心地よい風が頬を通りすぎる。

 風は花の香りを運び、その香りが彼女の鼻腔をくすぐる。

 森が開け、見晴らしの良い高台へと出た。

 先ず目に入るのは一面に咲く花。そしてこの国を一望できるような青い空。

 ここはいつ来ても、話に聞くあの方そのもののような場所ですわね。

 彼女はさらに歩みを進める。

 首につけた鈴が、彼女の歩みに合わせて涼やかな音を立てていた。

 やがて目に付くのは高台の端にある岩──あの娘の、墓。

 死後もいかにあの娘が皆に愛されているのか。それがわかるほどにその岩は美しく整えられ、周りの花畑に負けないほどの花々が添えられている。

 墓の目の前に来て、彼女はあの娘に話しかける。

「こんにちは、ユズハ様」

 

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「まだまだ太刀筋が甘いですよ」

「ん」

 広場では何か舞いでも踊っているかのような男女が一組。

 しかしそれはけして踊っているのではなく、手に持つのも保護用の布が当てられているとはいえ槍の訓練用の、硬い木の棒である。

 突いては払い、柄を打ちつけてはまた間合いを取る。

 男の方はもはや中年の域に達しているとはいえ、その槍さばきに一部の無駄もなく、鍛え上げられた身体からは跳ぶ様な斬撃が放たれる。

 それを必死で受け止め、勢いを流し、女性の方でも果敢に反撃を試みる。突きを主体とした槍技ではなく、柄の先を払い打ち据える、どちらかといえば薙刀のそれに近い彼女の戦い方は、槍を振るい身体を廻すたびに揺れる黒髪、そしてきらめく汗、揺れる尻尾。それらは見るものの目を魅了する。

 その舞うかのごとき彼女の姿は、戦いの最中にあってもなお

「美しいにゃ〜」

 そんな2人を広場の端から眺める少年がいた。

「アルルゥ姐様・・・貴方はなぜこうも美しいのでござろう」

 親愛、憧憬、敬愛、慕情。それらの感情の溢れた瞳で、彼は彼女を見る。姉を見る弟の目としてはいささか尋常ではない・・・とも言えるかもしれない。

「適うのならばそのお相手をベナウィさまではなく某と・・・・・・あー、代わってもらいたい。そうすれば、そうすれば某も」

 彼の頭の中では彼女と一緒に刀を振るう自分の姿がありありと想像できているに違いない。恍惚とした表情で、というとまだ表現的に格好もつこうが、要は間抜け面をさらしその場に突っ立っている。せっかくの整った容姿も、いや、下手に整った容姿であるがゆえにボケっとした顔となった時はその崩れ方も著しい。

「ああ、アルルゥ姐様。某のラ――

「某の、なんですの?」

 そんな彼の後ろから、いやに楽しげな少女の声が聞こえた。崩れた顔のまま、彼の表情は一瞬で凍りつく。

「ねえ、ユウゴ。某の、の後は何を言おうとしていたのかしら。姉さんに教えてくれない?」

 天上にも昇らん、という気分が一気に地獄の底まで叩き落されたかのように、ゆっくりと、できうることならこのまま振り向きたくなどない、という気持ちをありありと浮かべゆっくりと彼は声のしたほうを振り向く。

 案の定振り向いた先にあったもの。それは今の彼にすれば禍日神の方がまだ可愛げのある存在、彼の5分年上の姉、ユズハの満面の笑みであった。

「な、なにか某に用でござるかユズハどの」

「んー、特に用事ってほどのことはないのですけど。偶然、近くを通ったらユウゴの姿が目に入ったものだから」

 絶対嘘だ。この姉に限って偶然、などということがあり得るわけがない。きっと跡を着けて某を笑い者にしようと・・・・・・ということは某のつぶやき、全部聞かれていたというのか!?

