―――君にこのメッセージが届くことは無いだろう。
   こうすることで許されるとも思っていない。それでも――――

 

 

 ……
 …………
 ………………
「……以上のように研究成果は満足できるレベルではない。そこで、段階を一つ進めるための方法としてアイスマンを覚醒。直接データ収集を行うことを決定した。接触はミズシマ君のチームに任せる。うまく説得してくれることを期待しているよ」

 ……騙すか洗脳するの間違いではないのか?
 喉まで出かかった言葉をミズシマは何とか飲み込む。
 逆らうことは許されない。異議を挟むことすらも。
 議会の決定したことには従うしかない。
 逆らえば、待っているのは追放―――破滅だけだ。

 長い無菌状態の地下生活は、人間から免疫力を始めとする生命にとって重要な力を奪っていた。地上はおろか、この研究施設の特定区画外に出ることもかなわない。もはや人間にとって地上は楽園などではなく、宇宙空間と同じくらい危険な場所であった。
 そこに生身で出ていくことは破滅以外の何ものでもない。

 だがそれでも、たとえ破滅が待っていると理解していてもミズシマは逆らいたい衝動を消すことが出来なかった。
 耳に残る悲鳴、それが相手に従うことを拒絶している。

 

 ――――嫌ぁ、行きたく……ない……よ。嫌……だよぉ!
    お父様! ハカセェ! 助けて! 助けてぇーーーーー!! 

 

 最期に聞いた言葉。

 永遠に消すことのできない後悔。

 暗い思いがミズシマの心を支配していた。
 彼女と過ごした日々を思い出す。
 思い出が黒く塗り潰されていかないように祈りながら―――。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 『アイスマン』と名付けられた、謎の生命体の存在を知ったのは十数年前。
 無数にある研究チームの中でも、極秘の研究を進めているチームに引き抜かれた時。
 既にいくつもの研究が予定されており、その1つが『アイスマン』の遺伝子を使った肉体強化だった。その準備段階として『アイスマン』のクローンを元に、様々な生物との遺伝子を融合させる実験が行われる。最終的に人間の遺伝子との融合を目指し、記憶の移行または、脳の移植までも視野に入れた研究。
 そして、その研究の中で生み出されたのが、意思を持つ人造の生命、後に、人間ではないとの理屈から実験体として扱われるようになる存在――――マルタである。

 そして数年後、データ収集の目的でミズシマのところに送られてきたのが、実験の新たな段階として注目を集めていた複製体。

 『アイスマン』に一番近いと言われるクローンだった――――

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

『認識票をそこに当ててくれないかね』
「ハイ!」
『……これで良し……と。これからよろしく頼むよ、63号』
「63ゴウ?」
『君のナン……いや、名前だよ。……今までは何と呼ばれていたのかね?』
「…………マルタとか、複製体って……」

 呼ばれることに良い印象がないのであろう。歯切れの悪い答えが返ってくる。表情も明るいものではない。

 ……ナンバーですら、呼ばれていないとはな。

 ミズシマは心の中でため息を吐く。
 他のマルタとは扱いが違う為だろう。その場に同種の存在がいないのであれば、呼び名で区別する必要もない。

 気を取り直して、63号に話を続ける。

『これからは君のことをそう呼ぶことになる。私だけでなく、皆がね』
「あたしの名前……何か嬉しいな。ありがとう、ハカセ!」

 ひどく場違いな台詞だった。

 彼女達を人間ではないと思い込むための呼び名、それを機械的に決定している―――本来なら怨まれて当然の行為。
 しかし彼女の声は、そのようなことを忘れさせるくらい、元気で喜びに満ち溢れていた。

「……ハカセの、名前は?」
『そうか、まだ名乗っていなかったな。 私の名は…………』

 

 それが、彼女との出会い。
 最重要研究対象指定マルタ、63号との――――

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 63号は好奇心旺盛だった。
 様々なことに興味を持ち、ミズシマのちょっとした言葉や仕草を真似る。感受性が強いらしく、こちらの感情を読み取ってしまうようだ。こちらの機嫌が良いと笑顔を絶やさないし、不安を感じていると心配してくる。

