに?」

 その言葉が終わらぬうちに、ミズシマは彼女のことを抱きしめていた。

「……痛いよ、ハカセ」
「ああ、すまない」

 63号の言葉に、つい抱きしめる手に力を込めていたことに気づく。
 一瞬嬉しそうにした63号だったが、不意に表情を曇らせる。

「……ハカセは、わたしのことが嫌いになったんじゃ、なかったの?」

「……どうして、そんなことを?」
「だって、あの時ハカセは来てくれなかった。それに、体が無くなっても、ずっとハカセのことを呼んでいたのに、応えてくれなかった……」
「――!」
「わたし、悲しかった! 寂しかったんだよ!?」
「すまない、私は……」

 ミズシマは言いかけた言葉を飲み込む。どれだけ言い繕っても、言い訳でしかない。63号の望みに応えられなかったのは、保身の為だ。
 そして、アイスマンには聞こえた呼びかけを聞き取ることができなかった。

 沈黙が二人を包む。

 

 しばらくして、何もいえないミズシマを庇うように、63号が話し掛ける。

「……本当は判ってたよ。ハカセの体では、来られなかったんだって」
「すまない……。だが、嫌いになった訳ではない。それだけは判って欲しい」
「うん。それに、今は助けに来てくれてる。それが、嬉しい」

 その言葉と共に、ミズシマは久しぶりに彼女の笑顔を見ることができた。

 しかし、63号は、そこまで言うと急に真剣な表情になり、話題を変えた。

「……ハカセ、時間がないんでしょう?」
「あ……。だが、どうしてそのことを?」
「今のわたしは、施設内のことなら大抵のことは把握してる。それも、わたしの仕事だったから」

 正確には、マルタの監視が仕事の一つとなっていたのだ。
 ただ、その為に63号は監視カメラ以上に施設内の状況を把握していた。

 その能力を磨く為に、どれほどの実験に身を委ねたのだろう。

 そのことを思うと、ミズシマは胸が潰れそうになった。
 だが、償いをしている時間もない。
 手早く状況を説明すると、ミコトの子供を預ける。

「お父様の娘……。わたしの、妹だね。……可愛い」
「姪でもある。とにかく、急いでこの子を連れて逃げてほしい」
「ハカセは――」
「私はここでセキュリティーを解除する」

 ミズシマのことを問いかけようとする63号の言葉を遮るように、説明を続ける。

「こちらからコントロール出来ないセキュリティーについては、この子の首にあるマスターキーを使ってくれ。今の状態ではアイスマンしか使用出来ないはずだが、お前なら、これを介して強制的にロックを解除できると思う」
「お父様はどうなるの?」
「彼のことは私が何とかする。だから、急いで先に脱出するんだ」

 そこまで言うと、子供ごと63号を抱きしめる。

「……アイスマンは、お前のことを何と呼んでいた?」

「ムツミ……」

「彼はセンスが良いらしい。睦……か、良い名前を貰ったな。彼に会ったら、私が謝っていたことを伝えてほしい。そして、私の娘を頼むとね」

「ハカセ……信じて、良いよね?」

「……もちろんだ。……さあ、行くんだ。出来るだけ急いでな」

 ムツミは頷くと、赤ん坊を抱え直し、翼を広げた。

 

 その背中を見送りながら、ミズシマは部屋にあった端末に向かう。

 そして、セキュリティーの解除を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――しかし、その手が途中で止まる。

 

 口と胸に手をあて、激しく咳き込むミズシマ。
 激しい苦しみが治まるのを待って、作業を再開しようとするが、その手が滑る。

 見ると、口に当てた方の手が赤く染まっていた。

 思わず苦笑と共に呟く。

 

「すまない、ムツミ。私は嘘つきのようだ…………」

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 暗い。果てし無く暗い。

 闇以外何もない、そんな感覚。

 他に感じるものと言えば、圧倒的な寒さ。それくらいしかない。

 徐々に感覚が無くなっていく。

 不思議と恐怖は無かった。
 やるべきことはやった、そんな満足感がある。

 そして、諦観。
 アイスマンにした話を思い出す。土偶の正体についての話。
 あの説が正しいとするなら、更に続く疑問がある。

 何故、土偶やそう見えるものが現存しないのか?

 ミズシマが出した結論は一つ、それらの存在が滅亡したからだ。
 現在と同じ状況でそうなったのであれば、人間はもはや滅ぶべき種なのかもしれない。そして、人間が彼らに造られた存在である可能性が否定できない。

 世代交代、そんな言葉が頭に浮かぶ。

 自分達の過ちを繰り返さないで欲しい。
 声も届かない娘と、その父親に向かって願いをかける。

 

 徐々に、意識が薄れていく…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死を覚悟したミズシマの目に、一筋の光が見える。

 その光はミズシマの側で急速に広がると、形を変えた。

 人の――女性の姿へと。

 そして、その口が微かに動く。

 光り輝いている為に輪郭しか見えなかったが、何故かミズシマには、その言葉が理解できた。

 