 

 

「でもユウゴ、あなたじゃアルルゥ姉様のお相手十年は早いんじゃなくて?男らしいところを見せるどころか、反対にボロボロに伸されるのがオチ、ですわよ。現実はあなたの妄想の様に巧くは行きませんわ」

 全部聞かれてた。しかもかのような恥ずべき姿まで、全部見られてた。

 怒りやら羞恥やらで彼の耳は大きく広げられ、顔も真っ赤になる。

 情けなさで涙を流す彼を見ると、ユズハの表情はさらに楽しげなものとなった。

「そんなにアルルゥ姐様のことを思っているのなら、男らしくその胸の内を告白してしまえばいいのに。そうだ!姉さんが協力して差し上げますわ」

 そう言うと、ユズハは広場で演武を続けるベナウィとアルルゥの方を向くと口に手を当て

「アルルゥ姐モガッ」

 自分たちを呼ぶ声に、二人は手を止めユズハとユウゴを見る。向いた先ではユズハの口を慌てた感じで塞ぐユウゴの姿があった。

「くけっ、くけー、くけっくけっ、なんでも、なんでもござらん。邪魔をいたしました。ユズハ殿、そうかそうか、ミコトの兄上がお呼びでござるか。では急いで参らねば」

 そう言うと、ユズハの口を塞いだまま2人は館の方へと行ってしまった。

「ユウゴ様とユズハ様は、いかがなされたのでしょう?」

「知らない。続ける」

「はい」

 再度得物を構えると、何事もなかったかのようにアルルゥはベナウィへと跳躍した。

 

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 さて館の中へと引っ込んだ2人である。

 アルルゥとベナウィの姿が見えなくなったところで、ユウゴはようやくユズハの口から手を離した。

「何をなさいますの」

「それはこちらの言葉だ! そなた、いきなり何を」

「だってあなたが全然アルルゥ姐様に告白しようとしないのですもの。姉としては心配で心配で、少しでも手助けしてあげようかしらと」

 全く悪びれないどころか嬉々としてそう言ってのける。

「余計なお世話でござる!! 某、某がアルルゥ姉様に相応しい漢となったその時こそこの思いを伝える心づもりであるというのに・・・・・・この間の日記といいそなたはぁ・・・あれ?」

「だってユウゴったらいちいち反応が楽しいんですもの」

 苦虫を噛み潰しきったかのような表情であるユウゴだったが、不意になにかに気付いた顔をする。だがそんな彼には全く頓着せず、ユズハは得意げといっても差し支えない口調で彼をからかわんと言葉を続けた。

「ちょっとからかったくらいで顔を真っ赤にして向かってきますし。可愛くって可愛くってつい虐めたくなるのですわ」

 あれだけやっておいてそれが「つい」か! と思わないでもなかったが、彼の口から出てきたのは全く別のことだった。

「それよりもユズハ殿。後ろ、よろしいのでござるか?」

「うしろ?」

 また怒って向かってくると思っていたのに、ユウゴは意外に冷静なままだった。

 それに、後ろって一体

 そう思って彼女が振り返ると同時に、それはなんの前触れもなくユズハのことを抱きしめた。

「ユズハっ!!」

「わひゃぁ」

 完全に不意を着かれいい様に抱き着かれる。

「久しぶりだなー、会いたかったぞ。俺に会えない間淋しくなかったか?」

「いいいいいイクス、いつこっちへ来ていましたの。それより、私を放してくださいぃ」

 彼女にしては珍しく、酷く狼狽した情けのない声を上げる。

 必死に抜け出そうとするが、巧い具合に抱きつかれたもので彼女の力をしてもなかなか抜け出れそうにない。

「お久しぶりでござる、イクス殿」

 対照的にユウゴのほうでは至極冷静に挨拶を交わす。抱き着かれている当事者ではない、というのもあるが、この2人に関してはいつものことだ、とその目が語っている。

「久しぶりだなユウゴ。半年ぶりくらいか。それよりもだな、俺のことは『イクス殿』何て他人行儀名呼び方ではなく『お義兄さん』で良いと言っているだろう。俺がユズハと結婚したあかつきにはそうなるんだ。今から慣れておいた方が良いぞ」