 何時の間にかミズシマは、彼女を子供を見るような目で見守るようになっていた。

 

「……これは、こっちでいいの?」
『いや、隣りの棚においてくれないか』

 63号はコクリと頷き、作業を続ける。
 彼女はミズシマの仕事の手伝いをしているのだ。

 機械を使えば簡単に済むような仕事だった。彼女にやらせた場合には失敗することもある。
 しかし、礼を言って誉めた時の彼女の満面の笑みが見たくて、度々手伝わせている。

 その日も63号は仕事を手伝っていた。
 しかし、作業を始めていくらも経たないうちに手が止まる。

 このところ時々そんなことがあった。今までは一瞬のことで、すぐに仕事を再開していたが、この日は違っていた。

「……ねぇ、ハカセ」
『うん? 何か判らないことでもあったのかね?』
「違うよ。ちょっとハカセに聞きたいことがあって……」

 わずかな躊躇の後ミズシマの映像を見つめ、問い掛けてくる。

「……どうして、ハカセに直接会えないの?」
『……………………』
「あたし、寂しい……。ハカセと遊んだりしたいし……傍に……居てほしいよ…………」

 絞り出すような台詞に、ミズシマは言葉を失っていた。

 他のマルタなら、自分に近いクローンと一緒に過ごしている場合が多い。愛玩用として人間の傍にいることもある。
 だが、特別な実験体である63号は、実験の現場以外では常に一人だった。普段話しかけるのはミズシマの映像のみ。おそらく、人の温もりも知らない。

 

 思わず、彼女の方へ手を延ばそうとする。

 しかし、彼の手はモニターに当たるだけだった。
 映像のミズシマも手を伸ばすが、当然の様に彼女をすり抜ける。

 

 それを見て雰囲気を察した彼女は、慌てたように口を開く。

「あ、冗談、じょ〜だんだよ、うん。あたしは平気だよ! ハカセは話し掛けてくれるし、見ててくれてるんでしょ?」

 そう言って笑った。

「だったら……大丈夫だよ。寂しくなんか……ないよ……」

 ぎごちない、笑顔。

 傍に行って抱しめてやりたい、そんな衝動に駆られる。
 だが、それは強い肉体を手に入れない限り無理なこと。

 ミズシマに出来るのは、話かけるだけ。
 ただ、事実を説明することだけだった…………。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 忙しなく日々は過ぎていく。
 二人の間には、穏やかな雰囲気が流れるようになっていた。
 寂しげな表情も、あまり見られなくなった。

 

 そして、変化が訪れる――――

 

「あ、ハカセ……」
『どうかしたのかね、63号。元気がないようだが』

 彼女は俯いて何も言おうとしない。

『私でよければ相談に乗るよ。……話し難いことかね?』
「そんなことない……けど……」
『ならば話してみてくれないか? 大抵のことなら助言できるつもりだ』

「うん……。この前ね、Fブロックの部屋の前を通ったの。そのとき、よく判らないけど何か胸が締め付けられるような感じがして……」

 そこで一度言葉を切り、俯いて先を続ける。

「それから、その部屋の近くに行く度に、同じように苦しいような……嬉しいような変な感じがするの。あたし、おかしくなっちゃったのかな、ハカセ……」

 最初ミズシマは訳が判らなかった。そもそも彼にとって、解釈の難しい分野の問題だった。

 しかし、ふいに彼女の言葉の意味することに気付いて愕然とする。

 最下層の機密区画Fブロック……。

 ―――『アイスマン』の眠る場所!

 

 知るはずの無い『アイスマン』の存在をを感じ取った彼女に、ミズシマは知識欲が強く疼くのを感じた。
 しかし、それ以上に今まであまり感じたことのなかった感情が沸き上がる。