 ――――私とあの人の子供を、助けてくれてありがとう。

 

 嬉しそうな意思まで感じる。

 同時に、怒り、後悔、嫉妬、そんな感情が洗い流されていく。

 胸の苦しさも何時の間にか消えていた。

 

 その女性が、手を差し伸べる。

 ミズシマは躊躇うことなくその手に触れると、愛しい娘の名前を呼ぶ。

 そして、本当に久しぶりの笑顔を浮かべた。

 

 光が、ミズシマの意識を包み込む。

 

 

 そして――――――

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

罪の記憶 ――終章 伝わる思い――

 

「あの人が、そんなことを……」
「私と別れるときに、お父様に伝えて欲しいって、そう言っていたの」

「そうか……。しかし、いきなりその姿で現れた時は、正直言って驚いたぞ。カミュは、承知しているのか?」
「うん……。お父様に伝えたいことがある、そう思っていたのをこの娘は察してくれた。それで、自分から……」
「カミュらしい、と言うべきかもしれないな」

 ハクオロとムツミ、二人はハクオロの寝所で静かに話をしていた。
 寝付けずにいたハクオロのところへ、ムツミが訪ねてきたのだ。
 あの封印の地での戦い以来、声さえ聞いていなかったムツミとの再会。
 印象の良い思い出ではなかったが、それでも懐かしさが込み上げてくる。

 しばし、戦いの記憶に思いを馳せる。

「……ムツミ、一つ聞いておきたいことがある」
「?」

 聞くべきことかどうか一瞬迷ったが、思い切って口を開く。

「あの時――あの、最後の戦いの時、何故カミュを返す気になった?」

「……何故そんなことを? お父様は、この娘を取り戻したくなかったの?」

「そんなはずは、ないだろう!」

 思わず叫ぶ。カミュを取り戻そうとして、あの場に赴いたのだ。
 その思いを否定されたくはない。

「……だが、カミュと同じくらい、ムツミのことも大切に思っている。だから、何故自分が消えてまでカミュを返そうと思ったのか、ムツミの気持ちを聞いておきたかった」

 その言葉を聞いて、ムツミは嬉しそうに目を細めた。
 そして、ハクオロの背に手を回し、その胸に顔を埋める。

「ありがとう、お父様。ずっと、そんな風に言って欲しかった……」
 
 そこまで言うと顔を上げ、真っ直ぐにハクオロのことを見つめる。
 そして、でもね、と言葉を続ける。

「お父様の望みは、私の望み――」

 以前にも口にしていた台詞。
 そこで一度声を落とし、先を続ける。

「――あの時、お父様はこの娘を取り戻したいと望んでいた。戦いだけに心を奪われず、ちゃんとこの娘のことを考えてた。だから、この娘を返すことは、私の望みでもあったの」

 そう言うと、ニッコリと微笑んだ。
 屈託など、まったく感じられない微笑み。

 ハクオロは言葉を失い、ムツミを強く抱しめる。

「ムツミは、それで良いのか?」

「……大丈夫だよ。この娘が、私を受け入れてくれたから。私はいつもこの娘と一緒にいる。大切にしてあげてね。この娘は……お父様のことが大好きだから」
「判っている」

 そう答えると、ムツミを抱く腕に力を込める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………でも、ムツミのことも、忘れちゃ嫌だよ……」

 しばしの沈黙の後、再びハクオロの胸に顔を押し付けて小さな声で叫ぶ。
 泣き出しそうになるのを、堪えるように。

「二度と、忘れたりするものか! ムツミは、私の可愛い娘だ……」

 その言葉に、ムツミは今度こそ声をあげて泣き始める。

 ハクオロは、労わるようにその頭を撫でる。

 何度も、何度も、その泣き声が聞こえなくなるまで……。

 

 そして、心の中で呟く。

 ――ミズシマさん。あの時、私は大切な人を守ってやることが出来なかった。だが、今度こそ、皆を幸せにしてみせる。あなたの分まで…………。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「まだしばらくは、その姿でいられるのか?」
「うん。でも、早くこの娘を返さないと……」

 泣き声が少し収まったのを見計らって、ハクオロが問い掛けた。
 ムツミは、顔を伏せたまま答える。

「そうか。それなら……カミュには悪いが、今夜は一晩、酒にでも付き合わないか?」
「いいの? 後で、この娘に怒られても知らないよ?」

 突拍子も無い提案に、思わず苦笑する。
 そして、クスクスと笑いながら痛いところを指摘する。
 ハクオロは少しばかり顔を引きつらせながらも、穏やかな表情になって言った。

「やっと、笑ってくれたな」

「あっ……。で、でも、酒菜なんて用意してないよ?」

 照れたように早口で捲し立てるムツミに、ハクオロはのんびりと答える。

「今夜は、月も星も綺麗だ。それに、積る話を酒菜に呑むのも悪くない」

 

 

 やっと訪れた、本当の意味での再会。

 それを見守るように、夜空には満天の星が輝いていた――――。

 

 

罪の記憶――完――