ザァァァァァ――――――


 稲光さえ伴った、激しい雨の降りしきる深夜。城門前に外套(アペリュ)を被った姿が佇んでいる。
 その視線は、足元へと向けられていた。

「やれやれ、ですわね……」

 人影はそう呟いた。視線はそれから外さない。
 外套を叩きつける雨の中、そのまましばらくそれを眺めていたが、それの中身が自分の予想通りのものであることに間違いないと認めると、それ――粗末な籠――を拾い上げる。
 そして、その籠をさらに勢いを増した雨から守るように外套の中へ隠し、門をくぐった。



 昨夜の雨も上がり、明くる朝。
 フラッと出掛けてから数日ぶりに帰ってきたカルラを交え、久しぶりに全員が揃って食卓を囲んでいた。
 しかし、いつものような欠食児童たちが言い争う姿は見られない。皆、食を進めるカルラの膝の上を無言で見ている。
 しばしして、沈黙に耐えられなくなったのか、怪訝な顔をしながらもオボロが口を開いた。

「……なぁ、カルラ。ソレはなんだ?」

「見ての通りですわ」

 しれっと答える。いつもなら、そのそっけない答えにムッとするであろうオボロだが、怪訝な顔もそのままに続けた。

「なんか、赤ん坊のように見えるんだが……」


 そう。全くいつもと変わらずに箸を進めるカルラは、その膝の上に赤ん坊を乗せていた。
 昨夜拾った籠の中にあった――居たのは、まだ1歳に満たないであろう赤ん坊だった。

 尋ねたオボロの声は自信なさげだったが、それは無理もないことだ。カルラと赤ん坊という組み合わせは、どこか違和感を覚えさせた。

「判りきったことを訊かないで下さいな」

 そう、にべも無くあしらわれたオボロが今度こそ何か言い返す前に、

「ねぇカルラ姉様。そのコどうしたの?」

 カミュがカルラの膝元を覗き込みながら尋ねた。赤ちゃん可愛い、と思う前に疑問が先立っているらしい。アルルゥも興味津々といった感じで赤ん坊を見つめている。

「もちろん、あるじ様と私の子に決まってますわ。
 ……と言いたいところですけど」

 茶化しかけたカルラだったが、どう見てもその子がギリヤギナでないことは一目瞭然。
 それに、皆カルラの性格を知っているだけに誰一人ひっかかりそうもないと判ると、素直に昨夜のことを話し出した。



「――というわけですわ。」

 と短い説明を終えると、

「また捨て子ですか……」

ウルトリィが悲しげな表情で赤ん坊を見つめた。

 フミルィルの一件は、一日たりと忘れることが出来ない。その後も何度か捨て子の話を聞いた彼女が、その度に心を痛めていたであろうことは想像に難くない。

「我がトゥスクルには、子を捨てねばならない程に生活に苦しむ民は少ない。でも皆無とも言えません」

 ベナウィの言葉に、一同は目を伏せる。普段はあまり考えないことだが、この国にもそういう民がいるのだ。


「カルラさん、それでこのコはどうするんですか?」

 沈んでしまった雰囲気の中、エルルゥが控えめに口を開いた。

「そうですわね……やっぱり孤児院に預けるのが良いでしょう」

 ここ数年、大きな戦が続いたせいで身寄りのない子供が激増した。
 そのためトゥスクルでは孤児院を設立し、同じく戦で子を亡くした親たちに面倒をみてもらうという形をとっている。
 家族を亡くした痛みを知っている彼らのこと、捨て子でも同様に受け入れてくれるだろう。

「それまでの間はエルルゥ、お願いできないかしら?」

「ハイ、わたしでよろし――」

「ダメだ」

 ずっと事態を静観していたハクオロが初めて口を開いた。食後の茶をすすりつつ告げる。

「エルルゥには色々とやってもらうことがある。他の者も同様だ。今この城で暇なのはカルラ、お前だけだよ」

「……あるじ様は私が赤ん坊の面倒をみられるとお思いですの?」

 こんな時に不謹慎ではあるが、“ふり”ではなく本当に拗ねたように口を尖らせるカルラを可愛いなどと思いつつも、

「なに、ほんの僅かの間だけだ。せいぜい数日だろう。それに、カルラだっていずれ子育てをすることがあるかもしれないぞ?」

と冗談のつもりで軽く言ったハクオロだったが――。

「「「「――――っ!?」」」」

 その言葉を深読みした女性陣が、もの凄い視線をハクオロとカルラに向けた。
 エルルゥが手に持っていた食器が軋みを上げ、ウルトリィは無表情のまま凍りついている。
 トウカは今にもいつもの奇声を発しそうな雰囲気だし、カミュは物欲しそうに指をくわえてハクオロを見ていた。

