ある、晴れた日。トゥスクルは一人の客人を迎えた。
 オンカミヤムカイから来たという、少女。
 彼の國よりの使者、というわけではなく、ウルトリィに仕えていた女中が、彼女を訪ねて来たというだけだ。

 しかし、この少女がトゥスクルに“ちょっとした騒動の種”を持ち込んだとは。
 この時誰も知る由も無かったのである――――。

 

 

 

 書斎へと向かうハクオロを、見慣れない少女を伴ったウルトリィが呼び止めた。

「ハクオロ様、少々よろしいですか?」

「ん? どうした、ウルト」

「國元から友人が訪ねて参りましたので、ご紹介をと思いまして」

 そう言って、傍らの少女を促す。

「皇(オゥルォ)様。お初にお目にかかりますの。
 ウルトリィ様にお仕えさせて頂いております、ユキノと申しますの。
 よろしくお願いいたしますの〜」

 ぴょこん、と頭を下げる。

 一目で分かるが、オンカミヤリュー族ではない。
 翼は無く、獣の耳が頭の横に垂れている。
 背は低く、年のころはカミュと同じくらいか。
 指で突付いたら「ぷにぷに」としそうな頬と、無邪気な笑顔が印象的な、可愛い娘だ。

「ああ。ハクオロだ。こちらこそよろしくな」

 娘の笑顔につられ、こちらも微笑んで名乗った。
 露骨にならないよう、もう少し娘の姿をよく見てみる。
 この時代には珍しい、丸くて鍔の無い帽子。
 遠い記憶を刺激する、ミコトのものに近い耳。
 そして、さらに遥か遠い記憶を呼び覚ます、その服――――。

 

「――!? め、メイド服、か!?」

 そう。正にそれは、メイドさんの服、『メイド服』であった。

「あら、ハクオロ様。さすが博識でいらっしゃいますね。
 メイド服は、我が國以外ではほとんど見かけないのですが」

「な、何? すると、オンカミヤムカイにはメイドがいるのか?」

「ええ。女中の中でも、身分の高い人間に仕える者がメイドと呼ばれています。
 このユキノもそうです」

「はいですの」

(あ、侮れん……。オンカミヤムカイ……)

 驚きつつも、ちょっと羨ましいハクオロ。

「ウチでも採用するかな……」

「ハイ?」

「何がですの?」

「いっ? いや、なんでもない。これから政務があるのでな、これで失礼するよ。
 えっと、ユキノ? 何も無い国だが、ゆっくりしていってくれ」

「ありがとうございますの〜♪」

 そそくさとハクオロは立ち去ったのだった。

 

 

 

 書簡に目を通しながらも、どこか上の空のハクオロ。

(おかしいな。自分はこんなにメイド萌えだったのか……?
 しかし……。あの、太ももまでのタイツ、フワッとしたスカート、
 真っ白いエプロン。そして、ケモノ耳……。
 あ〜もう! ダメだダメだ!これでは、本当に好色皇ではないか!!)

 ヨコシマな気持ちを振り払うように、ぶんぶんと頭を振る。
 同じ部屋で事務を手伝っていたベナウィが、それを見て声を掛けた。

「聖上? 先程から、どうかなさったのですか?
 なにやら、ブツブツと呟いておられましたが」

「――――なぁ、ベナウィ。お前、メイドって知っているか?」

「冥土? ああ、メイドですか。オンカミヤムカイの女中ですね。それが何か?」

「いや、ウチにもメイドを置こうかな、と」

「…………?」

 訝しげな視線を主に向ける。それはそうだろう。
 何を悩んでいるのかと思えば、いきなり“メイド”ときたものだ。

「べ、別に大した意味は無いんだ。先刻、ウルトのメイドが来ててな。
 それで、ふと思いついただけなんだ」

 メイド服が好きなんだ、とは口が裂けても言えない。慌てて言い繕う。

「なるほど。つまり、あの独特の衣装を、我が国の女中にも着させたいと」

「うぐっ……」

 しかし、イキナリ見破られた。
 子供じみた言い訳など、この切れ者には通じないのだ。

「聖上、ただでさえ“好色皇”などと呼ばれているのですよ?
“衣装遊戯”でしたら個人的にお楽しみ下さい」

「…………」

 腹心の言葉に、ぐうの音も出ないハクオロであった。

 

 

 順調に書簡の山を平らにしていく。
 先刻まで、あれほどメイド服に心を奪われていたハクオロだったが、もともとそれほど好色な男ではない。
 今は、すっかり邪念を消し、仕事に没頭していた。
 その甲斐有って、いつもより幾分か早く片付いた。

「聖上、お疲れ様でした。今日は随分とお早かったですね」

「ああ。たまにはな」

 少し意地悪く微笑むベナウィに、苦笑いで答えたのだった。

 

 

 

「さて、どうするかな」

 特に目的も無く、廊下を進んで行く。

(そうだな。せっかく客人が来ているんだ。ユキノと言ったか。
 メイド服はともかく、彼女と話をするのも良いだろう)

 ウルトリィ達の部屋へと足を向けた。

 

 

「ウルト、居るか?」

「はい、どうぞお入りください」

 そう促されて部屋に入ると、ほんのりと良い香りがする。
 ここへ来るといつも感じる、安らぐような香り。
 目を閉じてその香りを嗅ぐと、先程まで邪な事を考えていた自分が恥ずかしく思えた。

 

