それはある日の物語。
今、ここオンカミヤムカイでは祭が開かれようとしていた。
数年に一度、幾日にも渡って行われ、彼らが大神ウィツァルネミテアに祈りを捧げる祭。大陸全土の皇族、藩主、また一般の信者、そして彼らを相手にする行商人たちがオンカミヤムカイの地に集まっていた。
華やかな飾りで彩られる市街。各家々には複雑な文様の描かれた幟が立てられ、街のあちこちでは無数の市が起ち、それぞれ多くの人々で賑わっている。
そのような市の一つを、彼は歩いていた。
一見すると少女と見間違えてしまいそうな、整った容姿の少年である。その銀色の髪、そして純白の翼は同じオンカミヤリューの中にあっても目を引くことは間違いないだろう。だがその雰囲気は、他の者を排除しようとするとげとげしい物ではなくどこか人を安心させるような、人好きのする少年であった。
「それにしてもすごい人だなぁ。ねえ、そう思わない。えっ、『こんなところをぶらぶらしていて大丈夫か』だって? ううん、大丈夫じゃ、ないかなぁ」
そう言って自分の肩口に語りかける。そこには彼に言葉を返すようなモノは何もいない。それとも、彼には常人には見ることのかなわない『何か』が見えているとでも言うのだろうか。
「うん、きっと大丈夫だよ。こんなに人がいるんだからムントだってそう簡単には見つけられないって。それにせっかくのお祭なのにお城の中にこもってばかりじゃつまらないからね。あーあ、姉様やフミィも誘えば良かった。」
異国の珍しい果物。見た事も無いような工芸品。商人たちが並べるそれらの品々を、彼はものめずらしそうに眺めている。きょろきょろとするたびに揺れる、ぴょん、と一房だけ飛び出した前髪がなんとも可笑しげだ。
「おい、エルルゥ、少しは、待ち、やがれってんだ」
雑踏の中からその声が聞こえたのは、そんな時だった。
「もう、寝坊したとーさんが悪いんだから、ほら、もっと急いでよ。早くしないと店ひらく場所、どこにもなくなるよ」
「エルルゥ様?」
知った名前を呼ぶ声に、雑踏のほうへと目を移す。だがそこに、彼の知るその人はいない。代わりに彼の目を引いたのは一組の親子。おそらくこの市に店を出そうとする商人なのだろう。2人とも背中に重そうな荷物を背負い人ごみを掻き分けながら歩いている。
しかし先を行く娘のほうはその重そうな荷物にもかかわらず軽快に人間を避けて行くが、それに対し彼女の父親と思わしき方はあっちへよたよた、こっちへよろよろと足下が覚束ない。案の定、人とすれ違う肩がぶつかり、
「おっ」
妙な叫び声を上げ前のめりに倒れる。
「ぷにゃも!」
どしゃん ガシャン グシャン パリンバリンバリン くゎんくゎんくゎんくゎんくゎん コトリ
背負っていた荷物は陶器の皿や碗であった様だ。それが全て盛大な音を立てながら割れ、あたりにまき散らかされていく。
「うわー、やっちゃった」
「とーさんだいじょうぶ!?」
少女が慌てて駆け寄るが、男のほうは未だ荷物の下でもがいている。なんとかはいずり出してきたが、その間に男の持っていた荷物はそのほとんどが粉々になってしまっていた。
「あーあ、せっかくの商品が・・・・・・とーさん、どうするのよこれ」
「ししし仕方ねえだろ。こんなに混んでいやがるのがわりぃ。お、おら、さっさと片付けちまうぞ」
不幸中の幸い、あたりにはこの巻き添えを食い怪我をした人間はいなかった様だ。それでも周囲に散乱しているこれら陶器の破片は市を歩く人たちの邪魔になっていること甚だしい。少女のほうも父親を責めることよりもこの塵をどうにかするほうが先決だと判断したのだろう。父親の方をにらみながらも破片を拾い始める。