「私はあなたと結婚なんてするつもりはありませんわー!」

 ほとんど悲鳴に近い抗議の声を上げるユズハ。それを聞くと、イクスは少し残念そうな顔になるがその代わり、とばかりに彼女を抱く腕にさらに力を加える。

「そんな悲しいこと言うなよユズハ。俺がこんなにもお前の事を愛していると言うのに」

「あなたに愛されていようといまいと、私がごめんですわ!!」

「俺の何が悪いって言うんだ。年齢か? 歳の差なんて愛さえあればそんなに気にするもんじゃないぞ。お前の年齢が問題だと言うのならせめて婚約だけでも。それとも・・・・・・俺が奴の子供だからか」

「私が言いたいのはそんな事じゃなくて。イクス、結婚をするしないと言う前にあなた、女でしょう!!」

 ユズハがそう叫んだところで、彼女はやっとイクスの腕から解放された。

「それがどうした。俺は女だがお前に対する俺の愛は本物だぞ。なんの問題がある」

 そう言って彼女――イクスはその豊かな胸を誇らしげに張り、腰のあたりまで届く艶やかな黒髪をふって大威張りでユズハを見る。

 歳の程は二十歳を少し超えた、と言ったところであろうか。ややたれ目ぎみながら、それが却って彼女に艶然とした魅力を与えている。

 この方も口さえ開かなければ美人であるのに。

 と、ユウゴがある種憐れみにも似た視線を彼女に投げかけているが、イクスの方では気付いた風もない。

「問題なら大有りですわ。何度も言うように、私にそっちの趣味はありませんの!」

 たったこれだけのやり取りの中でユズハは激しく体力を消耗していた。どうも、イクスの事は苦手らしい。

「あれっ、イクスさん来てたの。久しぶりー」

 そんな彼女たちのところに白い翼をした、彼女の兄がやってきた。

「ようミコト。いつ見ても可愛いな。でもお前男なんだよなぁ。女だったら俺も放っておかんのだが」

 心の奥底から残念そうに言うイクス。

「あはははー、ありがとー」

 その言葉の意味を解っているのか解っていないのか、素直に礼を言うミコト。

 あまり頼りにはならなさそうだが、それでもイクスに調子を狂わされっぱなしのユズハにしてみれば、このぽわぽわとした兄の登場はまさに天からの助けにも等しかった。

「みみみミコトお兄様、いかがなさいましたの、こんなところに」

 やや不自然なほどの勢いでミコトのそばへと駆け寄る。彼の存在を最大限に利用して、なんとかイクスから逃げ出そうとしているのがばればれだ。

「あっ、そうだ。あのね、2人とも。もしかしたらユラ姉様がオンカミヤムカイから帰ってくるかもしれないんだって」

「兄上、それは本当でござるか!?」

 ユウゴが喜び勇んでミコトに詰め寄る。

「うん、さっきオボロさんに聞いた。今通っている学校が終わり次第帰らせるるつもりなんだってさ。楽しみだなぁ、姉様に会うの」

 盛り上がる2人の横で、イクスの顔には疑問が浮かんでいた。

「ユラ? なあユズハ、オンカミヤムカイにいるユラ姉さんって、誰だ? アルルゥさんじゃないもんな」

 彼の問いかけにユズハは答えようとはしない。その代わり、久しぶりに姉上に会えるかもしれないと喜んでいるユウゴが答える。

「ああ、今某たちが話している姉上と言うのはでござるが、ユズハ様の、と言ってもそこのユズハ殿のことではなく、オボロ様の妹君のユズハ様のお子で、アルルゥ姐様を別にすれば某たちの一番上の姉上でござる」

