【師弟】

 随分後になってから聞いた話だが、師は自分を聖闘士にするつもりで拾ったのではなかったらしい。
 その話を聞いた時、肩から力が抜けたのは無理のないことだろう。
 聖闘士を目指したのは道を誤ったかとも思ったが――――――後の祭りだった。
 自分にはもう、この道しかない。
 この道がいい。
 この道以外では、自分の命を輝かせることはできない。
 そう確信もしていた。

 半分は恩を感じて目指した道だが、自分の性にも合っていたように思う。
 大体、師にだって問題はあった。
 命は塵芥ではないと説いた師に惹かれ、聖域に来たのだ。
 そこでまさに命を輝かせんと修行に励む若者達を見れば、自分が聖闘士を志すことぐらい考えずとも判っただろうに。
 聖闘士にする気がなかったのなら聖域になど誘わず、薄汚い追剥ぎの子供など適当に放り出せばよかったのだ。
 
 
 
 
 
 
「セージの奴は、いつまでもおまえを子どもと思っておるようじゃの」

「……どうせ俺ぁーガキだよ。こんなヨボヨボのジジイにも勝てねぇーんだから」

 石畳の上に大の字に倒れ、青い空を見上げる。
 半ば八つ当たり気味に挑んだ勝負は、あっさりと負けてしまった。
 今日のように地面に叩きつけられるのはいつ以来かと考えて、マニゴルドは軽く頭を振る。――――――今さら自分を伸せる人物など、聖闘士候補生の中にはいない。その実力のある者達はみなすでに聖闘士や雑兵として聖域という組織に組み込まれている。
 自分だけがいつまでも聖闘士候補生として放逐されていた。
 聖闘士として戦える実力も、雑兵としてでも聖域に残る覚悟も決めているというのに。

「お師匠はなんで、なんにも言わねーんだろうな……」

 今更才能がないはずはないと思うが。
 聖衣は装着する者を選ぶと言う。
 自分にその資格がないと言うのなら、早々に見切りを付けて欲しい。
 聖闘士になれずとも、雑兵なら師のために働ける。が、候補生のままでは師の手を煩わせることしかできない。
 どっちつかずの生殺しな現状が、聖域で行なった修行の中で一番辛かった。

「……よし、ジジイ! もうひと勝負だ!」

「弱い者虐めは趣味ではないんじゃが……」

 気を取り直して顔を上げれば、やれやれと自分を伸した『ジジイ』が腰を上げる。
 さも大仰そうに腰を上げてはいるが、素振りほど疲れていないことは明白だ。彼は自分の師の兄であり、その実力は師よりも数段上だと、初めて紹介された時に聞いた。どこか誇らしげにそう語る師に、内心でおもしろくない物を感じたのも今となっては懐かしい。師の言葉通りに、彼の力は確かに師を上回り、未だに一度たりとも一本とれたためしがなかった。

「ま、これも弟のしでかした不始末じゃ。兄として、息抜きぐらいは付き合ってやるか」

「お師匠の不始末?」

「不始末じゃろう。……あやつが未だに弟子離れできんせいで、若者が一人腐りかけておる」

「お師匠のどこが弟子離れできてないんだよ。放任主義も甚だしいぞ」

 最後に直接稽古を付けてもらったのはいつだったかと指を折って数える。
 親指を倒し、人差し指を倒し、中指、薬指と続いて終わるかと思えば、小指を倒し、また起して折り返す。中指を起す頃には、さすがのハクレイも気の毒になったのか、ジャミール特有の形に整えた眉をひそめた。

「……あの馬鹿は、8日もおまえを放置しておるのか」

「いんや? 8週間……ってことは、ほぼ2ヶ月か」

 改めて数えてみるとすげぇな、とおどけてみはしたが、心中穏やかではいられない。
 教皇の間に呼び出されて素行を注意されることもあるし、稽古の合間に一言助言をくれることもある。完全に放置されている訳ではないが――――――

