トゥスクルの西にある樹海。シケリペチム戦役においては激戦区のひとつとなったこの樹海も、今は夜の闇と薄く張られた霧に閉ざされ夜行性の獣たちの鳴き声だけが聞こえている。
 その樹海の中、トゥスクルでは依然として珍しいギリヤギナ、エヴェンクルガ、そしてオンカミヤリュー3人の子供たちが焚き火を中心にして座っていた。子供たち。そう、このような森の奥深くには不釣合いな一団である。3人ともまだ若く、最も年かさと思われるオンカミヤリューの青年ですらまだその顔には幼さが残る。残るギリヤギナ、エヴェンクルガの2人などは少女、少年と言って差し支えない年齢でしかない。
「んー、焼けたみたいですわね。」
 ギリヤギナの少女が焚き火のそばで炙られている干し肉に手を伸ばした。その傍らにはこの少女に似つかわしくない、大の男でも持ち上げるだけで苦労するような巨大な刀がおかれていた。それを苦もなく持ち上げると、器用に干し肉を切り分けていく。
「ミコトお兄様、焼けましたわよ」
「ありがとう、ユズっち」
 ミコトと呼ばれたオンカミヤリューの青年はそう言うと、彼がユズっちと呼んだ少女から干し肉を受け取りうれしそうに齧り付こうとする。
 人好きのするようなその笑顔には何の屈託も見て取れはしない。
「うわぁ、美味しそう。それじゃあユズっちも食べようよ」
 母親にでも似たのだろうか。焚き火の炎に照らし出されている彼の銀色の髪は、このような場所にあっても神々しいまでに美しく輝いていた。ぴょん、と一房だけ跳ねた前髪がなんとも印象的である。
 その彼だけではない。ユズっちと呼ばれた少女のほうにもその所作の端々にどこか高貴な者の匂いが感じられ、楽しげな感情の浮かぶその瞳は、彼女のその瑞々しいまでの感情全てを言い表していた。
「みんなどうしてるかなぁ、おとなしく僕たちの帰りを待っててくれると良いけど」
「あら、大丈夫ですわよ兄様。今ごろ私たちの帰還祝いの準備で大忙しですわ」
「あはははー。うん、そうだと嬉しいなー」
 ギリヤギナの少女とオンカミヤリューの青年、二人が明るく笑いながら食事を取っている中、もう一人、エヴェンクルガの少年だけは焚き火から離れた場所に座り怒りとも悲しみとも取れるような表情をしている。
「あれ、どうしたのユウユウ。ご飯食べないの?」
「どうしたんですのユウゴ。何か悩み事があるのなら姉さんに言って御覧なさいな」
 そう言って少年に近づくと、少女は彼の頭をなでた。刀の握られた少年の手がわなわなと震え、その耳がぴくぴくと揺れ始める。
「ユズハ殿、今すぐ某の頭からその手をどけてはくれませぬか」
 ユウゴと呼ばれた少年はユズハのことをにらむ。しかしユズハのほうでは全く意に介さないようでそのまま頭をなでつづけた。
「あらユウゴ、ユズハ殿なんて他人行儀な呼び方するものじゃなくてよ。遠慮なんかせずに、『ユズハ姉さん』でいいと言っているのに。それとも姉さんになでられて照れているのかしら。かわいいわね」
 手だけではなくユウゴの全身まで震えだした。特に最後の「かわいいわね」にはよほどの怒りを感じたのだろう。目には光るものさえ見られるのは気のせいではあるまい。
「・・・ユズハ殿、某は遠慮などはしてはおりませぬ。・・・それに姉と言ってもそなたのほうがほんの数分生まれるのが早かっただけではござらぬか」
 押し殺すような声。
「その数分が大切なんじゃなくて?ねえ、私のかわいいユ・ウ・ゴ」
 対照的に彼女の言葉にはどう隠しても隠しきれない楽しさがにじみ出ている。彼女が彼の事をからかっているのは一目瞭然なのだが、根が真面目なのか激しく反応してしまうあたりに彼のその性格が窺い知れる。
「どうしてそなたはそうちゃらんぽらんに振舞えるのでござるか!今某たちがどのような状況にいるかわからない訳ではござるまい!!」
「あら、よおくわかっていますわよ。私たちが今遭難していることくらい」
「そ、それならばもう少し真面目にこの樹海から抜け出す算段でもたてれば良いではござろう。そもそもトゥスクルまで近道になるからとこの樹海を通るように言ったのはそなたであろう!」