「――さ、オボロ、クロウ。兵の訓練の時間ですよ」
「お、応!!」
「ういっス!!」


 いきなり模範的な指揮官と化した3人がさっさと退出し、瘴気の中に取り残された皆のなかで、一人カルラが艶やかに微笑んでいた。

「わかりましたわ。あるじ様が“そこまで”お考えなら」

「「「「・・・・・・」」」」

 その一言で部屋の温度がまた下がり、ハクオロの冷や汗は滝のように流れ出したのだった――。



 その子には『デリ』と名づけた。もちろん女性陣とハクオロには理由が解ったが、何も言わない。
 もしオボロがデリホウライのことを詳しく知っていれば、いらぬことを言って縦回転で空中遊泳するはめになっただろうが、幸いにもオボロはカルラゥアツゥレイの皇とは親しくもない。

「でも貴方、全然泣きませんのね」

 屋根の上に腰掛け、デリを胸に抱きつつ話しかけた。
 昨夜この子を拾ってから、笑うことはあっても夜泣きどころかぐずることもない。

 今もあたたかな風を受けて微笑んでいる。

「まぁ、その方が助かりますけど。ウルトやオボロはかなり苦労してましたもの」

 フミルィルはぐずってウルトリィを困らせたし、ユズハの忘れ形見も元気によく泣く。それが普通だ。

「そういえば、あのコもよく泣いたものでしたわ――」

 頭に、幼き日の情景が浮かんでゆく。



* * * 



「ねぇさま、ねぇさま!」
 
 一面の花畑の中、こちらを振り返りながら幼い少年が駆けている。
 とても愛らしい、自慢の弟だ。
 あの子はなぜかチャンバラなどよりも花を愛でるのが好きだった。
 私もその方が良かった。あの子にケンカなんて似合わない。

「デリ、危ないですわよ」

 後ろを見ながら全力で走っているのだ。すぐに足をもつれさせた。

「あぶないっ」「きゃぁっ」

 女の子の様な悲鳴をあげて、弟は花の海に倒れこんだ。すぐに「わ〜ん」と泣き出す。

「ほらほらデリ、怪我は無い?」

「うぐっ、うん……」

 安心して、ふぅと息をつく。もっとも、足も遅い上に下は花畑だ。大事に至ることは無いだろうけど。

「ほんと、デリはお姉さまが守ってあげないとだめですわね」

 まだ鼻をすすっていた弟だが、それを聞いてなにやら考えだした。

「ねぇ、ねぇさま」

「ん、なあに?」

 幼いながらも真剣な表情。

「ぎりやぎなは、つよくないとダメなんだよね?」

「え?」

「とうさまにいわれたの。ぼくがよわかったら、このくにはもうおわりだって」

「……」

 父がそんなことを……。
 あの人は、ギリヤギナがどうとかいうより、自分の強さにしか興味がないと思っていた。
 だからデリがどう育っても何も言わないのだと――。

「だからね、ぼくはつよくなるよ。ぼくがねぇさまをまもってあげる」

「デリ?」

「おはなをみるのはきょうでおわり。
 とうさまよりつよくなって、おぅるぉになって、ぼくがねぇさまをまもってあげる!」



* * * 



 そんなことがあってすぐに、私たち姉弟は離れ離れになってしまった。
 父は常世(コトゥアハムル)へと旅立ってしまい、弟の生死も判らずに剣奴(ナクァン)として戦う毎日。
 何に対しても冷めた目で見ていた。火神(ヒムカミ)に似合わず。
 
 でも――。

 デリがあの日、約束した通りに皇となって。強さという面では遠く父に追いつかないけど、まだそうなる可能性も十分にある。

「ふふ、貴方はどんな殿御に育つのでしょうね……」

 そう呟くと、カルラは胸の中の赤ん坊に顔を近づけ、その額に優しく口付けた――。