「ねえ、それ拾うの手伝おうか」
そう言いながら、彼は二人に近づいていった。急に話しかけられ、二人のほうもやや驚いている。
「んだぁ、うるせえ、見世物じゃねえぞこの糞ガにゃぷ!!」
男の方はいかにもうっとうしそうに彼を追い払おうとする。しかしそんな男の顔を、少女がぐーで張り倒した。
「ごめんなさい、うちのとーさん馬鹿だから、気にしないで」
「うん気にしないよ。それより、拾うの手伝おうか?」
「えっ、でも」
「2人で拾うよりも3人で拾ったほうが早く片付くと思うよー」
「うーん、それじゃあわるいけど手伝ってもらおうかしら。えっと・・・」
「僕の名前はミコトって言うんだ。それで君の名前だけど」
「あっ、私は」
「エルルゥ、やいこらてめえ、実の父親を殴り飛ばすとは何事だ!!」
それまで二人に完全に無視され、地面でのたうちまわっていた男がそう言って少女に詰め寄った。右の頬に彼女の拳の跡がくっきりとついている。
「うん、私エルルゥって言うの。それじゃぁよろしくお願いするわね。それでこっちのが私のおとーさんで」
「エルルゥ、俺様を無視するんじゃね、にゃぷぅっっっ」
今度は男の顔面にエルルゥの拳がめり込む。
「おとーさんが悪いんでしょ。せっかくこの人が手伝ってくれるって言ってるのに」
「き、君って凄いんだね」
この親子のやり取りにさすがのミコトもあっけにとられていた。彼らの周囲には既に、何事かと黒山の人だかりができている。
「うちのとーさん、口で言ったくらいじゃ解らないからこうしないといけないのよ」
またつまらない物を殴ってしまった、とでも言いたげな口調で手についた埃を払うエルルゥ。
「こんなとーさんだけどね、名前を聞けば、あなた驚くわよ」
「変わった名前なの?」
「ううん、名前自体はそんなに変わってないんだけどね、なんと」
「ハクオロだ。小僧、このオレ様直々に名乗ってやったんだ、良く覚えておきやがれ」
意外と回復は早いのか、それとも普段から殴られ慣れているのか、鼻血を出しながら男―─ハクオロは叫ぶ様にそう言った。
「ハクオロ!?」
それに対し見るからに驚くミコト。
「そう、驚いたでしょ。うちのとーさん、あのトゥスクルの皇様と同じ名前なのよ」
「う、うん、驚いたよ」
「あんな奴と一緒にするんじゃねえ」
男がいかにも不機嫌そうにそういう。
「誰もとーさんをハクオロ様と一緒になんかしてないわよ」
「君の父様、ハクオロって言うんだ」
「うん、中身はぜんぜん違うけどね。あっ、でも好色皇って呼ばれてるところだけは似てなくて良かったかも」
複雑な笑顔を返すミコト。
「でもエルルゥにハクオロかぁ。偶然ってあるもんだねー」
そう言って肩口のところにいる『何か』に語りかける。
「えっ『偶然じゃないかもしれない』だって? どうかなぁ」
「おら、エルルゥ、小僧、無駄口叩いてねえでさっさと拾いやがれ。まわりの皆さんの邪魔になるだろうが」
自分がその原因を作り、あまつさえ被害を拡大させた張本人であるのにもかかわらず尊大な態度でミコトたちに命令する。エルルゥのほうはまた何かを言いたそう、もしくは殴り倒したそうにしていたがなんとかそれを我慢し陶器のかけらを拾い始め、そしてミコトもそれに続いた。
黙々と3人で拾い続ける。四半刻もたっただろうか。周囲を取り囲んでいた野次馬たちも、見世物は終わったとばかりに三々五々人ごみの中にまぎれていく。
「ミコト君、そっちのほうはどう」
「こっちはもう少し」
「おとーさんは。終わりそう?」
「あわてんじゃねえ、っと、よし、こいつで最後だ」
まき散らかされた量と面積の割には意外と早く方がついた。ミコトが術法を使い結界を張ったのがよかったのかもしれない。
