かすかに覚えた違和感に、セージは僅かに目を細めて少女を観察する。
目の前の少女は昨日まで確かに「少女」であったのだが、今日は何かが違う。
凛とした輝きを秘めたターコイズ・ブルーの瞳に見上げられ、無意識のうちに膝を折った。少女からは数瞬の戸惑いを感じ、やがて頭上から無邪気な笑い声が聞こえる。
「セージは相変わらずね」
生まれてから10年と生きてはいない少女の口から漏れた「セージ」という呼びかけに、躊躇いはない。これまでは何度そう呼ぶようにと教えても、どこか年長者である自分を呼び捨てることに遠慮があったのだが、今日の少女からはそれが完全に消えていた。
「老けたわね。……いやだわ、前は私の方がお姉さんだったのに」
少女の小さな手が頬へと伸ばされ、セージは顔を上げる。
年月によって刻まれた皺を数えるように指でなぞりながら、少女の姿をした女神はおどけて肩を竦めた。
「でも、お爺ちゃんになっても素敵よ、セージ」
「おからかいめさるな」
愛らしく微笑む小さなな女神に、セージは苦笑いを浮かべて応える。
違和感の正体がわかった。
目の前の少女は、もう昨日までの己の運命に不安を抱いていた少女ではない。
自分達が神と崇める女神そのものだ。
凛と戦場に立つ我らが戦女神。
聖域に迎えていくらか時が過ぎたが、ようやく女神の意識が目覚めた。
「貴女の方こそ、今生は随分と愛らしいお姿で」
前聖戦の折、自分が仕えた女神は大人の女性の姿をしていた。
初めて遠目に姿を見た時は、自分がまだ聖闘士候補生だった頃だ。
その頃すでに成人女性の姿をしており、華のような美しい容貌と楚々とした仕草。女性の象徴である豊かな乳房とくびれた腰つきを持つ乙女に、聖域に集う男達はみな恋に似た感情を抱いていた。
そんな女神が、今は幼い少女の姿をしている。
愛らしい顔立ちはかつての美貌を彷彿とさせるが、女神の美貌が輝き始めるのはあと数年先のことだろう。豊かに実っていた二つの果実も、まだかすかな膨らみもない。女性らしい丸みを帯びた四肢も、今は子ども特有の細い手足でしかなかった。
長く生きては来たが、まさか幼い女神と対面することになるとは、夢にも思わなかった。
否、知識としては知っていた。地上に降誕する女神は赤子の姿で現れると。
けれど、教皇として聖域を継ぎ、次の聖戦の向けて迎え入れる準備をしていた女神は――――――想像では常に大人の姿をしていた。大人の姿しか知らないので、それは仕方がなかった事かもしれないが。
「……セージは大人の私より、子どもの私がいいのね? 知っている? それって世間では幼女愛好家と言うのよ」
「もとより、私の愛はアテナ様と聖域に捧げられておりますゆえ。大人の姿をしていようと、少女の姿をしていようとも、それは変わりません」
だから自分は幼女愛好家などと言う不名誉な称号を賜る覚えはない。
しれっと返すセージに、女神は懐かしげに瞳を細めて微笑む。容姿はいまだ少女そのものだったが、見せる表情が変わった。
――――――ああ、本当に女神が聖域に戻られたのだ。
器だけではなく、心が。意思が。
強く輝くその魂が。
これでようやく、約束が果たされた。
次代で再び見えようという約束が。
二百数十年という年月は、人の身には長すぎたが――――――待っただけの事はあった。
願わくば、女神がもう少し成長し、成人女性となった頃。
兄と女神と三人で、月でも肴に一献傾けたい。
願わくば。
本当に、願わくば。
いつか、きっと。