 もう既に、半ば泣きながらユウゴは叫ぶ。その叫びは悲壮ですらある。しかしそれを見ているユズハは本当に楽しげだ。完全に彼の事を暇つぶしの玩具くらいにしか思っていないのだろう、そう言われても仕方が無いくらいの喜びが彼女の瞳には見て取れる。
「そんなに怒ってばかりだと禿げますわよ、ユウゴ。チキナロさんの毛はえ薬のお世話にでもなります?」
「兄上!兄上からもユズハに言ってやってください!!」
 今まで二人のやり取りをにこにことしながら眺めていたミコトに話を振る。急に自分に話を振られいささか慌てたのか。ミコトは少しの間を置いて
「うん、チキナロさんの毛はえ薬よく効くそうだからね、そう父様が言ってた。ユウユウも頭が気になるようなら父様に少し分けてもらうと良いよ」
 と、見当違いな事を言う。
 彼のこの言葉は決定的だったようだ。
「ク、ク、ク」
「く?」
「クケーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
 どうも、とうとうユウゴはキれてしまったらしい。そう奇声を発するとエヴェンクルガ特有の翼のような耳を広げ、ミコトに切りかかろうとする。刀の合口は切られている。
 しかしあわや抜刀、兄弟同士で刃傷沙汰と言うその時
「うるさいですわ」
 ユズハの左拳がユウゴのわき腹にめり込んだ。遠慮も呵責も一切感じられないその一撃にユウゴの体がくの字に折れた。
「ぐふっ」
 そううめくとその場に倒れこむユウゴ。
「まったく、いくつになっても幼いんですから。あなたとひとくくりにされる私の身にもなって御覧なさいな」
 彼がキれてしまった原因の大半を自分が作ったのと言う事実はどこへやら。平然とそう言ってのけるあたりに彼女と彼の力関係がわかると言うものだ。
「でもユウゴじゃありませんけど、そうそう何日も保つ訳じゃありませんわよ。干し肉だってこれが最後でしたし」
 そもそも、彼女たちがこのような場所で焚き火をしているのには訳があった。
 ユウゴの母親の書状を、エヴェンクルガの里にいる彼の祖父の下へ届けるため3人で旅をしていたのである。書状も無事に届けあちこちを物見遊山しながらトゥスクルへ帰ろうとしていたその途中、
「この森を通ればトゥスクルまで早く着きますわよ」とユズハが言い出した。
「森って、これは樹海ではないか。このような場所を通るなど危険過ぎる」とユウゴは反対したのだが
「この樹海なら父様も通ったことあるって言ってたし、ユウユウの母様だって無事に抜けれたんだから、たぶん大丈夫だよ」などと長兄のミコトにも言われ、しぶしぶ通るのに同意した。しかし案の定、運悪く発生した霧にまかれ道に迷い、日も暮れてしまったため仕方なくここで焚き火をしていたのである。
「とりあえず朝になって霧が晴れたら、僕が空を飛んで方向を確認してみるよ。食べ物のことは・・・何とかなるんじゃないかなぁ」
 このような状況においても、彼はまだ明るくそう言った。その笑顔のおかげで、暗く沈みがちな雰囲気が明るくなる。
「ところでユズっち、気づいてる?」
「ええ、20、いえ、30人ほどかしら。囲まれていますわね」
 彼女たちの周りを、ぼろぼろの鎧や衣服を着た数十人の男たちが囲んでいた。その手には刀が握られている。どう贔屓目に見ても、彼らを探しにきた捜索隊には見えない。
「ほら、ユウゴ、いつまで寝ているんですの」
 ユズハがそいってユウゴの頭を刀でこずいた。はじめは「にゃむ、姐様?」と寝ぼけていたユウゴだったが彼らを取り巻くその普通ではない雰囲気に一瞬でその身を構える。
「ユズハ殿、こやつらは」
「おじさんたち、僕たちに何か用? 残念だけど、ご飯ならもうないよ。みんなで食べちゃったから」
 ミコトがそう男たちに言い放つ。内面はともかく、その表情に恐怖やあせりは出ていない。先程からとまったく変わらないどこかぽわぽわとした笑顔のままである。
 男たちの中から首領格と思われる男が焚き火のほうへ近づいてきた。
「はん、カンのいいガキどもだぜ。寝静まったところをやさしーく連れていってやろうとしたのによ」
「あら、どこに連れていってくださるのかしら。でも駄目ですわね、あなたのような男性、好みじゃありませんの」
「そうだね、せめて体くらいもっと洗っておかないとね」