「今はオンカミヤムカイの学校に通っているんだけど、そこが終わり次第トゥスクルに帰ってくるんだって」

 それを聞き、イクスは何かを思い出した様にこう言う。

「ユズハ・・・・・・ああ、あの山の上に墓のある」

「そうでござる。なんでも父上たちからの話に聞くと、目が見えなかったそうでござるがそれはそれは心のお優しい方だったそうで、同じ名前でもこのユズハ殿とは大違――

 その後自分の身に何が起こったのか、ユウゴは知覚する事ができただろうか。

 彼がそこまで言うと同時に、ユズハが彼の目の前まで飛び出しその拳をユウゴの顔面めがけて振り下ろした。

 後頭部から派手に床に叩きつけられたにもかかわらずそれでも殴られた勢いは止まることなく、ユウゴの身体は縦に回転しながら壁にぶつかったところでやっと止まる。

「あらごめんなさい、顔のところに蚊がいたものですから。それと、私は私、あの方ではありませんわ」

 そう言うと、ユズハはその場から走り去っていく。

「お、おいユズハ」

 イクスが彼女の後を追いかけその場から離れると、後に残ったのは殴られて目を回しているユウゴと、こちらは普段とあまり変わらないミコトだけだった。

ただ、その瞳には深い思慕が浮かんでいる。

「ユズっちも大変だなぁ・・・・・・ところで」

 壁にへばりついている彼の弟を見る。

「ユウユウ、大丈夫? 生きてる? 死んでない? うわっ、耳から血が出てきた」

 

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 この名前、あの方からいただいたこの名前を初めて意識したのはいくつの時だったかしら。

 『ユズハ』

 ある人はこの名前を呼ぶたびに私の後ろにあの方を思い出して、ある人は私をあの方と比べてしまう。

 『あなたのその名前は私の大切な友達からもらったもの。それは、誇りに思って良いですわよ。でも、あなたはあの娘じゃありませんし、私もあなたにあの娘のようになれなど言う気は、全く、ありませんわ。あなたはあなたですもの、変な事を気にしても仕様がありませんわよ。ねえ、私の大切な、ユズハ・・・・・・』

 お母様にはそう言われましたし、私自身そんな事は当然だと思いますわ。思いますけど、でも・・・・・・

「こんなところにいたのか。随分と探したぞ」

「イクス・・・・・・」

 二人がいるのは物見櫓の上。今は見張りの兵士も居らず、この場所にいるのはユズハとイクス、2人だけである。

 ユズハはこの場所が好きだった。特に今のような時間帯、夕日が沈もうとするこの瞬間にここに登り、夜の帳の下りるまでの短いひとときを過ごすことが好きだった。

「そんなに、あの娘と比べられるのは嫌だったのか」

「・・・・・・」

 ユズハは何も答えようとしない。ただ静かに橙に染まる太陽を眺める。

 イクスはそんな彼女に近づき、そして

「わひゃ!? い、イクス、何をしますの!!」

 ユズハの背中から、彼女を包み込む様に抱きしめる。それは先ほどのように力一杯抱きつくようなものではなく、優しく、あくまで優しく彼女を抱きしめた。

「こんな時・・・男なら黙って隣にいてやるだけでいいんだろうが、生憎俺は女だ。愛する者が悩んでいる時にも、こんな事くらいしかしてやれん。悪いな」

 そんな彼女の物言いのどこかが面白かったのか。ユズハは軽い笑い声を立てる。

「そんな事をおっしゃっても、私はあなたと結婚するつもりなどありませんわよ。でも、口説き文句としてはなかなかのものですわ」

 お互い微笑みあいながら、イクスもようやく彼女から離れユズハの隣に座る。

「昔な」

「えっ?」

 不意に、イクスが話を始めた。

「いや、昔って言ったところでそんな何百年も前の話じゃない。俺の親父の事なんだが・・・・・・

 俺のお袋はよ、お前も知っての通りあいつが囲っていた何人もいる妾腹の一人でよ。まあ、俺の親父と言えば国を挙げて奴隷売買をしていたような国の皇だ、俺のお袋だってそんな奴隷の中の一人だったんだろ。

 結局はユズハ、おまえのお袋さんに入れ揚げた末、その、なんだ。あそこを切られたような馬鹿な奴でな、その時点で俺のお袋もお払い箱。その時にはもう腹ん中にいた俺共々はい左様なら。

 打倒された独裁者の子供なんて辛いもんだぜ、何処に行っても石をぶつけられる。デリホウライ様やおまえの親父さんに保護されていなきゃ、今ごろどっかでのたれ死んでいたのは間違いないな。

 それで、俺のお袋の話に戻るが、追い出された時に殺されなかっただけマシ、と言えばそうなのかもしれんがな。でもお袋は、そんな別の女に目がくらんで自分を捨てたような男の名前をだな、こともあろうにこの俺につけやがったんだ。

 この『イクス』って名前あるだろ。これはな、古い言葉であいつの名前と同じ意味になるんだとさ。いつだか嬉しそうに話してくれたよ。

 全く俺のお袋にも困ったもんだ。あんな奴の名前を子供に着けるんだからよ。おかげで子供のころはいろいろ悩んだもんだ」

 そこで、彼女は口を閉じる。風が、2人の髪を洗うように吹きぬけていく。

 あえてユズハの方を見ずに語ってみたが、さて、ユズハは俺が言おうとしていることを解ってくれただろうか?