「うーん、やっと終わった。あれ、どうしたの、そんなに慌てて。なに、『早く逃げたほうが良いぞ』って、何かあるの?」
最後のひとかけらを拾ったところで、肩口のところにいる『何か』がミコトにそう言ってきたようだ。
「ありがとう、おかげで助かったわ」
「小僧、なかなかやるじゃねえか」
「う、うん、どういたしまして。えっ『後ろを見てみろ』って」
端から見れば一人でぶつぶつ言っているようにしか見えない。エルルゥと男にいぶかしがられながらもミコトは後ろを振り向く。
「別に何も見えない・・・・・・」
「ゎーかーさーまー」
市の向こう側から何かがものすごい速度でこちらに飛んでくる。僧衣に身を包みかなり白くなった髭をたくわえている、そして頭は剃髪でもしているのかきれいにまるめられたそれは
「ムント!!」
「な、何あれ。あなたの知り合い!?」
「う、うん。まあ、一応」
自らがオンカミヤリュー族であるにもかかわらず、彼は自分たちがあれだけの速度で空を飛ぶことができるものだとはまったく思っていなかった。翼よちぎれんとばかりに羽ばたき、まるで矢のような勢いである。
「わ、若さ、ゲフゴホン、やっと見つけ、ウェッヘエヘンゲヘン、ましたぞ、ゼヒー、ゼヒー、ゼヒー」
彼らの目の前に降り立つと、息も絶え絶えにそう言った。
「ム、ムント、大丈夫?もういいかげん歳なんだから、無理はしないほうが良いんじゃないかなぁ」
「ゼヒー、ゼヒー、こ、このムント、まだ若様に心配されなければならないほど耄碌はしておりませぬ。それよりも、若様、ようやくつかまえましたぞ。お父君も心配なされております。ささ、城のほうへとお帰りあそばしください」
口調は丁寧だがその中には有無を言わさぬ迫力がこもっている。ここら辺は伊達に長年彼らの教育係を勤めてきたわけではないのだろう。
しかし当のミコトのほうはまったく意に介していない様で、困ったような笑顔をしながら頭を掻いている。
「でもなぁ、まだ帰りたくないなー。せっかく新しい友達もできたし」
「新しい友達ですと!?」
驚くムント。彼のことだ、友達と聞いてミコトに何か悪い虫でもついたのかと心配しているのだろう。
「うん、この子。エルルゥって言うんだ」
自分の名前を呼ばれ、はっと我に返るエルルゥ。我を忘れ呆けてしまうほど、ムントの登場のし方は劇的だったと言うことだろう。その証拠にまわりを行く人たちの行き足も止まり、ムントと彼らの方をぽかん、と眺めている。
「ねえ、あなたってさ、実はいいとこのお坊ちゃんなの?」
「うーん、どうだろう、あんまり気にしたことないからわかんないやー」
「そなたエルルゥ様とおっしゃられるのか」
ムントが彼女に話しかける。
「は、はい。エルルゥっていいます」
「それでね、この子のお父さんの名前も凄くってさ、なんとハクオロって言うんだよ」
「ハクオロ!?」
奇しくもミコトと同じ反応をムントはする。
「エルルゥ様に、ハクオロ様ですか。偶然とはあるものですなぁ。しかしこちらのお嬢さんはともかく父親のほうは・・・・・・」
「んだぁ。ジジイ、そいつはどう言う意味だ、あぁん。ぶっ殺され」
「とーさん!」
「たくないのでしたらあまり失礼な言葉使いはしていただきたくないのですが・・・」
怒気をはらんだ娘の声にせっかく張った去勢も一気にしぼんでしまう。情けないと言えば非常に情けないのだが、よほど娘のことが怖いらしい。
「お嬢さん、鳶が鷹を生むと言う言葉もある。諦めずに精進なされよ、さすればいつか道は開けましょうぞ」
「は、はあ」
彼女に慰めとも、励ましともつかない言葉をかけるとムントはミコトの方を振り向く。