「……だめだ。お師匠が何考えてんのか、全然わかんねぇ」

 稽古の名の下に師の兄を相手に暴れ、一度は収められた苛立ちが沸々と甦る。
 とはいえ、八つ当たりで散漫になっている拳で勝てる相手ではないので、マニゴルドは短い髪を掻きむしることで苛立ちを誤魔化した。

「いっそ、つれないセージなど捨てて、わしに弟子入りするか?」

「?」

 いったい何の冗談なのか。
 目を丸く見開いた後、マニゴルドが胡散臭いものを見る目で師の兄――事実、彼は胡散臭い――を見やると、師と同じ顔をしているくせに、師は絶対に見せないような自信に溢れた笑みを浮かべていた。

「わしの弟子遣いはいいぞ。炊事洗濯はすべて弟子任せ、200年以上の歴史を持つスパルタ教育は暗黒から黄金まで様々な聖闘士を輩出し、果ては……」

「それ、絶対あんたに付いてったらダメだろ」

 胡散臭い爺は、やはり胡散臭かった。そう呆れながら彼を睨み――――――笑う。
 彼が何故そんな事を言い出したのかもわからぬ程、マニゴルドも子どもではなかった。

「んでも、あんがとな。……変な心配させちまったか」

「なんじゃ、つまらん。折角セージが良い感じに育てた弟子を横から掻っ攫って、わしの輩出した聖闘士が一人増えるかと思ったのに」

「わりぃな。俺のお師匠は、セージ教皇だけだ」

 舌を出して応えると、師の兄は折れた石柱に片肘をついて苦笑を浮かべる。普段は言動から何から似ていない双子の兄弟ではあったが、どこか遠い目をして笑うこんな時は、確かに二人は双子なのだと感じた。

「……と言うことらしいぞ。何か弁明はあるか? 当の昔に聖闘士になれる力をつけた弟子を飼い殺している事についてな」

「何も、言うことはありませんな」

 兄上には、と区切られた言葉にマニゴルドは慌てて声の聞こえてきた方向へと振り返る。
 声をかけられるまで気づかなかったが、いつのまにか自分の背後に教皇セージその人が立っていた。

「お師匠!? いつからそこに……」

「セージなら最初からおったぞ」

「へ?」

 最初からいた、が正確にいつからなのかはわからなかったが、居たのなら声をかけて欲しかった。候補生達の訓練所に顔を出せる時間があるのなら、自分に稽古を付けて欲しかった。それこそ、師が見てくれるのならば、師の兄で代用する必要もなかっはずだ。
 無意識のうちにムッと口がへの字に曲がる。
 子どものような拗ね方をしているとわかってはいたが、どうしようもない。今更体裁を整えたところで、200以上は年上の師にとって、自分は赤子にも等しい年齢でしかないのだ。
 自分から僅かに目を逸らした師に文句の一つでも言ってやろうとマニゴルドが口を開くと、背後から迫ったハクレイの手にそれを阻止される。力強く頭の上に乗せられた皺だらけの手に、強制的に口を閉ざされた。
 黙っていろ、と言ったところか。

「セージは200年以上生きる妖怪ジジイじゃが、弟子をとったのはおまえが初めてじゃからな。初めての弟子が可愛くて、まだ手放したくはないらしいの」

「適当な事を言わないでいただきたい」

「真理であろう。でなければ、十分に聖闘士として使える者を資格も与えず候補生に留めておるのは何故じゃ?」

 聖闘士としての実力。
 自負していた事ではあったが、改めてそれを他人に認められ、マニゴルドは瞬く。
 まさか、のらりくらりと気まぐれ程度に聖域に顔を出すだけの老人に、師よりも先に認められるとは思いもしなかった。

