薄汚れた小屋の、これまた薄汚れたドアについたノブを回す。
錆びた蝶番が耳障りな悲鳴をあげ、軋みながら小屋の中へと扉を開いた。
一歩小屋の中へと足を踏み入れた瞬間、体を包み込む暖炉の温もりにホッと息をはき、それから体が冷えていたのだと知る。雪こそまだ降り出してはいないが、秋もそろそろ終わる。暖炉の火も、外から帰ってくる自分のために恋人が用意しておいてくれたのだろう。
「……おかりなさい、杳馬」
エプロンで濡れた手を拭きながら、恋人が出迎えてくれる。
恋人――――――とは言っても、もうほとんど夫婦のようなものだ。正式な式や書類の作成などしていないが、冬には2人の間に子どもが生まれる。大きく膨らんだ下腹部に、少し大変そうに――しかし、とても幸せそうに――恋人は微笑んだ。
「外は寒かったでしょう? お疲れ様。夕食の用意が出来ているわ。すぐにテーブルに並べるから、座って待っていて」
言いながら夫のコートを脱がしにかかる妻に、杳馬は苦笑してその手を握り、押し留める。少し湿った白い手は、つい今しがたまで台所仕事をしていた証拠だ。
「いやいや、パルティータちゃん。そこは男の仕事でしょう」
「?」
「ってか、体が大変な時期なんだから、立って料理すんのも疲れるだろ? 俺が帰ってくんの待っててくれれば、俺が夕飯の準備ぐらいすっから……」
ってか、それぐらいさせてくれ、と恋人の白い手に唇を落としながら懇願する。
身重の恋人は今が一番大事な時期であったし、産まれて来る予定の子どもはさらに大事な存在だ。
少しの油断で流れさせるわけにも、死なせるわけにもいかない。――――――今生でやっと掴んだチャンスなのだから。
「杳馬ったら、心配性なんだから」
己の腹の中に居る者が何者なのか、妻はそれすら知らずに穏やかに微笑む。
己の腹の中に星座の煌きを隠して。
「自分の嫁さんと息子心配してなにが悪い」
目の前の妻があまりにも幸せそうに微笑むものだから、杳馬は釣られるように唇を尖らせる。正論に対しつい反発してしまうのは、これはもう性分だろう。ひねくれているだけとも言うが。
「女の子かもしれないじゃない。息子って今から決め付けたら……娘だった場合、将来お転婆に育っちゃうかもしれないわよ?」
「いいや、息子さ」
「?」
確信をもって断言する夫に、妻は不思議そうに首を傾げた。しかし、夫はそんな妻の疑問に答えることなく、温かい部屋の中へと妻を促し、外へと続く扉を閉める。冷たい外気が遮断されると、部屋の中は一段と温かく感じた。
温かい部屋と、温かい夕食。
温かい微笑みを浮かべた可愛い妻と、近々生まれる予定の我が子。
杳馬――――――そう妻に名前を呼ばれるたびに、最近思うことがある。
――――――時よ、止まれ。
そんな埒のない事を――――――
即興小説 ?分指定 お題「俺と神話」
何分指定だったかもわすれた。即興な杳馬とパルティータのお話し。