「それで、なんですの」

「いや、それでってな。だから自分の名前で悩んでいるのは何もお前だけじゃないってことをだな」

 ユズハのその反応に、彼女はいささかもどかしげに返事をする。

「イクス、あなたは何か勘違いをしてますわ」

「勘違い?」

 今度は私の番、とでも言うかのようにユズハは語りだす。彼女もまた、イクスのほうを向こうとはしない。

「私はこの名前、あの方からいただいた『ユズハ』の名前はとても誇りに思っていますの。その名前で悩むだなんて、万に一つもありませんわ」

 正面を向いているため表情を読む事はできないが、その言葉には全くの淀みはない。ただ、淀みがないということは彼女が強がってそう言っているから、と言うだけなのかもしれないが

「なら何で」

「私が悩んでいるのはね、イクス。私の後ろにあの方を思い描いたり、私を見るたびにあの方と比べようとする人たちがあまりにも多いってことにですわ。だってそうじゃありません? 私は私、あの方はあの方ですわ。それなのにその2人を同一視しようとするんですもの、私たち2人に失礼だとは思いません?」

 そう言うと、彼女は勢いよくたちあがる。

「私明日用事ができましたわ。それじゃあイクス、また今度」

「お、おい」

 櫓から降りていこうとユズハはする。しかし降りるその1歩手前で、彼女はイクスを振り向いた。

「あなたが私を励ましてくれた事だけは、感謝しますわ」

 そして、今度こそ全く振り向くことなく彼女は行ってしまう。

「ユズハ、そんな感謝の言葉だけ何て言わず、俺と結婚――

 その後を追うようにイクスも櫓から降りていった。

 太陽は、その残照までも山の稜線にと隠れようとしていた。

 

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「こんにちは、ユズハ様」

 返答がないことなど解っていますわ。でも、私はあなたとお話がしたいんですの。

「ご機嫌はいかが? あ、これはお土産です。トゥスクルお兄様が造って下さった蜂蜜菓子ですわ。お口に合うとよろしいんですけど」

 手に持っていた包みと、そして花を岩へと添えながら彼女は言う。

 墓へと屈み込む。その時、彼女の首の鈴が声を上げる。

「あ、やはり本当の持ち主がわかりますのね。ええ、この鈴、ユズハ様がお持ちになっていたものですわ。ユラゥお姉様からお借りしていますの・・・ごめんなさい。貴方のお子様が持つべきなのに、私のようなものが持ってしまっていて。でも大切に、とても大切にさせていただいていますわ」

 指でその鈴を撫でつつ彼女は言う。

「ねえユズハ様。私、あなたからいただいたこの名前、とっても誇りに思っていますのよ。この鈴は、その証みたいなものです。こんなこと言われてもあなたはご迷惑かもしれませんけど、でも、一度お礼が言いたかったんですの。今日はそのために来たんですから」

 彼女の墓は何も語ろうとはしない。だがユズハたちの会話は続く。

「あなたに直接お会いしてお礼を言うことはできませんでしたけど、でも、聞こえていますか、ユズハ様。あなたがいてくれたおかげでどれだけの人間が幸せになる事ができたか」

 そして、彼女は立ち上がる。

 

 

「今日のところはそれだけですわ。また近いうちにユラゥお姉様と、あなたのお子様と一緒に参りますわ。それまで、またいつもの様に私たちを見守っていてくださいね」

 風が再度彼女の頬を通りすぎた。

 次に風が運んできたのは花の香りではなく国中の、声。彼女の愛した人々の、喜びに満ちた、笑い声。

「それじゃあ、また」

 その場から人がいなくなった後も、その場所には彼女の墓は残っている。

 鈴の声が、聞こえた気がした。

 

   終