「さ、若様、お戻りいたしましょうか」
「ねぇ、僕さー、まだ帰りたくないって言わなかったっけ?」
「何の事でございましたかな?」
さらっと受け流すムント。
「若様には早く城に帰り写経の続きをやって」
「それなら終わったよ」
「では祈祷の練習を」
「昨日あれだけやってまだやるの」
「符の作成をしていただかなくては」
「もう紙がないよ」
ことごとくミコトに返され低くうなる事くらいしかできない。それでもここで城に連れ帰る事ができなければ教育係としての沽券にかかわるとでも思っているのだろう、何か理由をつけてミコトが遊びまわるのを阻止しようとする。
「それでは、えー、それではぁ・・・・・・」
「ねえ、もうやる事は全部終わっているんだし、遊びに行っても良いんじゃないかなぁ」
「なりませぬ!! あーと・・・うーむ・・・・・・」
反射的にそう叫んでも後が続かない。ムントをしてもケチがつけられないほどミコトの行いの成果にはそつがない。それでも彼が口うるさく言うのはミコトの一見ポワポワと頼りなさそうに見えるその性格ゆえだろう。
「あなたって本気でいいとこのお坊ちゃんなのね。こんなお爺さんまでいるなんて」
「本当は、ムントは僕のじゃなくてフミィの、妹の教育係なんだ。でもたまに会うといつもこうやってうるさいんだよ。ムントー、もういいだろー、僕もう行くよー」
「わ、若様、お待ちくだされ」
なお必死にミコトに食い下がる。ミコトも、それを見ているエルルゥもいいかげんあきれてきたのだが、ムントのほうではそんな事はお構いなしに彼らの行く手を阻む。
しかし助け舟は、そのムントの後方からやってきた。
「行ってきなさい。ただしあまり遅くなるなよ、母さんが心配する」
「父様」
特にこれと言って目立ったところのある男ではない。目立ったところと言うのならミコトの方がはるかに人目を引く。
ただその雰囲気。存在感、そういった物がこの男から発されていた。そこにいることが当然であるような、彼がいなくなるだけで周囲の受ける欠落感がいかほどのものになるか、魅力と言う言葉とは少し違う、だが人を惹きつけて止まない、そのような男である。
「そのような事をおっしゃられましては」
「まあ、いいではないか。この子も勉強ばかりでは息が詰まるだろう」
「父様、ありがとうございます」
「ああ、楽しんでおいで。・・・おや、もう友達を作ったのか」
隣に立つエルルゥを見て彼はそういう。彼女のほうでは緊張でもしているのかミコトの隣で背筋を伸ばし立ち尽くしている。
「うん、そうだよ。さっき会ったんだー」
「え、エルルゥって言います。ミコト君にはとーさんが散らかした塵の片付けを手伝って
もらいました」
その名前を聞いてやや驚いた様だが、すぐにやさしそうな目に戻り二人を見る。
「そうか。ミコトとは仲良くしてやってくれ」
「は、はい」
「ねえ、僕の父様なんだからそんなに緊張する事ないよ」
「そんなこと言ったって、何だか体がそう反応しちゃうのよ」
「ふーん、変なの」
そのような二人のやり取りを見ながら、男は微笑ましげな笑みを浮かべる。
ただその時、彼らの後ろでいじけて腐っていたエルルゥの父親が目に入った。エルルゥの名前を聞いたときとは比べ物にならない驚きが彼を襲う。
「あっ、こっちのは私のとーさんです。ほらとーさん、そんなとこでいじけてないでとーさんからもご挨拶してよ」
「・・・・・・久しぶりだな」
彼は男にそう言った。
「んだぁ、オレ様はテメエなんかにゃ会った事はね・・・・・・テメェ、まさか」
「ああ、おまえに素顔で会ったの初めてだったな」