『それで遅刻したということは、私との約束よりも気になる、ということかね?』

「……ハカセ?」

 つい荒くなってしまった口調。そして、相手の戸惑い。
 それが、慣れない感情を自覚させる。

 ――――嫉妬。

 無邪気に慕ってくる彼女に、父性に近い感情を抱くようになっていたことを改めて自覚する。
 だからこそ、本物の父親ともいうべき存在に嫉妬を感じるのだろう。

 ミズシマは苦笑した。

「ハカセ、怒ってるの?」
『いや、怒ってる訳じゃない。声が荒くなってすまなかったね。……そうだな、お前は知っておいてもいいかもしれない』

 しばしの逡巡の後、意を決してそう言った。上層部のことが気にはなるが、彼女の顔を見ていたらどうでもよくなっていた。

 まだ戸惑っている様子の63号に、その部屋へ行くよう促す。
 そしてミズシマ自身は、部屋のロックを解除する準備を始め、同時に自分の映像を移動させる。

 やがてその部屋にたどり着いた63号に告げる。

 

『これが君の素体・・・いや、生みの親・・・お父様だ―――』

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 父親の存在を知った63号は、それまで以上に笑顔を見せる様になる。
 毎日のように様子を見に行き、目覚めて話をしてくれない不満を交えながらも、嬉しそうにミズシマに報告する。

 ある意味彼女にとって――そして、ミズシマにとって――最も幸せだったかもしれない時間。

 

 それは、永くは続かなかった――――。

 本来の目的であるデータ収集が順調ではなかったこと。
 マルタの数が増え過ぎてきていたこと。
 63号の幾度かの暴走―――他のマルタに影響が出るほどの。

 それらのことを理由に、議会がアイスマンから直接データ収集を行うことを決定したのだ。
 それは、いくつもの実験体、特に複製体の存在を意味の無いものにする決定だった。

 

 ――そして、63号は拘束された。

 

 スピーカーから彼女の悲鳴が聞こえてくる。

 だが、彼女の居る場所へ入っていくことが不可能なミズシマには、どうすることもできない。
 助けを求めてくる娘に、何もしてやることができない。
 無力感と後悔がミズシマを苛む。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 追憶に浸っていたミズシマに、会の終了宣言が聞こえる。
 既に決定していたことを発表するだけのための意味の無い会議。
 63号を失ったばかりの彼には、何がどう決定されても関係がないことのように思えていた。

 

 しかし――――会議終了と同時にミズシマに伝えられた言葉は、

 

 更に残酷な現実を、彼に突きつける―――――。

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 アイスマン覚醒の決定が発表された数日後―――。
 ミズシマは立会人として、議会のメンバーと顔を合わせていた。

 どの顔にも感情の色は見えない。
 彼自身の顔からも、感情は読み取れない。

 目の前で行われていることが、ミズシマから表情を奪っていた。

 

 

 

 

 ――――マルタの解体が、行われている。

 

 

 

 

 肉を裂く音。

 骨を切断する音。

 血管や神経を括る音。

 

 

 聞こえてくるのは解体作業の音と、人の息遣いのみ。
 言葉を発する者はいない。

 皮膚が開かれ、器官や組織が保存しやすいとされるパーツ毎に切り分けられていく。

 人をただの肉塊に変えてしまう作業が続く。

 

 

 ―――63号の解体・凍結に立会人として参加すること。

 それが、会議の後でミズシマに下ったもう一つの命令だった。

 それは彼にとって、娘とさえ思っていた存在がバラバラにされ、凍りづけにされるのを見届るということに他ならない。

 意識はないはずだった。
 痛みや苦しみは感じてないはずだった。
 しかし、ミズシマには彼女が助けを求める声が聞こえてくるような気がした。

 拘束されたときの悲鳴が、頭の中に蘇る。

 

 感情を麻痺させてしまえば、どれほど楽だろうか。
 頭の中に囁く声が、幾度となく誘惑する。
 研究を続けていくのであれば、こんな感情は無い方が良い。
 ミズシマは解体作業に携わることの多い研究者が、物を扱う様にマルタを扱う理由が判る気がした。

 

 

 

 

 ――――やがて、残酷な見世物が終わる。

 

 

 

 ミズシマにとって、永遠とも思える程の時間だった。
 気力を使い果たし、今後はマルタに必要以上に接することはしないと心に誓う。
 そうしなければ自分が壊れてしまいそうだった。
 世界が壊れてしまったような喪失感だけが、彼の心を満たしていた。

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 そして、また新たに一体のマルタがミズシマの所に来る。

 彼が研究を任された『アイスマン』の世話役として―――――。

 

 

  ――― 続く ―――