「そこの山賊、別に某たちはそなたたちを討伐するためにここに来たわけではない。ただ道に迷ってここにいるだけだ。今ならまだ見逃すゆえ、早々に立ち去るがよかろう」
 本来ならこれだけの人数に囲まれれば泣いて命乞いをしそうなものだが、命乞いどころかこの子供たちはまったくおびえた様子など見せず、反対に「見逃してやる」とまで男に言ってのける。3人に口々にそう言われ、男は顔を真っ赤にして立ち止まった。
「お頭、このガキどもトゥスクルの・・・」
 そんな彼に、横にいた副官らしき男が耳打ちをする。すると見る見るうちに男の烈火のごとき表情が変わっていく。分かり易すぎていちいち男が何を思っているのか考える事さえ必要なさそうである。
「何だと、そいつは間違いねえのか!」
「ヘイ、間違いありやせん。以前トゥスクルの皇都でこいつらを見掛けやしたから」
「へへっ、ようやく俺様にも運が向いてきやがった。やい手前ら、このガキどもは殺すんじゃねえぞ、後で皇城に持っていって身代金ふんだくってやる」
 それまでの怒りを一転、ニヤニヤとした笑いを顔に張り付かせたまま、再度男が近づいてくる。回りにいる山賊たちも徐々に輪を狭めてきた。
「せっかく見逃してやると言っているのに」
「仕方ないよ、僕たちぱっと見ただけだとただの子供だしさー」
「一人十人といったところかしら。・・・ユウゴ、行きますわよ」
「ユズっち、ユウユウも。殺しちゃ、だめだよ」
「承知しております。それにこのような不埒な輩、刀の錆にする事すらもったいない」
「ユウゴの言う通りですわ。ですけど──
 ユズハはそう言って下半身に力を込めると、一息で一番奥にいた山賊のところまで跳ぶ。

 一閃

 まるで稲妻でも走ったかのような斬撃。刀を横に薙ぐ。刃を返してのいわゆる峰打ちと言うやつではあるが、彼女の大刀でそれをやられてもあまり手加減をしているとは言い難い。
「あっ?」
「骨の1本や2本は諦めてくださるかしら」
 ユウゴも遅れじと跳んだ。狙うは彼らの後ろにいる術師。振り向きざまに刀を抜く。さやの中から白刃が煌く。
 一度、二度、三度。四度目に刀身が光った時には、綺麗に腕や足だけに傷が走る。
「なにっ、何だと?」
 まさか3人が反撃してくるとは思ってもいなかったのだろう。混乱する山賊たちの間を
縦横に、ユズハとユウゴは駆けまわる。
「お、お頭。このガキども強いですぜ」
「く、くそっ。調子に乗りやがって!!」
「おじさん、頭と服と、どっちがいいー?」
「あん?」
 ミコトが火の方術を唱えた。横にいた副官の髪の毛が一瞬にして燃え上がる。
「あちぃーーーーー、火が、火が、あちい、頭が、火がー」
 松明と化した頭の副官が地面を転がり火を消そうとしているのを、呆然と山賊たちの首領は眺めている。もはや状況は彼の大したありもしない想像力の範疇を超えていた。
 ミコトが「次は何の術にしようかなー。土神も良いけど、やっぱり闇の術かなー」と言っている姿さえ男にとってはどこか非現実的だ。あたりから聞こえてくるのは部下たちの悲鳴だけ。鍔鳴りの音が、何か重たいものを振るう音が聞こえてくるたびにその悲鳴は大きくなって行く。
 既に男の目の前で行われているのは戦いと呼べるような代物ではなくなっていた。10倍の数いた部下たちが、半分の歳にも満たないような子供たちに一方的にやられていく。自分たちが触れてはいけない物に触れてしまったという事に、遅まきながらようやく気がついたのだろう。どこか夢の中にいる心地で、自分が失禁していることに気づきもせずその場所に立ち竦む。
「兄上、ご無事ですか」
「うん。僕は大丈夫だよ」
 後ろの暗がりから出てきた息こそ上がっているものもどこにも目だった傷痕は無い。
「ユウユウこそ怪我はない?」
「某は大丈夫でござる。このような山賊崩れ、ベナウィ様やクロウ様、ましてや母上様の足元にも及びはいたしませぬ」
「うーん、ベナウィさんたちと比べられたらこのおじさんたちも可哀相だよー」
 そう言ってあたりを見渡した。
「あれ、ユズっちは?」
「ここにいますわ」
 正面の茂みがガサリと揺れ、そこからユズハの姿が浮かび上がる。
「正直ここまで歯ごたえがないなんて。これでよく山賊なんかやってこれましたわね。あら」