てっきり初対面だと思っていた二人が顔見知りらしいというので、二人の子供は顔を見合わせる。
「父様、ハクオロさんと知り合いなの」
二人の気持ちを代弁するかのようにミコトが彼にそう聞いた。
「ハクオロ・・・・・・そうか、ハクオロか」
「やややややかましい」
懐かしい人物に会った表情で彼は言う。それに対し男のほうでは必死で気まずさを隠そうとしているかのようだった。
「ミコト、私はこの人と2人で話がある。悪いが席をはずしてくれないか」
「えっ」
「エルルゥ、テメェはさっさと残った商品うっぱらってきやがれ」
「う、うん、わかった」
なにやら余人の踏み込めないような雰囲気に、2人はただうなずく。
「ねぇ、僕も手伝っていい?」
「え、うん。かまわないけど」
「やったー、よーし、それじゃあ急ごうよ」
「あ、ちょっと待ってよ」
「わ、若様お待ちくださいー」
3人があわただしく市の中へと消えていく。そしてその場には二人の男が残された。
「いい子じゃないか」
「はん、あったりめえだろ。オレ様とカアちゃんの娘だぞ、いい子じゃねえ訳がねえだろが」
ここは人が多すぎると判断したのか、脇の道へと移動しながら二人の会話は始まった。
「それよりもテメェ、あのガキはテメェの子供か」
「ああ」
彼がそう答えたと同時に、男が彼に殴りかかった。
バキリ、と何かが砕けた音がした。
「うぎゃー」
だが叫び声を上げたのは殴りかかったはずの男の方だった。手を押さえて地面を転がっている。よく見てみると、手がかつて無い方向に曲がってしまっていた。
「お、おい大丈夫か、すまない」
「あ、謝るくらいなら防御なんてするんじゃねぇ」
一度染み付いた習性とは恐ろしいもので、彼の手には懐から取り出した鉄扇が握られている。とっさにこれで防御したらしい。
「しかし急に殴りかかってくるお前も悪い」
「やかましい。テメェ、あの子のことを捨てやがったな」
「なに?」
「とぼけるんじゃねぇ、あの子を捨てて別の女とガキなんかつくりやがって」
男が何を言わんとしているかわかり、慌てふためく彼。それまでの沈着ぶりからすると、滑稽ですらある慌て振りである。
「待て待て待て待て、私はあの子のことを捨てたりはしていないぞ。そんなことする筈がないだろう」
「それじゃぁあのガキは何だってんだ、えっ!」
そう男に突っ込まれ、彼は返答に詰まる。
「み、ミコトはだな、その、何だ。あの子とは別の女性との間にできた子供で・・・・・・だ、だからといって私があの子のことを捨てたなどというわけでは、なくてだな」
彼のその物言いで、何やら男は納得した様だ。ややあきれた口調で彼に返す。
「んだぁ、それじゃああのガキは妾の子か!?」
「い、いや妾、というわけではないのだが、まあ、当たらずとも遠からずというか」
「ああ、テメェ、ケナシコウルペの―─今はトゥスクルだったな。死んだ婆の名前を国につける何ざ悪趣味なことしやがって・・・妾の一人や二人いて当たり前か」
「彼女たちのことを妾とか室などといわれると語弊があるのだが・・・・・・」
そして毅然とした態度に戻りこう言う。
「私は彼女の事を捨てたり、不幸になどはしていない。私は、私はあの子を幸せにできている。それだけは自信を持って言おう」
彼がそう言うのを聞いて、男はどこか安心したようだ。表情も柔らかいものとなる。
「そうか、いや、それなら別にかまわねぇんだ・・・・・・」
二人の間に沈黙が落ちる。気まずい物ではない。ただ周りの喧騒が別の場所の事であるかのような静けさがあたりを漂う。
「ところで先ほどから顔を見ないが、おまえの奥方はどうしたんだ」
