「果物など食べたくなりましたら、いつでもお呼びください」

 肩より高い位置でそろえられた濃い栗色の髪がゆれる。
 検診が終わり、丁寧なお辞儀をして退室しようとするクノンを、イスラは呼び止めた。

「ナイフでも置いていってくれれば、自分でやるよ」

 リペアセンターでの治療はすばらしく、漂流中に流木や岩にあたって受けたイスラの怪我はほぼ完治している。
 何日も冷たい海水に浸り失った体力は、さすがにまだ外出が出来るほど回復していなかったが、ナイフを使い果物を切り分ける……それぐらいの事はできるはずだ。
 なにより、自分でできる事は自分でやりたい。
 そんな軽い気持ちだったのだか、イスラの返事にクノンは眉を寄せた。

「それは承服できません」

 きっぱりと申し出を却下するクノンの瞳が怒っているように見えるのは気のせいだろう。
 機械人形である彼女に感情はない。

「イスラ様の治療の際、衣服を脱がせたところ……
 手首に大小含め箇所の傷跡がありました」

 目に見えるだけの数でそれだけあるのだから、綺麗に消えてしまって判別できない傷の数を入れたら……
 今生きている事が、奇跡に等しい。

「かなり古いモノのようでしたが、そのような願望を持った患者に……
 特に、現在のように記憶の混乱をきたしている患者に、
 刃物を持たせることなど出来ません」

 自殺にしろ、海に流されたにしろ、折角助かった命。
 無駄にされたくはない。
 それに、また手首を切ったとしても、必ずクノンが治療する。
 必ず助かるのなら、手首を切るなど……痛いだけ無駄だ。

「それでは失礼します」

 もう一度ていねいなお辞儀をしてから、今度こそクノンは部屋を出ていった。
 イスラはその小さな背中を見つめ、自分の手に視線を落す。
 そで口を開き、無数の傷跡を見つめる。

「……もうしないよ。無駄だから、ね」

 自嘲ぎみに一言呟いて、手首を隠すようにブレスレットを巻きつけた。