【嬰児】

 予感を覚え、地上で最も月に近いと謳われるスターヒルへと訪れた。
 日課と呼べるほど頻繁ではないが、稀有と言われるほどに間をあけた事もない。教皇としてしばしば訪れる場所だ。ここで自分は星見を行い、地上の吉兆を占う。その結果は――時に人ひとりの運命を左右してしまう事もある。忌まわしく、また重要な教皇の職務の一つである。

「星が二つ。……産まれて来る子は双子か」

 夜空に明るく輝く生まれたばかりの双子星に、セージは物憂げに目を伏せた。
 ひとつの命の誕生。
 本来ならば、とても喜ばしい知らせだ。
 しかし今夜、それを素直に喜べないのは――

「……先に産まれた者は、凶星の下に産まれてしまったか」

 凶星を背負い生まれたものは、誕生と共に命を絶たれるのが聖域の古くからの慣わし。
 聖域を預かる者の最高位にあたる教皇としては、見逃すことはできない星見の結果が出てしまった。
 せめて、双子が聖域と関係のない場所で産まれ落ちた者であったなら、見ぬ振りもできたかもしれないのだが。良くも悪くも、双子は教皇の強権が及ぶ範囲――聖域の外であっても、極近い村に生れ落ちている。

 ――そのはずだ。

 今夜スターヒルに上ろうと思い立ったのも、知人の妻が産気づいていると聞いたからだ。
 おそらくは、その時から何かを予感していたのだろう。
 導かれるようにスターヒルを訪れ、星を見、夜空に星が生まれる瞬間を見つけてしまった。
 今頃は二人仲良く産湯で清められている頃だろう。
 己の背負った星が凶星も知らずに。

「後に産まれた者は、強い星の輝きを秘めたものだと言うのに……」

 同じ父と母を持つ兄弟だと言うのに、持って産まれた星の宿命は天と地ほどの違いがある。
 自分と兄と同じ双子だと言うのに、今夜産まれたばかりの双子には安寧とした幼年期は約束されない。
 母の胎内から産まれた者は、どちらも同じ嬰児(みどりご)だと言うのに。
 男の子が生まれたら聖闘士にしたい――そう、妻の妊娠がわかった時、父親は嬉しそうに報告してくれた。
 父親の願いどおり、子は聖闘士となるだろう。
 それだけの輝きを、すでに秘めた赤子だ。
 しかし、もう一人は。

 凶星の下に産まれた赤子は――






 夜が白々と明ける頃、セージは重い足取りでスターヒルを下りた。
 これから人を遣いに出して――あるいは自分の足で――我が子の誕生に喜び合う夫婦のもとへと、その一方を殺せと命じなければならない。

 ――気が重い。

 教皇として、人の命を数で計る命を下さねばならぬ時もある。
 もちろん、その時だってそれは辛く、重い決断ではあるのだが……切り捨てねばならぬ命が昨日今日生まれたばかりの赤子というのは、また違う意味でも心を苛むものがあった。
 産まれたくとも産まれること叶わず、生きたくとも生を奪われ……そんな命たちを、人よりやや長く生きたセージはこれまでに何人何百人と見てきた。
 誰よりも命の大切さ、儚さを知るべき自分が、その命を進んで奪うなどということが、あっても良い事なのだろうか――

「教皇様!」

 不意に横合いから聞こえた声に、ビクリと肩を振るわせた。
 常ならばない失態だ。
 肩を震わせて驚くなどと、聖域を治める教皇にはあってはならない。
 教皇とは常に威風堂々と構え、何事にも動じず、聖域を引っ張って行く存在だ。瑣末なことにうろたえてはならない。
 いったい自分を驚かせたのは何者かと、声の聞こえた方へと顔をむけ――息を整えようと荒く深呼吸を繰り返す男の姿を捉えた。
 その腕には、二つの布包みが抱かれている。

「教皇様、産まれました! 元気な男の子が、一度に二人も」

 見てください、と差し出された御包みの中では、「赤子」という言葉どおり真赤な顔をした嬰児が二人安らかな寝息を立てていた。

「……愛らしい子だな」

 皺だらけの顔は、まだ目も開けない。
 どんな色の瞳をしているのか、どんな声で泣くのか――それすらも知ることなく、自分はこの双子のうち先に産まれた者を凶星として殺さねばならない。

 ――さて、なんと声をかけたものか。

 告げねばならない内容を考えれば、冷たく言い放つ他にない。
 どんなに言葉を飾り労ろうとも、自分の言葉は両親にとって冷たく響くことだろう。

「それで、あの……教皇様にお願いがあるのですが」

「……なんだ?」

 言いあぐねいている間に父親も子の誕生からやや興奮が治まってきたのか、もじもじと身をよじっている。
 お願いという事は、何かこちらに要求があると言う事だ。
 この要求が子の養育費など、金品の相談であれば少しは話が簡単になるのだが――――教皇という職務柄、命の誕生から舞い込む仕事といえばそんなものではない。

「あの、教皇様に……この子達の名前をつけていただければ、と思うのですが……」

「名前、か……」

 兄はともかく、凶星として殺さねばならぬ弟に名前など必要はない。
 顔を見ただけでも愛らしいと心を掴む嬰児に名前など付けてしまえば、たとえ凶星の者とわかっていても執着がわく。
 それはわかっているのだが――

「……先に産まれたのはどちらだ?」

「こっちの……白い御包みの子です」

「白い……」

 差し出された白い御包みを抱き、中の嬰児を見下ろす。
 腕に抱いた命は、聖域の長としては殺さねばならぬ凶星。
 しかし、地上に生きる一人の老獪としては……愛すべき産まれたての命でもある。

「……白き心を持つように、アスプロスと名づけよう」

「アスプロス(白い)って……まさか教皇様、御包みが白いからって、そんな適当な……」

「もう一人にはデフテロス(二番目)とつけよう」

「二番目って……兄はこっちの――」

「良いのだ」

 父親の言葉をゆるく首を振って遮る。
 これ以上、双子のうちどちらが兄で、どちらが弟だと「世界」にふれ回る必要はない。
 兄を弟と呼ぶことで、背にした凶星が宿命の者を見失うと良い――そんな切ない願いも込められている。

 名を入れ替えた程度で、幼い命を凶星の宿命から逃してやれるとは思わないが。
 産まれた命に罪はない。

 今はまだ、自分一人が片方の背に凶星を見出してしまっただけだ。
 どちらにも心正しく生きて欲しい。
 生来強き星をもって産まれた者は、その強さが身を守ってくれるだろう。
 そして凶星を背負って生まれた者は、その名前に込めた願いが彼を守ってくれる。

 ――そう信じて、セージは口を閉ざした。


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即興小説 2時間 お題「緑の兄弟」
緑→みどり→みどりのこ→みどりご→嬰児(みどりご) の変換です。