その沈黙を破ったのは彼のほうからだった。今度はおまえの番だとでも言うような口調で、先ほどから気になっていたことを彼は聞く。
「おまえと一緒になったんだ、よほどできた人なのだろう」
「ああ、俺のカアちゃんなら2年前に流行り病でな」
その問いに、あっけないほどあっさりとした答えを男は返す。その内容にはそぐわないほどはっきりとした物言いだった。
「悪い、聞くべきではない事を聞いた」
「別にかまわねぇよ。確かにカアちゃんが死んじまったのは悲しかったがよ、カアちゃんとの間に遣り残したような後悔はねえし、それにオレにはまだエルルゥがいるからな」
まったく影の挿さない笑顔。子の男のかつての姿を知る彼としては、この男もこのような笑顔ができるようになったのかと驚きを禁じえない。
「そうか、おまえは今、仕合せなのだな」
「何馬鹿な事聞いていやがる。そんな事当たり前じゃねえか」
「・・・・・・なあ、ヌワン」
「さっきテメエのガキから聞かなかったのか! オレ様の名前はハクオロだ、それ以外の名前でオレを呼ぶんじゃねえ!!」
それまでの穏やかな表情とはうって変わり、男はむきになってそう叫ぶ。
「ああ、そうだったな。すまない。・・・ハクオロ、トゥスクルへ来て、あの子に会ってみないか。おまえに会えればあの子も喜ぶだろう」
彼にそう言われるであろう事は半ば予想していたのか、かなり唐突な質問にも男は慌てるでもなく自嘲の笑みを浮かべ静かに首を振る。
「はっ、いまさら俺があの子に会ってどうなるってんだ。あの子が喜ぶだと、馬鹿も休み休み言いやがれ。オレ様はあの子たちの婆さんを殺した仇だぞ。会える訳なんて、ねぇじゃねえか」
諦めのついた、どこかもの悲しげな笑み。しかしそこには後悔の色はない。
「だが」
「しつけえ野郎だな。俺はあの子が幸せならそれで十分だって言ってんだ!」
そこにあるのはかつて自分が愛した女性の幸福を心から喜ぶ男の顔だった。
これ以上はこの男の決意に失礼だろうと彼も口をつむぐ。
「あーっ、こんなところにいた」
その二人の下へ、エルルゥが息を切らせて駆け込んで来た。
「んだぁ、どうしたエルルゥ、あのガキがなんかヘマでもやらかしたか」
「ちがうちがう、その逆。ミコト君とムントさんが術を使って客寄せしてくれたもんだから今凄いお客さんで。この分だとおとーさんの壊したぶん、元が取れそうなのよ」
「んだとぉ!?」
「今ミコト君にお店まかせてるけど、おとーさんも早く来て手伝って」
「おう、テメェは一足先に行ってろ、オレ様もすぐ行く」
「うん」
来た時と同じように、慌てて彼女は市の中へと駆けていった。
「そういうことだ、オレ様はもう行くぜ」
「ああ、娘さんによろしくな、ミコトにはあまり遅くならない様言っておいてくれ」
「誰がテメェのガキの世話なんか焼かなくちゃならねえんだ。言うんなら自分で言いやがれ」
そこまで言って、男は市へ行こうとしていた体を彼のほうへむけた。
「おい、間違ってもあの子のこと、悲しませたりするんじゃねえぞ」
「ああ、わかっている」
「それだけだ、じゃあな」
「またいつか会おう」
「はん、テメェの顔なんざ二度と見たくねえよ」
それだけを言って、男の姿は人ごみの中へ消えていく。
自分が愛する女性の幼馴染にして、その彼女を愛する男。十数年ぶりに会った男は以前とは比べ物にならないほど・・・・・・いや、これがあの男の本来の姿なのだろう。
「がんばれよ・・・ハクオロ」
町のあちこちから人々の喜びに溢れた声、楽の調べが聞こえてくる。家々を飾る装飾具が風に揺れこの世のものとは思えない幻想的な光景を生み出している。
オンカミヤムカイの祭はまだ始まったばかりだった。
終