「……聖闘士にするために、その子を聖域に連れてきたのではなかったから、ですよ」

「ほう。ではおまえは、聖闘士にする気もない穀潰しの子どもを拾い、聖域で飼っておったのか。良い趣味じゃな」

「なんとでも仰ってくださって結構です。私はマニゴルドを聖闘士にするつもりで連れてきたのではない」

「では、何のために連れてきた」

「それを、貴方が私に聞くのですか」

「わしに答える必要はないが、おまえの愛弟子には聞かせてやる必要があるのではないか?」

 何故、拾ったのか。
 何故、手元に置いたのか。
 何故、一人の聖闘士として認めないのか。

 マニゴルドには、師から聞きたいことが山ほどある。
 親を失った哀れな子どもなど、今の時代どこにでも溢れている。別に自分だけが特別ではない。むしろ、自分はまだマシな方だった。方法はどうあれ、生き抜くための悪知恵も、それを実行に移すだけの度胸もあったのだから。

「……ただ、生きて欲しかったからだ、マニゴルド」

 一呼吸間を置いてから、師の視線が自分へと落とされた。悠久の時を感じさせる翡翠色の瞳には、訓練の合間に見せる厳しさと優しさが共存している。

「他者の命を悪戯に奪うことなく、危険に自身を置くこともなく、自分の生き方を見つけさせるために……ほんの一時、養育するつもりで拾った」

 世の中には様々な生き方がある。
 そのうちの一つの形として聖域を見せ、そこで生きる者達の命の輝きに魅せられれば、いつか他人の命を奪う追剥ぎ業から足を洗うのではないか、と。
 そう願って、生きるために他者を殺める必要のない環境に師はマニゴルドを置いた。

 しかし、師に見せられた聖域に、マニゴルドは魅せられた。

 師の思惑通りに、他人の命を軽んじることはなくなったのだが、マニゴルドは今度は自分も輝きたいと願った。
 そうなれば、後は弟子として正式に聖域に迎えるまでに時間はかからなかった。
 生来の素質も手伝い、師から技と心を学び、仲間と共に体を鍛え上げ、今まさに一人前の聖闘士としての輝きを身につけ――――――師の両目を迷いなく真っ直ぐに見つめる。
 その視線を受けて、セージの翡翠色の瞳は迷いに揺れた。
 拾い子が自分と同じ聖闘士を目指してくれるのは正直嬉しかったのだが。

「聖闘士にするために拾ったのではない。雛鳥が親鳥の後をついて回るように、おまえが私の後をついて回る必要はないのだ。おまえはおまえの人生を生きよ」

「……あのさ、お師匠。俺が俺の意思で見つけた生き方が、聖闘士になるつーことだとは考えないのか?」

 ま、たしかに半分はお師匠に恩感じて目指し始めたつーのも認めっけどな、と続けて肩を竦める。
 師匠がそう言うのだから、師匠がそう望むのだから、と自分を押し込める必要はない。弟子として、養い子として、師であり養父でもある老人に、ちゃんと話しておかねばならない事がある。

「……今はちゃんと、これしかないって思ってる」

 聖闘士を目指したのは、まぎれもない自分自身の意思だと。

「つーか、お師匠。俺はアンタのした星屑の話に惹かれてついて来たんだ。聖域には輝いてる奴らが一杯いる。そんな奴らを見て、聖闘士以外を目指す気になんて、なるわけがねぇつーか……」

 わかれよ、と悪態をつきながら目を逸らす。
 話す内容が今更すぎて、急に気恥ずかしくもなってきた。

「俺は聖闘士になりたい。お師匠の役に立ちたい。でも、んな事より何より……俺は俺自身を輝かせたい」

 自分の命は、塵芥ではなかったのだと、あの頃の自分の証明してみせたいのだ。

「これはちゃんと自分の意思で選んだ生き方だからサ。だから……」

 あんま変な心配すんなよ。
 そう呟いて笑うマニゴルドの頭に、何年ぶりかで師の手が乗せられた。


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