「ハクオロ様、よく御出で下さいました。何か、御用でしょうか」

「ああ。ちょっと話でもしようかと―――」

 ウルトリィへと視線を向けたところで、ハクオロは言葉を飲み込んだ。
 何故ならば、そこには――――

 

「う、うると!? その格好は……」

「ハイ? あ、これですか? うふふっ。
 実は、私(わたくし)は國にいる時から、このメイド服が気になっていたのです。
 とても可愛いらしくて、いつか着てみたいって。
 國では、皇女の私が女中の服を着ていたら、民に示しが付かないので我慢していましたが、
 ユキノにお願いして、私に合う丈のメイド服を持ってきてもらったんです」

「姫様、とってもお似合いですの〜」

「そうですか? ありがとう、ユキノ。
 ハクオロ様はどう思われますか? 似合っているでしょうか」

 ウルトリィはそう言いながら、
 スカートをちょんと摘まみ、その場でクルッと回って見せた。

 

 濃紺のメイド服によく映える、純白の翼。

 背中で蝶結びになったエプロン。

 フワッと広がるスカート。

 そしてなにより、少女のような無邪気な笑顔――――

 

(か、可愛い!!!)

 ハクオロは、先程安らいだと思った自分の心が、また乱れてきたことを自覚した。

 心臓が、ばくんばくんとその鼓動を速めている。

 

(――う。なんだ……?
 
 どうしたのだろう、自分は……。

 

 頭が、顔が熱い……)

 

 まるで舌が張り付いたように、言葉を紡ぐこともできず。

 熱に浮かされたように、ウルトリィの姿を見つめることしかできない。

 彼女が愛しい。声を掛け、抱きしめたい――――

 

 そんな、何も言えないハクオロの顔を、ウルトリィが下から覗き込む

「あの、ハクオロ様? やっぱり……変ですか……?
 私のような堅苦しい女性には、こんな可愛い服は似合いません、よね……?」

「――――っ」

 寂しそうな微笑、潤んだようにみえる瞳。

 それを見た時、どうにも言うことを聞かなかった身体が、勝手に動いた――――。

 

 

 ぎゅっと――――

 強く、しかし優しく。
 ハクオロの胸に、ウルトリィが抱きしめられていた。

「は、ハクオロさま?」

 急な出来事に、ウルトリィの色白な頬が桜色に染まる。
 彼女の身体に、ハクオロの鼓動が伝わってくる。
 いや、それとも彼女自身の鼓動だろうか――――。

 

「――ウルト」

「は、はい!?」

「とても、可愛いよ。
 可愛くて、驚いた。
 驚いて、声が出せないくらいに――」

 ウルトリィの耳元で囁く。一言一言区切って、はっきりと。
 普段なら、あまり口にしない、甘い言葉。
 しかし、先程ウルトリィの見せた切ない表情が、彼に口を開かせた。

「今まで、こんなことを口に出したことは無かったが……。
 私は、君の可愛い所を、いくつも知っている……。
 いや、そのつもりだった、かな。
 さっきの君は、今まで見たことがないほど、可愛らしかったから……」

「ハクオロ、様――――」

「前にも言っただろう。今の私は、ただのハクオロだ」

「ハクオロ――――」

 

 二人の視線が、絡む。

 相手の瞳には、自分しか映っていない。

 

 自然とお互いの唇が近づき、目を閉じ、そして――――

 

 ギシッ……

 

 唇が触れ合う寸前、床板が軋むような音がした。

 ハクオロとウルトリィが、はっと我に帰る。
 ゆっくりと、音がした方へ視線をむけると――

「うにゅぅっ!?」

 顔を真っ赤にしたユキノが、二人の視線に晒されておろおろしていた。
 目の前で、前触れも無く始まった抱擁に、動くに動けなかったのである。

 ハクオロもウルトリィも、彼女の事などすっかり失念していた。

「――あ、あのな、ユキノ。これはだな。その、なんというか……」

「そ、そうです。これは別にその、あれです。え、えと……」

 ハクオロはともかく、ウルトリィまで珍しく動揺している。

「あ、あああのあの! 大丈夫ですの! あたしは何も見てませんの!
 姫様と皇様が、く、口付けを交わそうとしたなんて……。
 お、お邪魔しましたですの〜〜〜〜〜!」

 二人以上に動揺したユキノは、物凄い勢いで走り去ってしまった。

 

 

 

「…『何も見てませんの』って……。思いっきり見てるじゃないか……」

 ユキノが去ってから随分時間が経ったあと、ハクオロは苦笑しながらそう呟いた。

「……それはそうでしょう。こんなに目の前では……」

 先ほどの状況の一部始終を、ユキノに全て見られていたかと思うと、
 ウルトリィの頬は桜色を通り越して真っ赤に染まってしまった。
 両手で自らの頬を包み、泣き出しそうなくらいに恥らっていた。

 ハクオロは、そんな彼女の姿を微笑んで見つめている。

 

(全く……。私はウルトの可愛いところなど、ほとんど知らないに等しかったな。
 今日はそれがよく分かった。ユキノに感謝、だな)

 

 心の中でそう呟くと、未だ赤面しているウルトリィの頬に手を伸ばす。

 

「は、ハクオロ、様?」

 

「ユキノが折角、気を利かせてくれたんだ。

 それを無駄にすることもないさ……」

 

 ハクオロに、そっと抱き寄せられたウルトリィは――

 

「あ……」

 

再び、目を閉じた――――