 もはや山賊たちの中で五体満足なものは、彼ら3人の前に呆然と立ちすくむ首領であるこの男だけだった。
 それに気がついたユズハが、完全に余裕を持った足取りで男に近づいて行く。
「まだこんなところにいましたの。ちょうど良かったですわ。貴方のお仲間を連れて、さっさとどこかへ行ってくださるかしら」
 焦点を結んでいない男の目など見もせず、勝利者の余裕をありありとそう言ってのける彼女。
 だが彼女は知っておくべきだった。追い詰められ余裕を失った人間の恐ろしさと言うものを。
 まさに油断としか言いようがない。
「ふ、ふざけるなぁ!!」
 急に男がユズハに向かってきた。完全に不意をつかれ羽交い締めにされる。
「な、何を」
 男の手を振りほどこうと抵抗する彼女であったが、口元に布を当てられると突然ぐったりとしてしまった。
「ガ、ガキども。こここ、この娘の命が惜しかったらぶぶぶぶ武器を放しやがれ」
 男は懐から短刀を出し、ユズハの咽元につきつける。その瞳にはもはや正気の光など宿ってはいない。
「ユズハどの!!」
「ユズっち!!」
「おら、早く武器を捨てやがれ。早くしねえとこの姉ちゃんの咽にぶすりといくぜ」
 下卑た言葉を吐きながらユウゴとミコト、二人をその瞳で睨みつける。
「おのれ卑怯な・・・」
「や、やかましい。おまえたちのような化け物、まともに相手してられるか。おっとそこの翼の生えた兄ちゃんも余計な真似はするなよ。あとほんの少し手に力を加えればすむんだからな」
 ユズハの咽もとに短刀の切っ先が刺さった。ツゥーっと赤い雫がたれる。
「くっ」
 逡巡などできようも無かった。今のこの男なら間違い無くユズハにその短刀を突き立てることだろう。
「へっへっへっ、形成逆転だなこのガキども・・・さて、どうしてやろうか」
 左腕でユズハを抱えながら、腰のものを抜く。比較的怪我の度合いが小さかった山賊たちも2人を囲み始める。
『これまでか・・・母上!』
『母様。父様!』
 男が刀を上段に振りがぶる。
 その時だった。
「グルルルルルオォォォォォォォォォォォォ」
 全てを威圧するような雄叫びとともに一陣の風が吹きぬけた。
 男の刀が振り下ろされた。しかしそこには、あるべき男の腕はない。
「あれ、俺様の、腕は、どこ行った?」
「グルルルルルオォォォォォォォォ」
 再度空気を震わす雄叫び。
 今吹きぬけた風は白銀の獣、森の主、ムティカパ。
 自分が森の主であることを主張するかのようなその瞳であたりを見据え、口には今食いちぎった男の腕が刀ごとくわえられている。そしてその背には
「「アルルゥ姐様」」
 その背には薙刀を構えた美しい、月の女神がいるとすればまるで彼女のような、美しい女性が乗っていた。
「ムックル!」
「グルルルルルオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ」
 森の主が吼える。
「ひっ、ひっ、ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 片腕を失って恐慌状態となり、恥も外聞も捨てその場から逃げ出そうとする男をムックルと呼ばれたムティカパが追う。
 周りを囲んでいた山賊たちも、その女性が振るう薙刀に一人、また一人と蹴散らされていく。
「ん」
 戦闘が終り、彼女たちの周りに動くものがいなくなったものを確認すると、アルルゥと2人が呼んだ女性はユズハを抱きかかえた。幸い外傷らしいのはさっき男につけられた咽の傷くらいのようだ。すうすうと安らかな寝息を立てている。
「姐様、ユズっちは」
「無事」
 そう言うと戻ってきたムティカパの背に彼女を乗せる。
「あれ、アルルゥ姐様。それでは私・・・」
「ゆっくり寝る」
「はい・・・」
 ユズハの瞳が再び閉じた。
「アルルゥ姐様、某、某・・・」
 アルルゥがユウゴの頭にぽん、と手を置いた。
「ん、おとーさんまってる。みんなで帰る」
「「はい」」
 霧はいつのまにか晴れ、木々の間からこぼれる月明りが、やさしく彼らを照らしている。ムティカパの背に揺られ、三人はすやすやと眠りながら彼らの母親たち、そして父親の待つトゥスクルの皇城へと帰っていった。

 

   終